生物多様性と生態系サービスの経済分析
Economics of Biodiversity and Ecosystems

馬奈木 俊介
ファカルティフェロー

要旨:COP10において「2020年までに回復力のある生態系とその基礎的なサービスが継続的に提供されるように、生物多様性の損失を止めるために効果的かつ緊急な行動を実施する」ことを趣旨とする新戦略計画・愛知目標が採択された。今後、どのように生物多様性及び生態系サービスの価値とその経済的評価、生物多様性オフセット制度、生態系サービスへの支払いなどの経済的手法の導入が用いられるべきかについて分析する。

Abstract: COP10 provides an innovative approach to conserving and protecting the world's rapidly diminishing living resources, while providing benefits to all, in particular, local communities in developing countries. This study introduces how economics approach such as ecosystem payment, offset mechanism can be applied to promote more ecosystem and biodiversity preservation.

1. なぜ生物多様性を保全するのか?

生物多様性はなぜ保全しなければならないのだろか? また、どのようにすると効果的に保全する(失わない)ことができるだろうか? 人類は直接・間接的に生態系から「サービス」を受けて生存している。あるいは経済活動もそのサービスにより成立している。しかし一方で人間の活動や経済活動の影響を大きく受け改変すると、生態系は従来のサービスを提供することが難しくなることがある。これら生態系の変化の直接的要因としては、生息地の改変、気候変動、外来種、過度の資源利用、汚染がある。そしてその背景には、人口変動、経済活動、社会政治、文化、科学技術の間接的要因があるため生態系の変化は経済的問題だと言える。

生態学的に正しいあるべき自然の姿というものはない。生態系の変化していく力を持った体系、つまり生物学的自然の構成要因を保全していくことが多様性の保全である。多様性の価値には、大きく分けて2通りの価値がある。1つは、利用可能な資源を保護することで得られる価値である。もう1つは、現在の人間の知性では、それを価値のないものだと判定することはできないため、現時点として保存したいという価値である。そして、この価値とは人間の価値判断に基づく社会的な合意によって決定される。つまり価値判断も多様性に影響を及ぼす要因も経済的なものであるため、経済学を用いた分析と対策が必要となる(詳細は馬奈木・IGES編(2011)を参照)。

1992年の地球サミット以降、生物多様性の劣化は環境に関する現代の重要課題となっており、生物多様性に対する関心は世界的な高まりを見せている。しかし生物多様性の保全は複雑で難しい。なぜならば、その劣化は様々な要因により生じる地方・国家・地域・世界レベルの多様な次元に跨る課題であり、その対策手法も遺伝子の保存から種の保全、保護区の設定まで多岐に亘るからである。

これまでの研究から、種が多様であるほどに生態系の生産性や安定性が上昇し、生態系が攪乱を受けた際の耐性および回復速度も高まることが分かっている。一方で、生態系の機能を保つためには必ずしもすべての種を保全する必要はない。しかし、どの種ならば絶滅の影響が小さいか明確には分かっていない。

生物多様性を保全するためには、現状の資金制約下において可能な範囲で特定のキーストーン種やアンブレラ種の生息地を保全することが必要となる。つまり生物多様性を保全するにあたり優先的に考慮されるべきは生態系である。生態系とは、「構造」であり「機能」であり、生態系の多様性が生物多様性の一部を成すという関係にある。そこで、生態系に注目した保全政策が生物多様性保全の効率的および効果的な実施の鍵となる。

しかし、その世界の生態系は人類の歴史上かつてない速度で劣化し続けている。森林伐採や湿地干拓による積年の農地開発で現在農耕地は陸地表面の4分の1を占め、過去数十年の沿岸域の開発から世界のサンゴ礁は20%、そしてマングローブ林は35%が消失した。自然河川の流量の3倍から6倍にあたる水量が現在世界各地のダムに貯水され、地球史上の1000倍の絶滅速度で種は消失している。これら生態系改変の直接的な要因は生息地の改変、気候変動、外来種、過度の資源利用、汚染であるが、その背景には、人口変動、経済活動、社会政治、文化、科学技術の5つの間接的要因がある。

人口や所得の増加は資源利用量の増大を促し、社会政治的な要因は生態系管理の意思決定や教育に対して影響を及ぼす。生態系に対する認識や消費行動は文化的・宗教的要因と繋がりがあり、科学技術の発展は農耕地の拡大を引き起こすひとつの要因となる。またこれらと異なる視点から捉えるならば、間接的な要因としては市場の失敗と政策の失敗がある。

食糧供給から気候調整、レクリエーションから土壌形成まで広汎なサービスの提供を行う生態系を総称して生態系サービスと呼ばれる。その与える影響の範囲も洪水抑制などの地方レベルから大気調整などの世界レベルまで多様である。つまり、様々な生態系が多種多様なサービスを提供し、そこに存在する種が生態系の機能に影響を及ぼすのである。

生態系サービスの劣化は途上国及び先進国共に悪影響を与えている。この劣化により世界の貧困層をより一層苦しめている。例えば、生態系の破壊や過剰な汚染により劣化した水質浄化サービスは劣悪な飲料水や病原菌の繁殖による疾病の可能性を高め、公衆衛生の不備と相俟って毎年多くの人を死に至らしめている。先進国においても、生態系サービスの劣化は森林伐採や開発行為による植物種の絶滅を通して、新薬開発のための遺伝子資源発見の機会の損失を招き、乱獲による漁獲量の減少は先進国の食糧供給や雇用吸収能力を劣化させる。また森林や湿地などの消失は気候変動のリスクを高め、沿岸域での海水面上昇や自然災害規模の増大、動植物相や栽培農作物の変化をもたらす。更に開発途上国における疾病の増加が先進国へと波及する可能性もあり、生物多様性が豊かな熱帯地域の生態系の劣化はその地のエコツーリズムの価値を減少させうる。

生態系サービスは直接利用されるものにとどまらず、洪水調節機能や大気組成安定化機能を始めとする様々な調節機能も含む概念である。例えば、地球温暖化問題も大気組成安定化機能という生態系サービスの持続可能な利用に関する問題と言うことができる。また生物多様性保全についても、生物多様性そのものが生態系サービスをもたらすか、または生態系サービスを提供するために生物多様性の保全が必要となっているかの形で、持続可能な生態系サービス利用の問題と位置づけることが可能である。このように問題を整理するならば、1984年国連に設置された「環境と開発に関する世界委員会」(World Commission on Environment and Development:WCED)のブルントラント報告書によって定義された持続可能な開発とは、生態系サービスを持続可能な方法で利用しながら、基本的ニーズを充足する機会の欠如として定義される貧困を削減していくこと、である。このように、持続可能な生態系サービス利用の問題は政策課題として極めて重要である。

今後、非持続的な生態系サービスの利用を転換するためには、生態系サービスの非持続的利用よりも持続的利用のほうがより高い経済効率性をもたらす経済構造を構築しなければならず、そのためにはインセンティブの創設や生態系サービスの劣化を助長する補助金の撤廃などを含む経済システムの変革が必要となる。

このシステムの転換として注目すべきが、2010年10月30日未明、名古屋にて開催された生物多様性条約第10回締約国会議において名古屋議定書および愛知目標が締結されたことである。前者は生物多様性条約のひとつの課題である遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ公平な分配についての国際的なルール形成のための議定書であり、資源利用に際しての資源提供国に対する事前の同意や各国における法的措置の実施などが盛り込まれた。後者は「締約国は現在の生物多様性の損失速度を2010年までに顕著に減少させる」という2010年目標の未達成に対し、新たに締結された2011年以降の生態系保全目標である。ここでは2020年までに陸域保護区の割合を陸地面積の17%、海洋保護区の割合を海洋面積の10%とすることなどを含む20の達成すべき個別目標が定められている。このほか生物多様性と生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォームの創設、持続可能な生態系サービスの利用促進、資金動員戦略に関する決定、世界植物保全戦略の策定、水田の重要性を認識した決議など多数の決定が行われた。

日本における取組を考えよう。これまで4次にわたる生物多様性国家戦略が策定されてきた。2007年11月に閣議決定された第3次生物多様性国家戦略では、生物多様性の3つの危機が強調されている。第1の危機は、人間活動に起因する開発や乱獲による種の減少・絶滅、生息・生育地の減少である。第2の危機は、人間の働きかけが減少することによる里地里山などの手入れ不足による自然の質の変化である。2010年3月に閣議決定された生物多様性国家戦略2010では、SATOYAMAイニシアティブが提唱されている。これは、人間の手入れ不足による二次的自然の劣化がもたらす生物多様性の喪失が危機的状況であることを示している。そして里地里山の重要性は一層クローズアップされた。第3の危機は、外来種や化学物質などの持ち込みによる生態系の攪乱である。そして、地球温暖化による危機が、多くの種の絶滅や生態系の崩壊をもたらすことを指摘している。以下に我々の研究成果について簡単に紹介する。

2. 生物多様性と生態系サービスの経済評価

それでは、生物多様性を守るためには何が必要であろうか? 生物多様性を保全するためには多額のコストが必要であり、受益者による費用負担が求められる。そのための資金をいかにして確保するかが議論となっている。そこで生態系サービスの経済価値評価が注目を集めている。たとえば、生物多様性条約における議論では、生態系サービスの受益者が生態系保全の費用を負担する「生態系サービスへの支払(payment for ecosystem services: PES)」や、開発の代償として自然再生の費用を負担する「生物多様性オフセット」などが提案されている。

PESとは、明確に範囲が定められた環境サービス、またはそれらのサービスを担保する土地利用が、サービスの供給者から購入者へ販売されるという自発的な取引のことである。しかし、現在はPESという用語は市場をベースとした多様な保全メカニズムの呼称として使用されている。ここで大事な点は、見えない自然の価値を、市場経済の中で可視化するということである。また、この生態系サービスの維持・向上を図るためPESに類似した制度が現在、多数実施されている。

また生物多様性オフセットとは、開発事業などで多様な生物が生息している環境などを破壊した場合に、近隣地などの異なる場所で、可能な限り破壊された生息地と同等の機能や質を持った環境を人工的に創出等することにより、その影響をオフセット(相殺)する行為である。

生物多様性と生態系サービスを経済評価することの主要な目的の1つは、価値のデモンストレーションであり、そのことを通じて価値をビジネスや政策などの意思決定に組み込むことである。そのため、PESのように市場メカニズムを活用した取引や保全活動が増加することにより、経済評価が利活用される機会が増加し、その重要性も増すことになる。

しかし、これを実現するためには生態系サービスの経済的価値を評価することが不可欠である。そのためには、生物多様性の喪失によって社会が被るコストを把握し、生態系と生物多様性を保全することの社会的意義を示す必要がある。そして、生態系サービスに対して報酬を支払う仕組みを構築し、生態系と生物多様性の保全による利益を分け合う制度が必要である。そのためには、生態系サービスなどの非利用価値の評価することが不可欠である。

ただし、生態系サービスには市場価格が存在しないため、その価値を金銭単位で評価することは容易ではない。一般に、環境の価値は、人々が直接的または間接的に環境を利用することで恩恵を受ける利用価値と、自分自身が環境を利用しなくとも環境を残すことで価値が発生する非利用価値に分類される。そして生態系サービスの価値には、利用価値と非利用価値の両方の性質が含まれる。このため、生態系サービスの経済価値を評価するためには、利用価値と非利用価値の両方を評価するCVMや選択実験などの表明選好アプローチが必要である。その制度設計に際して、生態系サービスの経済評価は、問題の発見、需要の把握、政策担当者および市民の啓発などの面で貢献してきている。

生物多様性保全に対する支払意志を調べるにあたって、この問題に特有の特徴に留意しておくことは重要である。その第1の特徴として、影響の地理的、時間的範囲が極めて大きいことが挙げられる。すなわち、医薬品のモデルとしての遺伝資源やアフリカの大型動物相に対するエコツーリズムを考えれば明らかなように、多様性の喪失によって損失を受ける人々(あるいは多様性保全の恩恵を受ける人々)は、地理的には地球規模に広がり、また時間的には全ての将来世代に及ぶ。生物多様性の第2の特徴は、問題認識の曖昧さである。生態系管理は複雑な課題であり、また生態系が提供するサービスは多岐にわたる。このため、生物多様性喪失の帰結やその保全の成果がどのようなものかについて、明確なイメージをもつことは、多くの人にとって容易ではない。我々は全国的に7231世帯を対象にしたアンケートに行い、以下のような結論を得た。

湿地における生物多様性の喪失について、人は明確な湿地の機能について知れば、未知の状態よりも支払う確率も支払意思額も大きい。破壊される環境がいかに大事なものかという認識を得られれば、これに対する保護の意思は金銭的に高まるという示唆が得られたことになる。

そして時間割引はこのような金銭の支払いにおいて重要な役割を果たす。自分の世代の環境を守るための支払意志額と将来世代の環境を守るための支払意志額とには差があるのだろうか。問題の中心は、用いられる割引率の大きさである。我々の分析結果より、近い未来では割引率が大きいが、遠い未来では割引率が小さいということが分かった。この傾向は日本、東南アジア、南米それぞれについて共通であり、また各環境対象についても共通となっている。

更に、ダム開発による生態系破壊、水源林の破壊、水質汚染、地球温暖化による農業被害といった環境破壊や汚染について、身近な地域に、支払確率が高いことが分かった。また同時に、5、20、100年後といった時間経過に伴って、環境保全のための支払確率が低下している。つまり、人は環境保護に対して、発生場所が自分の住んでいる地域を離れるほど、その発生が後の世代であるほど、金銭を支払わなくなるという示唆が得られた。支払意思額と距離および時間の関係性の検証においてもこの結論は同様である。また、人は幸福であり、利他的であるほど環境保護への支払いを許容する。

次に具体的な事例として、選択実験を用いて宮城県大崎市(旧田尻町)の蕪栗沼の生態系サービスの価値を評価した。蕪栗沼は、旧迫川の遊水地域内にあり、近隣の伊豆沼・内沼地域と合わせ日本国内の約8割に当たる毎年約10万羽ともいわれるマガン(日ロ渡り鳥条約保護対象種)が越冬のために飛来する世界的にも非常に重要な地域である。しかしながら、過去にはマガンの稲への食害による農家の反発、沼の浚渫計画、渡り鳥の飛来増加による水質の悪化などの問題により、農家、地域住民、行政、NPO等との間で論争が起こった。マガンの分散化と環境保全型稲作を目的として冬期湛水稲作水田「ふゆみずたんぼ」を始めている。分析の結果、地元の宮城県とその他の地域では限界支払意思額が異なる傾向があった。地域住民は水鳥の観察施設の利用価値を重視していたが、湿原保全の非利用価値は全国に広がっていた。また、湿原保全に対しては、非常に高い価値を持つ人からマイナスの価値を持つ人まで様々であった。

また、農業に関わる問題に対して、PESに関連する制度とその経済評価も多数ある。 日本の農業に関連するPES類似事例として、全国レベルの政策としては中山間地域等直接支払制度や農地・水・環境保全向上対策、地域レベルでは滋賀県などが実施する環境支払いや棚田オーナー制度などがある。棚田オーナー制度の内容や目的はさまざまであるが、2003年時点で全国165地区を数えるまでに増加している。

棚田オーナー制度には複数の形態があるが、代表的なものは、棚田の1区画を数万円程度で都市住民らに貸しだし、地元の農家が指導しつつ、代掻きから田植え、収穫に至る一連の農作業を体験させる仕組みである。森林などとは異なり、毎年耕作されることにより供給される農業の生態系サービスを維持するため、単年度ごとにその耕作権を市場で売買し、保全するという市場メカニズム活用型のPESである。耕作権を購入する都市住民らにとって、美しい景観を観賞しながら水田で農作業体験を行うという文化的サービス、そして収穫物として米を得る供給サービスなどが直接的な便益である。さらに、周辺の住民には、供給サービスや調整サービス、文化的サービスが供給される。もちろん、棚田は景観だけではなく、身近な生き物を育む場としても地域において重要な役割を果たしている。他方、農薬や肥料の過剰な使用、あるいは作業効率性を高めるための圃場整備が生き物の生息地を減少させることもある。

3. 生態系サービスへの支払いのための制度設計

日本は、以前からPES的な発想や制度が存在しており、それが形を変えて現代に活かされている。古くは、1784年に、越後国頚城郡水野村がその入会山で、新規の炭焼きを出願したが、下流の24カ村がこれに反対した。これは下流村にとって、伐採により雪解けが早くなり、用水が不足することなる、また、雨の際には土砂流出のおそれもあるからであった。それに対し、水野村は、山林の開墾と炭焼きを中止し、その代償として、24カ村は、水野村に対して50両の一時金及び米4石を毎年差し出すことで合意した。さらに、立木繁茂のため猪鹿が、地元水野村の田畑を荒らすようになれば、用水関係村と地元村立会いのもと、田畑にも用水にも支障のないように伐採することとされた。

この事例は、上流地域である森林からの安定的な水の恵みによる下流地域での米作り等という、いわば上流地域から下流地域への自然生態系サービスに対する、下流地域から上流地域への支払いと見ることができる。

最近では、環境問題の重視に加えて、地方分権一括法の2000年の施行を契機として各地の地方自治体で森林環境税の検討、創設が相次いだ。この税の主たる目的は、水源涵養機能をはじめとする森林の環境面での機能に着目し、その恩恵を受ける県民から県民税という形で広く負担を求め、その税収を間伐などの森林の整備等に充てるものである。最も早くこれを導入したのが高知県であり、2003年には日本で初めての森林環境税が条例により制定され、岡山県、鳥取県などがそれに続いた。2009年4月現在、30県1市が同種の制度を導入している。

同様に、企業が行なう水源林保全等の事例もある。電力会社やビール会社等水や森に深い関係のある企業を中心に古くから森林の保全に対して資金を出し、社の森林として管理する事例がある。

4. 多様性が与える生産性への影響

生態系サービスを支える生物多様性については、太陽光や栄養塩等の資源の効率的な利用を促して純一次生産に影響を与えることが研究されているものの、生物多様性自体の経済価値の推計や国内総生産(GDP)等への影響に関する研究は少ない。ここでは生物多様性が世界的に重要であることや農業以外の遺伝資源やエコツーリズム等についても影響を与えうることに鑑みると、各国GDPのような広い視点からの分析が必要である。

生物多様性、バイオマスおよび生産性に関するモデルの計量分析より、森林面積、降水量および平均気温から推計される生物多様性は、内陸水面積とともにバイオマスを増加させ、そのバイオマスはGDP成長率に対し有意に正の影響を与えることが実証された。また森林面積減少率について設定した2つのシナリオからは、農地転換の機会費用を考慮した場合GDPに対する森林の影響はその面積に応じて正にも負にもなることがわかった。このような生産や供給の視点からの経済価値評価は、支払意志額で表わされる消費や需要という観点からの経済価値評価を補完し、より詳細で正確な経済価値評価を促すものと考えられる。したがって将来的な導入が検討される生態系資本会計などにおいて生態系サービスの経済価値を用いる際には、需給双方からの経済価値評価に基づく値を採用する必要がある。

5. 幸福度と環境保護の関係性

近年、主観的幸福度がGDPの代替指標になり得るか議論されている。客観性のなさから代替にはなり得ないが補完的な役割はあり、環境の変化がいかに主観的幸福度に関係しているか同定することが注目されている。主観的幸福度とは、効用という概念に代わり、直接関与している人に自分の幸福の程度を尋ねることによって、基数的に捉える幸福感のことである。つまり、この主観的幸福度は、「自分が普段どのくらい幸福だと感じているか」を段階的に表す値であり、効用を実証的に検証する指標であるといえる。現在ではこの指標を用いた研究が数多く蓄積されている。ここで、主観的幸福度指標に焦点をあて、経済指標や社会・人口統計上の指標および性格の影響を取り除いた後に、生物多様性保護などの環境問題に対する支払意思とどのような関係を持っているのかということについて検証を行う。

主観的幸福度と支払意思の関係性においての結果より、ダム開発による生態系破壊、水源林の破壊、水質汚染、地球温暖化による農業被害、湿地における生物多様性喪失といった環境破壊や汚染について、金銭的に保護の意思を持っている人ほど幸福感を感じているという示唆が得られた。また、その環境汚染が近い将来から遠い未来に渡っていつ起ころうとも環境保護への意思は幸福感と関係性が深いという示唆も同時に得られ、殊に、近い将来についての保護意思の方がより幸福感と関係性が深い可能性があることが見出された。

また、さまざまな環境汚染について、身近な地域(日本)、東南アジアのある地域、南米のある地域で起こる場合に分別された検証を概観すれば、自分の住んでいる地域に近ければ近いほど保護しようとする意思が幸福感と関係深いということが言える。

更に、所得が低いときは高いときより、得られる幸福感が大きいという示唆が得られた。つまり、所得が低いうちは環境保護への貢献が大きな幸福感となって表れるが、所得が高まるにつれて得られる幸福感は相対的に低くなるという可能性が見出された。総じて、環境に対する保護の意識を高く保つことは、高い幸福度と関係する可能性を有することが考えられる。

6. 持続可能な森林利用政策の影響評価

森林減少・劣化など土地利用変化に伴う二酸化炭素排出量は、すべての人為的な二酸化炭素排出量の約20%にも相当するとされている。これは人類が化石燃料を使って排出する二酸化炭素量に次いで高い数値である。TEEBによると2030年までに森林減少率を半減させることで年間1.5~2.7ギガトンのCO₂削減が可能である。これにより純現在価値で3.7兆米ドル以上の気候変動による経済的損失を回避することができる。

これまで持続可能な生態系サービス利用が経済にどのような影響をもたらすかについて定量的分析を行った研究は少ない。特に家計や企業といった様々な経済主体の相互連関を考慮し経済全体への影響を評価する一般均衡モデルを用いた既存研究は限られている。そこで森林の自然成長を反映した森林ストックモデルと動学CGEモデルを組み合わせた政策影響評価モデルを活用し、持続可能な森林利用に関する政策影響評価を試みる。

森林ストックモデルを用いて現状の伐採状況を反映したBAU(Business As Usual)シナリオと、森林ストックが維持を目的とした持続可能な森林利用(SFU)シナリオ(森林ストックが維持できる伐採量以下に抑制することと定義する)を策定し、林業部門や木材加工部門を含む多部門モデルを用いて現状の伐採状況を反映したBAUシナリオの結果との比較によりSFUによる経済的影響を評価する。また、生態系サービスを経済的便益に変換する政策ツールとして、現在気候変動をめぐる国際交渉で脚光を浴びている途上国の森林減少・劣化による排出削減(Reduced Emissions from Deforestation and Degradation: REDD)に加え、PESについても取り上げた。

その結果より以下のことが言える。REDDクレジット価格を4ドル/t-CO₂と設定した基準ケースでは、SFUの実施により社会厚生水準が減少する結果となった。これはSFUにより森林伐採量が大幅に減少する結果、木材加工業部門の生産が大幅に減少することが主な原因である。ここではSFUにおいては自然資本である森林ストックは保全されるものの、資本およびその原資である家計資産が減少している。

さらにで、SFUにより社会厚生水準が減少しないために必要となるREDDクレジット価格や炭素固定機能以外の森林生態系サービスに対するPESクレジット価格が35.6ドル/t-CO₂以上に設定する必要がある。またREDDクレジット価格は4ドル/t-CO₂のままで炭素固定機能以外の森林生態系サービスに対するPESが保護林1haあたり8500ドルの価格以上になると政策を正当化できる。これは年平均で約35億9000万ドル(約3012億円)のPES収入に相当する。

また現在、REDD+という新たな温暖化のための緩和策が検討されている。REDD+の基本的な考え方は、途上国で起こっている森林減少や森林劣化を抑制する活動を取ることで森林からの炭素排出量を抑制、または森林保全策を取ることで炭素蓄積量を維持・増加させることである。そして、これら対策をとった途上国政府や活動に取り組んだ地域住民など土地利用者に対して、経済的なインセンティブを与えるものである。

REDD+への関心の高まりの背景には、先進国・途上国それぞれの思惑がある。途上国側はREDD+実施にともなう国際社会・先進国から森林管理に関する新たな資金投入を期待している。一方先進国側は、炭素排出権のための新たな市場開拓や、次期枠組みにおける新たな炭素排出枠の設置を考えている。REDD+の目的は二酸化炭素の排出削減であるが、その対象となる森林には炭素蓄積の機能だけではなく、水源涵養・生物多様性の保全・木材生産や地域住民への森林産物の提供といったさまざまな機能がある。つまりREDD+実施によって、森林の持つさまざまな機能、なかでも生物多様性保全や地域住民の生計維持・向上といった副次的な利益(コ・ベネフィット)を得ることが期待されている。

7. オフセット市場

日本においては生態系サービスを市場に内部化し、適切な価値づけを行う制度が十分に行われていないが、欧米ではすでに市場メカニズムを用いた取り組みが行われている。これまで環境保全のために多くの施策や制度が試行錯誤されながら導入をされてきた。そうした施策のなかでも特に経済的なインセンティブを有効に利用し、市場の機能を生かした制度が近年誕生している。それは環境を利用する権利、または環境負荷を与える行動を認める権利を当事者間に売買させる制度である。具体的な事例では大気汚染や気候変動対策として導入された排出権取引制度、漁獲資源の保護を効率的に行うために北欧を中心に実施されている漁獲枠取引制度や、そのほかにも資源保護、水質保全、水などの資源利用を対象とした同様の取引制度が環境政策全般に広く取り入れられている。たとえば排出権取引制度は1990年にアメリカにおいて、大気浄化法のもと、二酸化硫黄の排出許可証の取引制度が進められた結果、二酸化硫黄の排出量を半減することに成功した。

同様に、オフセット制度は今後の生態系サービス保全政策として大きな可能性がある。生物多様性の保全においても1980年代から米国の湿地ミティゲーション・バンキング制度に代表される生物多様性オフセットのように許可証制度がすでに導入されている。生物多様性オフセットは生物多様性を育む地域、生物種の生育域をやむをえず減少、劣化させてしまう場合に、近隣域など規定の場所に同程度の生育域や生態系サービスを享受できる場所を復元、創造することにより、全体で見たときの生物多様性の質、量を同じ状態に保つ制度である。

ただし、生物多様性オフセットで対象とする影響は、生物の生息域や生態系の機能だけに限らず、人々が利用することによる価値や文化的な価値なども含める場合があり、生物多様性オフセットを通じて、これらの影響を相殺して少なくともノーネットロスを達成し、可能であればプラスの効果とするネットゲインを達成することとしている。

しかし同一地域内で生態系サービスの価値は局地的に差がでてくることがある。また同じ種類であっても、立地や生育状況によっても環境価値は異なる。例えば人工湿地は水質の浄化作用が高く、日本の各地で作られている。しかし実際にある湿地を破壊する代わりに人工湿地をつくる場合に、もとの湿地の多面的な環境価値は地理的な要因に大きく依存する。湿地の有無により、潮の流れや生態系への影響は部分的ではなくもともとあった湿地周辺に大きな影響を与える可能性もある。そこでは、保全対象の復元、創造の専門組織であるバンカー(代償ミティゲーションバンク)が代わりに復元、創造を行うことになる。

バンカーは保全対象の復元、創造を的確に行う代わりに保全地域を管理している行政府からクレジットを支給される。それを事業者がバンカーから購入することにより、事業者は代償をしたとみなされる。排出権取引制度やITQと同様に、経済効率と環境保全の両立できる有用な制度である。

しかし、これまでオフセット制度を対象とした経済実験は行われておらず、アメリカの湿地ミティゲーションプログラムのような制度が適切な制度であるかどうかは十分に実証されていない。理論上は、適切な生態系の保護・保全と利用とをバランスよく行うことが社会的に達成でき、社会全体の便益を最大化できる。しかし実際には取引手法や保全を行う対象の特性、取引に参加する経済主体の行動の変化により制度がうまく機能しない可能性もある。ここではオフセット制度に関わる経済主体の意思決定過程、取引方法をより現実に近付け、現状のオフセット制度の評価を行う。

我々の研究により、オフセット制度は単純な同一種、外部便益の差が同じ地域内では保全対象の減少を避けることができ、経済性の面からも優れた制度であることが分かった。つまり、現状のようなオフセット制度は十分な機能を有していると考える。

次に、地域間で異なる環境の価値(外部便益)をどのように市場の中で評価させるメカニズムを創るかが重要となる。そこで、地域間で異なった環境の価値をもつ対象を取引する制度を経済実験で評価する試みを行った。そこで環境価値を評価できる環境トレーダーを2地域間の仲介役とした制度設計を提案し、経済実験をもとにその有効性を確認することができた。

なお生物多様性オフセット実施の長い歴史を有する米国では、2種類のバンキングシステムを導入している。1つは、湿地への影響のオフセットを対象としたミティゲーション・バンキングであり、もう1つは絶滅危惧種とその生息地への影響のオフセットを対象としたコンサベーション・バンキングである。また、豪州においても2つのバンキングシステムが構築・運営されている。1つは自然植生を対象としたブッシュ・ブローカーで、もう1つは絶滅危惧種と絶滅の危機にある生態系を対象としたバイオバンキングである。これらの経験から分かることは、バンキングシステムで最も重要な点は、バンクサイトが開発等の用途での土地改変がなされないように法的に長期的に保護すること、基金等を用いて当該保護区のマネジメントコストを長期的に支給し続ける仕組みを構築することである。その一方で、個人小規模土地所有者を中心とし、自らの土地をバンクサイトにするシステム設計や、耕作放棄地などを他人が利用する権利(地役権)を活用して、生物多様性を創出するなどの方法は日本でも参考になることが分かる。

8. おわりに

これまでの自然保護の政策手段は、自然保護区設定、土地及びその地上物への開発行為規制、貴重生物種の捕獲及び取引の規制、国立公園等の自然保護区内の重要地域内土地所有者への固定資産税等の減免措置など、規制及び税制措置が中心に行われてきた。しかし規制のみでは生態系や生物生息地の破壊を効率的にかつ効果的に抑制することは困難であり、実際には野生生物生息域の破壊・分断が拡大してきた。生物多様性及び生態系サービスの価値とその経済的評価、生物多様性オフセット制度、生態系サービスへの支払い(PES)、農林水産物等へのエコラベル認証制度などの経済的手法の導入が現在、欧米の国を中心にして生物多様性分野にも進められている。

ここではいかにして生態系及び生態系サービスの価値評価を行うか、そして自然を破壊するより保全したほうが社会にとって望ましくどのように保全を経済的な手法を用いて実現するかについて紹介した。今後、オフセット市場等のやり方を含めてどのように保全を実現したか更なる研究が望まれる。

「季刊・環境研究」161号(日立環境財団)に掲載

文献
  • 馬奈木俊介, IGES(編著), 生物多様性の経済学, 昭和堂,2011年

2012年3月19日掲載