ディベート経済 タクシーの規制緩和 誤りか?

小林 慶一郎 研究員

02年のタクシーの規制緩和について、事故の増加などの悪影響が指摘されている。6月、交通政策審議会は運転者の資格を厳しくする規制再強化の方針を打ち出した。緩和は誤りだったのか。取材した。

過酷な労働で安全性低下

02年2月に、タクシー事業の規制緩和が行われた。タクシー会社の新規参入が増え、台数も事業者が柔軟に増やせるようになった。長距離などの割引も増えた。

一方で、タクシー運転手の労働環境は過酷になり、所得も低がった。その結果、運転の安全性が低下し、事故が増加するなど大きな社会的コストをもたらした、という批判がある。

羽田空港で客待ちをするタクシー運転手は言う。「規制緩和のせいで売り上げが年間200万円も下がった。仲間で集まって規制を元に戻すよう国を提訴した」

タクシー運転手の賃金は、歩合制が主流で、毎月の営業成績が所得に直結する。競争が激しくなり、売り上げが落ちると、それに応じて給与も減る。特に、流し営業や地方のタクシー運転手は売り上げが大幅に下がり、労働環境や所得が悪化している。

売り上げが減るなかで、歩合制が違法な低賃金を助長している面もありそうだ。厚生労働省の調べでは、04年には、タクシー会社の13%近くが法定の最低賃金を支払わなかったとされる。

所得の低下は、タクシー運転手に無理な運行を強いることになり安全性を脅かす。

安全性の低下には人的な要因も大きい。まだまだ不況の影響が続くなか、タクシー業界は失業者の受け皿になっている。リストラなどで他の仕事を辞めて、多くの人々がタクシー運転手になった。専門的が運転経験がなく、知識も十分でない人も多いだろう。性格的に、運転手という職業に向かない人々も多く参入したはずだ。

02年の規制緩和では、事前の台数制限ではなく、事後的な運行管理によって安全性を確保する、という考え方がとられた。

しかし、運転中の個々のタクシーの運行をチェックすることは難しい。

最低賃金や運行のチェックが十分できないのに規制を緩和したことは、間違いだった。これが批判する立場の言い分だろう。

競争が工夫生み、便利に

国土交通省は、規制緩和によって、事業者の創意工夫で様々なタクシーサービスが生まれた、と効果を強調する。

気配りやマナーを乗務員に徹底するタクシーが増えたことはもちろん、介護サービスとの連携、迷子探し、過疎地での乗り合いなど、様々なビジネスモデルが始まっている。いままで雇用されていた運転手仲間が集まって、タクシー会社を起こした例もある。

私たちの生活のなかで、これまであまりタクシーと結びつけることがなかった分野(育児支援、防災、防犯など)でもサービスを提供する会社が生まれている。意外な発想のタクシービジネスが生まれていることは、規制緩和の効果と言っていいだろう。

また、タクシー業界は多くの潜在的な失業者を吸収した。

規制緩和の結果、タクシー会社は一様に車の台数を増やしたが、乗務員が足りず、遊休状態になっている車を多数抱えている。各社とも乗務員確保に懸命だ。言い換えれば、他の産業で仕事を失った人がタクシー運転手になることは極めて容易になった。一方、長期不況の中、失業してタクシー運転手になろうとする人々は大量に増えた。

低賃金や労務環境の悪化を別にすれば、多くの人がタクシー運転手となることで失業を免れた。

昔からのタクシー運転手は所得の低下に苦しめられている。しかし、他の産業で失業した人々が、タクシー運転手となって所得を確保したことは経済格差の是正という意味でも重要だ。

今後は、景気回復に伴って、タクシー運転手の所得も全体的に上がるはずだ。他の産業での就職口が増えれば、適性のない乗務員は他の産業に移り、無理な運転も減って、タクシーの安全性も徐々に向上すると期待される。

たしかに現状では、安全面での追加的対策は必要だが、規制緩和そのものが間違っていたとはいえない。これが規制緩和賛成派の見方だろう。

賃金と労働時間の適正化必要

同じ時に羽田空港で客待ちしていた別のタクシー運転手は言う。

「(規制緩和で生活は)まったく変わらない。固定客をつかみ、自分のペースでやっているので」

タクシー業界の低賃金化や事故の増加は、規制緩和によってもたらされたのだろうか。データを見ると、印象は大きく違ってくる。

第1に、低賃金化は97年から00年にかけての3年間に大きく進んでいて、1人あたりの年間所得が67万円も下がった。これに対して、02年の規制緩和後の3年間の所得の減少は、23万円程度だ。

運転手の経験による違いなどもあるだろうが、不況が所得悪化の大きな要因だったことは間違いない。残念ながら、全産業の平均に比べ、タクシー業界の所得減が激しいことは示している。他産業に比べ、歩合制賃金で運転手の立場が弱いことが大きい。

タクシー会社側は、リスクと負担を運転手に押しつけ、採算を取ることが容易だ。そのため、運転手を酷使する悪質な業者が退場しない。また、規制緩和によって、質の悪い業者の参入が増えた可能性も否定できない。最低賃金の違反を監視・摘発し、厳罰を与える体制を強化することが望まれる。

次に、タクシーの人身事故について見ると、不況期の97年~00年の間に、年間2万件弱だったのが、2万6000件近くまで大きく増えている。

その後の事故件数は微増傾向で、02年の規制緩和後は、1000件程度の増加にとどまっている。

タクシーの安全性の低下も、規制緩和というより、90年代末の不況の深刻化が大きな原因だったと考えられる。つまり、景気回復が続けば、問題の多くは解決するかもしれないわけである。

だが、現状では事故件数は高止まりしている。不況のために損なわれたタクシーの安全性を回復するには、新しい手だてが必要だ。

政府は、タクシー運転者の資格要件を厳しくする規制を導入する方針だ。ただ、以前のような需給調整を復活させることはない、という。登録制を広く採用することで、事故を繰り返す悪質ドライバーを排除できるなら良いことだ。

しかし、タクシー事故増加の主な原因は過剰な長時間労働の横行であり、さらにその背景には歩合制による所得悪化がある。

かつてはタクシー業界も基本給が保証されていたが、バブル期には歩合制の方が運転手の取り分も多かったため、タクシー業界で歩合制が広まった。しかし、低成長が定着した現在、歩合給は低賃金と過剰労働をもたらし、安全を脅かしている。

事故を減らすには、賃金と労働時間を適正にすることが必要だ。歩合制の問題などは02年の規制緩和とは別の問題と考えるべきだが、早急に取り組まなければならない。

2006年7月31日「朝日新聞」に掲載
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2006年8月25日掲載

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