自由貿易の意義 社会全体の満足度高める

石川 城太 ファカルティフェロー

米国の大統領選をはじめ、自由貿易を巡る議論が活発だが、一体どれくらいの人が輸入自由化を支持しているのだろうか。冨浦英一・一橋大教授らによるアンケートでは、輸入自由化に「賛成」と回答した人の割合は「反対」の割合を大きく上回る(図参照)。

図:輸入自由化に関するアンケート調査
(アンケートは2011年10月に実施)
図:輸入自由化に関するアンケート調査

経済学者に限れば支持率は一層高い。経済学の教科書「マンキュー経済学」によると、「関税と輸入割り当ては一般的な経済厚生(社会全体の満足度)を低下させる」との主張に93%の経済学者が賛同している。本稿では、自由貿易を支持すべき根拠について経済学の視点から整理したい。

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国際貿易論の伝統的な理論モデルに従えば、政府が市場に介入しない状態、すなわち比較優位に基づく自由貿易が資源配分の観点から望ましく、世界全体の厚生も最大になる。ただ、留意しなければならない点がいくつかある。

まず自由貿易が世界全体や国全体にとって最も望ましいといっても、自由貿易は勝者と敗者を生み出す。例えば自由貿易で小麦が安く輸入されると、国内の消費者は得をするが、国内の生産者は損をする。つまり自由貿易に従事すれば自動的にすべての国民が利益を得るわけではない。利益を受けた集団から損失を受けた集団への適切な補償が実施されれば、すべての人が自由貿易の恩恵を享受できる。

自由貿易は必ずしも消費者にプラス、生産者にマイナスになるわけではない点にも注意が必要だ。自由貿易でホタテが海外に輸出されるようになると、海外でホタテの価格は下がるが、国内では供給が減るため価格は上がる。この場合、国内の消費者が損をして国内の生産者が得をする。

また伝統的理論モデルは、「市場の失敗がない」という仮定に基づく。市場は完全に競争的、すべての経済活動は市場を通じて取引されるなど市場が万能で完璧に機能していることを前提とする。しかし現実には、これらの前提が満たされることはほぼない。

では市場の失敗がある時、どう考えればよいのか。経済学は、政府は市場の失敗を直接是正するような介入をすべきだと主張する。何らかの市場の失敗で牛肉の国内生産量が社会的に最適な水準より低く抑えられている場合、関税により酪農家を海外との競争から保護することで間接的に生産量を高めるより、生産補助金で直接的に生産を高める方がよい場合が考えられる。

一般にあまり理解されていないのは、関税の効果は生産補助金と消費税を組み合わせた効果と同じという点だ。生産補助金は生産者を利するが、関税は生産者を利すると同時に輸入品の価格のみならず、競合する国内品の価格もつり上げて消費者を害する。消費者に関税を負担しているという意識が薄いのも問題だ。要は、単に生産量拡大が目的ならば、関税は消費者を害するという副作用を伴うので、生産補助金の方がよい。

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市場が完全に競争的でなく企業が市場支配力を持つ場合でも、自由貿易からの利益は存在する。外国の競争相手から保護されているために国内企業が市場支配力を持つ場合には、自由貿易により国内での競争が促される。競争促進とともに、製品の種類が増えて消費者の選択肢が広がる。

マーク・メリッツ米ハーバード大教授は、産業内の企業生産性のバラツキに注目し、自由貿易で生産性の低い企業が淘汰されることで、産業全体としての生産性が向上し経済厚生が高まると指摘した。

市場が不完全競争的となる理由の1つに「規模の経済」がある。これは生産規模が大きくなると平均生産費用が低下することを意味する。規模の経済が働くと小さな企業は大きな企業に平均生産費用の面で太刀打ちできないため、大きな企業が生き残り市場支配力を持つことがある。自由貿易は生産者にとって市場の拡大をもたらすが、それにより生産量が増えると、規模の経済が働く産業ではそのメリットを一層享受できる。

技術や知識の中には市場での取引(ライセンス契約など)を通じなくても普及するものがある。自由貿易は海外の優れた知識や技術の普及を促す。例えば新技術はしばしば輸入品の中に具現化されており、それを輸入することで新たな技術や知識に触れ、吸収できるようになる。これは特に途上国にとって重要だ。国内でも自由貿易で輸出産業の産業集積が進めば、企業間での技術や知識の普及が活発になり生産性が向上する。

新たな視点として、輸入自由化が輸出促進につながる点も指摘したい。中間財の貿易障壁がなくなって中間財の海外調達コストが下がれば、最終財を安く生産でき、最終財の輸出促進につながる。さらに船舶や飛行機など輸送手段は通常、積み荷を降ろした後に別の積み荷を積んで戻る。効率性の観点から輸送企業は往路も復路も満載にしたいので、輸入増が輸出増につながることが考えられる。

筆者と樽井礼・米ハワイ大准教授の共同研究では、その可能性を厳密な理論モデルで示した。さらに日本貿易振興機構アジア経済研究所の早川和伸氏を加えた共同研究では、経済協力開発機構(OECD)などのデータを用いて、輸入関税の低下がその国の輸入のみならず輸出も増やしていることを発見した。

政治経済学の視点からのメリットもある。政府が自由貿易を標榜していれば、レントシーキング(保護された権益の確保)の余地を狭められる。いわゆる族議員の活動を抑えて、資源の無駄遣いを防げる。

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最後に、環太平洋経済連携協定(TPP)のメリットにも触れたい。最近、大規模な自由貿易協定(FTA)、いわゆるメガFTAの交渉が進められており、TPPはその1つだ。ほかにも東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、日・欧州連合(EU)経済連携協定(EPA)、日中韓FTA、環大西洋貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)が挙げられる。

ジュネーブ国際高等問題研究所のリチャード・ボールドウィン教授は、80年代以降、情報通信技術の発達により、国境を越えて生産工程を配置する分業生産ネットワーク、すなわちグローバル・バリュー・チェーン(GVC)が構築されたと指摘する。

GVCには、生産工程を分割して再配置するための費用(特に直接投資に関わる費用)、地理的に分散した生産工程を結びつける費用(貿易・通信に関わる費用など)、生産費用(賃金など)がかかる。それらの費用を下げるには、投資保護、貿易円滑化、知的財産権保護、競争政策、紛争処理、サービス貿易といった非関税分野での包括的な制度改革や調整が重要だ。

制度やルールの統一や相互認証および一貫性や透明性の確保も求められる。これらはメガFTAの交渉アジェンダ(議題)となっている。

メガFTAが構築されると、地域全体として国境の障壁が同時に引き下げられ、GVCの構築・再編をもたらす。特にTPPでは先進国と途上国が混在しているので、GVCの特徴を最大限に生かすことが可能だ。例えば研究開発(R&D)は先進国で手掛け、実際の生産は賃金や地代の安い途上国で手掛けるといった垂直的分業体制を比較的容易に確立できる。世界貿易機関(WTO)のもとでの世界全体の貿易に関する交渉が進展していない状況では、メガFTAが効率的な分業生産ネットワークの形成に役立つ。

2016年8月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年9月8日掲載

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