インド太平洋地経学と米中覇権競争:国際政治における経済パワーの展開

開催日 2023年12月22日
スピーカー 寺田 貴(同志社大学法学部政治学科教授)
コメンテータ 浦田 秀次郎(RIETI理事長 / 早稲田大学名誉教授)
モデレータ 佐分利 応貴(RIETI上席研究員 / 経済産業省大臣官房参事)
ダウンロード/関連リンク
開催案内/講演概要

「経済的手段を通じて政治的目的を達成しようとする国家行動」と広義に定義付けられる地経学には、「経済安全保障」や「経済的威圧」「経済制裁」や「債務の罠」「相互依存の罠」等、経済と政治・安保が交錯する様相が含まれる。本セミナーでは、『インド太平洋地経学と米中覇権競争:国際政治における経済パワーの展開』(2023)を編著した同志社大学の寺田貴教授より、インド太平洋秩序を巡る米中覇権競争を地経学の文脈でとらえ、日本など域内諸国が中国とのデリスキングをいかにして進めるべきかをご解説いただき、地理的近接性に加えて、制度的近似性に基づいた枠組みを利用する重要性について指摘いただいた。

議事録

地理的近接性と制度的近似性

本日は、『インド太平洋地経学と米中覇権競争』という、11名の執筆者の先生方と編著者の私で出版した本を基に、インド太平洋という枠組みの中で中国が仕掛けてきているさまざまな地経学アプローチについて説明させていただきます。

われわれは地経学を、ある特定の国が政治的あるいは戦略的な目的を達成するために、援助、市場や経済のルールを通じて他国に影響力を行使することと定義して、論じています。国際政治学の中でもわれわれが中心的な概念として扱っているのが、経済の持つパワー(影響力)です。

経済力は政治的影響力の源泉で、かつては、相互依存が各国の経済成長にお互いに寄与し、両国あるいは多国間での安定性が維持されるという考え方が国際関係論の中にはありました。しかし、現在の国家間関係が乱れる1つの要因は、グローバリゼーションの深化による負の側面にあるのではないかということに、われわれは注目をしたわけです。

“Geopolitics”(地政学)が、国家群が地理的に置かれた状況を政治的に分析するのに対し、“Geoeconomics”(地経学)は、“Economic Statecraft”(経済国政術)、“Economic Coercion”(経済強制)、“Economic Sanction”(経済制裁)など、そこに含まれる用語が示すように経済がその手段として入り込んでいます。ただしこれらの用語には経済を強調し過ぎるあまり「Geo-(地理性)」の関連性が抜け落ちているため、“Geo-(地理) ”の点を補いながら、経済力の行使国と標的国を明確にし、地経学的アプローチを使う国の戦略的・政治的目標を分析、理解する必要があります。

今のインド太平洋の情勢を地経学的視点で見た場合に重要になってくるのが、地理的な近接性と制度的な近似性です。1)どの国が、2)何の目的で、3)どの国に対して、4)いかなる経済指標を持って、5)どのような行動を取った(取る)のか、ということを見ていく必要があり、実際に本書の多くのケーススタディーはこういったアプローチを取っています。

中国によるハードとソフトの地経学

このインド太平洋を見る上で避けて通れない中国の経済力の手段には、大きく分けて2つあると私は考えています。まず「罠系」、別称「ハード地経学」です。例えば、スリランカのハンバントタ港のケースに見られるような、開発援助として高い利率で追い込み、特に戦略的に重要な土地や施設のリースを獲得する債務の罠です。

また、相手国に貿易で依存させ、問題が生じた際に市場を政治利用する、相互依存の罠も含まれます。米国へのレアアースの輸出規制や日本の処理水に反発する水産物の禁輸、オーストラリア産ワインやロブスターに課した関税処置など、米国の同盟国をターゲットに中国に従わせる手段として、経済的威圧行為を多用しています。

もう1つは、「取り込み系」、別称「ソフト地経学」で、一帯一路、BRICSプラス、上海協力機構、さらには人民元のスワップ協定を通じて、自身の経済圏を拡大しています。中国の経済ルール、技術、人員あるいは通貨を他国に使用させることで、西側の影響力を排除するような動きが見られます。

制度的近似性というのは、自分たちが慣れ親しんだルールや法律を他の国々と共用することで経済協力や地域統合を進めていくアプローチで、西側でも最近そういう手段が取られているのですが、それを中国も使い始めているのではないかと私は見ています。

制度重視のサプライチェーン再形成の動き

地経学という言葉は、冷戦が終わった1990年、米国で戦略研究をしているエドワード・ルトワック氏が使い始めました。地経学そのものは新しい学問ではないのですが、地理的な近接性という、地理的に近いことを重視する概念の来歴を読み解くと、政治的にいろいろな意味を持ちます。

サプライチェーンが1つのよい例で、ほぼ国家の意図的な関与がなく、基本的には企業が独自の調査と計算をもって形成するサプライチェーンにおいて重要な要因である関税率は、GATT/WTOの時代から近隣二国間FTAや地域統合と、地理的な要素を持っています。

日本はシンガポールとの二国間FTAの交渉を皮切りに、中・韓を除く東アジアの国々との二国間FTAを経て、TPPやRCEPといった地域統合に動いており、相互依存関係と地理的な近さの相関関係は、すでに空間経済学のグラビティモデルでも実証されているところです。

しかし、変化する国際構造を背景に、国有企業が中心的な役割を果たす国家資本主義の中国が上に述べた罠のような国家による計画的強制アプローチを取り始めている中、どのような協力関係を相手国は中国と結べばいいのか。制度的近似性をわれわれは考える必要が出てきたということです。

価値や法といった共有性を重視することに加えて、さらに昨今の特徴として、西側諸国でも国家介入が拡大しています。これは国家予算を使って強制的にサプライチェーンを動かすというようなアプローチにも見られます。

その動きを加速化させたのは中国で、2020年に習近平国家主席が発した「国際的なサプライチェーンをわが国に依存させ、供給の断絶で相手に報復や威嚇できる能力を身につけなければならない」という声明にその意図が見いだせます。

実際に米国だけではなくEUも中国を競争相手と見ており、対抗措置として、最適化を目指した地理的要素を含む企業主導のこれまでのサプライチェーンが、制度重視のサプライチェーンへ強制的に変更されるような事態になってきています。そして、安全保障を加味したコスト高を国家予算の追加で相殺する動きが、日本、欧米、その同盟国を中心に現在、展開されてきています。

豪中関係

(図が示すように)冷戦が終わった直後の1990年は米国やドイツが貿易の中心に位置し、東南アジアを最大の相手国として、日本やオーストラリアもその存在感を示していました。

しかし、その30年後の2020年になると、中国がアジア太平洋地域では独占的に最大の貿易相手国となり、それなりの存在感があった日本も中国の相手国の1つになり、ラテンアメリカとの貿易を多く抱える米国もその規模が減少しています。この30年間でどれだけ中国が「相互依存の罠」の条件を形成してきたのかが理解できます。

こういった国際貿易構造変化の中でオーストラリアの輸出国トップ4の推移を見ると、2020年においては中国が40%以上を占めています。その後に、日本、韓国、米国と続くのですが、この4カ国がオーストラリアの輸出市場の75〜80%を占めています。

2008、2009年頃は、日本はオーストラリアにとって輸出入ともに世界最大の貿易相手国だったのが、中国に抜かれ、オーストラリアが中国によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)への加入を決めた2015年以降にはさらに中国のシェアが伸び、その格差は広がるばかりです。

最終的に、2020年にモリソン首相が中国に対して武漢でのコロナ発生の独立調査を要求したことで、中国はオーストラリアに対する強硬手段を取り始め、多くのオーストラリア産製品に対する追加関税や輸入規制によって、オーストラリアは60億豪ドル近い市場を失いました。しかし、その1年後に50億豪ドル程度を取り戻しているので、オーストラリアは企業の努力とともに、国を挙げた取り組みによって、中国が仕掛けた相互依存の罠から逃れてきたと言えます。

インド太平洋制度の意味

新たな国際構造下でのインド太平洋地域の通商協定や制度は、中国の相互依存の罠から逃れる術として意味を成すと考えられます。まずは、FTAや地域協定の締結によって貿易転換効果が期待できます。また、中国が参加するRCEPあるいは日中韓のEPAを使うことで、投資協定のルールをさらに強化し、中国に同じルールを履行する環境を作ることも重要です。いかに中国が持つ制度を日本に馴染んだルールに変えていくかが、今後のCPTPPの中国参加問題を考えるときに重要な要素になってくると思います。

コメント

浦田:
私もこの本で、日本の経済安全保障政策とサプライチェーン強靭化支援という章を執筆させていただきました。日本政府は、わが国の中国依存によるリスク軽減に向けて、企業の国内回帰あるいはASEANへの多角化の動きを支援するため、補助金を提供しています。

国内回帰は、日本経済の復活あるいは日本経済の活性化には資するわけですが、日本は自然災害が多いため、ASEANへの多角化と同様に、生産拠点や活動拠点を国内でもいろいろな地域に分散させる必要があります。

そこで、寺田先生に質問ですが、まず、“Economic Statecraft” “Economic Coercion” “Economic Sanction”をまとめて経済安全保障措置とする場合、近年における措置の特徴が何かあれば教えていただきたいと思います。次に、これまで行われてきた経済安全保障措置の標的国および行使国への効果・影響について、国際政治学者がどう評価しているかをお聞きできればありがたいと思います。

また、経済安全保障措置の標的にされた場合、どのように対応すべきかを具体例を挙げてご説明いただけますでしょうか。昨今、原発からの汚染処理水放出への反発から中国による日本産魚介類の輸入禁止措置が取られているわけですが、日本はどのように対応したらよいとお考えでしょうか。そして最後に、先端技術流出防止のために先端技術を含んだ製品の輸出規制といったようなリスク軽減措置を行う行使国における輸出機会の減少といった損失による被害を最小にする対応策についてお聞きできればと思います。

寺田:
地経学というのは昔から存在しますが、グローバリゼーションあるいは相互依存が全世界に広がった現在の状態が、条件として過去と明確に異なります。相互依存が片務的に集中した国が、これは中国を指しますが、他の国々との関係悪化をも厭わず、自らの政治的目的の達成のために相互依存の罠を使い始め、それがパターン化された例が見られ始めています。

戦後に米国が作ってきた国際経済制度やルールの元、中国は世界第二の経済大国に躍り出ました。この世界1位と2位の大国が経済手段として互いの市場を閉じようとしていることで、グローバリゼーションで広がった自由な貿易や投資が逆行を始めています。そのことによって、その下にいる日本も含めたミドルパワーの国々に影響が出ている。これはこれまでになかった現象と言えるでしょう。

続いて、二番目の標的国や行使国への効果・影響についてですが、先ほどのオーストラリアの事例が好例で、企業努力に加えて、FTAを利用するなど、国家の役割が大きいと考えられます。また、制度的近似性に基づいた枠組みが発展すれば、フレンド・ショアリングが機能する産業とそうでない産業も生まれるでしょうし、日本としても、地理的に近い中国との付き合い方を考える必要があります。

水産物の輸入禁止の問題については、処理水放出はルールに基づいて世界的にも認められている措置であって、安全性にも問題がないわけですので、制度を使うのであれば、二国間で交渉をするのが最適ですが、APECやRCEPなど、そのような国際ルールを踏襲する国々が参加する枠組み内で、彼らの支持をバックに中国と話し合いを持つのも一案かもしれません。

行使国へのマイナス影響と効果については経済学の先生方の研究成果を待ちたいと思いますが、オーストラリアの事例をはじめ、日本においても、レアアースを使わずに製造できるイノベーションを生んだ企業の努力が特筆すべき点と思います。

質疑応答

Q:

日本や西側諸国は、中国に対する優位性をどのように発揮したらよいのでしょうか。

寺田:

CPTPPの事前加盟交渉は、中国に経済強制などを自制させ、先進国型のルールを踏襲させることを可能にする重要な手段だと思います。また、これまでその意向を国際構造に反映することが難しかった途上国がグローバルサウスという大きなうねりの中で意見を集約することができるようになれば、そのグループに入らない中国だけが途上国の代表ではないことがわかり、先進国もその意見の調整により積極的にかかわりやすくなるなど、グローバルサウスの制度的進展が待たれます。

Q:

地経学的に最大の武器はやはり経済成長なのでしょうか。

寺田:

経済成長することで他国から輸出入の相手国として認めてもらい、経済がより活発になるということですが、AIの活用は当然ながら、政権交代が起きる中でどのように一貫した成長戦略を立てていくかが重要です。

浦田:

経済成長というのは国際的な場面で影響力を行使できる1つの重要な要素ですが、やはり外交戦略を構築する能力が重要で、日本はその両方を追求する必要があります。それにはオーストラリアをはじめ、同様の考えを持つミドルパワーと言われている国と共に目的を実現させていくことが重要です。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。