令和5年経済財政白書 - 動き始めた物価と賃金

開催日 2023年10月5日
スピーカー 上野 有子(内閣府 大臣官房審議官)
モデレータ 井上 誠一郎(経済産業省 大臣官房審議官(経済産業政策局担当))
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開催案内/講演概要

日本における最初の白書は、昭和22年7月4日に国会に提出された「経済実相報告書(現在の経済財政白書)」だとされている。経済財政白書は、昭和31年度の“もはや「戦後」ではない”など、常にその時代を現す写鏡(うつしかがみ)として注目を集めてきた。8月29日に公表された本年度の経済財政白書は、「動き始めた物価と賃金」を副題として、マクロ経済の動向と課題、家計の所得向上と少子化傾向の反転に向けた課題、企業の収益性向上に向けた課題(生産性・マークアップ率の向上に向けた課題)を取り上げている。本BBLでは、今回の白書を執筆された内閣府大臣官房審議官の上野有子氏をお迎えし、日本経済財政の現状と課題、さらに今後進むべき方向について解説していただいた。

議事録

実体経済の動向

令和5年度の経済財政白書は、1章がマクロ経済の動向と課題、2章が家計の所得向上と少子化傾向の反転に向けた課題、3章が企業の収益性向上に向けた課題という構成になっています。1章では、わが国の経済はコロナ禍後の経済に移行し、物価と賃金は共に動き始めたものの、デフレ脱却にはまだ至っておらず、今後の経済政策は潜在成長率の上昇に軸足を移していくべきであると指摘しています。

実質GDPは、コロナ禍で大きく落ちた後、4-6月期に過去最高水準となっています。経済活動の正常化が進む中、テレワークの導入・定着により外食消費が減少し、ここは構造的に戻り切らないだろうと見ています。家計部門の消費はだいぶ持ち直しましたが、継続的な物価上昇の影響で、全体の下位4割を占める所得層においては、2021年〜2022年度にかけて消費抑制の動きが見られ、高所得層の消費動向と異なる動きに注視が必要です。

2023年時点では、主要家電は買い替えサイクル時期を迎えていないことから消費は期待しづらい一方で、車に関しては7年以上乗っている方も多く、構造的な需要の強さが期待できると見ています。雇用に関しては春闘賃上げ率が3.58、足元はまだ2%ほどの賃金上昇率ですが、過去の傾向線に従うとすれば、年度で3%に近い伸びとなる可能性もうかがえます。

企業部門の生産動向については、電子部品・デバイス、半導体関連は市況が弱く、今年前半は在庫調整局面が続いています。日本の企業は長らく設備投資を抑制してきたため、かつてはG7諸国と比べて最も新しい設備を使っていましたが、いまやイタリアに次いで二番目に古い設備を使っている状況です。

日本の比較優位の現状としては、電気機器では低下しているものの、掘削機や半導体等製造装置は優位性を維持・向上しているので、構造的に設備投資を増やしながら、比較優位がある分野を見いだし、国際競争力を強化していくことが重要です。

物価の動向と財政・金融政策

物価の動きですが、2021年後半からエネルギーを含む総合やコアは急上昇し、エネルギーを含まないコアコア指標でもまだ4%台です。消費者物価の品目の半分を占める財物価は、輸入物価の動きと連動していますので、輸入物価の動きは、CPI財の今後の先行きを占う際の一つの材料になるかと思います。

CPIの品目を財とサービスに分けて、前月と比べて価格改定が行われた品目の割合を見ると、このところその割合が高まっています。2000年以降で大きく上がったのは消費増税時に限られるので、今後デフレ脱却につながっていくのかというところが注目されます。

マクロ経済政策に関しては、目下、金融緩和政策によって長期金利は低水準で推移していますが、海外の長期金利はだいぶ上がってきています。家計部門の受取金利は預貯金での運用が多いこともあり、0近傍で推移している中、支払金利は変動金利型の住宅ローンの普及によって趨勢的に下がってきています。他方、非金融法人企業部門は受取金利が高く、海外での資産運用等もあるため、受取と支払のバランスはわずかですがプラスに出ています。

財政状況ですが、日本の潜在成長率は0.5%と、G7諸国の中でも最低の伸びとなっています。資本の寄与が非常に小さい状況ですので、今後、供給力強化に政策も軸足を移していくことが重要ではないかという指摘をしています。

家計の所得向上と少子化傾向の反転

所得を持続的に向上させるためには、労働移動の活発化、副業・兼業の拡大、女性・高齢者の活躍、そして資産形成支援が重要なポイントとなります。また、少子化対策としては、将来の所得上昇期待の高まりによって結婚・出産の後押しにつなげること、子育て負担の軽減、そして働きやすい環境整備を通じた共働き・共育ての支援が必要です。

過去5年間、労働市場における転職者割合は大きくは変わっておらず、依然として若年や非正規労働者を中心とする低所得層の転職が多い状況です。転職前後で年収の押し上げ効果を測ると、転職者は非転職者に比べて約2.3ポイントの追加的な上昇、自己啓発を伴う転職は平均5.5ポイントの上昇、さらに非正規から正規への転換は9ポイント上昇という推計結果になっています。

仕事に対するマインドの改善や生産性の向上にもつながる転職ですが、転職経験のある方、婚姻者や資産所得がある方々は転職しやすい一方、お子さんがいらっしゃる方はリスクヘッジしがちで転職しづらいという傾向が見られるので、政策的な後押しの必要があると考えられます。

2022年の段階で追加就業を希望する方が840万人いる中で、女性が活躍しづらい背景の1つとして、白書では「日本型雇用慣行」を取り上げています。日本型雇用慣行の特徴としては、①長時間労働、②勤続年数を重視した賃金形態、③制約のない転勤で、こういった環境下では、例えば育児や介護をされている女性がなかなか活躍しづらいと考えています。そこで今回の白書では、雇用契約等を結ぶ際に職務内容を明記して取り交わす、ジョブ型雇用への移行を提案しています。

家計の資産形成においては、わが国は米国や英国と比べて現預金で金融資産を持っている割合が高く、利子所得や配当所得の割合が低めです。いまや勤続年数に伴う右上がりの賃金上昇がかつてほど上がらなくなっている状況ですので、特に若年層にとって、意識的に資産形成を行うことが重要であると指摘しています。

少子化と家計経済

日本の出生数は、人口要因、婚姻数要因、有配偶出生の要因の三重の下押し要因によって減少しています。30代有業男女の所得階層別未婚率を見ると、男性は高所得になるほど未婚率が下がっています。

白書の仮説としては、女性は出産・育児を機に労働供給を抑制せざるを得ないことから、配偶者には自分と同等あるいは高所得の方を探すという面があるのではないかと見ています。そのための対応策として、全体としての賃金上昇や、出産後の女性の労働所得の下落幅を小さくするような取り組みも重要であるという指摘をしています。

夫婦が一子、二子を持つ割合は、所得中央値である550万を下回る所得層ほど下がり、都市別で見ると、大都市では住居費の高さを背景に、所得が増えても第二子を持つ割合は低い傾向にあります。過去20年間と比べると、教育費の負担が大きい時期に世帯主の収入が伸びにくくなっているので、公教育の充実も含めて、全体的な賃上げやサポートが必要です。

また、家賃や教育費の高いエリア、非正規雇用者が多い都道府県では有配偶率が低めですが、賃金あるいは保育所の定員数が充実しているところは出生率が高い傾向がみられます。日本は1日あたり3時間ほど女性の方が多く家事・育児を負担し、G7の中でも一番偏っている状況ですので、ベビーシッターの利用促進や男性の育休取得率の向上などにも取り組んでいく必要があると思います。

企業の収益性向上に向けた課題

企業の収益性向上に向けてはマークアップ率の向上が重要で、研究開発や人への投資といった無形資産への投資が鍵となります。無形資産投資はマークアップ率を高めるだけでなく、生産性の向上や中小企業の輸出のしやすさにもつながります。

労働生産性の伸び率の低下は、企業の設備投資抑制に起因する低い資本装備率が背景にあります。日本は米国とドイツと比較しても、人的資本やブランドといった無形資産ストックが少ない状況です。無形資産の中でも経済的競争能力の増加が生産性の伸びに最も寄与するので、わが国が弱い、この部分の強化がとりわけ課題となっています。

マークアップ率は分子が生産物の販売価格、分母がその1単位あたりの限界コストで計算しますが、過去20年間でその率は大きく動かず、1.1前後で推移しています。マークアップ率は短期的には原材料価格の動きに連動して変動しますが、企業は販売価格にコストを転嫁しきれずに、結果的にマークアップ率で吸収する動きを繰り返してきました。

そういう中で、研究開発投資、能力開発投資を行っている企業ほどマークアップ率が高く、無形資産を蓄積している企業は価格設定力が高く、対外関係がある企業もマークアップ率が高めであるという結果が得られています。マークアップ率が高い企業ほど賃金も高く、利潤を労働者と分け合うことで賃金と物価の好循環につながることが期待できます。

輸出によるTFPの押し上げ効果に関しても、5年たてば中小企業でも生産性が優位に押し上げられる関係が見られます。成長に向けた取り組みや研究開発投資を積極的に行っている企業、ブランド力や技術開発力を高めた企業は輸出開始に踏み切りやすいという結果も出ているので、こういったところでも無形資産投資の重要性が確認されています。

質疑応答

Q:
欧州、米国のように物価上昇を継続させるための財政・金融政策についてお考えを教えてください。

上野:
まずは物価上昇がどういった要因で起きているのかを慎重に見極めながら、それが一定のペースで持続的に進むフェーズに入っていくことが重要であると考えています。このためには成長率の向上も重要ですが、わが国の潜在成長率は0.5%という低い水準ですので、供給力を強化するためにも、民間部門の投資サポートに軸足を移し、中長期的な目線で取り組むことが重要です。

Q:
マークアップとTFPの関係は正の相関なのでしょうか、それとも負の相関なのでしょうか。

上野:
定量的な数字に基づく回答は申し上げづらいのですが、定義上、生産性が上がればマークアップは上がると考えられます。また、TFPが高い企業ほど独自の技術力を持っていたり、イノベーションの結果である差別化された製品を販売できるという意味で、理屈としては無形資産ストック量が大きい企業は、マークアップが高めであるという傾向が確認できています。

Q:
ブランド力とは何でしょうか。財務的に把握する方法や定義はあるのでしょうか。

上野:
企業の広告費をストック化して、各国ごとに推計したデータベースがあり、それがブランドと呼ばれています。マーケティング投資額を国際比較が可能な形で測ったものと考えていただければと思います。

Q:
設備ヴィンテージが長くなる一方、内部留保も増加基調が止まらない中で、設備投資の支障となる要因と打開策があればご教授ください。

上野:
企業はこのところ原材料費などのコスト高に直面し、生産性向上のための長期投資に踏み切りにくい状況ですので、政府側の政策サポートも活用しつつ、この先の成長期待を高めながら、価格設定に関する企業マインドの転換を進めることが望ましいと思います。付加価値の高いものを作れば消費者が評価して買ってくれるという自信を皆さんが持つようになると、そのためには投資を増やすことが必要なのだという考え方にもなっていくと思います。

井上:
内部留保については、それを企業が現預金として持つか、海外に投資するか、国内に投資するか、ということであり、日本の大企業の場合は海外に投資しているところもあるので、現預金の動向を見ることが大事だと思います。

Q:
技術力があっても企業のガバナンス不足、あるいはビジネスモデルや他の要因によってマークアップ率が上がらないという考え方について、ご意見をお聞かせください。

上野:
無形資産には企業の技術力を表すものと経営組織力を表すものがありますが、今回の分析では個々の無形資産とマークアップの相関関係を確認したものの、無形資産同士の補完性まで見た厳密な分析はしていません。ただし、一般的には、無形資産が相互補完的であり、技術力だけ高めるよりも経営組織力も高める方が生産性やマークアップの上昇につながりやすいと考えられます。人的資本や組織改編に強い企業ほどマークアップ率は動きやすい可能性があるのではないでしょうか。

Q:
日本の資本ストックの平均年齢が1980年代後半に低下し、90年代半ば以降に長くなっている理由は循環的なものでしょうか、それとも他の要因があるのでしょうか。現在のわが国の状況と課題についてもご認識をお聞かせください。

上野:
バブル期の前後までは循環的な要因で動いていた面もあったと思いますが、それ以降は、企業が設備投資を中長期的に抑制してきたことが反映されていると考えています。現在の日本の生産的資本ストックはG7の中でも最も低水準というような状況ですので、設備投資を増やすことは喫緊の課題だと思います。

Q:
女性活躍にジョブ型雇用が有効である理由について、詳細を教えていただけますか。

上野:
日本型雇用慣行の大きな特徴がメンバーシップ型雇用で、マルチタスクをこなすジェネラリストが重用される中で、長時間労働になりやすい雇用状況が長らく続いてきました。また、勤続年数を重視する環境下では、出産や育児で勤続年数が切れてしまう女性の場合、昇進がしづらく、働きづらい面があったと思います。そこで最初から職務が明確化され、その業務で業績を上げれば評価されるという働き方であり、フレキシブルに仕事をしやすいジョブ型雇用が有効ではないかという指摘をしています。

Q:
実質実効為替レートが原油価格の影響を除くと交易条件とやや似た動きをすると思うのですが、円安が日本経済に与える影響をどのようにお考えですか。

上野:
今回の白書では影響の定量的な分析はしていませんが、2022年末にミニ白書を出した際、為替レートの変動の経常収支への影響やパススルー効果を分析しました。円安によって輸入物価が上昇し、国内の物価にも波及していくことが考えられます。また、分析の結果では、円安で輸出が増えても、かつてほど数量が伸びず弾性値は大きくないということを指摘しています。対外的なバランスという意味では、輸入の増加によるマイナスと所得収支へのプラスの寄与があると考えています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。