バックキャスト思考による企業の知財戦略のあり方と課題

開催日 2022年12月1日
スピーカー 植田 高盛(特許庁 総務部 企画調査課 特許戦略企画調整官)
モデレータ 田村 傑(RIETI 上席研究員 / 東京大学 IFI客員研究員)
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開催案内/講演概要

知財(知的財産)の把握とその活用は、企業の競争力の源泉である。本セミナーでは、特許庁総務部企画調査課特許戦略企画調整官の植田高盛氏を迎え、特許庁が作成・公表した「企業価値向上に資する知的財産活用事例集 2022」の事例を紹介しつつ、知財戦略のあるべき姿を探った。また、企業が実際に知財戦略を策定・実践する際の課題について論じるとともに、企業内の知財部門と経営層・他部門とのコミュニケーション活性化の必要性を提言した。

議事録

企業の知財戦略を巡る最近の状況

私は特許庁において、企業の皆様に知財戦略をしっかり構築し、業績につなげていただくことを目指して、いろいろな企業からヒアリングなどをしており、知財を活用した企業の優良事例集を4年ほど作成してきました。

企業価値において知財などの無形資産が重要になっている中、2021年6月にコーポレートガバナンスコードが改訂され、上場会社は知的財産への投資等について具体的に情報を開示・提供すべきである(補充原則3-1③)、取締役会は知的財産をはじめとする経営資源の配分が企業の持続的成長に資するよう実効的に監督を行うべきである(補充原則4-2②)など、知財投資の情報開示やガバナンスに関する条項が盛り込まれました。

しかし、コーポレートガバナンスコードの中でも補充原則3-1③と補充原則4-2②のコンプライ(遵守)率は他の項目と比べて低く、知財投資の開示・監督は手探りの状況が続いています。

2020年に特許庁が行ったアンケートでも、経営層は知財を重視していると思わない企業が4分の1程度、知財活動が経営に貢献していると思わない企業が3割弱あり、知財経営がまだ広がっていません。

知財戦略の位置付け

各企業ではミッション、ビジョン、バリュー(MVV)にひも付けて価値創造メカニズムを構築しています。価値創造メカニズムとは、経営資源をビジネスモデルによって提供価値にしていく仕組みのことであり、その中で知財は経営資源に含まれ、ビジネスモデルによって知財をどう活用するのかということも含まれています。

ここでは、まずどういった提供価値を社会や顧客に提供したいのかを定めた上で、次にビジネスモデルを考え、さらに経営資源を考えていく考え方が重要だとされています。現状の連続体で将来を考えても、変化の激しい現在においては社会の変化に対応できないので、将来の変化を見越してどんな価値を提供するのかを起点とした「バックキャスト」の思考が有効なのです。

その前提に立ち、どんなビジネスモデルを組み立てていくのか、どのように知財を活用していくのか、そのビジネスモデルを成立させるためにどういった経営資源(知財)を獲得していくのかということが知財戦略になるのだと思います。

各社の知財戦略事例

次に、企業の具体的な知財戦略の事例をご紹介したいと思います。デンソーは自動車部品メーカーですが、将来的には電動化、先進安全・自動運転、コネクティッド、非車載事業を目指しており、全社知財活動方針を定めています。その中で、既存の自動車業界では内製と外部調達を活用して知財を活用し、同業者の中で優位に立つことを目指す一方、電動化や先進安全・自動運転、コネクティッド、非車載事業では、知財も強みとしてとらえて異業種の仲間を作り、自社優位のエコビジネスの構築をリードする戦略を立てています。

戦略策定・実施のための情報分析の重要な手法が、「IPランドスケープ」です。これは、経営戦略または事業戦略の立案に際して、経営・事業情報に知財情報を取り込んだ分析を実施し、その結果(現状の俯瞰・将来展望等)を経営者・事業責任者と共有するものです。コーポレートガバナンスコードの改訂を受けて、知財の活用にどういった改良をすべきなのか、自社にどういった強み・弱みがあるのかを分析する上でも、IPランドスケープは有効です。

このIPランドスケープの活用事例としては、技術分野を俯瞰し、自社が持つ技術を戦略的に活用して市場参入するために、その技術分野で競合企業がどんな特許を出願しているのかを分析し、どこなら参入の余地があるのかを導き出す、といった事例があります。また、自社保有技術との組み合わせが期待される技術を持った企業群を俯瞰し、提携候補企業を抽出して市場参入につなげるという事例もあります。このように、特許情報の分析は、経営において非常に有用なツールになり得ます。

バックキャストで戦略を立てていく上で、知財を有効に活用するためには、オープン&クローズ戦略が重要です。オープン&クローズ戦略では、知財を他社に使わせる・使わせない、情報をオープンにする・しないという2軸の中でどれが最適なのかを検討します。つまり、権利のオープン&クローズ、情報のオープン&クローズをうまく使い分けて自社に有利な形を考えていく戦略です。

市場においてはクローズにすると自社の優位性を維持できる一方、標準化してオープンにしていろいろな会社に使ってもらうと市場が拡大して売り上げが上がる可能性があるというメリットがあります。ただ、オープンにしたときに気を付けないといけないのは、コア領域の標準化はしない方が良いということです。

オープン&クローズの事例としては、ダイキン工業が挙げられます。同社はR32という環境負荷の低い冷媒を開発したのですが、冷媒には標準があり、「不燃・可燃・高可燃」という3つの標準で分類されています。R32は「可燃」に分類されてしまうため、エアコンに安全装置をいろいろ付けなければならずコストがかかるという問題がありました。そこで、新分類として「可燃」の下に「微燃」という分類を新たに設けることを考えました。しかし、自社だけで標準を持っていても認めてもらえないので、まずは途上国で特許を開放し、いろいろ仲間を巻き込んだ結果、「微燃」という新しい標準を作ることができました。

また、知財ミックスという形で、いろいろな権利によって複合的に商品を守る事例もあります。ブリヂストンでは、航空機のフライトデータを航空機メーカーから提供してもらい、そのデータを解析することでタイヤの交換時期を予測し、タイヤの整備作業の効率化やCO2排出削減につなげています。いろいろなバックグラウンドのナレッジやノウハウに加え、データ変換できるナレッジや技術特許、品質保証・サービス力、ビジネスモデル特許なども含めて知財ミックスととらえ、全体総括的に事業価値を構築しているのです。

プロダクト・ライフサイクルと知財戦略

どういった形で、どういった権利を取り、どういった知財を活用するのかというのは、時間軸でも変化していきます。プロダクト・ライフサイクルは、開発期/市場導入期、成長期、成熟期、衰退期に分けられますが、開発期/市場導入期ではまずコアとなる知財ポートフォリオを構築していきます。自社開発するのか、オープンイノベーションで競争するのか、M&Aやライセンスで外部調達するのかをまず考えます。

成長期に入ると、市場が拡大する中で売り上げもどんどん上がっていくので、クローズ戦略や知財ミックスで他社参入を排除していきます。なかなか成長に至らない場合はクロスライセンスや標準化といったオープン戦略で市場を拡大する形で、知財を開放しながら市場拡大を目指す方法もあります。

成熟期は知財の効果が効きにくくなり、だんだんコモディティ化していくのですが、差別化によってコモディティを遅らせることを考える必要があります。衰退期では、基本的には事業と合わせて知財も整理する形になるでしょう。こうした時間軸で知財戦略を立てていくことが大切です。

セイコーエプソンでは、プロダクト・ライフサイクルに沿った知財戦略として、導入期には競争力のあるコア技術で市場参入し、成長期には市場を活性化してシェアを拡大し、成熟期・衰退期には売却や許諾を行い、最終的には放棄・権利満了という、「Cカーブ」の権利活用がなされています。

知財経営実践のための社内コミュニケーション

知財戦略がなかなかうまく構築できていないのは、経営層や知財以外の事業部門の意識として、知財権をたくさん出願して権利を取ればいいとか、特許出願を研究開発のノルマとしてとらえているとか、経営戦略に知財はあまり関係ない、知財戦略は知財部門が考えればいいという意識があるからではないかと思います。

一方、知財部門においても、戦略をどう構築すればいいか、経営層や他部門と何をネタにして議論すればいいのかが分からなかったり、IPランドスケープを実施しても経営層や他部門に響かなかったり、良い特許を取れさえすればいいという考えの人もいて、意識のギャップがあるように思います。そこで、経営層・他部門と知財部門とのコミュニケーションの活性化が必要だと思うのです。

知財部門と経営層とがしっかり対話できている企業は、経営層が知的財産の役割や事業への貢献について理解しているし、知財部門が経営層の思い描く企業や事業の将来像を現状との対比で理解し、適切なタイミングで経営層に情報を提供しています。

ブリヂストンでは、知財部門からIPランドスケープによる分析や提案を事業部門に行い、事業部門からは課題を挙げることで、知財部門と事業部門の連携を深めています。事業部門は経営層と議論するときに、IPランドスケープに基づいた事業戦略なども説明することで、経営層のIPランドスケープへの理解が広まっていきます。さらに、知財部門が経営層に対してIPランドスケープに基づく提案を続けていくことで、経営層にも理解が深まっていくわけです。

KDDIでは、IPランドスケープに基づく知財活動を見える化して経営層に提示することでコミュニケーションを図っています。旭化成でも以前から、IPランドスケープの趣旨をトップダウンで何回も説明して理解を浸透させています。

さらに知財部門と事業部門との連携も大切です。デンソーでは、事業部門に特許担当者を置き、ここで事業グループ・部署における知財戦略を立案しながら、知財部門とも連携して、事業部に応じた知財戦略を構築・実践しています。富士通も同様に各事業部に知財担当者がいて、連携を取って知財戦略を策定・実現しています。

横河電機の場合、マーケティング本部の中に知財部門があり、マーケット情報や経営戦略等に触れながら知財戦略を検討できていますし、ビジネスの予測について議論・調査しながらIPランドスケープを実施しています。このように企業の全社戦略に対しての知財戦略も織り込みながら、両者でうまくコミュニケーションを取りながら知財戦略を構築できている事例があります。

知財部門が事業部門に積極的に参画することも、効果的な知財戦略構築につながります。味の素では、事業部門と知財部門と研究開発部門が連携して事業自体のストーリーを共有し、開発の方向性やユーザーへの訴求を検討しています。三菱電機でも、上流の課題発掘から知財部門が入り込んで知財活動を展開しています。

知財経営において、人材育成は重要な要素になっています。デンソーでは、知財部門の人が知財部内にずっといても能力が付かないので、他部門とローテーションすることで経営戦略的な思考も身に付けた戦略人材として育成しています。シーメンスでも、ビジネスのことや経営的な知識も獲得させながら知財担当者を教育しています。

知財部門が「たこつぼ」になってしまうと、社内でのコミュニケーションはなかなか取れないので、知財部門においてもオープンな考え方が大切です。日立製作所では、新たな協創を推進するときに、知財担当者が逆に提案して一緒に考えていくようなコミュニケーションを取っています。

このように社内におけるコミュニケーションは非常に大事であり、それができると知財戦略が実効的になります。特に知財部門に関しては、経営戦略の視点から知財を説明して経営層に知財の重要性の理解を促すことが非常に大事になってきます。

近年、知財の重要性は増しているけれども、知財を活用した経営の理解や普及にはまだ課題があります。知財戦略は全社戦略を達成するためのものであり、オープン&クローズや知財ミックスなどをうまく選択して効果的に知財を獲得し、経営に貢献していくことが求められます。

知財戦略を実行する上で、企業内のさまざまな部門との連携や人材育成、オープンなマインドセットが知財部門には求められます。知財を活用した経営を実践するためには、知財部門が他部門と協力関係を築きながら、経営戦略の視点で知財活用の重要性を経営層に説明し、理解してもらうことが必要です。

質疑応答

Q:

バックキャスト思考に企業が取り組む場合、既存の知財はどう役立つのでしょうか。あえて使わないこともあり得るのでしょうか。

A:

新しいところに取り組んでいくとはいえ、従来の強みは当然活用していく必要があるので、バックキャストで考えながらいったん立ち戻って、そのビジネスモデルや知財は実現可能なのかというところはフォアキャスト的に考えることも必要だろうと思います。

Q:

IPランドスケープの概念的なところをもう少し教えていただけますか。

A:

従来は特許マップといわれていたのですが、特許マップだけだと技術的な部分だけになるので、特許情報に加えて経営や事業情報、マーケット情報も併せて分析するのがIPランドスケープだと思っています。

Q:

企業が知財をうまく活用しているかどうかを評価するインデックスは何かありますか。

A:

知財戦略の良しあしを数値的にうまく評価することは現状なかなかできていません。一方で、知財の取り組みを財務指標にひも付けしようとしている企業はいくつか見られます。

Q:

企業の知財に対する取り組みをアピールする上で、特許庁として支援できそうなことはありますか。

A:

知財戦略の普及・促進に向けて事例集を作ったので、戦略構築の参考にしていただきたいと思いますし、実際にコミュニケーション活性化のために経営コンサルタントや知財コンサルタントを企業に送り込んで、一緒に知財戦略を作ってもらう取り組みもしています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。