労働生産性と実質賃金の長期停滞:JIPデータベース2021および事業所・企業データによる分析

開催日 2021年12月9日
スピーカー 深尾 京司(RIETIファカルティフェロー・プログラムディレクター / 一橋大学経済研究所特任教授 / 一橋大学名誉教授 / 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所長)
コメンテータ 石川 浩(経済産業省経済産業政策局産業構造課長)
モデレータ 関口 陽一(RIETI上席研究員 / 研究コーディネーター(研究調整担当))
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ミクロデータや最新の日本産業生産性(JIP)データベース2021を用いた分析から、近年の日本の労働生産性停滞の主因は、人的資本を含む資本蓄積のかつてない低迷にあり、特に上場企業における停滞が著しいこと、また、製造業における労働分配率急落や公務・教育・医療・介護等における実質賃金の低下が、労働生産性の停滞と相まって実質賃金の低迷をもたらしていることが分かった。本セミナーでは、一橋大学経済研究所特任教授であり日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所長、RIETIファカルティフェロー・プログラムディレクターでもある深尾京司氏が、これらの研究結果について報告し、物的・人的資本への投資拡大と環境整備の重要性について述べた。

議事録

実質賃金の長期停滞の原因

岸田政権が重要な政策課題とする賃金引上げを達成するには、日本の実質賃金が過去20年間なぜ停滞してきたのかを理解する必要があります。

実質賃金率(労働時間あたりの労働コスト)は、労働生産性に労働分配率を掛けたものに相当します。労働生産性は、労働時間あたりの実質国内総生産(GDP)のことであり、日本では1時間5,000円弱です。このうち、労働者に配分される割合を労働分配率といい、日本の場合は6割弱です。つまり、日本の実質賃金率は1時間あたり3,000円弱となります。

実質賃金率を考察するときに、労働生産性は特に重要です。労働生産性の上昇なしに実質賃金を引き上げると、労働分配率が上昇する、つまり資本分配率が低下し、資本蓄積の停滞をもたらすので成長を維持できなくなるからです。20世紀初めごろから、実質賃金を考える場合には、労働生産性が同時に議論されてきました。

日本産業生産性(JIP)データベースによれば、2000年以降、日本の実質賃金の上昇はほとんど止まっており、2010〜2018年で1.2%しか上昇していません。その要因を、労働生産性の要因、労働分配率の要因、その他の要因に分解すると、労働生産性上昇の停滞が実質賃金上昇の停滞の主因であることが分かります。

一方、欧米では近年、労働分配率が急速に低下していて、それが賃金の停滞につながっているという研究もあります。しかし、日本の場合は労働分配率が1990年以降、非常に安定していて、労働分配率の低下が実質賃金の下落をもたらしたわけではありません。

さらに、労働生産性の変動を、労働の質上昇の寄与(学歴や熟練度)、資本装備率上昇の寄与、全要素生産性(TFP)上昇の寄与の3つに分解すると、日本では「失われた30年」の最初の10年にTFP上昇が停滞しましたが、その時期には資本装備率を上昇させたことで労働生産性の上昇を維持し、実質賃金もある程度上昇させることができました。

しかし、2000年代に入ると資本蓄積の上昇が急速に減速し、それが実質賃金の停滞をもたらしました。2010~2018年はTFPの上昇率がかなり回復したのですが、資本蓄積が驚くほど停滞し、労働の質上昇の寄与が0.1%、資本装備率上昇の寄与が0.2%とほとんど寄与しなくなったため、実質賃金の停滞が起こりました。

マクロ経済全体の労働分配率は最近やや上昇傾向にあるものの割と安定していますが、製造業の労働分配率は著しく低下しています。一方、非製造業ではやや上昇傾向にあります。製造業の労働分配率が下がったのは、製造業では資本がたくさん蓄積され、労働が節約されたためでしょうか。

この点を確認するため、資本サービスと労働サービスの投入比率を産業別に見ると、確かに製造業では資本投入が労働投入に比べて少し増えています。これが労働分配率の下落につながった可能性はありますが、規模としてはごくわずかです。日本全体で資本蓄積が非常に停滞しているので、製造業における資本労働投入比率の上昇もわずかなものです。

一方、実質賃金は産業別でかなり異なる動きをしていて、製造業では非常に停滞、むしろ下落しています。これが製造業の労働分配率が下がった主因と考えられます。もう一つ興味深い現象は、非市場経済(公務、教育、医療、介護など公共性の高いサービスを提供している部門)の実質賃金率が大幅に下がっている点です。このうち半分弱は非正規雇用の拡大や高齢者の再雇用など低賃金の職が増えたことが寄与していますが、それ以外の要因、つまり同じ能力、学歴、就業上の地位、年齢の人でも賃金が結構下がっているのです。

超過利潤の指標である産業別平均マークアップ率(企業の売り上げを企業の総費用で割った値から1を引いた値)を見ると、特に米国では高まっていますが、日本も製造業で最近高まっています。製造業ではアベノミクスによる円安で結構潤ったと考えられますが、その利益が労働者に配分されず、実質賃金はむしろ下がって、企業の手元に超過利潤として残ったことが確認できます。

また、以前は労働生産性の上昇が非常に大きかったので、実質賃金はどんどん上がりましたが、最近は労働生産性の上昇が非常に停滞しているので、「その他の要因」も実質賃金の動向を考える上で無視できなくなっています。

「実質賃金率=労働分配率×労働生産性」としたときに、労働生産性は財・サービスを1時間あたりでどれだけつくることができるかという実質GDPに基づく指標のことです。一方、実質賃金率は労働者がどれぐらい豊かになったかを測る指標なので、通常は消費者物価指数で賃金率を割ることでその動向を見ます。しかし、消費者物価指数は消費が対象なので、例えば投資財や輸出財は入っていないけれども輸入財は入っているというように、カバーする財・サービスのバスケットがGDPとは異なります。

そのため、前述の式に誤差が生じます。その誤差は2つの要因に分けられ、1つは今お話ししたバスケットの違い、もう1つは消費税などの影響が考えられます。間接税が引き上げられれば、GDPは変わらないのに実質賃金が下がるからです。

実質賃金の動向を考える上では、労働生産性の要因が小さくなり、その他の要因が結構大きくなっているので、今後は消費者物価指数のバイアスや交易条件の問題をきちんと考えていかなければならないでしょう。

資本蓄積の停滞の原因

資本蓄積が停滞している理由には、明確な答えはないのですが、これまでにジャーナルに載った私を含めた研究グループの論文で議論したことをかいつまんでお話しします。

内閣府の統計によると、日本の各種資本ストックの対GDP比は、リーマンショック時にはGDPの下落によって大きく上昇しましたが、それを除くと2000年代半ば以降、下がってきています。資本ストック対GDP比の長期にわたる下落は他の国ではなかなか観察されない事象です。もしかしたら1990年代に低金利で資本蓄積を促進したけれども、その無理がたたって資本が減ってきたのかもしれません。

一般的な経済成長論によれば、自然成長率(長期的に維持可能な成長率、潜在成長率)は長期的には資本ストックの成長率と大体同じになるはずであり、実際は各国とも資本ストックの成長率の方が自然成長率を上回っているのですが、日本では自然成長率よりも資本ストックの成長率が低いという異様なことが起きています。

また、名目粗投資の資本ストックに対する比率は、日本では製造業・非製造業とも2000年代半ば以降、急落しています。資本ストックはそもそもほとんど増えていませんから、日本では減耗分しかほとんど投資していないということになります。

なぜこんなに資本蓄積が停滞しているかというと、超過利潤が低くなっている、つまり資本コストが利潤よりも高くなったために投資が低迷した可能性が指摘できます。しかし、超過利潤は2012年以降むしろ堅調なので、資本の収益率が低過ぎるから、または資本コストが高過ぎるから投資が起きないというわけではないといえます。

人的資本の動向を見ると、日本の生産年齢人口(15~64歳)は年々減少しているにもかかわらず、総就業者数は2010年以降かなり増えています。特に非正規雇用が非常に増えました。全経済の総労働時間の増加率は、2015~2020年が年率0.74%程度であり、日本は生産年齢人口が減った割には、以前よりも働くようになったことが分かります。

労働の質の変化を要因別に分析すると、「産業」はプラス、つまり賃金が高い産業で雇われる人が増えています。一方、「就業形態」は大きなマイナスで、非正規雇用が増えていることが主因です。「性」もマイナスで、賃金が低い女性労働者が増えています。「学歴」はプラスで、高学歴の人が増えています。「年齢」はマイナスで、比較的若い労働者が増えています。いずれにしても、日本はかつてないほど労働の質の上昇が停滞ないし質が下落しており、その主因は非正規雇用や高齢者の低賃金での再雇用が影響していると考えられます。

資本蓄積が停滞しているもう1つの理由として、賃金が割安になり過ぎているために労働から資本への代替が起きないではないかという可能性があります。しかし、データを見る限りは、資本コストが非常に下落していることもあって、賃金の方が資本コストよりも割高になりつつあることが確認できます。ここ10年ぐらいの資本蓄積の停滞は、資本コストが高過ぎて賃金が安過ぎるから起きたとは必ずしもいえないと思います。

資本蓄積の内訳を見ると、日本で情報通信(ICT)投資や研究開発(R&D)が停滞していることはなく、資本蓄積全体の低迷が問題といえます。

米国では、有形資産から無形資産に移り変わっている要因、特に物的資産への投資が少ないという要因と、寡占化、企業経営における長期的な視野の後退、対外直接投資による空洞化が有形資産投資を減らした可能性を指摘している研究もあります。しかし、われわれも寡占化について調べましたが、日本では寡占化がそれほど進んでいません。

それから、先ほどお話ししたように、ICT投資やR&D以外の資産に日本の投資が偏っているわけでもありません。ただし、ICT投資が割高である可能性は否定できないと思います。中小企業でこうした投資が停滞しているのは事実ですし、経済優位性に関する無形資産投資(教育訓練費、広告宣伝費など)の低迷が全体の投資を阻害している可能性は否定できないと思います。

生産性長期停滞の原因

経済センサス活動調査(2011~2015年)を使って日本のTFP上昇の要因を分析すると、内部効果は非常に小さく、企業間の資源の再配分効果がTFP堅調の背景にあることが分かりました。業態別では、非製造業の再配分効果が産業全体のTFP上昇をもたらしたことが分かります。製造業のごく一部、例えば医薬品や電気・電子では内部効果が非常に大きいのですが、それ以外の産業では再配分効果がTFP上昇の主な源泉でした。

中堅企業以上のデータを使った企業活動基本調査などによる分析では、再配分効果は少ないという結論でした。しかし、規模が小さな企業まで含めた経済センサスのデータを使い、かつ2010年以降で見ると、再配分効果が意外に大きいことが判明しました。ただ、2011~2015年のかなり短期間しか分析していないので、さらに最近の経済センサスの結果を使ってチェックする必要があると思います。

経済協力開発機構(OECD)のMulti-Prodプロジェクトのデータによると、大体生産性が高いのは大企業ですが、最近は驚くほど生産性の格差が広がっています。日本の場合、1995年から2000年代初めごろまでは格差が急速に広がりました。大企業が生産性を改善し、中小企業が取り残されたことが背景にあると思います。ところが2010年の少し前ぐらいから格差がほとんど広がらなくなりました。日本は中小企業が問題だという議論がありますが、中小企業が取り残されて大企業が生産性を上げたのは2010年の少し前ぐらいまでで、それ以降は大企業が停滞していることの方が懸念されると思います。

日本は欧米と違って集中度の上昇は起きていませんし、資源の企業間の再配分で2010年以降のTFPの上昇が結構起きています。なお、大企業と中小企業、または生産性の高い企業と低い企業で見ると、むしろ心配なのは生産性の高い大企業の停滞であるといえます。

コメント

コメンテータ:
今回の実質賃金の停滞に関する分析は、岸田政権の経済政策にとって非常にコアな部分に関する分析であると思います。

労働生産性の上昇なしに実質賃金率を引き上げれば、労働分配率は上昇するけれども、資本蓄積の停滞をもたらして労働生産性向上を阻害するというご指摘は非常に重要で、政策として賃上げのインセンティブをあげる、あるいは最低賃金の引き上げは重要であるが、生産性向上につながらなければ本質的解決に至らないことを示されていると理解しています。その点では労働生産性を上げる政策をしっかりと打ち出していかなければなりません。

生産性を上げるには物的・人的資本への投資を増やすことが課題だというご指摘に関しては、少子高齢化で企業が国内市場で成長機会を見いだせないという要因がよく指摘されるところであり、グリーン投資などの成長投資を生み出すための議論を深めていければと考えています。

それから、2000年代の上場企業はリストラや非正規雇用の採用増などで生産性を上げることに成功したけれども、2010年以降はTFPが減速しているので、イノベーション中心でなくリストラを軸とした改革は将来の潜在成長率を低下させる可能性があるというのは極めて重要な指摘だと思いました。では、労働者はなぜそうした改革に黙っていたのかというところも分析が必要で、やはり企業別組合で賃金より雇用維持を優先してきたことが大きいと思います。その点では、今後の政策課題として労働移動の円滑化も非常に重要なテーマになると思いました。

スピーカー:
非正規の労働供給や高齢者の再雇用で労働の供給が増えていることが賃金の安い状態を続けさせ、企業に労働を節約するような投資を阻害してきた可能性はやはりあるでしょう。先ほど、労働が割高になっているのでその要因は必ずしも説得力を持たないと申しましたが、やはりそれは重要で、賃上げの政策もあり得ると私も思います。と同時に、労働生産性を上げるのが大切であり、資本蓄積を行うべきだというのが私の言いたいことです。

阻害要因については、製造業では空洞化の問題がおそらくかなり効いていて、製造業企業全体で見ると国内の設備投資の4分の1か3分の1ぐらいを海外で行っていると思います。

グリーン投資が資本蓄積につながるかという点は、日本の国際競争力や優位性、投資コストを考えていかないと、コストだけ高くなって投資が生まれない可能性の方が高い気がするので、注意する必要があるでしょう。

大企業が2010年以降足を引っ張ってきた背景には、企業統治の問題があって、長期雇用で働いている人の将来の賃金が長期債務のような働きをしているため、大胆な戦略が取れないのです。その点では労働移動をもう少しスムーズに行うようにすることも重要だと思います。

質疑応答

Q:

2010~2018年に日本のTFPが4.9%上昇し、欧米諸国よりも高かった要因は何でしょうか。

A:

企業間の再配分がTFPの上昇に大きく寄与したと考えられます。欧米主要国は2010年代、非伝統的な金融政策で投資を促進していたので、労働生産性が上がり、賃金もそれなりに上がったのですが、TFPは上がらなかったのです。彼らは1990年代の日本の政策を2周遅れぐらいで行ったので、その咎(とが)は後でやって来るかもしれません。

Q:

資本収益率(自然利子率)が低く、企業が名目金利ゼロの現金を選択して資本蓄積を行わないという考え方についてはどのようにお考えですか。

A:

名目金利にはゼロ金利の制約があるので、それ以上金融緩和はできなくて、そのことが資本蓄積を停滞しているというリフレ派の考え方は、それなりにあり得ると思います。ただ、インフレを起こして実質金利を下げれば有効な投資が行われるかというと、そうではないでしょう。資本収益率を上げさせる、もっと企業にリスクを取らせることの方が政策的には重要だと思います。

Q:

資本蓄積を促進するために設備投資補助金を行うことは、長期的に良いことなのでしょうか。

A:

信用保証を際限なく行って、儲かっていない中小企業を延命させるのであればやめるべきだと思いますが、税制で設備投資を促進するぐらいのことはやってもいいのではないかと思います。

Q:

ご説明いただいた状況から脱却するために経済政策として何を必要としますか。

A:

企業統治が非常に保守的になっており、労働市場の長期雇用が企業にとって負担になっているので、もう少し雇用の流動性を高めないといけないと思います。成長が止まり、労働人口がほとんど増えない状況が日本の大きな制約になっていると思います。

Q:

スーパースター企業効果は独占の話と同様、日本に特段関係ないと考えてよろしいでしょうか。

A:

日本経済の8割は非製造業であり、経済センサスで見る限り独占が強まっていることは観察されていません。それは見方を変えればGAFAのような企業が日本で生まれていないというネガティブな側面でもあると思うのですが、日本では独占の問題は製造業の組み立て企業など以外あまり影響しておらず、GAFA等外資による独占は注意する必要はありますが、米国のようなことはないのではないかと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。