ミャンマー改革の3年―テインセイン政権の中間評価―

開催日 2014年4月17日
スピーカー 工藤 年博 (日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所新領域研究センター長)
モデレータ 春日原 大樹 (経済産業省通商政策局アジア大洋州課長)
開催案内/講演概要

2011年3月、23年ぶりの「民政移管」で誕生したテインセイン政権が、大胆な改革に乗り出してから3年が過ぎた。テインセイン大統領は改革を3段階、すなわち国内政治・国際関係の改革、経済改革、行政改革に分けて、プロセスを深化させてきた。本セミナーでは、第一に、改革の現段階を整理した上で、その進捗を評価する。

現政権の任期5年のうち残すところ2年となったところで、ミャンマーは再び政治の季節に入ろうとしている。2015年終盤に予定される次の総選挙へ向けて、勝利が有望視される国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー党首は、大統領への意欲を隠さなくなった。しかし、彼女が大統領になるためには2008年憲法の改正が必要であり、そのゆくえが注目を集めている。少数民族問題、ロヒンギャ問題、反イスラム運動、土地収用問題など旧来の、あるいは、「民主化」時代に新たに表面化した問題も多くある。本セミナーでは、第二に、こうした動きや課題ついて解説し、ミャンマーの将来を展望する。

議事録

テインセイン政権の改革

工藤 年博写真テインセイン政権発足から3年が経ちました。振り返ってみると、ミャンマーの改革は段階的に深化してきました。第1段階(2011年3月~)は、政治・国際関係の改革です。スーチー氏と対話を行い、NLD(国民民主連盟)の補欠選挙への参加でスーチー氏は議員となりました。また政治犯の釈放、メディアの自由化、市民の権利を制限する法律の改廃、カレン民族同盟(KNU)との停戦合意などは象徴的です。こういった国内の政治改革を背景として西側諸国、とくに米国との関係が改善しました。2011年12月にクリントン国務長官が訪緬し、2012年11月にはオバマ大統領が訪緬しています。

第2段階(2012年6月~)は経済改革です。2012年6月19日、テインセイン大統領は「改革は第2ステージに入った」と宣言し、経済改革に重点が置かれました。第3段階(2012年2月~)は行政改革です。汚職撲減、国民の声を反映した行政を目指しています。

第1段階の政治・国際関係における改革は大きく進展し、欧米諸国、とくに米国との関係改善は、ミャンマーを取り巻く国際経済環境をドラスティックに改善しました。民主化へ向けた法・制度整備(人権委員会の設置、集会・デモの合法化、労働組合の許可など)やメディアの自由化(事前検閲の廃止、民間日刊紙の発行、外国支局の設置など)も進展しています。

しかし、第2段階の経済改革に入ると、ことはそれほど順調ではありません。規制緩和・自由化は改革の重要な一部分ですが、経済成長の基盤をつくりあげるための制度整備、インフラ整備、人材育成などには時間がかかります。本格的な経済成長が始動するにはもう少し時間がかかりますので、ここは腰を据えて取り組む必要があると思います。行政改革は、なおさらです。ガバナンス強化、公務員改革などはいずれも時間のかかる課題で、まだ始まったばかりといえます。

結局、新政権3年の最大の成果は、テインセイン大統領(およびUSDP(連邦団結発展党)・国軍)とスーチー議長(NLD)が協力したことにより、アメリカとの関係改善ができ、国際社会の制裁措置の緩和・解除が実現したことといえるでしょう。これによって、ミャンマーはグローバル経済に再参入し、高成長を目指すことが可能となりました。経済改革、行政改革など課題は山積していますが、この第1段階の改革の成果を過小評価すべきではないでしょう。

両陣営の協力を維持する鍵

今回の協力は、テインセイン大統領(USDP・国軍)とスーチー議長(NLD)の両陣営が抱えるジレンマを解消するためのアライアンスであり、その中で「ポスト軍政」が幕を開けました。しかし、互いのジレンマを背景とした両陣営のアライアンスはけっして盤石ではありません。

両陣営の協力を維持する鍵は、国民生活の向上と経済成長だと思います。グローバル経済における経済成長の実現には、外資主導・輸出志向型の成長戦略が現実的であり、そのために日本を含めた海外企業の進出が期待されています。

テインセイン大統領は、2012年6月に「経済改革」を発表した演説の中で、4つの方針として、1)農業の発展およびすべての部門の発展、2)地域的に均衡のとれた発展、3)全国民が成長の成果を享受できる包括的な発展、4)信頼できる統計の整備、を掲げました。

これをベースに現在、国家総合開発計画(National Comprehensive Development Plan: NCDP 2010-2030)の策定が進められています。開発戦略の方向性について、国家計画経済開発省(NPED)と東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)が共同で作成した、ミャンマー総合開発ビジョン(MCDV)において、5つの開発戦略が提案されています。しかし、いずれにしてもNCDPの全体像はまだ明らかになっていません。

ミャンマーの国際社会への復帰により、メコン地域に残された唯一の「ミッシング・リンク」は将来的に解消されます。国際環境が大きく変わる中で、輸出志向、外資導入、経済回廊が整いつつあるのが現在の状況といえます。

課題と展望 ―2015年へ向けて―

2015年11月に総選挙が実施され、2016年3月には次期政権が発足する予定ですが、最大の注目点はスーチー氏が次期大統領になれるかどうかです。2015年の総選挙が自由・公正に行われれば、スーチー氏率いるNLDが勝つ公算が高いといわれています。総選挙で3分の2を超える議席(=連邦議会の過半数)を獲得できれば、NLDが単独で大統領を指名することができます。これが第1の条件です。

第2に、スーチー氏の大統領就任には、憲法改正が必要です。現行憲法の規定上、スーチー氏は、大統領もしくは副大統領にはなる資格要件がないためです。第59条に大統領および副大統領の要件が定められていますが、「(b)本人及びその両親がミャンマーの主権が及ぶ領土内で出生した土着民族であるミャンマー国民でなければならない」という条項は、スーチー氏はクリアしています。

「(d)国家事項である政治、行政、経済、軍事等に関する見識を有する人物でなければならない」という条項には「軍事」が含まれていますが、その他の項目と並列で書かれており、これをもってスーチー氏を排除することはできないでしょう。

「(e)大統領は、選出された時までに最低20年間継続して我が国に居住していた人物でなければならない」というのは、スーチー氏を排除するための条項でしたが、あまりにも長く拘束しすぎたため、この要件はクリアしてしまいました。むしろこの条項は、次の世代のリーダー選びに影響を及ぼすと考えられます。軍政時代、軍や政府の幹部は、何とかして自分の子供たちを外国へ出して教育を受けさせたいと考え、実際に海外へ出ている人が多いわけです。外国で教育を受けた人たちが帰国し、リーダーになっていく可能性をこの条項は阻害するかもしれません。

問題となるのは、「(f)本人、両親、配偶者、子供とその配偶者のいずれかが外国政府から恩恵を受けている者、もしくは外国政府の影響下にある者、もしくは外国国民であってはならず、また、外国国民、外国政府の影響下にある者と同等の権利や恩恵を享受することを認められた者であってはならない」という条項です。英国人の配偶者はすでに亡くなっていますが、2人の子供は英国国籍です。同様に、政府幹部の子弟が外国国籍であることも少なくありません。

ミャンマーは世界でもっとも憲法改正が難しい国といわれていますが、こうした第59条を含む憲法の重要条項の改正には、連邦議会の4分の3を超える賛成、さらに国民投票で有権者の過半の賛成が必要です。現在、軍人議員は4分の1いるため、国軍の賛成なしに憲法改正はできません。2008年憲法は旧軍政幹部出現国軍が国政関与を維持する重要な仕組みです。一部改正はあり得るものの、現実的に第59条(f)を含む憲法改正のハードルは高いといえます。

2015年総選挙のゆくえ

2010年総選挙は、USDPが連邦議会の8割の議席を獲得して圧勝し、国民統一党(NUP)の惨敗となりました。NLDはボイコットし、民主化政党では国民民主勢力(NDF)がNLDから割れて出馬しましたが大きな勢力にはなりませんでした。一方、少数民族政党は地元の州議会選で善戦しました。

2012年4月1日には補欠選挙が実施され、連邦議会43議席と地域・州議会2議席の全45議席が争われました。このときNLDは43議席を獲得して圧勝し、最大野党となりました。アウンサンスーチー氏も80%以上の得票率で当選しています。

2015年総選挙において、USDPの有利な点として、支部の全国ネットワーク、組織力、資金力、政府・国軍のバックアップ、行政経験が挙げられます。不利な点は、国民の不人気、党員の忠誠心の欠如、権力以外の求心力の欠如といえます。USDP幹部は旧国軍幹部であるが、一般議員は地方の実業家、公務員、教員、法律家、医師などが多く、2010年総選挙では軍政に強制されて出馬したわけですが、2015年の負け戦に出馬するインセンティブはありません。

一方、NLDは選挙での勝ち方が問題といえます。NLDが3分の2を超える議席を獲得し、NLD政権となり、憲法が改正されればスーチー大統領が誕生します。NLDが3分の2未満の議席獲得に留まれば、USDPもしくは少数民族政党との連立政権となり、大統領候補としてNLD議員、あるいはシュエマン下院議長(USDP党首)、少数民族政党の代表、国軍からの選出などが考えられます。いずれにしても、勝った後の統治能力が課題です。

少数民族政党にとって、NLDの候補者は競合相手といえます。少数民族政党がキャスティングボードを握る可能性もあるため、少数民族政党と選挙協力できるかが1つのポイントとなります。

宗教上の対立

反ムスリム暴動の経緯として、2012年5月、ラカイン州での女性暴行事件をきっかけに暴動が発生し、6月に非常事態宣言が発動されました。2013年3月には、マンダレー地域メイティーラで大規模な反ムスリム暴動が発生し、ヤンゴンやシャン州ラショーヘ飛び火していきました。

ミャンマーのムスリムは、1983年のセンサスでは全人口の3.9%ですが、実際は10%ともいわれています。2014年のセンサスで実態が明らかになると、仏教徒の反イスラム感情が刺激される可能性もあります。

ミャンマーのムスリムには、ロヒンギヤ・カマン(ラカイン州)、パンデー(中国ムスリム)、パシュー(マレー系ムスリム)、バマーロムスリム(ビルマ系)、インド系ムスリムなど、多くの分類があります。135の土着民族に含まれるのはカマンのみで、もっとも多いインド系ムスリムに対しては差別が存在し、大きな問題が起こっています。

その背景には、ビルマ・ナショナリズムがあります。歴史の記憶として、英領植民地期に大量のインド人が流入し、1930年と38年に大規模な反インド人暴動が発生。仏教徒親和性の高いヒンドゥー教徒よりもイスラム教徒が敵視されました。結婚問題では、4人まで妻帯できるため仏教徒の女性と結婚し、多くの子供を産み、国民のイスラム化を目論んでいるという言説があります。サウジアラビアの台頭に伴うワッハーブ派のミャンマーヘの流入、過激仏教僧侶による反イスラム説法による扇動もあります。ロヒンギヤ問題については、解決の展望はみえません。

少数民族武装組織との和解は、テインセイン大統領の最大優先課題の1つです。2012年1月12日、最大級の勢力を持つカレン民族同盟(KNU)との停戦を合意後、同年2月には、11の少数民族武装組織と停戦交渉に入り、8つの組織と予備的な和平協定に合意しています(2013年6月現在、10組織と合意)。テインセイン大統領は全国停戦合意を目指していますが、カチンとの戦闘が続くなど、まだ状況は流動的です。

経済開放のゆくえ

Post-2015は、政治だけが問題ではありません。2015年にはASEAN経済共同体(ASEAN Economic Community: AEC)が実現する予定です。貿易・投資の自由化、経済統合が進む中で、後発開発途上国のミャンマーがいかに産業発展をすることができるかが重要です。

改正外国投資法(2012年11月)の制定過程に示されたように、国内企業が外資の進出を懸念するケースもあります。輸出志向型の外資はいいですが、国内市場を狙うものについては一定の規制が求められます。たとえば、タイの自動車産業政策を学ぶ必要があると思います。また投資環境の悪さを改善していくべきでしょう。

中緬関係

軍政時代から、ミャンマーと中国は密接な関係にあります。しかし、中国のミャンマー投資の3大案件(ミッソン水力発電ダム、レパダン銅鉱山、石油・ガスのパイプライン)のうち2つがミャンマー国民の激しい反対に遭遇し、ミッソン水力発電ダムは凍結、レパダン銅鉱山は条件を変更して継続し、石油・ガスのパイプラインは生産・輸出を開始しています。

こうした中で、やはり中国のミャンマーへの投資は資源分野を中心に急減しています。中国にとってミャンマーはリスクのある国へと変容し、中国政府は環境配慮、情報公開、CSR強化などによってミャンマー国民の理解を得るように努力しています。しかしミャンマーの反中感情は、むしろ強くなっている印象を受けます。

おわりに

「ポスト軍政」は、国軍とスーチー氏の民主化勢力との消耗戦の後に始まりました。しかし現在のところ、互いが協力する以外に前進する道はありません。テインセイン政権3年の改革は、国際経済環境をドラスティックに変えました。インフラ不足、人材不足、投資制度の不備など多くの問題があることは事実ですが、この改革のインパクトを過小評価すべきではありません。

これによってミャンマーは「アジア最後のフロンティア」に変貌しました。これまでベトナムで起きたことは、ミャンマーでも起こり得ます。2015年総選挙の行方は予測が難しいものの、現在の改革が国軍主導で実施されていることを鑑みれば、2015年以降に改革路線を後戻りさせるとは考えにくいでしょう。

スーチー氏も、大統領になれないからといって2015年総選挙をボイコットし、再び国際社会に制裁を求めるとは考えられません。それは国民の支持を得られないためです。互いに決定的に相手にダメージを与えることをしなければ、ポスト2015年にも改革路線は続くと思われます。もちろん現実的な課題は山積しており、しばらくミャンマーの動向から目が離せない状況です。

質疑応答

Q:

2015年12月にASEAN経済共同体(AEC)がスタートしたときに、ミャンマーはリーダーシップを発揮できるのかという懸念があります。どのようにお考えでしょうか。

A:

ミャンマーはAEC実現への道筋をつけることを役割とし、2015年にマレーシアが最後の仕上げをするという流れでいけると思います。

モデレータ:

非関税障壁をはじめ、いろいろな課題が残ると思いますが、2015年に残った宿題をマレーシアが次にどうつなげるか、調整することになると思います。最貧国といわれるミャンマーも、2014年に取り組みを加速することで、統合の設計への関与を示すことができると思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。