岐路に立つIFRS ~書物では知ることが出来ない、政治的で実務的な議論について

開催日 2010年9月13日
スピーカー 鈴木 トモ (オックスフォード大学教授)
モデレータ 平塚 敦之 (経済産業省 経済産業政策局 企業行動課企画官)

議事録

自己紹介と講演の目的

鈴木 トモ写真私は会計が経済社会に及ぼす影響をマクロの観点から研究しています。本日は海外で得た情報を意見ではなく事実としてお伝えし、日本で言われているIFRSの内容や考え方が海外で言われているものとどのように異なるのかを明らかにしたいと思います。また、皆さんはIFRSのいいところは教科書や授業を通じてご存知かと思いますので、私はその反対の例をお伝えすることによって、バランスをとりたいと思います。さらに、皆さんの声を吸い上げ、早い段階での意見形成に資することができればとの思いで講演をさせていただきます。

IFRSの教科書的理解の検証――総論

1.効率的な(安い)会計
私が渡英した16年前、欧州では国際会計基準があれば各国は1つの会計で済むので安くつくというのが教科書的理解となっていました。しかし実際は、各国は独自の会計基準を中小企業に適用し、大企業には国際会計基準の一部をカーブアウトして適用し、税会計は税会計で別にキープしており、国際会計基準は高くつくというのが現状でした。当時の教科書と現在の教科書では論調はまったく逆になっています。ではいまだに「IFRSは安い会計だ」と言われるのはなぜでしょうか。誰にとって安くて効率的なのかを認識しておく必要があります。

2.透明性の高い会計
Fair value accounting (公正価値会計)は実際に「フェア」なのでしょうか。金融経済学者が数理モデルで計算する数字と各企業の実務家がはじき出す数字との間には大きな違いがあります。「fair value」 という名の下で計算される数字が実際上どれだけ透明性があり、あるいは恣意性が隠れえるのか、注意深く見つめる必要があります。特に、政治家やポリシーメーカーは、「Fair Value」というレトリックに惑わされることなく、その名のもとに行われる実際の会計とその影響を分析した上で、基準・規制行動に移るべきです。

3.比較可能性の高い会計
この理解にも大きな神話があります。単一の会計枠組みや会計基準があれば投資対象は比較検討しやすくなるのでしょうか。投資対象として何に魅力を感じるのかは国や個人により大きく異なります。認識論や情報論を少しかじった人であれば、唯一の基準に照らして、複雑で異なる対象物を比較する行為は多くの場合、効率的でも効果的でもありません。1つの基準に照らして最適の投資対象を決めるというのは企業分野ではありえない話です。中国企業と日本企業への投資を同じ基準で検討するのが合理的と言えるのでしょうか。

4.グローバルに採用された国際的な会計
130の国あるいはジュリスディクションが採用したことを根拠に「IFRSは事実上グローバルな会計だ」と主張する声があります。しかしそれを鵜呑みにして、IFRSに乗らないと日本だけが遅れてしまうと考えるのは単純化された議論です。欧州連合 (EU)各国は国際会計基準審議会 (IASB)に対し非常に大きなロビー力を持っています。自国に不都合なものはカーブアウトする権限を持っています。米国も同様に非常に大きな影響力を持っています。中国のほうがもっとしたたかに影響力を持っているでしょう。日本がIFRSをアドプトするのとこうした国がアドプトとするというのは意味合いが違います。日本がアドプトするには、今後10年間で、アドプトすることによって、日本の経済社会がどのように影響を受けるか考えた上でなされるべきです。

各ジュリスディクションにおける問題意識と政治的対応

1.欧州
欧州企業の歴史上、最大の損失は2006年のボーダフォン事件です。無形資産のライトオフや暖簾の減損が非常に大きかったのです。当時の換算レートで4兆円程度の損でしたでしょうか。企業が買収で成長する欧州では暖簾が貸借対照表の半分を占めることが多く見受けられます。暖簾はプレミアムを払っているとどんどんは大きくなります。ボーダフォンはこの年にいきなり半分くらいを削り、結果として4兆円程度の損を計上することになりましたが、当時の投資家はこれを見て、非常にコンサバティブで良いと考えました。あの時期にやったのはトップの入れ替わりの時期であり、前の経営陣の失敗としてライトオフできたからです。実はこれにはもっと隠れたうまみがあります。一度大きな暖簾を落とすと総資産は小さくなります。総資産が小さくなると少なくとも次の3~5期くらいはROE やROA(=企業業績)は大きくなります。前の経営陣の仕事はダメだったといった上に、新しい経営陣の仕事は楽になります。こうした例はいくつも見られます。これがfair value accountingの名の下に行われる会計の1つの例です。私の聞き取り調査では、「暖簾の非償却だけは止めてください、でないと経営の精神がだめになってしまいますので」との声が、日本のCFOの方からはよく聞こえてきます。欧州ではこうしたことが非常に問題になってきています。

2.インド
IASBのホームページを見ると、インドはアドプションを決めたと書いてあります。

Like in other countries such as Australia, New Zealand and countries in the European Union, the IFRSs will be adopted for the listed entities and other public interest entities such as banks, insurance companies and large-sized entities. The decision is an important milestone in achieving full convergence with IFRSs as India will join 102 countries which presently require or permit use of IFRSs in preparation of financial statements in their countries. By 2011, the number is expected to reach 150.

現在までに、この予想は全く違ったものになっています。インド側の意見を聞いてみると、一般的なコンバージェンスはするがアドプションはしないと言います。当初はアドプションとコンバージェンスの違いが理解されていなかったようです。その後、理解は深まり、今年7月には企業省大臣以下、政府高官はコンバージェンスはインドに柔軟性を与えるがアドプションでは自国のコントロールがきかなくなるので、アドプションは絶対にしないと明言しています。

3.東南アジア
マレーシア、インドネシアの最大の産業はプランテーションです。若い木を買って植え、50~100年かけてそこから生まれてくる資産を売ってもうけを得るというビジネスです。Historical cost accounting (取得原価会計)ではパームヤシが実る4年目くらいまでは利益はゼロで、5年目くらいから利益が発生し、それ以降は利益が安定的に生まれます。これは経営者の感覚に即した会計です。

しかしこのビジネスにIAS41号を適用すると植えた1年目の終わりには利益が生まれることになります。植えたのは資産であり、資産にはfair valueをつけ、損益計算書にチャージする必要があるからです。その数字は、パームヤシの利用可能年数である25年間のキャッシュインフローをディスカウントして計算します。この割引率によってその年の利益は大きく異なります。木が最も多くの実をつける15年目くらいにはすでに損が出始めます。

このビジネスを手掛ける企業4社がロンドン証券取引所に上場していますが、1社が8%、もう1社が18.5%という数字を出す中、同じ監査法人がハンコを押しています。これもfair value accountingの実態です。

経営者にとっては嬉しくはない話です。なぜなら利益は上げてもお金が残らないからです。インドネシア、マレーシアの法律では1年目で分配可能利益が構成されることになり、その時点で配当の支払いが求められる可能性がでてきます。インドネシアではこの数字が税金の基礎になります。今のところ払わせる予定だという噂もあります。3年目に支払いを政府が求めるという話も十分に可能です。企業が利益をだしているからです。マレーシア当局はそうした会計を否定していますが、アドプトしたと言われる130カ国の中には、このように自分たちが受け入れた会計を把握していない国が多くあります。他の国がアドプトしているから日本もアドプトしなくてはならないというロジックは間違っていると思います。

誤解なきようお願いします。私は頭からIFRSに反対しているわけではありません。IFRSにはIFRSの良いところもあります。ただ、日本の現状を見て、IFRSで注意しなければならない部分もお伝えしなければならないと考え、こうした例を紹介させていただきました。

4.中国
かつて日本のメディアでは中国がIFRSをアドプトしたというように報じられていました。IFRSの基準書は膨大な量ですが、中国の基準書はその10分の1くらいの厚さです。それでも中国がアドプトしたと言うのは政治プレーがうまいからです。中国は金融当局のトップが政治プレーに参加しています。インドも同じです。従ってこれらの国は国際的な会計政治で力を持っています。一方日本は民主的なので専門の組織が立ち上げられ、会計はそこで運用されています。そこには当然良さや利点がありますが、そうしたレジームが国際政治でどれだけ日本の利益になるのかという問題とは全く別問題です。世界の中で会計を規制し、利用し、ビジネスや国民経済を運営してゆくというのは、こうした国際的な政治や戦略、あるいはコンフリクトをやりくりするという部分を多く含みます。中国やインドのやり方と日本のやり方の違いを認識した上で、どういった会計政治が日本の利益になるのかを考える必要があります。中国には中国の意図があって、中国の政府高官は日本、米国、英国といった先進国はIFRSをアドプトすべきではないと明言しています。しかし、そうした情報は日本になかなか伝わっていません。日本は実際の政治場面からかけ離れていて、G20がIFRSのアドプトを求めれば、それに懸命に従おうとする真面目な国です。しかしその真面目さとは別にインド、中国という国があり、欧州・米国というロビー力のある地域・国があることも認識する必要があります。日本が会計にどう戦略的に取り組むのかは改めて考えるべきです。

日本の今後の対応の検討

日本の現状について「米国の出方を見て判断する」という見方をよく聞きます。これは現実的選択だと思いますが、では米国はIFRSをアドプトするのでしょうか。諸外国の動きに関する情報は日本の政府や会計団体のトップにどの程度伝わっているのでしょうか。

日本はどの国を見ながら会計政策を決めるべきでしょうか。米国を見るのは当然ですが、皆さんはロンドン証券取引所でIPOを検討する中国企業が1つもないのはご存じでしょうか。一方で各国企業は中国でのIPOを目指しています。そうした状況でなぜIFRSをする必要があるのか中国が疑問を持っても当然なことです。日本は中国の動きも見る必要があります。中国が独自の会計基準を作り、それを国際化するという戦略を国策として展開した場合、日本は中国の動きをきちんと把握しておかなければ適切な会計政策を決めることはできません。

IFRSのようなものが日本企業・経済社会にどういった影響をもたらすのか、検討は行われているでしょうか。会計が変わればオペレーションが変わる例も多く出てくると予想されます。日本の経営者のメンタリティやものづくり精神にどういった影響が及ぶのかも考える必要があります。

これはコーポレートガバナンスや従業員保護にもつながる問題です。たとえば労働組合が強い力を持ち「accounting for employees (従業員のための会計)」という考えが強かったドイツも、EUとしてIFRSを導入した瞬間に「accounting for investors(投資家のための会計)」に向かうようになり、導入後にようやくその修正に奔走するようになりました。フランスも同じです。

IR担当者にとっても会計数値と投資家の期待をマネージするのは難しい作業だと思います。そうした議論もきちんとすべきだと思います。

政府もこの会計で経済社会をマネージしやすくなるのかを考えるべきです。現在の日本では会計は事実を表象するニュートラルなものとして捉えられがちですが、現実はそれ程単純ではありません。Historical cost accountingとfair value accountingでは数字は大きく異なります。数字が異なれば物事のマネージの仕方も異なります。現在の日本には会計を社会のマネジメントに必要となる情報の根幹として捉える精神がないように思えます。会計は税や企業の持続的成長にも関わる大きな問題です。しかし日本の論調を見る限り、そうしたことがきちんと認識されていないのではないかというのが私の懸念するところです。

EU、米国、中国、インドが国際政治をうまくプレーしているのは、大臣等が大きな権限を持って参加しているからです。非公式な場での交渉も進められています。交渉で日本が勝ち残るには英語力が必要となります。国際交渉の場では、チームでトップに位置する交渉者を支えるバックアップ体制も必要です。相手は、常套的な政治手法の1つとして、あまり検討時間を与えてくれません。そうした政治的なゲームをうまくプレーするように、日本はできるだけ早くに意見まとめをしなければならないと思います。

皆さんがどういった懸念をお持ちなのか、ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

質疑応答

Q:

(1) 「高品質な財務報告を単一の会計基準で担保する」というのが現在の国際会計基準のキーワードであることを考えれば、効率性や透明性の話をする以前に「高品質な財務報告とは何か」を議論すべきなのではないでしょうか。(2) IFRSが国連のような流れになることを危惧しています。日本は国際舞台から脱退するのでしょうか。(3) 日本が米国の出方を見ながら検討を進めているとの理解は違うと思います。日本は米国を先行しています。(4)米国はエンロン事件を受け、法律を改正し、アナリストに対する責任追及の強化を図っています。再びエンロンと同じ流れに入っていくことはないと思います。であるとすれば、日本はどういう戦略でいくべきなのでしょうか。

A:

(1) 本日の講演の目的はIFRSに対する一般的にポジティブな論調に対して、そのほか注意すべき点を申し上げることにあります。ですから、本日紹介したのがIFRSのすべてではありません。こうした部分もあるということをお伝えすることに主眼を置かせていただきました。

(2) 日本は国際会計の舞台から脱退すべきではありませんし、IFRSをアドプトしないということは国際舞台を離脱するということとは全く違います。国際政治では参加していることが前提となります。その上でいかにポリティックスをうまくプレーしていくかが重要となります。日本からもなるべく多くの人を送りこんで、取り組みを政治的に強化すべきだと思います。

(3) 日本が米国に先行しているというのはご指摘の通りかと思います。そうした認識は中国やインドでもなされており、私がよく聞かれるのは「日本は何でそんな決定をしてしまったのか」という嘲笑的な質問です。ただ、政府関係者の意見を聞く限りは、米国の出方を見ながら決めているというのが日本の姿勢のようです。日本が日本なりの認識を形成して先に行動に出たのが、国際政治学上、良かったのか悪かったのかきちんと分析すべきことかと思います。

(4) エンロンは当時のニューキャピタリズムの象徴だったと思います。投資銀行の人々はああいった取引から数億円単位のボーナスを得ていました。私はそうしたことを煽る会計に疑問を持っていました。ご指摘のように、教訓が生かされ、そうしたことはもう起こらないとの見方もあります。そうなのかもしれません(が、私は疑問です)。そうであるようにするためには、私たちの会計に対する理解・体制はきちんとしたものでなければなりません。日本にその理解・体制があるのかは心配なところです。

Q:

IFRSを本当に望んでいるのは誰なのでしょうか。

A:

私も疑問です。IFRSをめぐる動きがどうして起きているのかの理解は深まってきましたが、「なぜIFRSなのか」という疑問に対する解はまだ得られていません。ですので、日本の皆様のご意見を伺いたいところです。私はIFRSに反対しているわけではありません。中立的観点からいろいろな意見を聞き、IFRSの良いところ悪いところを整理して伝えるのが学者の役割だと考えています。IFRSが日本にとって、あるいは世界にとって益となる制度であると説明できるのであれば、是非ご意見をいただきたいところです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。