大変革をせまられる医薬品産業と中外のビジネスモデル

開催日 2010年7月27日
スピーカー 永山 治 (中外製薬(株)代表取締役社長)
モデレータ 荒木 由季子 (経済産業省 製造産業局 生物化学産業課長)
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議事録

日本における医薬品産業の概況

永山 治写真日本の医薬品産業は、鉄鋼、エレクトロニクス、自動車など、国際競争力を有する伝統的産業と比べて規模がかなり小さいものの、付加価値が大変高いのが特徴です。他方で、医薬品は、製造工程や価格決定のプロセスが外から見えにくい構造になっているため、財政問題と絡めてさまざまな批判が出ているほか、副作用のリスクもあるため、社会への貢献がいまひとつ評価されにくいという現実があります。そうした認識から、医薬品産業は「見えない産業」と呼ばれることがあります。

自動車産業などと違い、日本の医薬品産業はかなりの輸入超過となっていますが、近年では創薬力の向上もあって、技術輸出(ロイヤルティなど)が伸びてきています。これが日本の医薬品産業が世界に羽ばたく、あるいは国際競争力のある産業として維持されていく1つの原動力になると思われます。

1961年に国民皆保険制度ができた当時の医薬品産業は、抗感染症薬(抗生物質など)が中心でしたが、最近は高血圧などの生活習慣病が占める比重が拡大しています。さらに、総合的医療(primary care)から、がん、リウマチ、アルツハイマーといった専門医療(specialty care)に重点が移りつつあり、これらの治療薬を生み出す上で、バイオテクノロジーへの期待が高まっています。一方、国の政策として、ジェネリック医薬品への転換を奨励することで、全体のコストを下げる方針が進められています。

世界における日本の医薬品業界

医薬品産業はこれまで先進国が中心的な存在でしたが、最近ではBRICSを中心とする新興国の躍進が目立ちます。実は医薬品産業はその国の経済力と非常に直結しています。また、利害関係者も企業、医療機関、厚生労働省などの行政機関の3つから、最近では保険者・患者、流通企業にまで広がっています。製薬会社が医療関係者とのみ接触していればよい時代は終わりつつあります。

世界の医薬品市場は2008年から2013年の5年間で4~7%の成長を実現する見通しです。日本は1~4%の成長に留まる見通しですが、2年毎の薬価引き下げが低成長の理由の1つにあります。日本の市場はかつて世界の23%を占めていましたが、これが今では9%にまで低下しています。医薬品産業としては海外に進出しない限り、収益を確保することが難しい状況となっています。ただ、進出するにしても、合併を繰り返してきた海外大手との厳しい競争があります。日本最大手の武田薬品と世界最大手のファイザーを比べると、売上で3.2倍、研究開発費で1.7倍の開きがあります。特に研究開発に関しては、世界的にその効率が次第に低下しているほか、国内における新薬の承認の内訳を見ても、海外オリジンの製品が7割を占めている状態です。

「2010年問題」のインパクト

2010年前後に大型医薬品の特許――具体的には、2008年から2013年の間に世界上位50品目中24品目901億ドルの医薬品の特許――が相次いで満了します。欧米では特許が満了となり次第、一気にジェネリック医薬品が市場を席巻するため、それを埋める分の新薬を開発する必要がでてきます。ただ、研究開発費用は右肩上がりですが、アウトプットがそれに追いつかない状態です。そのギャップを埋め合わせるのが、企業合併による要員整理、コストダウン、それからシナジー効果の創出となります。こうした傾向は以前からもありましたが、これが2010年を軸に加速します。一方、グラクソスミスクラインなど、一般用医薬品(OTC, Over the counter)などの医療用医薬品以外の分野やワクチン事業、新興国市場などに軸足を移すことで高成長を維持しようとする企業も見られます。

2010年前後に特許切れを控える大型製品は、消化性潰瘍、高血圧症、高脂血症といった、薬剤貢献度と治療満足度の両方が高い分野に集中しています。これらの分野は製品の完成度が高く、新薬も出尽くした市場であり、この分野で従来の医薬品の有用性を超える新薬を創出するのは困難です。そこで大手製薬企業は、研究開発費を増やしても研究の成果が出にくいというジレンマを抱えながらも、「アンメット・メディカル・ニーズ」とされる、薬での治療が困難な分野(アルツハイマー、がん、精神疾患など)に研究開発投資をシフトしています。

さらに、研究のパターンとしても、大手会社の研究所が独自に開発するよりも、ベンチャーが開発したものを大手が買い取る事例が増えています。ただ、その点についても、日本企業の買収対象がどちらかというと旧来的な領域で、承認された、または承認直前の医薬品候補の導入が中心となっているのに対して、欧米企業はリスクの高い新領域を中心に、アーリーステージ(開発の初期段階)のプロジェクト導入を行っているといった傾向が見られます。

バイオ医薬品は従来の医薬品と比べて成長率が高く、とりわけがん治療薬を中心にモノクローナル抗体の分野が成長を牽引している状況です。

こうした状況から、製薬企業の戦略オプションがいくつか明らかになっています。1つは従来通りの研究開発・創薬を軸に付加価値を上げていくこと。その対極にある戦略として、新興国へのテリトリー拡大とそれに伴うジェネリック(バイオシミラーも含む)医薬品事業への進出があります。また、個別化医療のための診断と治療の分野も今後成長が見込まれています。研究開発とアウトプットの関係、新興国市場の拡大、固定費削減のための企業統合、それによっておこる企業間の規模の格差の顕在化といった、さまざまな要素が作用することにより、これからの医薬品産業に変革が起こると考えています。

環境変化に対する中外製薬のビジネスモデル

中外製薬は日本では他社よりも早い段階からバイオ医薬品に進出していましたが、国際競争力とスケールメリットを維持する観点から、2002年10月に株式の50.1%をスイスの製薬会社ロシュに譲渡し、戦略的アライアンスを締結しました。バイオは創薬技術であると同時に生産技術でもあります。バイオ医薬品は、大量生産を行うのに大規模な設備投資を要する上に、上市の4~5年前には投資の決断をし、最終的なピーク売上の需要に対応する商用生産を想定して設備の整備をすることが必要となります。単独でバイオ医薬品を安定的に供給することには無理があるという判断から、欧州一の生産能力を持つロシュ(とその傘下にある米国一の生産能力を持つジェネンテック)との戦略的アライアンスの締結に踏み切りました。ロシュ、中外、ジェネンテックがそれぞれ独自に研究開発をし、その成果を3社で共有すると同時に、共同研究開発も3社間で優先的に行うコンセプトとなっています。3社がこれから国際競争の中で生き延びていくために、それぞれが強みを発揮する地域・領域に注力して、その成果を全体として分かち合う方向に転換したのです。そのため経営体制も独立した形となっていますが、こうしたガバナンス形式は世界でもめずらしいと例となっています。戦略的アライアンス締結後、中外オリジンの製品としては初めての成果となるリウマチ治療薬「アクテムラ」は、グローバル市場での成長が見込まれ、ロシュ/ジェネンテックへ委託製造を行う予定にしています。

さらに、中外が出遅れていた低分子化合物についても、大きな収穫がありました。戦略的アライアンスを通じて世界一の規模の化合物ライブラリを有したことで、低分子医薬品の研究力が大幅に増加したのです。バイオを軸にした連携とはいえ、中外においては低分子の新規化合物の品目数が非常に増えてきています。

産学連携の重要性

中外製薬の主力製品の殆どは、実は産学連携の成果物によるものです。国内ではかつて自社単独開発が重視される傾向にありましたが、これからはむしろ産学の協業がますます重要となります。アカデミアのアイデアはすぐには商業化に結び付かないケースが多いのですが、ベンチャーキャピタルが関与していない分、非常に安いコストで研究ができるという利点もあります。最近の例としては、前述のアクテムラがあります。これは大阪大学との共同研究で基礎研究から始めて、25年かけて製品化できたものです。これからは早期の実用化のためのプロジェクト・マネジメント、とりわけオープンイノベーション的なプロジェクト・マネジメントが必要となってきます。

そうした観点から、中外製薬は東京大学内に設置している未来創薬研究所を中心に、東京大学などのアカデミア、三井物産、実験動物中央研究所などと連携して研究を推進しています。その結果、新薬の候補物質の数も大幅に増えました。

中外製薬の事業戦略

現在の主要な領域は、「がん」、「腎」、「骨・関節」、「移植・免疫・感染症」という内訳になっています。組換えタンパク質と抗体医薬を中心としたバイオ医薬品が売上の6割を占めていて、国内市場の3割弱を占めるまでになっています。2012年末までに4600億の売上と800億の営業利益を計上する目標を立てていますが、合併前と比べて、売上は倍に、利益は3倍になっています。

最近特に着目しているのが、個別化医療です。対象患者を絞り込む一方で、新しい価値向上が期待できる分野です。患者さんとしても確実に効果が得られるので、治療継続率や服薬遵守率も高まり、メリットがかなり大きいといえます。副作用が最小限に抑えられる利点もあり、ロシュ・グループ全体として追求しています。

中外製薬とロシュとの戦略的アライアンスは2009年に第1段階が終わったと認識しています。2009年までに殆どのロシュ/ジェネンテックの製品について国内開発を行い、承認を受け市場に出すことができました。これからはロシュ、ジェネンテックと共に、未承認の薬をグローバルで同時開発する時期に来ています。それに伴い、中外とロシュ・グループの関係の中で、企業経営やマネジメントスタイルを変えていく必要があると考えています。

質疑応答

Q:

2010年問題に関して、途上国の強制実施権の問題などと絡めて、どのように対処する考えでしょうか。

A:

これは非常に難しい問題です。知的財産権の侵害や偽薬の流通、強制実施権の行使が実際に起きると、製薬会社としては研究開発費を回収できない状況に陥ります。とはいえ、現実として薬を使える経済力の欠如している国が多く、そうした途上国との議論は、常にヒューマニズムとの背中合わせとなり、大手企業の利害がなかなか表現できないというジレンマがあります。また、先進国内でも低・中所得者層への配慮からaffordable medicineという考え方が広がっています。一方、途上国もおける薬のニーズも、エイズなどの感染症に対するものから、高脂血症など生活習慣病に関するものにまで広がっていて、どこかで線引きはする必要があるかと思われます。

Q:

流通革命の中で、薬の販売のあり方についても議論が分かれています。流通で大きな比率を占めるコンビニ、スーパー、ネット販売が取り扱える範囲について考えがあればお聞かせください。

A:

中外製薬は1960年代まではグロンサンや中外胃腸薬、バルサンといった製品を軸に展開していましたが、こうした一般用医薬品事業(OTC)は、2005年の段階でライオンに譲渡しています。ご指摘の点について、使用実績があって安全性も確立されているものについては、国としても医療費削減の観点からスイッチOTCなど利便性を高める方向で検討していますが、薬剤師の常駐体制やユーザーの意識の問題もあり、なかなか前に進まない状況です。パッケージなどの製品コストの高さも、こうしたOTC市場が伸びない要因となっています。

Q:

国の研究開発政策に関しては、どのような注文がありますか。

A:

まずは、承認までの道筋づくりです。自動車産業に対する「道路」のようなものです。基礎研究から臨床研究への橋渡しや、臨床研究の効率化が課題となっています。とりわけ、日本の製薬会社が海外で先に承認を取ろうとする背景には、国内の医療機関が点在していて、まとまった臨床データがとれないという事情があります。それに関連しますが、複数の省庁で管轄している科学技術予算も一元化すべきです。

さらに医学教育についても、日本では現場での治療に重点が置かれがちですが、研究員や会社経営者としてのキャリアパスも視野に含めた、もう少し幅広い能力開発が必要と思われます。逆に製薬会社としても、これからの創薬には、安全に関する医学の専門知識が不可欠となります。

各国から人・カネを集める仕組みも必要です。アジアの研究者に活躍の場を与えること。また、日本では外資系製薬会社の研究所が相次いで閉鎖されていますが、拠点としての魅力の薄さがその一因となっています。日本のライフサイエンスの基礎研究能力は誰もが認めるところですが、臨床試験のスピードが遅いこと、諸外国に比べて低い薬価の問題などが、拠点を置くインセンティブを下げています。経済産業省として、対日投資を促進する観点から、検証すべき課題と思われます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。