IT産業におけるモジュール化の終焉と統合への回帰 - iPadの意味するもの

開催日 2010年7月21日
スピーカー 田中 辰雄 (RIETIファカルティフェロー/慶應義塾大学経済学部准教授)
モデレータ 根津 利三郎 (RIETI理事)
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議事録

「モジュール化」の定義と段階

田中 辰雄写真「モジュール化」とは、1つの財・サービスをいくつかのユニット(部品・モジュール)に分け、その組み合わせのインターフェースを固定して公開することを意味します。さまざまな定義があり、最も広い定義として「複雑な製品をある程度独立性の高いユニットに分ける」というのがありますが、より強い定義として「インターフェースを固定して、部品を自由に組み合わせられるようにする」というのがあり、さらに最終段階において、それは「インターフェースを固定し、社会全体に公開する」ことを意味します。誰もがそのモジュールを作り、組み合わせることができる状態です。パソコンやインターネットがまさにその典型例といえ、これはオープンモジュールと呼ぶのがふさわしいでしょう。

本論では、この「オープンなモジュール化」を念頭に置いてお話します。私がいう「モジュール化の終焉」とは、すなわち「オープンなモジュール化の終焉」ないし「オープン化の終焉」を意味します。

実はある程度のモジュール化は、IT産業に限らず、自動車や家電などにも共通してみられますが、これらのモジュール化が産業構造を変えるということはありませんでした。ところが、インターフェースが固定・公開される最終段階まで来ますと、産業構造は一変します。ご承知の通り、通信産業ではIBMやAT&Tといった巨大企業がすべて力を失い、その一部は解体して無数のベンチャー企業が立ち上がるようになりました。そうした地殻変動により、日本企業の国際競争力が大幅に低下したというのは事実です。そうした経緯から、モジュール化の最終段階に特に着目して検証してみます。

IT産業における「モジュール化」~なぜワープロは駆逐されたのか

モジュール型製品の圧勝――これがIT産業の歴史です。パソコンvs大型計算機、インターネットvs電話の例が有名ですが、同じ機能を持つ製品でもよりオープン化・モジュール化した製品が専用機に代表される統合化製品を駆逐してきました。

なぜ、ここまでモジュール化が進んだのか。実は、統合化製品にも利点はあります。たとえば、ワープロ専用機は特別な知識がなくても、誰でも使えるという利点があります。にも関わらず、こうした製品が瞬く間に市場から消えてしまった理由は何か――。

実はワープロ専用機が価格や機能においてパソコンに劣っていたという事実はありません。インターネット接続や電子メール、表計算まで可能な機種もありましたし価格競争力でも勝っていた。ワープロに唯一欠けていたのが、「拡張性」で、この点でパソコンにかなわなかった。ワープロは製造時に組み込んだ機能しか使えず、後から次々と出てくる新しい製品や技術に対応できないのに対して、パソコンはそうした将来の可能性に対して非常にオープンです。この「夢」に対して人々はお金を払っている、というのが1990年代当時の認識です。

技術革新の類型とモジュール化の関係

ここで技術革新の類型論を導入します。技術革新には2類型があるという仮説があります。1つは突破型革新で、新しい製品・産業分野がゼロからできてしまうような革新を指します。ワープロ、表計算ソフト、ブラウザ、電子メールなどがその例です。この型の革新が主体である場合は、オープン・モジュール型にして後から出てきた技術を利用できるようにした方が有利です。なぜなら、後からどんなすごい革新が現れるかわらかないのなら事後的に何でも利用できるオープン型が有利だからです。すなわち、突破型革新については、モジュール型が非常に適しているということです。それに対して、改良型革新は、既存の財・サービスを改良する革新を指します。この場合は、供給側がすべての調整を済ませて、統合し、安定稼動する形態が有利です。ゆえに統合型にしたほうがユーザーにとって使い良い製品ができやすい。

したがって、IT産業においてモジュール型が隆盛したのは、突破型革新が続けざまに起きたことに起因するという仮設が成り立ちます。問題は、はたして、これからもモジュール型が勝ち続ける状態が続くのかどうかです。

技術革新の2類型とセットになっている仮説として、技術革新のサイクル論があります。突破型革新が続く時期と改良型革新が続く時期とが、20~30年ごとに交代するという説です。仮にこの話が本当だとすると、突破型革新の時代は永遠には続かず、どこかの時点で改良型革新の時代に移っていく、したがって産業構造もまた変わってくることが予想されます。

過去にもそうした例がいくつかあります。自動車では、19世紀末にエンジンが開発されたのを皮切りに、シリンダー型の自動車の原型ができ、タイヤ、クラッチなどの要素技術が発明されるなど、突破型革新がしばらく続きました。しかし、やがて20世紀初頭にT型フォードという自動車の原型ができ、大量生産・大衆化の時代に入ります。その後は大きな設計変更はなく改良に次ぐ改良の時代です。家電も似たような経緯を辿りました。

IT産業の流れ~オープン・モジュール型の終焉?

実はIT産業でも同じことがいえます。1960年代から2000年にかけて、インターネット、電子メール、ワープロ、表計算ソフトなどの革新がしばらく続きました。たとえば、80年代と90年代とではITの使い方は激変しています。1990年と2000年を比べても、使い方は相当に変わっています。しかし、2000年以降は使い方に実感として大きな変化があるようには思えません。SkypeやSNSなどがあるにしても、これらはあくまでも「改良」の範疇に入るのではないでしょうか。

実際に、技術革新が減速していることの実証として、Kleinknechtの方法を応用して、それぞれの技術に関して「画期的な発明だったか」とユーザーに問う形式のウェブアンケートを実施しました。日経バイト約20年分の目次に登場した用語から技術や新製品を抜き出したリストをユーザーに提示し、それぞれについて「画期的だった」と回答した率をもって画期的度を測りました。

年月で追って見ますと、80年代は固定PCに関連した技術革新が相次ぎ、その後の空白期間を挟んで、90年代後半は移動体(モバイル)またはインターネットに関連した技術革新が並んでいることがわかります。

これらの画期的度に関するユーザー回答によると、固定PCに関する技術は1984~5年を境に減速していることがわかります。モバイル・インターネット関連技術に関しても、ここにきて減速しているように読み取れます。つまり、最近の技術革新であるほど画期的とされなくなっているということです。また、バージョンアップに伴う機能向上の度合いも、最近の製品になるにつれ下がっています。それに関連して、使わない機能が増えている、しかも最近に追加された機能ほど使われない傾向にあることもわかりました。

このように技術革新が減速しますと、オープン・モジュールにする利点が減っていきます。つまり、新しい機能を取り入れるよりも、安定性、使いやすさ、価格などが重視されるようになります。とりわけ、大衆ユーザーが登場すると、そうした改良型の革新に対する要望が強くなります。以下ではその統合化の例をあげてみます。

IT産業における統合化の例

1.携帯電話
携帯電話はパソコンと非常によく似た機能を持っています。PCとの唯一の違いは、あらゆる機能が一個のキャリアに統合されている点です。特にこの点に関して、日本製品の統合度が非常に高いのはご承知の通りです。

2.音楽配信(iTunesと携帯配信)、書籍配信
インターネットで音楽を配信する機能は以前からありましたが、すべてを自前でそろえる必要があることから、一般には広がりませんでした。それをアップルはワンセットでいわば統合して提供することでユーザーの利便性を飛躍的に向上させました。それをさらにISPやCPUまで統合したのが、日本の携帯配信です。アマゾンの電子書籍配信kindleもそうした統合化の例です。これらはいずれも1つの目的に特化して、パソコンにある機能を限定的に切り出し、まとめて(つまり統合化して)提供するものです。

3.パソコン
以前はさまざまなソフトを組み合わせた使い方がされていましたが、今はワープロ・ブラウザ・メールソフトなど基本的なソフトはすべてワンセットで組み込み済みになっているのが主流です。パソコンを買ったままの状態で使って、バージョンアップすらせずに、3年ごとに丸ごと買い換えるユーザーが増えています。このようなユーザーは、オープン・モジュールの利点は殆ど利用せず、ワープロ専用機と同じ感覚でパソコンを利用しています。

4.PC環境、クラウドコンピューティング
かつてメインフレームの時代には一箇所集中型・統合型だったコンピュータ環境がクライアントサーバモデルで自律分散型に向かう時代がしばらく続きましたが、ここにきて大学・企業などではセキュリティや管理のしやすさから逆の流れとなってきています。クラウドコンピューティングもその流れの上にあり、Googleがその先端事例といえます。

統合化への2つのアプローチとパソコンの携帯電話化

統合化には、データからアプリを通じて通信の方に進行するGoogle型アプローチと、パソコンから周辺機器を汲み上げてOSなどに進行する、パソコンを携帯電話化する型のアプローチの2種類があります。

携帯電話化したパソコンの具体的なイメージを考えて見ます。OSは非ウィンドウズ系のLinuxやTRONにして、アプリはオープンオフィス系にしてROMに焼くことにより、動作を安定させ、瞬間機動できるようします。基本ソフトに関しても同様です。さらに、通信機能をデフォルトで組み込むことで、ショッピングや決済も可能にします。一言でいうと「大きな携帯電話」です。そうして、ITに弱い個人や高齢者、限定した機能しか使わない企業ユーザーなどをターゲットに売り出します。

実はこうした機能限定型パソコンは2000年ごろにも出たことがありますが、すべて失敗に終わりました。これは時期が早すぎたことにあると思います。アンケートによると、現在ではセットアップの手間が要らず、トラブルが発生せず、起動時間が短い簡易パソコンに対する潜在的ニーズは意外に高い(2割から4割がそちらを選ぶ)ことがわかります。特に高齢者をターゲットにするとその割合はさらに上がり、普通のパソコンを逆転し、5割以上が統合型のPCを選びます。「何でもできる」「何でも使える」ことを、人々はもはや利点とは思っていないということです。

このように、IT産業ではモジュール化が潮流であり続けていましたが、大衆ユーザーの登場を背景に、これが逆流して統合型に戻る兆しが見られます。日本企業はそうした統合型サービスを得意としているため、この逆転はビジネスチャンスとなる筈でした。ところが、そういっているうちにiPhoneやiPadが出てきてしまったのです。日本企業からこれが出なかったのが残念です。

質疑応答

Q:

「日本企業にもチャンスはある」と言われますが、それがなかなか現実にならない理由として、どの辺りに問題があるのでしょうか。

A:

思い込み――。最大の問題は、「オープンでないといけない」「グローバル標準でないといけない」「独自仕様はいけない」「囲い込みはいけない」といった思い込みが過ぎる点にあると思われます。また、iPadのようなものは売れる筈がないという思い込みもありました。もう1つはリスクのある投資ができない経営上の問題がありそうです。

Q:

iPadにしてもiPhoneにしても、音楽配信や電子書籍配信など、単なる機能の統合を超えた、出版・流通の「仕組み」を組み込んだ製品となっています。逆に日本でiPadができなかった背景として、出版流通の仕組みを自由化する制度設計が無いという基本的な問題があるように思われます。

A:

ご指摘のような問題は確かにあります。日本の場合、仮にiTuneみたいなものができたとしても、音楽会社が容認しなかったように思われます。そうしたコンテンツ会社の協力姿勢に日米の違いがあるように思われます。違法コピーに対して防御的すぎる点が壁になっている印象です。

Q:

iPad・iPhoneは統合型の時代を象徴する製品なのでしょうか、それともモジュール型の最終発展形態ないし巻き返しを意味する製品といえるでしょうか。
日本が入り込める余地は。

A:

アプリはユーザーが自分で考えるオープン・モジュール方式ですが、それ以外の部分は統合化されています。何十万もの数のアプリがあるということですが実際に使うものはごく一部のはずで、いまや新しいアプリの魅力ないし求心力は下がっています。それよりは、「新聞と本が読めて、動画が見られる」という条件さえ満たせば、むしろ耐久性や防水性、使いやすさ、軽量化、ワンストップ化を求めるユーザーが多く、その部分に日本のチャンスが眠っていると考えます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。