ポートフォリオ転換の経営から見たケミカル産業の将来

開催日 2010年6月17日
スピーカー 蛭田 史郎 (旭化成(株)取締役最高顧問)
モデレータ 高田 修三 (経済産業省製造産業局化学課長)
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議事録

旭化成のこれまでの歩み

蛭田 史郎写真旭化成の2009年度の売上高は1兆4336億円、営業利益は576億円。2008年度のリーマンショックから持ち直したとはいえ、例年よりは低い数値です。売上の半分を占めるのがケミカル系であり、残りを住宅&建材、その他が占めますが、営業利益はケミカル系3分の1、住宅&建材3分の1、その他3分の1の構成となっています。

旭化成は時代の経済環境変化に応じて事業の枠組みを変えながら、維持・成長を図ってきた歴史があります。新中期計画(2011~2015年)では、医薬・医療とエレキ関係で半分以上の営業利益を稼ぐ会社となることを目標に、多角化を推進させる予定です。

これまでも成長の変遷を見ますと、旭化成の営業利益はオイルショックまでは日本のGDPを上回る成長率を示していましたが、それ以降はGDPを下回るようになり、1980年から2000年にかけてゼロ成長が続きました。そこで考えたのが、枠組み全体の再編です。

まずは選択と集中による、負の遺産の整理。これを1999年から2002年にかけて断行しました。次に進めたのが選び抜かれた多角化。これを2003年から2005年にかけて実施した結果、2社が赤字だった7つの事業会社を全て黒字化し、旭化成の業績もようやく回復しだしました。そこで、これからの成長路線として「グローバル事業の拡大」と「国内型事業の高度化」の2つを掲げ、現5カ年計画(2006~2010年度)で進めた結果、2008年度までにキャッシュフローとD/E比率を改善することに成功しました。配当も20年間6円だったのを一時は13円にまで引き上げました。

この中で1つ特記すべきなのは、グローバルNo. 1あるいはNo. 2の事業が利益の半分近くを稼ぐ会社になれたことです。

ポートフォリオ転換の経営とは

世の中の環境は必ず変化します。そこで、既存事業の落ち込みを見越して、次なる成長事業に着手する。これがポートフォリオ転換の経営の1つの視点です。

社会が必要とするものを提供して社会に貢献し、その貢献度に応じて利益を享受するのが、企業の役割であると認識しています。ポートフォリオ転換の経営にはそうした意味合いもあります。常に社会や産業構造の変化を先読みして、それに対応するために、経営体制も合わせて変革しながら、事業の継続的選択と集中を続けること。逆にそれを円滑に行わないと成長は必ず鈍化します。収益がジリ貧で低下する。そこで会社はコストダウンに着手しますが、究極のコストダウンは結局、海外移転になります。そうなると、国内の生産基盤がますます縮小することで国内の生産コストがさらに上がる、結果、収益環境が一層悪化するという悪循環が起きます。そうした状況に陥らないためにも、変化を先どりしたポートフォリオ転換を不断に継続する必要があります。

ポートフォリオ転換の具体的事例

ポートフォリオ転換の経営は、具体的には、1)不採算事業からの撤退、または売却、2)事業の構造改革、3)新事業の創出、4)グローバル化戦略、5)提携と買収、の5つの繰り返しを意味します。

いくつかの事例を紹介します。

事業からの撤退または売却に関する基本的考え方は、事業環境に対応できない事業はどうやってもだめだということです。「健全なる赤字」というのは一種の言い訳です。他社が手がけて利益が出るような事業はなるべく売却するようにします。そうした判断基準の結果、ナイロン衣料系繊維事業とアクリル繊維事業からは、国際競争力を失くしたという理由で撤退しました。酒類については当社でやる事業ではないと判断し、売却しました。食塩事業についても同様です。

自社で利益が出せそうな事業に関しては、構造改革をします。その例がナイロン66樹脂(N66)事業です。PBT樹脂への代替が進んだことを受けて、N66の今後の成長予測などを整理した結果、ガラス入り製品(コンパウンド)が主な収益源であることがわかり、それに特化することにしました。その結果、生産量は倍増し、収益もそれなりに計上しています。N66系3事業(原料、樹脂、糸)の場合は、タイヤコードの国内市場の縮小に合わせて事業規模を半分に縮小しようとしましたが、それでも赤字が続く見通しのため、3事業を統合して海外輸出を軸に事業展開するようにしました。その結果、タイヤコードは量が半分になるどころか逆に25%の増産を達成。収益もV字回復を達成しました。

新事業の創出は、新しい市場の出現と自社のポテンシャルがマッチングしなければならないのと、新規事業の分野の業態の形態なり考え方なりに会社を変えなければならないという2点が非常に難しい点です。

その1つの例がLSI事業です。私がエレクトロニクス部門長になった当時は、何十億円もの赤字を出していて、売却すら検討されていました。しかし、継続を決めたポイントとして、事業規模に合わせてファイン化領域を中程度のミックスシグナル領域に絞ったほか、LSI事業を単なるものづくり事業からデザイン・インを主眼とするシステム型サービス産業にする方向に発想転換した結果、2000年度は他のLSIメーカーがITショックのため軒並み赤字となる中で10%程度の利益率を確保できました。ファイン化(高性能化)を追及しすぎないことでかえって利益を上げることができた事例です。

グローバル戦略とは、海外輸出でも海外生産でもなく、グローバルマーケットないし世界シェアを軸とした経営判断を意味します。その例が国内市場の低迷と海外との価格競争を見越したDFR事業の中国移転です。

事業の提携と買収の代表例は、血液製剤のフィルター、プラノバの事業拡大です。製薬会社への一貫したサービス提供という観点から、必要なインフラを揃えるため、機器メーカーであるTechniKrom社を買収しサービス型事業への転換に成功しました。

以上から、ポートフォリオ転換の経営の要素として以下の4つを抽出することができます。
1.「スピード重視」――変化への対応の遅れは事業からの撤退を意味する
2.「事実立脚」――理念的・観念的な対応ではなく、根本的・多面的・長期的な対応を
3.「視点を変える」――従来の価値観や判断基準を離れると意外と解が見えてくる
4.「変化はチャンス」――環境の変化局面を新規事業のチャンスととらえる

日本のこれからの産業を考える

今、日本で多く議論されている「グローバル」は、所詮、「ドメスティック・グローバル」です。そこからまず脱皮することです。

ドメスティック志向の背景にあるのが高度成長期の成功体験です。これに政治も経済も人間の価値観もすべて支配されているところがあります。その当時は「世界市場」といっても日米欧の10億人程度で、そのうちの1割を占める日本市場を制覇することは非常に意味がありました。その延長線上で米国や欧州に輸出していたのを「国際化」といってきたのです。しかし、今や世界は40億人対象の市場です。そこで1億人を相手に勝っても殆ど意味がありません。その点、人口が4700万程度の韓国は、国内市場だけでは限度があるという認識から、始めからグローバル市場で勝負しています。日本もこれまでの成功体験から離れて、40億人の中で1億人がどのような役割をするかという発想に切り替える時期にきています。その際に「外需の内需化」がよくいわれますが、これも「ドメスティック・グローバル」の発想の延長にすぎず、将来の産業競争力を引き上げるには不十分です。

「グローバルな社会における日本の役割とは」――。この視点でものを考える必要があります。短期的には40億人を対象に全事業の枠組みを組み替え、世界でのシェアを勝ち取ること。長期的には現代の世界が抱えるさまざまな課題を解決し、それを事業化することが課題となります。

その観点からケミカル産業を俯瞰しますと、現在の世界が抱える資源の枯渇、環境悪化、高齢化、食糧危機といった問題は、化学産業の貢献なくして解決不可能です。この部分を産業として発展させるところに、ケミカル産業の今後の可能性があります。単に買い叩かれるだけの存在から、こうした問題解決に貢献しながら、その貢献度に応じて収益を上げていく構造に変える必要があります。

ケミカル産業のとるべき道

日本の汎用石油化学で今後大きな成長が期待できない以上、日本のケミカル産業としては、従来の汎用品経営型から高機能品中心の経営にシフトしていく必要があります。

ただ、高機能ケミカルズに特化するにしても、常に技術開発で先行すると同時に、世界のトップシェアを獲得して、また、三次元的な多角化を通じて世界市場を抑える努力を継続し、途上国の急追に備えなければなりません。

当該事業で世界のトップシェアを獲得するには、販売量だけではなく、コスト、品質、流通、テクニカルサービス、開発技術、顧客および顧客業界の情報など、あらゆる面でトップである必要があります。もう1つの鍵である新市場創出は、業界トップ顧客との提携や多くの関連事業体との協業が不可欠です。

高機能化のもう1つのアプローチである三次元的多角化の一例として、ベンベルグ(キュプラ)の事業展開があります。中空糸を使って、汎用品である断熱材繊維ではなく、人工腎臓に応用したり、他素材と組み合わせてアフェレシス治療やバイオ製剤プロセスに提供したりしています。原点はあくまでも素材ですが、たとえその比率が低くても、そこをルーツに新たな用途分野・応用分野での関連事業に展開していく戦略です。

とはいえ、汎用品に関しても、まったく無くすわけにはいかず、企業の統合・再編を通じて最低限のコスト競争力を確保するなどして、一定量の国内生産は維持する必要があります。一方、高機能品については国際的な適地販売、適地生産が原則であり、研究開発拠点も国内立地にこだわるべきではありません。そのため、採用、教育、処遇も国際化前提で行います。

最後に、国際競争力上のイコールフッティングの整備については、教育体系や民法を含めた対応が待たれます。日本企業が真にグローバルプレーヤーとして活躍し、世界経済と同じ成長率を取り戻し、維持していくことが、日本再生にとって不可欠です。その際に、ケミカル産業はあくまでもサポーター的立場ではありますが、非常に重要な役割を果たすことができると信じています。

質疑応答

Q:

ポートフォリオ転換の経営を進める社内組織は、社長主導(中央集権型)と事業部主導のどちらでしょうか。

A:

中央集権型か否かといった意識はあえて持たないようにしています。R&Dに関しては事業領域の研究は各事業部の責任とする一方で、融合分野や新しい分野については持ち株会社である新事業本部で統括しています。分野ごとにCMO制度とCTO制度を適用して、マーケット面を強化すべきCMOとコア技術を強化すべきCTOを特定し、それぞれ異なる運営体制を適用しています。ただ、持ち株会社の所属か、事業会社の所属かといったことに関係なく、分野ごとに1つのフロアで研究開発を進めています。

Q:

採用・教育・処遇も国際化前提といわれましたが、具体的にどのような取り組みをイメージしているのでしょうか。グローバル展開を徹底したとして、それでも「日本企業」という意識はやはり持ち続ける必要があるのでしょうか。仮にそうだとしたら、そのアイデンティティの源泉はどこに見出されるのでしょうか。

A:

採用に関しては、弊社ではここ数年間、毎年100人程度を中途採用していますが、海外枠での採用はまだ10人前後に留まっています。処遇については、たとえば米国の現地法人社長に現地の水準に応じて本社の役員(平取締役)よりも高い報酬を与えていますが、そうしたことを許容する土壌が必要です。昇進ルールや教育体系ももちろん重要です。

日本企業としてのアイデンティティの源泉は、多くはメンタルな部分に依拠すると思います。1つは、日本人として、日本で生まれ、生きてきたことに対する経営者の誇り。また、自身が生きてきた良き時代の環境を次世代に残そうとする経営者らの意思がそうしたメンタルな部分を構成していると思います。もう1つは、日本人特有の繊細さがあると思います。

Q:

御社では高機能素材を提供する一方で、建築素材が販売の3割を占めていますが、へーベルハウス事業は今後も続く見込みでしょうか。

A:

建材事業を100%存続させるかは、長期的な国内産業見通しも念頭にこれから検討しなければなりません。ただし、ヘーベルハウス事業は今後も続けるつもりです。2つの大きなメリットがあるからです。1つはB to C(企業対顧客)の非常に良い窓口となること。もう1つは、キャッシュフロー上の利点があります。全体の需要は縮小しても、周辺事業などを含めると、少なくとも今後10年間は今の利益水準を確保できる見通しです。そうしたグループ全体にとっての経営効果から継続すべき事業と考えています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。