米国における知的財産情勢 ~特許制度改革の現状~

開催日 2008年8月28日
スピーカー 澤井 智毅 (特許庁総務課情報技術企画室長)
コメンテータ 植村 昭三 (弁理士 (青山特許事務所 副所長・東京事務所長) /東北大学客員教授/元WIPO事務局次長)
モデレータ 佐藤 樹一郎 (RIETI副所長)
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議事録

米大統領候補の知財公約

澤井 智毅写真オバマ米大統領候補は、昨年11月に「次世代のための技術とイノベーション」を公約に掲げました。その中で知的財産については「国際競争力を確保する上で、適時に高品質な特許が不可欠」、「特許の予見性と明確性を高め、米国のイノベーションを促進する環境を構築する」と明言しています。また、米国特許商標庁(USPTO)のリソースの強化を訴え、「USPTOが特許の有効性について判断しうる低廉かつ適時の行政手続き」に関する議論にも言及しています。模倣品海賊版対策についても、中国での海賊版被害の具体的状況を記載しながら外国市場での知財保護に積極的に取り組む考えを示しました。また、このたび民主党の副大統領候補に指名されたバイデン上院議員は、全米音楽協会(RIAA)の立場に沿った法案を昨年提出するなど、プロ著作権として知られています。

一方、マケイン大統領候補も、この8月に技術公約を公表し、知財を大きく取り上げています。同候補もオバマ候補同様に、適時、高品質な特許を付与すべく、USPTOのリソースを強化し、質の高い審査官を育成する考えを示しています。また、やはりオバマ候補同様に、「知財保護は、グローバル経済下、イノベーターに重要」と位置付けています。加えて、「政府が有効な特許のみを付与しうる低廉かつ信頼性のある異議申立手続きを提供する」と明言しています。海賊版についてもオバマ候補と同様の立場にあるようです。

米国建国と特許制度

1788年発効の合衆国憲法の第1条第8節では、連邦議会の権限を以下のように規定しています。

「(八)著作者および発明者に、一定期間それぞれの著作および発明に対し独占的権利を保障することによって、科学および技術の進歩を促進すること」

1790年1月のワシントン初代大統領の初めての一般教書演説でも、新しく有用な発明の技術導入を奨励するように議会に求めています。その3カ月後には特許法が制定され、特許権の付与は特許委員会で国務長官、陸軍長官、司法長官の合議体により判断すると規定されました。後に第三代大統領となるジェファーソン国務長官(当時)が「最初の特許審査官」と呼ばれるゆえんです。特許審査制度は1793年に一旦廃止となり、無審査登録制度へと制度改正されましたが、その後、「無審査主義による4つの弊害」という上院報告書が発表されたことを受け、審査制度は復活し、1836年に米国特許庁が誕生することになりました。

知財への関心の高まりとPTOの拡充

現ブッシュ政権は知財に高い関心を示しています。実際、2006年版の大統領経済諮問委員会報告では、金融、農業、エネルギーなどと並んで「経済における知的財産の役割」と題する章が新たに設けられました。同報告は、知的財産分野の政策課題として、特許付与の完全性の追及と模倣品海賊版対策を指摘し、「より明確でより強化された知的財産権は、技術革新を促進。知的財産法は、引き続き米国ひいては世界の経済成長を促す」と結んでいます。

オバマ、マケイン両候補共にUSPTOのリソース強化を公約に掲げていますが、USPTOのリソースは決して乏しい訳ではなく、毎年1200人規模の特許審査官が採用されています。これは、日本の特許庁の審査部総員にほぼ匹敵する数です。予算も毎年1割弱で伸び、2009年度予算要求額は約2200億円にまで増加しました。その背景にあるのが、知財を使い国際競争力を確保するという、レーガン政権以降現在にまで続くプロパテント政策です。

出願件数が年平均8%で急増する米国は日本を超えて世界一の特許出願大国となりました。一方、増加する出願件数と審査件数の間に不均衡が生じ、毎年10万件以上の積み残しが出て、大きな特許出願滞貨につながっています。これを処理するには審査官が必要ということで、毎年1200人規模の審査官が高い処遇で採用されているのが現状です。

特許制度改革の背景

19世紀以来の抜本的制度改革といわれる現在の特許制度改革には、制度の国際調和、特許の質向上、過度な特許訴訟の改善の3つの目的があります。

~制度の国際調和~
世界知的所有権機関(WIPO)では1985年より特許法条約の交渉が進んでいました。日本は欧州と共に米国に制度是正を求め、1990年代に入ってから米国は一旦これに歩み寄ったものの、1994年1月にブラウン商務長官(当時)が「米国は先発明主義を堅持する」と発言したことで国際的議論は頓挫しました。この発言の背景には、ヒラリー・クリントンの指示があったとされています。そこで日本は米国との二国間交渉に軸足を移し、1994年の日米特許合意では米国からサブマリン特許是正の約束を取り付けました。しかし、約束事項は完全に履行されている訳ではありません。

~特許の質向上~
2003年には連邦取引委員会(FTC)が、2004年には全米科学アカデミー(NAS)が、特許の質低下によるイノベーション阻害を懸念するとしたレポートを相次いで発表しました。2006年2月の大統領経済報告経済諮問委員会も、著作権などの他の知財に比べ広範な保護がされる特許には、権利付与に際しての完全性が求められると指摘しています。

~過度な特許訴訟の改善~
他方、容易に特許が付与されながら、その特許権が非常に強いという問題もあります。既に述べた大統領経済諮問委員会報告には、一旦付与された特許権の有効性を争う場合、原告、被告それぞれに弁護士料が平均400万ドル(約4億円)かかるという現状が指摘されています。また、特許訴訟の数はここ10年で1.5倍に急増し、訴訟期間についても、無効までに特許付与から12年がかかっています。加えて、高額な損害賠償額・和解金の問題や、特許トロールの問題も、過度な特許訴訟の改善が求められるようになった背景にあります。要は、取るに足らない特許が付与されながら、その価値以上に強い権利が行使されているとの権利付与前後のアンバランスが問題となっているのです。

改革に向けた主要な論点

~損害賠償額算定~
包括的・抜本的な特許改革法案の主要論点の中でも一番大きな論点として挙げられるのが損害賠償額の算定、すなわち、巨額の損害賠償額をいかに減らすかという議論です。改正推進派はIT・ソフトウェア、金融業界です。1990年代後半に日本でも関心が高まり、日米で多数付与されたビジネス方法特許には、多額の資金を費やして研究開発しなくても特許がとれるという特徴があります。そしてそれが故に、IT大手企業が小企業や個人から訴えられるケースが増加しました。そうした訴訟の件数をいかに減らすか、あるいは訴訟が起きた場合でもいかに損害賠償額を減らすかにIT・ソフトウェア業界の関心が集まっています。

改正に反対するのが医薬・バイオ業界です。特に、医薬品業界では特許権1つが企業経営に大きく影響するため、損害賠償額が減ることで特許権の力が弱まるのではないかとの懸念が生まれます。米政府も、貿易相手国に権利行使の強化を求める中で米国が知的財産権を弱めようとしているとの誤ったメッセージを発信するのではないかと懸念し、改正に反対をしています。連邦巡回控訴裁判所(CAFC)も、損害賠償は個々の案件で判断すべきであり、法律で細かな規定をするのは望ましくないとしています。

~先願主義、下院にトリガー条項~
先願主義には米国産業界の多くが賛成しています。ただ、下院を通過した法案にはトリガー条項が入っており、同法案は、日本や欧州の特許制度が米国型のグレースピリオド(出願猶予期間)制度と実質的に等しい制度になったときに始めて先願主義を施行するとしています。ただ、米国型グレースピリオドに大きな懸念を持つ欧州の制度が米国の制度と一致するとは考えにくく、そのため、米国のユーザーの間では、先願主義について、規定はされたが施行はされない「画に描いた餅」になるのではないかとの反発が生まれています。

~グレースピリオド~
米国の場合、発表後1年間は特許出願を検討するための猶予期間として設けられています。一方、技術を共有財産と捉える欧州では、特許出願されていない限り公表された技術はパブリックドメインにあるもので、猶予期間は不要、という考えが一般です。このように、米国と欧州とで哲学が全く異なる中で米国型制度と合致させようとするのには無理があります。また、先発表主義的な規定も入っているため、果たして真の意味での先願主義となっているのか、という問題もあります。

~付与後異議申立制度~
異議申立制度とは、訴訟で権利の有効・無効を扱うだけではなく、特許を付与した特許庁自身が改めて特許権が特許に値するものかを公衆の意見を参考にしながら判断すべきだという考え方です。この制度の導入に関しては米国国内で異論はありません。問題となるのは、公衆からの異議申立のタイミングです。IT業界は長期的に異議を申し立てられる状況を望んでいるのに対し、医薬品業界は特許権が付与されてから一定期間のみを異議申立を受け付ける機会にすべきとの立場を取り、申立期間について大きな見解の相違が生まれています。背景には、いつ異議申立がなされ、権利が無効になるかが不明なままでは、事業実施に支障を来すとの医薬品業界の懸念があります。

~不公正行為、ベストモードの抗弁の制限の是非~
米国では、特許審査段階で不公正がなかったかが訴訟段階で問われます。このため、裁判となると、係争の的となる特許権がそもそも無効なのではないか、特許庁の審査官をダマして特許を取得したのではないか、という「言いがかり」が必ず抗弁としてなされます。こうした規定は訴訟を複雑にするため制限すべきだとの議論が現在行われています。

~先行技術調査の義務化~
特許出願にあたっては出願人自身が先行技術調査を行い、自ら特許性に関する分析をすべきとの規定を盛り込むようUSPTOや商務省が強く要請しています。知的財産権者協会(IPO)や知的財産法律家協会(AIPLA)はこれに強く反発しています。

~出願18カ月後の全件公開~
特許出願を日本や欧州のように全件公開するとの規定についても、後の権利発生の予見性を高めるとして米産業界の多くは賛同しておりましたが、下院本会議の当日に修正案が提出され、抜け道が用意されることになりました。全件公開制度の導入が、中国や日本、韓国からの模倣に繋がるとの懸念が一部議員にはあるようです。彼らは、全件公開制度の導入を「米国技術盗用法案」と批判しているところです。

改革に向けた議会審議

本法案は、賛成220、反対175で昨年9月7日に開かれた下院本会議を通過しましたが、反対派は「本法案は米国の技術を盗用させるものであり、中国やインド、韓国や日本が喜ぶだけの法案である」との考えを示しています。また、多くの修正案が当日になって提出されたことから、パッチワーク的であり審議不十分との批判も強く上がりました。加えて、改革推進派であった法曹界・産業界が反対派に回ったため、あるいは、総論賛成各論反対の立場を取るようになったため、上院での成立は非常に厳しくなっています。

今後の見通し

IT業界と医薬品業界の争いで特許改革法案審議に遅れが出ていますが、民主党が今回の選挙でさらに躍進した場合には、もう少し動きやすくなるのではないかといわれています。また、オバマ候補のみならず、マケイン候補も、ジェネリック業界に理解を示し、先発医薬品業界には厳しい態度を示しています。ですので、いずれの政権になった場合も、先発医薬品業界には不利な状況になるのではないかというのが印象です。

また、現在のUSPTOの幹部はユーザーにも応分の負担を負わせるべきだとのスタンスを取っており、ユーザーから強い反発を受けています。この点で、次期政権での長官を始めとする幹部人事にも留意する必要があります。

米国がプロパテントからアンチパテントへと移行するのではないかとの意見もありますが、実際は、技術革新(イノベーション)を促す上で必要な政策としてプロパテントは今後も維持継続されるものとみています。言い換えれば、制度改革の議論は、プロパテント政策を維持する上で、先に申し上げた権利付与前後のアンバランスや特異な制度利用を是正することを目的としたものといえます。

コメント

植村 昭三写真コメンテータ:
米国の特許制度改革はこれまで2度の大きな波を経験してきました。第1の波は1966年、先願主義に移行すべきとの提言がジョンソン大統領下でなされたときのもので、第2の波は1992年、先願主義に移行しても問題はないという提言がブッシュ(父)政権下の商務省諮問委員会からなされたときのものです。今回の米国の特許制度改革はこれに続く第3の波ではないかと考えています。さらに、今回の制度改正は、これまでの改正が知的財産コミュニティのプロ集団を中心とした動きであったのに対し、FTCやNASなどを含むより広い裾野で行われているという点で、従来とは異なるのではないかとも考えています。

不安材料としては、個人発明家の位置付け重視への巻き返しや、IT業界と医薬品業界の根深い対立等があります。また、とりわけ知財との関係で、巷間指摘されているようなプロイノベーションやプロコラボレーションへのパラダイムシフトが米国内で確実に起こっているのかも定かではなく、今回の制度改正はその観点からも注視したいと思います。米国特許商標庁のバックログ(審査未了特許出願)が100万件を超えたことが大きな問題の1つになっていますが、米国としてこうした国内問題にどのような戦略をとるのか、あるいは、最近のWTO閣僚会議の結果を受け、マルチに対する国際戦略が変わるのか変わらないのか等も未だ不透明です。

会場写真

質疑応答

Q:

一製品少数特許の業界(医薬業界)と一製品多数特許の業界(IT業界)では、知財の持つ事業影響力の構造が全く異なるため対立する、とは読めないでしょうか。

A:

ご指摘の通りです。問題の背景には、1件の特許だけで食べていける医薬品と、数千件の特許が入っているパソコンを、従来のように一律に差し止めて良いのか、権利を同等に扱って良いのかという疑問があります。これに対し最高裁は非常にバランスの取れた判決を下しました。今後は、権利行使がなされた場合、医薬品の場合は侵害者に差し止めを発令し、パソコンの場合は差し止めないで損害賠償だけで保障することもできると思います。この「一対多数」の議論は、差し止め規定に限らず、改革法案の議論の背景になっています。

Q:

米国の特許制度の構造改革において日本の国益、あるいは日本企業のスタンスはどうあるべきでしょうか。また、米国の制度改正に日本は備えておくべきなのでしょうか。

A:

今回、この法案が通れば、日本にとってのメリットは大きいと思います。まず、国際間での制度調和のための事項が多いため、日本の業界が米国で制度を利用する際の予見性が一層高まります。また、日本企業は米国市場で多くの特許権を持っているにも関わらず、その使い方としては守るケースの方が多く、米国企業に比べ特許権をまだまだ上手く行使していないのが現実です。ですが、守る側からすれば損害賠償額が減る、あるいは差し止めで柔軟な対応がされるというのは、やりやすい環境になると思われます。

後半の質問に関しては、どちらかといえば米国が日本や欧州の制度に近づいている形なので、グレースピリオドのトリガー条項への対応以外は特に日本が準備する必要はあまり無いと考えています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。