自殺のない『生き心地のよい社会』をめざして

開催日 2008年2月21日
スピーカー 清水 康之 (NPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表)
モデレータ 山田 正人 (RIETI総務副ディレクター)
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議事録

はじめに――自死遺族の声

自殺で家族を亡くした遺族(自死遺族)の多くは、大切な人を亡くした悲しさに加えて、極めて強い自責感に苛まれています。また、自殺に対する誤解や偏見に怯えて、自らの思いについて話せずに孤立するケースが非常に多いことから、遺族の悲しみはしばしば「沈黙の悲しみ(silent grief)」といわれ、結果、長いこと社会的にも放置されてきました。

そうした中、2001年に放送した番組NHKクローズアップ現代『お父さん、死なないで~親が自殺 遺された子どもたち~』で親を自殺で亡くした子どもたちが、どれ程つらい思いをしているか、またつらい思いと向き合いながらどう前を向いて歩み始めたか等、取材に応じる形で語ってくれました。自死遺児たちが「声」をあげてくれたことを契機に自死遺族支援に対する社会的関心が少しずつ高まり、やがて国会で法整備に向けた動きが活発化した結果、2006年に自殺対策基本法が成立。2007年にはそれに基づいて自殺総合対策大綱が策定されました。

ごく普通の人間が追い込まれた末に…

自殺の問題は日常の問題として捉えるべきで、問題設定の段階においては、敢えて専門分野の領域に持ち込むべきではないと考えています。自殺は私たちの暮らしの中で起きている社会問題であり、自殺で亡くなる人もごく普通の人間だからです。

自殺で亡くなる人が残す言葉には2つの共通点があります。1つは、「ごめんなさい」、「申し訳ございません」という謝罪の言葉。もう1つは、「もう生きていけない」という言葉です。「自殺者は死にたくて勝手に死んでいる」といった論調も見られますが、実際はそうでなく、本当は生きることを願う人間が生きていけない状況に陥って自殺している――否、自殺させられているケースが殆どです。自殺で亡くなる人の多くは、家族や友人がいて、小さな幸せを抱えて生きていくことを願うごく普通の人間です。ところが、そうした普通の人が、いじめ、過労、多重債務、介護疲れ等で追い込まれて亡くなっています。つまり、自殺の多くは決して「自発的な死」、「選択された死」ではなく、むしろ「追い込まれた末の死」であるということです。

日本では1998年から10年連続で年間自殺者が3万人を超えていて、自殺率も先進国中で最も高い状況が続いています(米国の2倍、英国、イタリアの3倍)。つまり90人/日のペースで、交通事故死亡者の実に5~6倍の数の人が自殺で亡くなっている訳ですが、自殺未遂者がその10倍、自殺ないし自殺未遂によって心理的影響を受ける人が周囲に5~6人いるとの前提で計算すると、年間150~200万人が自殺によって深刻な影響を受けていると考えられます。この状態が10年続いていることから、日本に暮らす実に6~7人に1人が何らかの形で自殺を体験しているともいえます。「自分は自殺するつもりはないし、自分の回りに自殺するような人はいない。だから自殺とは関係無い」とは決して言い切れないことがわかります。

社会的問題としての自殺

自殺の問題について話をするときに、つい「増えた/減った」という表現を使ってしまいますが、本質的な意味でいうと自殺者が「減る」ことはありません。たとえば、年間自殺者数が3万4000人から3万2000人になったとしても、自殺者が生き返ることはないので、「2000人減った」というより、むしろ「3万2000人の自殺者が新たに出た」と積算で捉えるべきだからです。また、「3万人」という数字がとかくいわれますが、その1人1人がそれぞれにかけがえのない個人であることを認識する、すなわち3万人という数字に「ひと」の存在を感じることが、自殺対策を進めていく上で最初の壁になると考えています。

自殺の背景にはさまざまな社会的要因があり、中でも過労自殺が30~40代男性を中心に増えているといわれています。また、介護疲れを苦にした心中もよく報道されます。こうした問題で実際に自殺する人数は、「追い込まれている人」としては氷山の一角に過ぎません。厚生労働省の調査研究によると、中小企業で働く従業員の1割が、1年以内に死にたいと思ったことがあり、また、介護に従事する高齢者の実に3割が死にたいと思ったことがあるそうです。

他にも、学校でのいじめ、多重債務、虐待、DV、セクシャルマイノリティへの差別、職場のいじめ・パワハラ等が、自殺の要因としてかなりのウェイトを占めているとみられ、こうした日常的な要因が極めて深刻化した、あるいは複合的に重なり合った結果、人が自殺に追い込まれていっているのです。自殺は決して特別な人が特別な理由で死ぬのではなく、むしろ私たちの日常と地続きのところで起きています。また、自殺者の手前には多くの未遂者とさらに多くの「生き苦しい」と感じる人たちがいて、そうした「生きづらい」社会の中で私たちも暮らしている訳です。それだけ、自殺は非常に身近で、私たちの社会と深くかかわる問題であると考えます。

自殺対策=「生きる」支援

社会的要因が深くかかわる自殺は、社会的対策を通じて防ぐことができます。実際にWHOは自殺を「避けられる死(avoidable death)」であると規定しています。フィンランドは国家プロジェクトとして自殺対策に取り組んだ結果、10年間で自殺者を30%以上減らすことに成功しました。日本でも自殺率が最も高い秋田が自殺対策を積極的に推進した結果、2006年から2007年にかけて自殺者数が年間ベースで70人以上減りました。

自殺対策を「生きる支援」、「いのちへの支援」と捉え直す発想転換が、今後対策を進める上で重要です。つまり、本当は生きたいと願う人たちが生きる道を選択できるよう支援する、生きる上での障害を取り除く、という視点です。

そこで重要なのは分野にとらわれない支援です。自殺対策は、うつ病、借金、過労、いじめといった専門分野の中で捉えられがちですが、自殺者の多くは複合的な要因を抱えています。しかも、理由が複合的な程追い詰められやすいという傾向があります。そこであまりにも専門性を高め過ぎると、専門家同士の横の連携がとれにくくなり、たとえばうつ病への処方はされてもその根本的原因である失業・生活苦や人間関係は解決されずに残るといった状況が出てきます。複合的な問題を抱える個人には、専門家が連携して当事者の視点に立った包括的な支援をする必要があります。

生きやすい社会づくりへ

自殺総合対策とは「生きる支援」を総合的に実施することを意味します。ここでいう「総合的」には、水際の自殺対策において分野横断的な措置を講じていくこと以外に、自殺の背景にある社会的要因への対策を講じていくという意味合いがあります。グレーゾーン金利の上限引き下げ、生命保険や連帯保証人制度の制度的見直しもそうした対策に含まれるでしょう。

個人対個人での取り組み(カウンセリング等)が「点の対策」、グループでの取り組み(分かち合い等)が「線の対策」であるのに対し、自殺総合対策は社会全体で行なう「面の対策」であると考えます。

自殺対策は地域づくり、社会づくりでもあります。自殺に追い込まれる人たちはそれだけ地域や社会において「生きづらさ」を感じている筈ですので、その正体を見極めて対策を講じていけば、自殺の手前にいるかもしれない私たちにとっても生きやすい地域社会の実現につながります。となると、すべての人が自殺対策に関係することになります。

そうした意味において、自殺対策は特別な人を救うための限定的な施策では決してなく、むしろすべての地域住民にとって、追い詰められ感の少ない「生き心地の良い社会」、自分自身であることに満足しながら生きられる社会を構築していくための有効な切り口になると考えています。自殺対策に有効なネットワークは自殺要因となっている個々の社会問題にも対応できる筈だからです。

自殺対策において必要な心構えとして、まずは自分自身の限界を認めること、それから、他者とつながることの可能性を尊重することが重要だと思います。専門家である程、自らの能力・技術で解決しようとする傾向がありますが、自殺のような複合的な問題に対処するに当たっては、「できる」、「できない」を見極めることが非常に重要です。そうした上で外との連携を図れば、そこに新しいつながりが生まれ、より多くのことが可能になると思います。

「新しいつながりが、新しい解決力を生む」――縦割りの中で非常に粗くなったセーフティネットの網の間から零れ落ちるように人が死んでいく現状を見て作ったモットーです。それから4年が経過したいま、このモットーは確信に変わっています。

質疑応答

Q:

実際に「つながり」でどれだけの人が救えるのでしょうか。普通に考えると別の選択肢や逃げ出す手段があるのに自殺するケースも散見されます。そうした人たちは「つながり」だけでは救えないと思われますが。
また、残された人に対してはどういったケアが一番有効でしょうか。

A:

実際には救えないケースも多いだろうと思います。ただ、救える命は確実にあるので、特に「助けて」と声を上げている人に対しては、よりきめ細やかな支援をする必要があります。自殺者は1997年から1998年の1年間で8000人以上も急増し、現在にいたるまで高止まりしていますが、この8000人は主に経済的問題によるものといわれていますので、その分は債務救済等の存在を知らせることで救えるかもしれません。
遺族を含め周辺の方へのケアは極めて重要です。残された関係者の殆どが強い自責感を覚えますので、彼らを孤立させないこと、それから必要に応じてDebriefingを行なうことも必要です。特に地域社会で声を出しづらい状況にある遺族に関しては、そうした「分かち合いの場」を設けることが重要です。

Q:

行政側でも「つながる」努力は随所でしていますが、現実的にはかなり厳しく、霞が関でいくら連携しても現場は従来通りの縦割り構造となっています。たとえば子どものいじめ自殺の場合でも、教育委員会、厚生労働省の児童相談所、警察の少年サポートセンター、法務省の少年院といったネットワークがばらばらにかかわっていて、末端では個人情報すら共有できない状況です。また、民間でも幼稚園と保育園との縦割りがあります。英国のワンストップ就労支援サービス施設「コネクションズ(Connections)」等の成功例に倣って、日本でも自治体への一元的委託・リソース集中化をしてみてはと考えますが、その点についてはどうお考えでしょうか。

A:

確かに連携をとりつけるのは大変ですが、「つながる」ことの意義を一度認識してもらうと、それからは相乗効果もあってスムーズに移行するケースもあります。当面はとにかく現場に入っていって、現場に近いところで問題解決能力を持った人が活動できる状況を市区町村で作ろうとしているところです。
現場に問題解決能力のある人が入って、現場本位の対策を講じられる仕組みを作れば、縦割りの中においても「必要な支援」をそれぞれの分野から引き出して現場に充てていくことができるはずだからです。

Q:

遺書を残す自殺者の割合はどの位でしょうか。また、未遂者が自殺者の10倍に上るとのことですが、どのような原理に基づいて算定しているのでしょうか。水際対策で1人を助けるのに要するコスト等の試算はありますか。
また、中高年の自殺に関しては企業風土がかかわる部分が大きいと思われますが、そうした観点から民間で企業をウォッチング・ランク付け等をするのも有効と思われます。
さらに、複合的な問題を抱えた当事者のための緊急のシェルター、できればホテルと病院の中間のような施設が必要と考えますが、具体的なプランはあるでしょうか。

A:

水際対策のコストや未遂者の実数にしても、実態は何もわかっていないに等しく、「10倍」という数字も米国の研究をそのまま引用しているに過ぎません。日本では、本当の意味での自殺の実態調査が未だに実施されていず、「3万人」、「経済的要因」といった情報も警察が捜査で知りえた情報を整理して発表した統計データに過ぎません。自殺の要因にしても、つい昨年まで択一の選択方式でしたので、実態を正確に反映しているとはとてもいえません。
企業だけでなく自治体に対するウォッチングも必要で、共に実施できればベストだと思います。後者に関しては、当方で都道府県に優先して一昨年より実施しています。
また、ライフリンクとしては、現在進行中の「自殺実態1000人調査」(東京大学経済学部の研究チームとの共同研究)にて、自殺に関する誤解や偏見の解消を図ると共に真に効果的な対策を見出す観点から、遺族の方への聞き取り調査をして実態把握に努めています。今年6月に中間発表、来年3月に最終的なまとめをする見通しです。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。