“ロンドン、リスクを取る人たち” ―産業金融リスク

開催日 2007年10月16日
スピーカー 佐野 圭作 (Japan England International Services Group グループチェアマン)
モデレータ 勝野 龍平 (経済産業省地域経済産業グループ地域経済産業審議官)

議事録

英国のリスクテーカーとその歴史

英国のリスクテーカーの歴史はロイズ保険組合の起源にまで遡ります。

「ウィキペディア」(ウェブサイトのフリー百科事典)によると「ロイズ」とは「イギリスのシティ(金融街)にある保険取引所、またはそこで業務を行なっているブローカー(保険契約仲介業者)およびアンダーライター(保険引受業者)を含めた保険市場そのものを指す」と説明されています。

このロイズの起源となったのが、エドワード・ロイドが1688年頃にテムズ河畔にある船舶場の近くで始めたコーヒー・ハウスです。ここに集まった船舶会社や貿易会社の関係者が、やはり同じくコーヒー・ハウスに来たシティの資産家に、海賊被害等により発生する損害のリスクを引き受けてくれないかと申し出たことで商売が始まりました。資産家は引き受けたリスクがかなりの額に達した時点で別の資産家とシンジケートを組みリスクを分散するようになりました。このようにしてコーヒー・ハウスにはいろいろなシンジケートが現れるようになりました。コーヒー・ハウスのウエイターは書類手続きを行なったり、シンジケートに所属する個人からサインを取り付けたりするという仕事を担当しました。このウエイターがブローカーへと発展し、マーケットであるロイズが形成されるにいたったようです。

当初は船の保険を中心に扱っていたロイズも、時代が進むにつれノンマリンの保険も扱うようになりました。このノンマリン保険の父親ともいわれるカスバート・ヒースは1906年のサンフランシスコ大震災の際に約款条件を問わず全額の支払いを図ったといわれています。これにより、ロイズは米国の絶大な信用を勝ち取り、米国からの保険需要は大きく伸びました。ヒースはこの時点で、保険の引き受けに際し過去の損害に関するデータを購入し、損害率等の統計を導入し始めていました。まさしくリスクテーカーのあるべき姿といえるでしょう。

日本での再保険事業

「再保険」とは保険会社が元受けで引き受け、集積したリスクを別の保険会社にヘッジングする取引を指します。再保険を引き受けた保険会社がそのリスクをさらに別の保険会社に分散することを「再々保険」といいます。代表的な再保険会社には英国のロイズ保険組合、ドイツのミュンヘン再保険会社、日本のトーア再保険株式会社等があります。

日本には欧米のような(保険会社以外の出資による)民間の再保険会社はまだ存在しません。トーア再保険株式会社は株主がすべて日本の保険会社であることから、保険会社のインハウスの再保険会社であるといえます。同じく、日本地震再保険株式会社も、日本の保険会社が株主であり、また、国が再保険をバックアップしていることから、国が管轄する保険会社と考えるべきでしょう。

日本の損害保険会社の再保険収支は出再保険も受再保険も過去10年にわたり赤字が続き、2003年度には最大で1865億の赤字を計上しています。また、2005年度の日本の再保険収支では、火災種目の出再保険料に対する回収率の低さが目立ちます。同種目の損害率は48.1%と、引き受け手にとっては大きな儲けになっています。航空種目でも海外の保険会社の側に膨大な収益が生まれています。こうした日本の航空保険は独占禁止法の適用から除外されていて、そこでは、日本の保険会社の体力が弱かった時代から続く航空保険プールが現在でも行なわれています。海外の航空保険専門の一部ブローカーからは、先進国でこうしたプールを行なっている国は日本以外に殆ど無いとの意見も聞かれます。現在の保険会社が相当の資産力や担保力を付けていることを考えれば、単独で競争して再保険を買うことも十分可能な時期にきていると思われ、多分に検討の余地はあると思います。

保険販売状況の日英比較

英国の保険業界では海外からの収入保険料が約10兆円近くに上ります。このうち再保険収入は2兆円近くを占めます。なお、損害全種目保険(general insurance)では保険会社からの直販が10年前のほぼゼロから2005年には31%まで拡大して、ブローカーのマーケットシェアが54%から32%に下がっています。日本での保険会社からの直販は5~6%程度ですが、近年、急速に伸びていると聞いています。日本の保険会社は今後とも直販をより積極的に展開すべき時期にきているのではないでしょうか。代理店が入ることのメリットも消費者の観点からじっくりと考えるべきです。

さて、日本の保険は2006年度で代理店扱いが93%と圧倒的で、ブローカーである保険仲立人扱いがわずか0.3%、直扱いが6.7%という数字になっています。代理店とはあくまで保険会社の代理人であって、顧客の代理人ではありません。顧客の代理人はブローカーです。ただ、日本のブローカーには海外のブローカー程の力はありません。日本では顧客の代理人としてのブローカーの制度が整備されていないのです。もちろん、個人の自動車保険等は直販でも十分ですし、これからは銀行の窓販が増えていくので良いと思いますが、企業の活動がこれだけグローバル化する世界では、代理店対応のみでは限界が生じてくるでしょう。今後は、保険に関する専門的助言を企業に与えるアドバイザーが不可欠となります。

リスクテーカーを取り巻く状況――日英の違い

ところが欧米で活動をするような、いわゆる専門職としてのアンダーライターが殆ど存在しないのが日本の実情です。

prospects.ac.ukというサイトではアンダーライターを次のように解説しています。

「…保険リスクの引き受けをどの条件で引き受けるかを決める者で、判断は過去の損害歴等を含めたリスク要素を顧客から得た上でなされる。通常条件引受か、制約条件付きか免責条件付か、そして再保険の手配も決める」「『最終目的として』引受会社の損害を最小に留め、利益拡大を目指す」

では日本ではどうでしょうか。

かつて日本がタリフマーケットであった時代には損害保険料率算出会の算出した料率が全保険会社に一律で適用されてきました。現在は一律適用でこそありませんが、損害保険料率算出機構が一定の基準、すなわち「合理性」、「妥当性」、「不当に差別的でない」という「保険料率の3原則」を設け、その原則により参考純率と基準料率が算定されています。そして保険会社がこの参考純率を使う際には金融庁の認可が必要となります。こうした環境で市場の競争理論が制約されることは必定で、アンダーライターが民間に育つ余地はありません。

民間での保険契約が自由化されている英国では、個別商品の料率を当局に届け出たり当局からの認可を得たりする必要はありません。その根底には民間の事業裁量という徹底した考え方があり、民間は自由責任の下で適切な保険料率を算出しています。このように、顧客はより安い保険会社を選択できるので、保険料の取り過ぎといった日本で起きるような問題は英国では考えられません。

ある英国人は「日本は民間が統治支配(rule)され、反すると罰せられる(punish)風土である。我々は規制(regulate)はするが、民間の事業発展を図る(encourage)やり方だ」と述べていましたが、私もその通りだと思います。

そうした英国ではアンダーライターの育成に制度面から多大な努力が払われています。一方、日本ではアンダーライターの資格制度は未整備です。欧米で活動するようなアンダーライターを育成する環境はまだ日本には無いようです。

日本の産業金融(保険)リスクについて――将来に向けた提言

日本の産業では、自然環境への変化(特に温暖化)による風水災害の増加傾向や地震災害の頻発、テロ戦争等の巨大リスクに関して、保険会社以外への対応(リスクの自己保有、Captive、デリバティブ、Cat Bond、ファイナイト、コンティンジェント・デット/コンティンジェント・エクイティ)が図られています。ただ、損害率が低い場合は、わざわざCaptiveを設立するよりも自己保有する方がコスト効率が良いといえます。そうした判断をするにあたり国内の保険会社と直談判して、料率を下げてもらうよう交渉するのがブローカーですが、子会社の代理店に対してはそこまでできないのが現実のようです。また、代理店を使ったAgency Captiveでは代理店の側に手数料の取り過ぎがみられます。代理店にそのように高い手数料を払えるのであれば、顧客への保険料を下げるべきでしょう。

日本が資本力や技術力に乏しく、海外資本に頼る時代は過ぎ去りました。これからの日本には巨大リスクを転嫁する独自の仕組みが必要です。貿易外収支で海外に流れる資金を日本に還流させる仕組みも必要です。そこで私は日本版の、民間資本による再保険会社を国家事業として設立する構想を提案しています。

質疑応答

Q:

ご提案の構想について、国内の反応はいかがですか。

A:

構想そのものへの賛同はかなり多く得られていますので、今後は本拠地をどこにするのか等、具体的に詰めていきたいと考えています。本拠地に関しては私はできれば日本に置きたいと考えていますが、日本には英国等と比べて資産運用やコンプライアンスの面で制約が多いのも事実です。ですので、今のところは、ロイズマーケットとの共同体制を考えています。

Q:

個人が損保・生保商品を買う場合、日系ではなく欧米系の保険商品を選んだ方が未払いリスクをより確実に防げるのでしょうか。

A:

日本の保険会社の未払いの背景には、保険会社の売上偏重主義とそれに伴う従業員の過重労働が指摘されます。支払いの詳細にまで配慮する余裕が無いというのが現状のようです。また、代理店の商品知識も不十分です。根幹部分で商品競争をしていないのが原因だと思いますが、一方で日本の保険商品は種類や付随特典が欧米系と比べものにならない程多い点も認識しておくべきだと思います。

欧米系の保険商品は単純でわかりやすいといえますが、彼らは基本的に損害率の高いところには手を出さないことを考えれば、欧米系の方が必ずしも安いとはいいきれません。

Q:

日本の民間保険会社の料率に関する裁量権が制限されているのは、行政の意図があってのことでしょうか。また、日英での裁量権の構造的差異は、消費者の受益にどういった違いをもたらしていますか。

A:

日本の行政は消費者保護の観点から料率の裁量権を制限したと思われます。その分、保険会社が料率を下げるインセンティブも弱まりますが、同時に、過度な競争で保険会社が破綻してしまわないようにするという面もあるのかもしれません。

市場原理で動く英国の保険業界では、新しい保険会社が次々と誕生する一方で、倒産するケースも多くあり、保険料率は不安定に波打っています。保険会社の倒産件数の少ない日本には平均して安定しているというメリットがあります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。