知識国家論の構想

開催日 2003年4月15日
スピーカー 野中 郁次郎 (一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授/元RIETIファカルティフェロー)
モデレータ 泉田 裕彦 (RIETIコンサルティングフェロー/国土交通省貨物流通システム高度化推進調整官)
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議事録

知識国家と知識創造のプロセス

(泉田氏)
本日は冒頭私の方から少しお話をしまして、それから野中先生にお願いしたいと思います。

野中先生といっしょに、知識国家の構想ということで研究を始めたのは、1999年、まだ経済産業研究所が国の一機関で通商産業研究所と呼ばれていた時のことです。知識の交流を行うことによって、腰の強い政策形成をしていくにはどうしたらいいか、企業の競争力ということを考えるとナレッジ・マネジメントという手法がプライベート・セクターでは取り入れられていますが、パブリック・セクターでナレッジ・マネジメントを適用したらどうなるのか、という問題意識を持って始めました。コンセプトとしましては、まず知識国家とは何かといいますと、様々な賛成意見、反対意見など対立する概念を革新的に組み合わせながら、より大きな次元の知識を生み出していくというプロセスを実現する国家、と定義しました。知識国家といっても、中央政府だけを念頭においているわけではなくて、政策形成とか、地方自治体の経営、大学での研究活動、企業体産業の基準になる知識、国防戦略なども、知識国家の要素になっていくのではないかと思います。

これをモデルにしてみました。

[図 綜合の円錐モデル]

いろんな知識や意見、これは必ずしも表れているものだけではなく、個々人の中の暗黙知なども含めてですが、意見を戦わせる中でそれを1つに集約する方向を探っていく、そして綜合点が見出されてもまた別の次元の対立意見や新しい概念が出てきて、それによって新しい知識が創造されていく、というように、より広い次元での知識創造が行われていきます。このプロセスをどういう風に活性化していくか、これを企業だけではなく、国家に適用することによって、より腰の強い政策形成ができるのではないか、と思うのです。

対立する概念をただ足して2で割るだけでは知識創造にならないわけで、次の過程に昇華させていくにはどうしたらいいか。そこに必要な要素としては、意見を戦わせる場がとても重要です。その1つの場に暗黙知、社会全体に存在する形式知、ビジョンを入れ、リーダーシップとインセンティブを与えることによって、新しい知識に昇華させていく、というメカニズムです。この綜合力をいかに構築していくかによって、それぞれの組織や国家の競争力が変わってくると思うのです。

適切な政策形成の「場」の設定

政策形成にこれを当てはめてみるとどうなるかということで、4つ挙げてみます。1つ目は、いろいろな知識を活用しないといけないので、行政官だけの知識ではなく、NPOや大学等の知識も活用する必要があるでしょう。2つ目は、審議会という場がありますが、審議会は人数が限られる、メンバー構成が業界代表やマスコミ関係などある程度固定化している、それぞれ利益団体の代表なので、限られた時間の中で、純粋に国益のために議論ができるかという問題などがあり、審議会の運営の仕方も設計し直す必要があるのではないかと思います。3つ目は、中央官庁のエージェント制ですが、各官庁から集めてきたエージェント、横のつながりの中で新しい政策を出していく。これは間接的な手法で、行政官が吸い上げた知識を昇華させるというものなので、これでいいかどうか、検討の余地があります。4つ目に、制度の見直しということで、情報公開法、国家公務員法、国家公務員倫理法、人事ローテーションについてです。いろいろな知を融合させていくということは、政策形成をするうえでも、情報発信をしていかないといけません。しかし、国家公務員法による守秘義務との関係はどうなるのか。また情報公開法は基本的に請求のない情報は出さないというものです。ですから個人的に情報を引き出せても、それが組織に対する裏切りということにもなりかねない、そのリスクを各行政官が持つということではなかなか積極的に情報を発信できません。国家公務員倫理法については、かつて暗黙知の吸収において、夜の会合の役割が大きかったのですが、今はそれが禁じ手になっているわけです。その意味ではこの法律はちょっとマイナスになっているようで、暗黙知の交流をどのようにするかということを考えていかないといけません。人事ローテーションの問題は、2年に1度のペースでどんどん交代してしまうと、各産業界のエージェントの機能を果たせるのか、専門的な知識を活用できるのか、ひいては国の組織が各産業界のエージェントの機能を果たしているのかなどの問題があり、若干検討の余地があると思います。

いろいろな制約がある中で、政策プラットフォームというのを考えてみました。

[図 政策プラットフォームと代議制]

有識者の中で、積極的に参加してくれる人による政策形成の場を提供していきます。ITも活用しつつ、直接集まって話しをする場と組み合わせ、政策形成の場を現在のフレームにとらわれずに、意見を言いたい人が言えるような場を提供していく。この経済産業研究所もそういう場になっているのではと思います。これにより、更に昇華された政策が出てくるのではと思います。では、議会はいらないのではないか、という話しが出てくるのですが、議会は全国民の代表ということで正当性があります。政策形成の場から出てきたものは合理性が高いかも知れませんが、必ずしも全国民の代表とはいえません。だから強制力はもたせられません。やはり正規の民主主義の手続きを踏まなければならないでしょう。ただ、政策形成におけるリーダーシップをになうような仕組みをどうつくっていくか、というのは、競争力のある政策形成に重要な役割を果たします。これは議会にはとってかわれないものです。

「知識国家論序説」について

以上のような研究の成果として『知識国家論序説』を出版しました。簡単に紹介させていただきます。
第一章「知識国家の構想」では、どうすればより競争力のある国家が出来ていくのか、という話しです。
第二章「政府の機能と情報化による知識創造の場の拡大」では、政策形成の場はどう構築していけばよいのか、現在使われているもの、課題も含めて述べています。補論として、ITによる場の設定で、「匿名掲示板の動向」をとりあげました。
第三章「ポスト開発主義の政策決定と社会的知識マネジメント」では、今まで主に霞ヶ関、永田町で政策決定されてきましたが、新たな政策連合の可能性があるのではないか、政策決定に関するモデルを提示しながら、現状を分析しています。
第四章「組織を超えた知識創造と政策形成」では、オープンコラボレーション、組織を超えた知識創造はどのように行われるかという話しです。
第五章「ナレッジ・ダイナミクスの発見」では、日米ベストプラクティス企業の実践に見る発見とパブリック・セクターへの示唆ということが書かれています。
第六章「戦略環境の変化と軍事組織の対応」では、軍事戦略から見た知識改革についてとりあげています。
第七章「NPO法成立過程―改訂・政策の窓モデルによる分析」では、実際のNPO法成立過程について述べています。
第八章「社会的合意形成における複雑性の縮減メカニズム」では、原子力発電をめぐる社会的合意形成について書いています。

国家における知識とは

(野中氏)
私は経営学をやっていまして、かつてカリフォルニア大学バークリー校で、ノーベル経済学賞をもらったハーバート・サイモン先生から教わりました。サイモン先生は行政学から始まって、基本は、行政プロセスは情報処理プロセスであるという命題で、私もその影響をかなり受けたのですが、イノベーションの問題にとりかかった時、どうも認知能力の限界から情報処理の効率化をはかる、というのとは、ちょっと違うのではないかと思ったわけです。私は、情報処理から知を創造するという概念で、国家の政策過程は情報処理過程とか意思決定過程ではなくて知の創造過程である、という命題を出したわけです。

では、国家における知識とは何かということで、まず知の性質としては、1番目に全人的な、心身性のものであり、全て言語で表現できる知だけではないということ、特に暗黙知が重要です。2番目に時間・場所・人との関係性の中で意味が生成され、しかもダイナミックに構成される、動的関係性です。3番目に多視点から真理に近づく能力、寛容性です。

そして、知の定義としては、個人の信念やスキルを「真理」に向かって正当化していくダイナミックで人間的、社会的なプロセス、みんなでつくりあげるもの、ということです。

知識国家論の命題は、政策過程そのものが知識創造過程である、ということで、では、これを支援・促進するマネージメント、リーダーシップは何かという話しになるわけです。

真理に向かって正当化していく運動体ということで、もう1つ重要なのは有効性、結果が役に立つかということです。理想を持ちつつも実用主義的でありたいと思っています。その上でどういう風に知の創造過程を展開していくか、ということになると思います。

知識創造と「場」

次の図は知識創造を暗黙知・形式知によって単純化したSECIモデルです。

[図 SECIモデル]

社会学のギデンズという人の構造化理論に共通項があるのですが、この3つのプロセスを動きながら、個人、集団、組織、そして環境を変革していきます。環境から知を摂取していく基本は個人で、それは国家に応用しても変わりません。マックス・ウェーバーは個人の動機や行為を説明できなければ、社会の説明はできないという立場で、一方構造理論からいえば、それは関係ない、環境が決めるのだ、ということで、対立しているのですが、ギデンズの理論では、個人は環境と対立していないとしています。とりわけ経験は全ての矛盾を受け入れ、環境は身体知として埋め込まれるという発想です。しかし、そのままでは概念化も理論化もできません。徹底的な対話や分析によって形体化し、世界に発信して環境を変えていく。環境に影響をうけつつも、個人が世界に影響を与えていく、そういうものだと思うのです。そして、その中心になるのが「場」です。

知の創造は、共同化(S)、表出化(E)、連結化(C)、内面化(I)の4つをいかに早く回転させるかにかかってくると思います。それを今までは企業レベルでやってきたのですが、国家に応用してみたらどうなるだろう、何かが見えてくるのではないかと思ったわけです。

もう1つ重要なのは、「場」なのですが、今お話ししたSECIモデルは活動プロセスなのです。知は場の中でしか価値が表れてきません。特定の時間・空間における人との相互作用(身振り、話法、行為、雰囲気)のなかで、暗黙知は可視化されてくるものです。SECIに常にエネルギーを注入していくのが、場なのです。場は職場とか、仮想的な場(電子メール、TV会議)、プロジェクト・チームなどいろいろあると思いますが、多様な場が重層的にある、というのがまた重要だと思います。

では知の生産性の高い、よい場の条件とはなんだろうかというと、(1)意図・方向性・使命を持つ自己組織化された時空間、(2)開かれた境界、(3)多様な背景、視点を持つものとの創造的対話、(4)時間・空間のみならず、自己をも超越する組合せ、の4つが挙げられます。具体的には、いつもアイディアを生み出す人、それをふくらませるコーチのような人、プロデューサーのような人、こういう役割の三角形を考えています。その中でも、このようなお互いに矛盾するような条件の中でバランスをとっていく、プロデューサーのような人の役割は重要です。時間・空間・人の動きを意識しながら、どこかで求心力を維持し、バランスをとっていく。そういうプロデューサーが必要です。場をリードするリーダーシップが必要ということです。

知の創造過程を考えた時に、知の性質、知を創造するプロセスの理論化、それを設定する場、最後にその場のリーダーシップ、という枠組みで考えてみました。

知識国家への展開

知識国家への展開ということで、7つ挙げます。(1)知識ビジョン、(2)知識資産。知識国家のコストは何かといいますと、人と人とをつなぐ相互作用のコスト、とりわけそれぞれの思いを正当化するコストが重要になります。そういう正当化コストの削減には、社会関係資本(愛・気配り・信頼・安心感)が蓄積されている組織、地域、国家が役に立ちます。知識資産は見えませんので、これと物理的資産の相互作用をどう考えるかです。(3)重層的な政策形成の「場」。場をどう設計するかですが、中央政府では、産官学超境界の相互作用の場、自治体行政ではクラスター(仲間づくり)、ITなどがあります。(4)インセンティブ・システム、(5)クリエイティブ・ルーティン、これがないと持続的な知の蓄積ができません。絶えず自己を超えていくという型、民主主義の高い質のルーティンに綜合される必要があります。(6)自律分散型のリーダーシップ、(7)知識基盤外交安全保障システム、です。

今後の課題は、「序説」から「論」へということで、知識国家の世界システム、経済システム、社会システムとの融合、知識国家の価値意識の生成過程の研究などをしていきたいと思っています。また、もう1つの課題は「理想主義的」から「普遍的」へということで、国家レベルから自治体レベルまで実際の事例で検証を重ねたいと思います。具体的には人口500万のフィンランドを例に考えていこうか、と思っています。

質疑応答

Q:

最近霞ヶ関の政策形成の能力が落ちているのでは、といわれていますが、それは個と組織のバランスが悪いせいなのでしょうか、知の観点から見て、問題はどこにあると思われますか。

A:

知の3つの性質から考えますと、まず経験の不足などで暗黙知が貧困なのではないかと思います。暗黙知が貧困だと、貧困な形式知しか出てきません。知の創造過程のフルコースを経験するしかないと思います。関係性によって意味が生成されますので、まず対話があるかどうか、対立の受容と解消によって知は創造されていくと思うのですが、このバランスをとるのは非常に難しいです。ただ形式的に場をつくっても、先ほど話しましたプロデューサー的人物がいてリーダーシップをとってくれないと、難しいのです。合意形成には「現実直視」「知的謙虚」「臨機応変」「執拗性」が要請されます。いかにそういう人物を配置するかというのが、ポイントになるのではないでしょうか。

Q:

自己革新能力とはどういうものなのでしょう。

A:

何が真理(リアリティ)なのか、どれほどこれに接近できるのか、しょせん社会科学の世界は科学になりうるか、というのが問題ですが、少なくともリアリティに向かって持続的に努力するプロセスを組織の中に組み込まないといけないと思います。多視点からリアリティに向かう能力が必要とされると思います。謙虚さに欠けるというか、価値の対立を受容するというのが難しいようです。日米で比較しますと、アメリカではいろんな視点が出てくる仕掛けを設けています。たとえば軍法会議の使用頻度は米軍の方が圧倒的に高いです。何がリアリティかということを、1つの場を共有して徹底的に迫る。軍事組織といっても、リアリティに迫ろうという仕掛けを複合的にもっています。日本ではミッドウェイ海戦での例のように、すぐ「極秘」扱いになります。これでは知の創造というシステムになりません。透明性の仕掛けといいますか、失敗が隠蔽できないということで、学習能力が高くなるのではと思います。リアリティに迫る方法論を型化するということは重要です。企業を見てもホンダがそうです。「現場・現物・現実」で、リアリティに迫れ、ということです。理論とは形式知の最たるもので、経験から理論までを引き出せないと、知の創造とはいえないでしょう。

Q:

知の創造ということで、取捨選択ということも相互作用の中に入ってくると思うのですが、それはどういう位置づけになるのでしょうか。それと「頭がいい」というと、記憶力がいい、分析力がある、判断力があるなどと分けて考えられると思うのですが、知の観点から見ていかがでしょうか。

A:

いろいろなレベルの知の方法というのがあると思いますが、フィンランドの例を挙げますと、フィンランドでは今、大学などでグローバルな人間を育成しようとしています。そこで知を生み出す方法論を徹底的にたたき込まれます。ではテキストは何だといいますと、イギリスのバスカーという科学哲学の方のものですが、真理とはまず個人の経験ですが、その事象の背後にある隠れた真理を読みとる能力をどうやって育てたらよいのか、ということで、多視点ということを哲学からたたき込むしかないのでは、ということです。「知識創造の方法論」という本を最近書いたのですが、これはSECIモデルの暗黙知の共同化(S)という部分なのですが、暗黙知を言語化する時の、ハウツーではなく、ものの見方から遡って説明しているものです。知の型をつくりあげる必要があると思っています。 頭がいい、悪いということより、私は方法論を重視します。私たちがたとえどんな凡人であっても、自分の経験から、1つは理論モデルが導き出せると思うのです。そういうやり方をいったん学べば、いろいろ見えてくることがあると思います。私の学んだ方法は、すぐれた著作を10点選び、この著者は世界をどう見たか、どういうコンセプトをつくったか、本質を掴むということです。著者の中には存命の方もいたりするので、実際に会ってみるといいです。会ってみると、意外とごく普通の人だったりして、対話をしているうちに、すぐれた理論の作り方を学び、「私にもできるかな」という気持にもなります。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。