情報時代の社会秩序──ポストモダン論の視点から

開催日 2003年3月13日
スピーカー 東 浩紀 (慶應義塾大学非常勤講師)
モデレータ 池田 信夫 (RIETI上席研究員)

議事録

ポストモダンとは何か

基本的に“ポスト”というのは未定義の言葉です。D.Bellの「脱工業社会の到来」という本が1973年に出ていますが、その本は「社会学の分野では、我々がその到来を迎えつつある時代を総括的に定義するため、広く脱ポストという言葉を用いているが、この言葉ほど我々の停滞感や空白時代感を鋭く象徴しているものは他にあるまい」という言葉で始まっています。そして、この本の中で、「ポスト歴史」「ポスト産業」「ポスト福祉」とか20種類以上の「ポスト」という言葉を挙げています。

つまり、1960年代から70年代にかけて、ポストとは未定義の空虚感をあらわす言葉だったといえます。「ポストモダン」という言葉は最初からかなり空白の言葉だったわけです。ですから、この言葉が何かの主張をあらわすというよりも、1970年代以降の社会的、文化的変動を幅広く捉える言葉として流通していったということになります。そして、これと結びつけて考えられるものに、多文化主義、情報化、消費社会化、メディア社会化、グローバル化というものがあり、それらを統括している総合的な理論はいまだに存在しないといえます。

また、ポストモダンとは何かと考えるときに、もう1つどうしても押さえておく必要があるのは、ポストモダニズムと区別しておかなければならないということです。ポストモダンというのは時代概念で、ポストモダニズムというのは文化思潮の名称というわけです。

F.Jamesonという有名な文芸評論家がいて、「後期資本主義の文化的論理」といういい方をしています。つまり、「ある一時代の資本主義の文化的表現の形態」がポストモダニズムだというわけです。その範囲で哲学、文学理論、建築、美術、映画など、多様な展開をしています。基本的には1970年代から80年代に頂点を迎え、冷戦の崩壊とともに退潮となっていきました。

これについては日本では誤解されていて、1960年代から70年代にかけて、ポストモダニズムの理論的支柱といわれるフランス現代思想の流れが出てきて、それが英米系に転移して、大学の中をはじめさまざまな分野に転移していったのですが、なぜか日本では“広告代理店文化”と非常に密接に結合して、一気に流通し、一気に消費されてしまいました。

1980年代の末には、日本では「ポストモダニズムは古い」などといわれはじめましたが、英米系の文献を見ると、いまだにポストモダンという単語が社会学系、文化研究系のものの中にはずっと出てきています。ですから、ポストモダンという考え方は決して古くなったわけではないのですが、日本でだけ古くなってしまったというわけです。

世界的に見ても、冷戦の崩壊とともに、流行が終焉に向かっていったことは確かです。そして、ポストモダン運動の権威化というのが起きてきました。つまり、ポストモダンの思想家たちがえらくなっていって、ポストモダニズムは終わったけれども、ポストモダン化は進行しているといえます。したがって、分析概念としては、そこのところを分けて考える必要があるというわけです。

このポストモダニズムの権威化の例を挙げると、WTC(ワールドトレードセンター)の跡地利用のコンペに優勝したのは、Daniel Libeskindという人です。この人はドイツを中心に活躍している建築家ですが、まさにポストモダニズムの典型的な人で、そんな人がニューヨークに次の時代のシンボルを建てるというのは驚きです。

この人は、1989年に初めて実際の建物を建ててからまだ15年も経っていないのです。それまでは主に理論家として知られていて、実作を建てない、つまり、プランしかないという建築家だったのです。まさにポストモダンというわけです。

ポストモダン社会の特徴

以上のように、ポストモダンというのは全体的な理論もない、漠たる言葉ではありますが、ポストモダン社会の特徴を鋭く捉えている表現を挙げてみますと、まず「全体性の喪失」ということが挙げられます。J.F.Lyotardの「ポスト・モダンの条件」という本が1979年に出ています。副題は「知についてのレポート」となっていました。その中に「我々の作業仮説は、社会がいわゆる脱工業化の時代に入り、文化がいわゆるポストモダンの時代に入るとともに、知の身分に変化が生じるというものである」とあり、知というものが変動していると主張されています。

これを一言でいうと、多様な知識を統一する「大きな物語」が凋落し、共訳不可能な言語ゲームの乱立になり、そのために、知の正当化過程の変化が物語から遂行性へ変化していったということです。別のいい方をすると、文化の断片化、サブカルチャー化であり、社会学者の宮台真司氏の言葉を借りれば文化の「島宇宙」化という現象に相当しています。そして、1990年代に日本でもかなり話題になった道徳あるいは伝統の弱体化という問題と密接に関係しているわけです。

次に、「現実と虚構の相互貫入」という特徴を挙げることができます。これに関しては、G.Debordというフランスの社会活動家が1967年に書いた「スぺクタクルな社会」という本に書かれた理論があります。このスペクタクルというのは「見せもの」という意味で、それに覆われた社会ということになります。

また、J.Baudrillardという人が1970年に「消費社会の神話と構造」、1976年に「消費交換と死」という本を出していて、消費というのは現実のニーズからは自律している。消費を動かしている基本的な原理というのは記号的世界の自律であり、商品の世界での自律性である。つまり、現実の消費のニーズを反映していなく、消費社会だけの自律的なロジックでやっているということをいわれていました。そして、この中でsimulacreという言葉もクローズアップされてきましたが、これは、メディア社会化、虚構化、仮想現実化、ゲーム化という現象に相当するわけです。

3番目は「規律訓練から環境管理へ」ということです。M.Foucaultというフランスの哲学者が「監獄の誕生」という本を1975年に出していますが、この本によると、近代社会の特徴は一望監視施設(panopticon)にあるということです。これは、囚人がそれぞれの独房に1人ずつ入り、真ん中に監視する人がいるけれども、囚人からはそれが見えないというシステムで、ベンサムという人が発明したシステムですが、これを取り上げて、「非常によくできている」といっています。なぜかというと、ここにいる囚人たちはいつ自分が見られているかわからないので、基本的には監視員の視線を自分の中で概念化せざるを得ないわけです。そういう恐怖があることによって、自分で自分を監視するというシステムを、それぞれの囚人の中につくってしまうことができるわけです。

これが誕生したのは18世紀から19世紀にかけてのことですが、これが近代的主体の典型的な形であると、Foucaultは考えました。つまり、自分がいながら自分で自分を監視するという、二重化した存在が近代的主体なのだといっています。つまり、自分を自分で監視するというシステムを、Foucaultは「規律訓練(disipline)」と呼んだわけです。そして、実際には、自分で自分を監視した自分を訓練することによって、自分の毎日の生活を時間的にも区切っていくことになります。

それから、G.Deleuzeという哲学者が「記号と事件」という本を1990年に出しています。Foucaultの親友でもあり、一緒に運動をした人でしたが、Foucaultのいっている社会というのは我々の社会のモデルではなく、Foucaultが規律訓練型社会を理論化したのは、もうその社会が終わっているというためであったといい出したわけです。

そこで、新しく提案した言葉は「管理社会」というもので、一望管理施設から位置情報管理へ進んでいくといっています。人々の動きを秩序だてるときに、今後の社会で必要になってくるのは、普遍的に存在しているコンピュータが局所、局所で判断していくということで、ほとんど“ユビキタスコンピューティング”の話をしているわけです。監獄に人々を閉じ込めて、それによって人々の主体の内面の中に道徳や倫理を植え込んだりするシステムとは全く異なる社会になるということです。つまり、「主体の自己統御への依存から環境と身体の直接的な管理へ」ということです。この「主体の自己統御」というのは批判意識ということで、それぞれの人々に批判意識を埋め込むというような方法をとらないで、ダイレクトに物理環境とそれぞれの人間の身体を管理するというシステムに、これからなっていくであろうと予見しています。

このDeleuzeの予見というのは、1990年の段階では実質的な裏付けはないのですが、今“ユビキタスコンピューティング”が進むようになってきていて、急速にそれが実現しつつあると思います。ですから、今読むと非常に時宜を得たものといえます。

大阪女子大学の酒井隆史という方が「自由論」という本を2年ぐらい前に出しています。そこには、監禁刑というのは犯罪者を社会化することで、社会の中に異常者を内包するシステムであるが、ポストモダン社会では、犯罪者をそのまま放置しつつ、アクセス管理することによって犯罪予備軍を事前に排除するという状況になってきているということを指摘しています。

これをまとめると「規律訓練から環境管理へ」ということになり、セキュリティ化、リスク社会化、ユビキタス化といういい方もできると思います。近代社会というのは規律訓練型社会ですから、社会の中に中心があるわけです。見えないとしても中心があります。それに対して、環境管理型社会というのは、全体としてリスク管理するということになります。つまり、1人1人が自分の安全を求めてリスク管理していった結果、全体がリスク管理という発想に覆われてしまい、そのため、環境管理が自然に強化せれていくというイメージになります。

ポストモダン論の中心にあるもの

以上のように、ポストモダン社会の特徴を3つ述べましたが、「小さな共同体の乱立で大きな物語の凋落」-全体性の喪失、「現実を覆い尽くす記号的世界、シミュラークルの全面化」-社会現象の虚構化、「内面や道徳を必要としない秩序維持、環境管理型権力の強化」-秩序維持の質的変化、という軸があるということです。 人文社会系のポストモダン論というのはこういう3つの軸で展開しているわけですが、この中心にあるのは一体何でしょうか。

今から20年ほど前、浅田彰氏が「構造と力」という本を出されました。その中で、プレモダン、モダン、ポストモダンというイメージを図式化しています。そして、ポストモダンの場合は極めて無秩序なものになっていました。しかし、そうではないと私は思います。

今、私たちの社会はリゾーム的になっています。たとえば、インターネットによって、世界中の人々がバラバラにつながっています。インターネットというのは巨大なデータベースであり、巨大なアーカイブです。その断片がいろいろ捉えられてきてつながっています。そういうさまざまな断片をつないでリゾーム化しているということです。つまり、一見無秩序なさまざまなハイパーリンクが張りめぐらされているわけですが、それはデータベースによって決まっています。ですから、このデータベースをいかに組み合わせるかということが、表面的にリゾーム的な無秩序のように見せているにすぎないわけです。

したがって、一方には多様性の層があり、小さな物語が集合し、Baudrillardのいうようなsimulacreの戯れによって満たされている消費社会のレベルといえます。このレベルでは、世界をいかに解釈するかという枠が林立しているわけです。そして、社会現象の虚構化が起きています。一方で断片の層があり、物語なき情報が集積し、知の断片化が生じ、全体性の喪失という特徴が見られます。そして、ポストモダン社会はこういう2層構造が特徴になっていると考えられます。そして、その間を考えると、その断片がさまざまな物語として結晶化していくとして、その結晶化がお互いに衝突を起こさないように、うまく管理していくために、情報管理が重要となります。つまり、情報流通を制御し、多様性の条件付け、すなわち環境管理をして、フィルタリングしていく中で、秩序維持の質的変化が起こってくるのではないかと思います。

したがって、先ほどの浅田氏の考え方のように、最初に三角形があって、それがクラインの壺になって、それがリゾームとして分解してしまったというものではなく、そのリゾームの下にデータベースの層、断片の層ともいうべき新しい層があらわれることによって、リゾーム的な戯れが保たれているとすれば、その2つの層をうまく安定させる情報管理というものが非常に重要になってくるだろうと思われます。ですから、ポストモダン社会を考えると、必然的に情報管理の重要性というのが出てくるのではないかと思います。

なお、詳しくは「動物化するポストモダン」という本で述べていますので、興味のある方はお読みください。

情報時代の哲学

以上の理論から、多様性のある層と断片がバラバラに蓄積されている層をいかに結びつけるかということが、ポストモダン社会の社会秩序、文化的論理になってきますので、情報管理というものが非常に重要になってくると思います。必然的に情報管理の時代になるだろうということです。

したがって、ポストモダンの時代というのはイコール情報管理の時代になるわけですが、M.Posterというアメリカの学者が先駆的な研究として1990年に「情報様式論」という本を書いています。その中で、前述のポストモダニズムの指導者たちの考え方を引きつつ、電子ネットワークが見せてくれる社会的性質とポストモダニズムの理論というのは基本的に同形であると、いち早く指摘しています。ただ、先ほど2つの層があるといいましたが、そのうちの「多様性の層」しか見ていなかったように思われます。つまり、断片の層、データベースの層がいかにリゾームの部分を管理しているかという部分が見えていない感じはします。

この「情報様式論」の後の10年というのは、実はワールドワイドウェブ(WWW)の10年といえます。つまり、無数のウェブページ、世界規模のデータベースが出現したわけです。これはまさにポストモダンの2層構造そのものであり、WWWが急速に普及した10年間というのは、ただ単に私たちの社会は多様なだけではなく、その多様性を支えているデータベースが背景にあり、それをいかに管理していくかということが重要な問題になってくるということが、明らかになってきた10年間であったと思われます。そして、今後の人文系、ポストモダン系の思想家たちの課題は、多様性、断片、環境管理という3つのダイナミズムを捉える新しい情報社会論が必要になってくるだろうと思われます。

ところで、抑圧と非抑圧、あるいは監視とプライバシーという対比関係があり、監視する側と監視される側のダイナミズムというのが社会的な葛藤を引き起こして、近代社会になったわけです。

それに対して、ポストモダン社会では、多様性対断片ということになると思われます。つまり、社会の中に接続しているのか、接続しないでバラバラになっているのかということです。たとえば、個人情報というものを社会に委ねて、自分が社会空間に接続するか、そうされないで、社会空間から切断されて、自分の中に閉じこもるかという対立が、ポストモダン社会では重要な葛藤の場所になってくるだろうと思われます。そういう形で、監視する者と監視される者の対立ではなく、社会の中に接続するかしないかという対立が、今後重要になっていくのではないかという感じがします。

それでは、この情報時代の哲学に関しての理論を少しご紹介します。L.Lessigという学者が「CODE」という本を1999年に出しています。この中で「法/規範/市場/アーキテクチャによる規制が大事である」といっています。そして、これは、法+規範=規律訓練型権力、アーキテクチャ=環境管理型権力に相当しているといい換えられると思います。つまり、「アーキテクチャ上の制約は、その対象者がその存在を知ろうと知るまいと機能するけれども、法や規範は、その対象者がその存在についてある程度知っていないと機能しない」といっています。

これを人文系の哲学用語でいうと、「アーキテクチャは内面を必要としないけれども、法や規範は内面を必要とする」ということになります。つまり、法や規範というのは従来の規律訓練型の自己監視のモデルであり、アーキテクチャというのは自己監視を必要としない身体の直接的な管理というようにいえると思います。

また、この中で、cyberlibertarianismというか、hacker elitismというものの限界を、結構明確にいっています。つまり、サイバースペースが勝手にやっていれば、それが技術的にもうまくいくというタイプの理論が後を絶たない状況で、また、多様性の層が断片の層から自己生成していくという考え方がありますが、Lessigは、多様性の層を維持するために断片の層と多様性の層の間に何らかの法の介入が必要だということをいっているわけです。

現在、多様性の層と断片の層の仲介をやっているのは、単に技術がやっているわけですが、テクノロジーだけにまかせておけないという、環境管理型権力の弱点というものを指摘しているのではないかと思われるわけです。

次に、D.Lyonというカナダの社会学者は「監視社会」という本を2001年に書いています。この中で現代の監視の概念として、「監視の利点は現実的かつ明白で、否認しがたい」といっています。そして、「リスクという観点から人間集団を管理するための知識算出の手段である」ともいっています。

すなわち、監視社会の利点というのは秩序編成である、つまり、多文化的にバラバラになった我々の社会をもう1度まとめ上げるために、個人認証のシステムを使って何とかやっていくしかないということで、統合のロジックとして監視というのが機能しているという利点があるというわけです。

一方、監視社会のリスクというのは、社会的、経済的分割の評価です。つまり、従来の規律訓練型権力というのはさまざまな人たちを1つのモデルにまとめる、内包する社会だったとすれば、ポストモダン社会または環境管理型社会というのは、さまざまな人々をいろいろな価値観のもとに放置しておきながら、身体もしくは環境を直接管理することで、何とか秩序維持をするというモデルです。そうすると、ある種の階層の人たちはその中でまとまってしまうわけです。つまり、統合するけれども、分割してしまうという矛盾した特徴も持っているというのが、現代の監視社会のリスクといえるわけです。

まさに、IDカードからentitlementカード、つまり、身分証明のカードではなく、資格付与カードへというのが一種の流れといえます。クレジットカードはまさにこのentitlementカード化すると思われます。これがいいか悪いかということではなく、このentitlementカードが何を引き起こすかというと、それぞれの人間がそれぞれの人間の所得、職業、年齢などによって、どこの場所には行けるけれども、どこの場所には行けないというように分割されてしまうわけです。

これはインターネット的な空間ともいえます。つまり、どのカードを持っているかによって、全く違った公共空間が創出されるようなシステムをつくってしまう可能性があるということです。というより、我々の社会はそういうシステムを求め始めていると思われます。それは、いい面もあるけれども、そのリスクも考える必要があると思います。つまり、こちらが個人情報をきちんと与えないと、行けない場所ができるということで、こちらが監視されないとその公共空間に入れないという社会が出てきた場合、個人認証されなくてもいい空間というのを、我々はどのようにして維持していくのか、そういう空間を維持する必要があるのかという議論もされるべきかなと思われます。そのため、「環境管理型社会における公共空間とは何か」という問題を考えていく必要があるというわけです。

現代思想の新しい流れ

それから、A.Negr/M.Hardt の「帝国」という本が2000年に出されています。現代思想の世界ではここ5~6年なかった大変な“事件”となっていて、編集者から文化部の記者、書店まで総動員で、この本の訳本を盛り上げようという騒ぎになっています。

これは冷戦体制以降の国家論で、イメージ先行の本ではありますが、その分強さがある本だと思います。この中で主張されているのは、冷戦崩壊後は国民、国家に分割された社会ではなく、今の主権というのは“帝国”という巨大な何かが我々の社会を取り巻いているというのです。そして、帝国対群衆(multitude)ということで、非常に観念的な世界なのですが、どういうことかというと、一方にグローバリゼーションがあり、他方にグローバリゼーションが可能にしたさまざまな個人の自由なアソシエーションがある。そして、両方ともグローバリゼーションが可能にしたものといえるわけです。つまり、一方が単一性の方向に向かうものだとすれば、他方は多数性の方向に向かう流れであり、単一性と多数性がお互いに拮抗しているのが我々の社会だというのです。

したがって、グローバリゼーションというのは毒にもなるが薬にもなるということで、たとえば、敵の力をテコとして使って、帝国化というものを切り崩していくべきなのだという運動論を展開しているわけです。つまり、規律訓練型社会からその次の社会というものを押さえてつくられている国家論であり、そういう意味では、情報時代の哲学を予感させるものではあると思います。

ただ、弱点としては、情報技術への言及が極めて少ないということです。情報化の話が出てくるのかと思っていたところが、オートメーションの話だけで終わってしまい、インターネットの話をしてくれていません。インターネットというのは表面は非常に多様に見えるけれども、その多様に見える部分というのは、巨大なデータベースがあって、それがそれぞれカスタマイズされたようになっているシステムといえるわけです。これは電子商取引サイトへのアクセスなどを考えるとわかると思いますが、1人1人違うものが出てくるわけですが、向こうにデータベースがあって、それほど自由な世界が広がっているわけではないということからも理解できると思います。ですから、インターネットには限界があるわけです。

そのせいで、帝国の主権対リゾームの群衆という単一性対多様性の図式に戻ってしまっているように思われます。前述の3つのダイナミズムが欠けているといわざるを得ないわけです。これは、裏返すと、「帝国」の理論と情報社会論を足すと、多数性の哲学みたいなものがもう少し具体的に描けるのではないかという感じもします。

なお、参考として申しますと、精神医学の世界においては、1980年以降、「抑圧から解離へ」と心の葛藤モデルが変化したとよくいわれています。そして、多重人格が急増してアメリカのDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)の基準が変更されました。

この抑圧モデルというのは何かというと、無意識下で葛藤があって、欲望が上ってくるのを抑圧するので、そこに葛藤が生じるということですが、こういうモデルがうまくいくといいのですが、うまくいかないと神経症になるという状態だったわけです。

しかし、80年から90年にかけて、神経症が少なくなって、境界例が増加し、さらに多重人格がふえるという傾向がどんどん出てきました。無意識から上ってくる欲望みたいなものが葛藤を起こさないで、その欲望を発露する人格というのを別につくってしまい、人格の使い分けができる人が非常に多くなってきました。これは、社会的には非常に問題ですが、病理的にも、抑圧モデルから解離モデルへという移動がありました。そして、このモデルというのが、物語的世界からデータベース的世界へということと少しリンクしているように思われるわけです。

もう1つの参考例として、森川嘉一郎氏の「趣都の誕生」という最近の本をご紹介します。この中で、官を中心とした都市、民を中心とした都市、個人を中心とした都市というように、フェーズが変化している。そして、「個の都市」というのは、個室あるいはホームページが公共空間にそのまま露呈したような都市風景だといっています。秋葉原が例に挙げられていますが、なぜこういう風景が秋葉原に出現したかというと、秋葉原というのは元々家電の街で、高度経済成長期には日本の未来を託す街だったわけです。バブル崩壊以降、日本の未来が喪失してしまって、技術というもののイメージが急速に変わっていきました。つまり、技術のパーソナライズということが起きてきて、それぞれのユーザーが自分の好みのものを組み合わせて楽しむという消費行動が、そのまま公共空間に持ち出されるような街になってしまったというわけです。

それから、北田暁大氏が「広告都市・東京」という本を2002年に出していて、90年代の渋谷は80年代の渋谷ではないという話をしています。森川氏は秋葉原と渋谷を対比しているけれども、北田氏にいわせると、それは80年代の渋谷にすぎなくて、90年代の渋谷はむしろ秋葉原化しているわけです。この辺の話は非常におもしろく、データベースからそれぞれいろいろなものをバラバラに持ってきて組み合わせ、リゾーム的な空間がつくれるといった場合、simulacreの部分を一体だれがやっているかというと、仕掛け人がいるわけではないのです。そうではなく、ユーザーが勝手にやっているのです。そういう動きがついに都市風景まで変え始めたというわけで、それが秋葉原と渋谷であらわれていて、東京で今一番おもしろい街になっているということです。

秋葉原の場合は、いうまでもなく、情報化が最も先端的に感じられるところですので、これなどはきょうのポストモダンの話と関連しているといえるので、付け加えてみました。

質疑応答

Q:

多様性の層と断片の層という話がありましたが、それだけでいいのでしょうか。インターフェースのルールというのが必要ではないでしょうか。

A:

「動物化するポストモダン」という本でも2つのことしかいっていませんが、間に管理があるという発想は必要だと思っています。90年代というのは急速に技術革新と構造の変動があったせいで、インターフェースがなくても勝手に情報を公開して、勝手にクリエイティビリティがつくれたわけです。つまり、インターフェースがなくてもクリエイションが可能な時代というのがあると思われます。それは歴史的には非常に短い時期しか続かなくて、それがうまくいっている状態から最近はうまくいかなくなってきていて、断片が勝手に組み合わされるようにただ放置しておくという線がだんだん太くなってきたようです。そこで、ちょっと偏差をつけたり、新しい線を引いたりしてあげるためには、インターフェースが必要になってくるので、多様性を維持するためにはインターフェースが必要だという考え方になってきています。
90年代のころの、cyberlibertarianismというのはインターフェースなしでもいいという発想だと思います。しかし、そうしてしまうと、インターネット上のクリエイティビリティというのは持続しないのだというのがLessigの主張でした。そういう意味では、断片から多様性を導き出すためにインターフェースが必要だ、媒体が必要だという発想になっていると思われます。ですから、「動物化するポストモダン」を書いていたときは、多様性の層と断片の層、simulacreの層とデータベースの層という2つだけの感じで進めていましたが、媒体がどうしても必要だということになってきました。
先ほど、Lyonの話のところで、統合するという要素と分割するという要素があるということでしたが、今の話からすると、管理するにしてもその質が問われるわけですから、断片と多様性の間にどういう形でインターフェースを入れていけばいいのかという、質が問われていると思います。

Q:

でき上がったインターフェースを壊して、また別なインターフェースをつくっていくという可能性もあると思いますが、いかがでしょうか。

A:

規律訓練型から環境管理型へといったとき、どちらがよくてどちらが悪いかということではなく、人文的なさまざまな概念枠はどんどん失墜しているわけですが、正義や倫理という発想がなくても管理できるような社会をつくっていくことは可能です。たとえば、ある道徳を相対化して、多様な価値観の人たちをまとめましょうということになっていった場合、最終的には価値観では人々をまとめることができないわけですから、規範意識とは全く無関係の技術的な信頼関係にまかせてしまうという形のほうが、近代的なわけです。しかし、そこに罠があって、そういう形でやっていると、規範意識で社会秩序をまとめていたときよりも不自由になる可能性があるので、もう1度何らかの人文的な概念を復活させる必要があると思います。

Q:

規律訓練指向のソリューションという考え方と環境管理指向のソリューションという考え方は、今後どうなっていくと考えられるでしょうか。

A:

環境管理的な発想というのが完全に優位だった時代というのは、ここ10年ぐらいがそうだと思いますが、そうやって市場にまかせていくという形では、もうだめかもしれません。しかし、クリエイティビリティは非常にあいまいな概念で、量的にもはかられないので、最終的には水掛け論になるかもしれません。私はこの点ではLessigに近い意見で、規律訓練から環境管理へという流れになってきている中で、それだけではいけないということで、ある程度環境管理型の評価に対するものとして、規律訓練的なものを入れないといけないという感じがしています。

Q:

ポストモダンに早く突入した社会と、そこに行っていない段階の社会との間に何となく緊張が生じるのではないかと思いますが、それについてはどうお考えでしょうか。アジアの場合、個室が公共空間に露呈して、そこから民といわれる商業施設に集まって、開発されたビルの中に入っていて、矢印が逆の方向に向いているようですが、いかがでしょうか?

A:

確かに、地域には濃淡があって、ポストモダンという現象がでてきたのは、恐らく1950年代のアメリカぐらいからだと思います。80年代の終わりまでは日本と西欧諸国とアメリカしかポストモダン化の問題というのは語られてなくて、かなり局所的な問題だったと思います。ただ、それから後、ロシアと東欧、韓国、台湾というところが似たようになってきています。90年代には日本とアジアはかつてより文化的な市場が結びついてきたので、そういう意味では、消費とかファッションとかを見ると、かなり似てきていると思います。ですから、ポストモダン化の問題というのは、90年代になって地域的な広がりを見せ始めたといえるかという感じがします。
ただ、ポストモダン的なというか、一種のアメリカ化ですが、そうなっていない世界とそうでない世界との対立という話でいえば、9.11のテロ事件などはまさにその典型的な例で、価値相対主義に至っていない地域というのが、非常に強い葛藤を感じるということが、今後も起こってくると思います。それは2つの価値が争うのではなく、価値相対主義と価値が争うという対立になっていくのではと思われます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。