反グローバリゼーション運動の現状 シアトルからポルトアレグレへ

開催日 2002年7月17日
スピーカー 北沢 洋子 (国際問題評論家/途上国の債務と貧困ネットワーク代表)
モデレータ 渡辺 弘美 (RIETI総括担当マネージャー)

議事録

モデレーター:
モデレーターより、北沢さんの前に概括的なお話をさせていただきます。本日の標題を便宜的に「反グローバリゼーション」としましたが、「グローバル・ジャスティスのためのムーブメント」とした方が正確かもしれません。日本ではシアトルやジェノバサミットなどでアナーキストが暴動を起こした、ということが一般的な認識だと思います。その運動の背景には企業主導のグローバル化、金融市場主導のグローバル化による副作用とでもいうべき社会的な問題が起きています。たとえば貧富の格差、エイズなどの感染症の薬へのアクセス、児童労働や環境破壊のほか、人権に関わることが問題視されているのだと思います。有名な統計としては、UNDPが99年に出した「人間開発の報告」でも、世界のお金持ち3人の資産がLDC(Least Developed Countries:後発途上国)の国の資産を上回るといった貧富の格差が起きているといわれます。

では、なぜNGOの人々がWTOや世界銀行といった国際機関や、G8・EUのサミットに直接的な行動を起こすのか。社会問題に対する意思決定が1カ国だけではどうしようもなくなり、グローバルなレベルで行われているWTOなどで行われた意思決定が各国の意思決定をオーガナイズし、オーバーライドされることに対する怒りというものがあるのではないかと思います。最近では国際機関などでの議論の背景に、多国籍企業そのものの意向がそもそもあって、それが圧力団体的に国際機関を動かして意思決定が行われているのではないか、ということでNGOの矛先も国際機関だけでなく、企業に対しても向けられるようになってきているようです。

これまでにNGOの方々の主張や活動などが影響して(むろんそれだけではないでしょうが)、さまざまな国際政治経済上の意思決定の変化が起こってきた事例があるかと思います。リオ・サミットをきっかけにOECDのMAI(Multilateral Agreement on Investment:多角的投資協定)がうまくいかなかった、オタワプロセスといわれる新しい意思決定の手法によって、あるいはJubilee2000という債務削減の問題など一連のサミットプロセスで削減が実行されてきた、国境なき医師団によるエイズなどの感染症への医薬品のアクセスの問題についてWTOの条文の解釈に影響を与えている、など今日に至るまでさまざまなNGOの方々の主張もあって、意思決定の変化が起こってきているのではないかと思います。

米国のテロ以降、こういった動きは低調になるのではないかといわれたこともありましたが、エンロンの破綻やアルゼンチンの経済危機などを材料に引き続き、現在もこのような運動は行われていますし、有名な話ではフランスのATTACを中心にいわゆるトービン税(通貨取引税)の導入についても検討がなされていますし、仏独の議会や一部政府などを動かす意見が出ていることはご承知かと思います。

他方、企業もさまざまな社会的な議論に前向きに対応することが経営戦略上必要であるということで、欧州を中心に企業の社会的責任に対する国際的な基準作りが始まっていますし、国連自身もグローバルインパクトということで企業のこういった問題に前向きに取り組んでいるということであります。

NGOのこういった動きはグローバル・ガバナンスの新しいフレームワークを提案する主体として存在しているのではないかと思います。最近のNGOの行動パターンとして、インターネットを活用してNGOの異なったセクター同士が連帯して連動しているという傾向も生まれています。ただ、以上のような社会的な動きは日本では見えにくいのではないかとも思います。たとえば援助政策でも、3月のモンテレーで開催された国連の開発資金会合の前に、アメリカとEUはODA資金を拠出するといったことに対して、日本は全く逆の立場をとろうとしています。ダボス会議における25カ国対象の意識調査でも日本人の国民としてのグローバル化の認識が最低ランクに近いものでしかない、という結果が出ています。このように、日本でこのようなことを語っていただける方は少ないのですが、本日は北沢さんをお迎えしてお話をいただくことになっています。よろしくお願いいたします。

NGOの果たした役割とその戦略

北沢:
私はここでは、「グローバリゼーションとは何か」については省かせていただいて、グローバリゼーションに反対している人たちの考えを知っていただきたいと思っています。モデレーターの方がNGOのお話をずいぶんしてくださいましたが、もはやNGOの時代ではないんですね。NGOの時代は終わった、というとショッキングでいろんな人に怒られますが、NGOが果たした役割のピークは、97年にオタワで対人地雷の禁止条約を結ばせたことでした。本来、「対人地雷禁止」はジュネーブの軍縮会議のテーマです。ただ、ジュネーブでは「核兵器」の話題が最も大きな地位を占めていて、地雷の問題は小火器の中の1つにしか過ぎない。NGOが地雷問題を独自に取り出して、有力な地雷保有国の国防大臣に古靴を送るようなこともしていましたが、世論を動かすことにはなりませんでした。そして最終的にダイアナ妃を説得して、彼女が300人以上のマスメディアをつれて地雷原に入ることで知られるようになりました。

もう1つの戦略は、地雷を持っている国連の安保理国は相手にしない、ということ。先進国の中でも開明的な国をターゲットにして、ミドル・パワー・カントリーという範疇を作り-これは北欧3国、オランダとカナダだったのですが-、これらの国々の政府を説得して条約を締結するということにいたしました。この2つの戦略が成功して、ついにオタワ条約締結に至ったわけです。

その前の80年代にNGOが国際政治の中で認められるようになったのは、途上国の開発でした。途上国には巨大なNGOが存在していて、たとえばインドのAWAREは1万人以上のスタッフを抱えて1万2000の村でオルタナティブな貧困根絶に取り組んでいたり、バングラディッシュのBRACは外から援助を受けないほとんど自立した状態で、バングラの保険業務の23-4%、初等教育も同率くらいで担っていたりという状況にあります。NGOが最も活発なのは南アジア、次いでラテンアメリカ、東南アジア、最も弱いのはアフリカ、中東。開発NGOが活躍した背景には、世銀やIMFの構造調整プログラムによって政府が非常に弱くなり、やるべきことがやれなくなり、それを補うような形で開発NGOが登場してきたということがあります。これをサポートするOXFAMに代表されるような、北側の国際開発協力NGOがありまして、そこから南のNGOに流れている資金は年間85億ドル、日本のODAには足りませんが、それに匹敵する巨額な金額です。

さまざまなメジャー組織が参加し盛り上がるJubilee運動

オタワの地雷禁止条約を引き継ぐような形で、Jubilee2000という債務帳消し国際キャンペーンが始まりました。地雷禁止の場合は純粋にNGO(私がNGOという場合には、グラスルーツではない、専門家集団のことです。日本では全てNGOと呼んでしまっていますが。一部の人のいい方は、NGOは決して民主的な組織ではなく、一部の専門家が多くのサポーターを抱えながら専門的な活動を行うということなのです)、いわゆる平和NGOでしたが、Jubileeになると「市民社会」という概念になります。企業と政府をのぞいたものを市民社会という第3の勢力と呼べるわけですが、その市民社会総ぐるみの運動であったといえるわけです。その理由は、ローマ法王という限りないスターが現れて、キリスト生誕2000年というお祝いの年までに債務を払えない最貧国の債務を帳消ししようという呼びかけをなさったからです。そして97年にICFTU(International Confederation of Free Trade Unions)という労働組合の国際組織がJubileeに入ることを総会で決議しました。 このときプッシュしたのはアフリカ勢。アフリカで労働組合と呼べるのは政府の役人、公務員か学校の先生でしかないんですが、この2つが戦闘的になったわけです。というのも、政府が構造調整プログラムで予算をカットされて、彼ら働いている者としては「やりたくてもできない」といういらだたしさを持っているわけです。教育予算が削られ、教育は低下し教師1人が500人のクラスを引き受けなければならないなどの現実から発して、戦闘的で構造調整プログラムに反対するという決議をICFTUでやっていたわけですが、97年には、2000年までに最も貧しい国の払いきれない債務を帳消しするという決議をし、Jubileeに参加することになったわけです。98年に世界医師会(ちなみに日本医師会も入っていますが、現場では賛成しても日本に持ち帰って何もしないという立場です)が、医師は人間の命を救う立場だが、命を救う以前に命が失われているという現実、医療の範囲の外で人々が、子供たちが死んでいくことに対して声を上げなければいけない、ということがオランダのハーグで開催された総会で提起され、Jubileeに参加することになりました。

このようなメジャーな組織が参加し、スターがいたために、北側先進国にナショナルな連合ができて、これがJubilee運動になったわけです。最も先進的にやっていたイギリスが面倒を見る形になったのですが、面白いことに、これまでですと一度国際組織ができると理事会だのなんだのというのができて、そこで意思決定がされてコンセンサスが作られ、運動になっていくという形がとられており、そして主導的な組織というのが必ずあったのですけれども、イギリスがやったことは自分たちが行動によって前例を作るということ。ですから、まず請願のターゲットをG7に当てたわけです。その理由は構造調整プログラムは世銀やIMFなんですが、それらを牛耳っているのはG7政府である、と。そのG7政府が集まるのはG7サミットである、ということでサミットにJubileeのメンバーが大勢出かけていき、サミット会場を人間の鎖で囲い、ドラムや笛で音を立てている間に、代表がG7の代表と交渉する、というパターンです。交渉をしている側は音が聞こえてくることが励みになり、「位の高い」G7首脳と対等に渡り合えるというものでした。

また99年のケルンサミットまでに1700万人の署名を集めたんですね。圧倒的に多かったのはイギリスでしたが、途上国も多く、世界的な署名運動になり、これは請願という形をとったわけです。繰り返しになりますが、Jubileeの場合にはターゲットをG7に決めて、債務帳消しをサミットの議題にとりあげてもらい、貧しい国の支払いきれない債務を帳消しにせよ、と。その表現の根底にあるのは、債務を支払うことによって国家予算が削られ、医療や教育予算が削られてしまう。医療予算が削られると、政府の子供への予防接種の予算がなくなって子どもの命が失われるとしたら、そのような債務の支払い方は不正である、と。これはシェークスピアの「ベニスの商人」を例にとるまでもなく、債務は命を持って支払ってはならない、ということが古来あるわけで、それを根拠にしておりました。

ケルンの時に3万5000人が世界から集まり、旧市街をすべて埋め尽くし、交渉の結果、以前からJubilee運動が盛り上がっている中で各国首脳が「ビューティーコンテスト」のように値段をつり上げていって、最終的にはクリントン大統領の出した700億ドルに落ち着くわけです。700億ドルという数字は、13最貧国の2000億ドルの債務の3分の1ですが、それでも700億ドルという大きな額を「むしり取った」という表現でEconomist誌などは書いていました。こういう効果をみて次のシアトルにつながったわけです。

シアトル会議を契機にさらなる広がりをみせる市民運動

99年12月にシアトルでWTOの第3回閣僚会議が開かれて、その前哨戦としてMAIの問題があったんですね。これはOECDの中で「多国間投資協定」というのが起草され、秘密裏に議論されていたわけです。これに対してRalph Nader氏のPublic Citizenという、NGOであり且つ議会に向けてロビーを行うロビイスト団体(NGOもロビー活動はしますが全体の活動のうち20%程度であるのに対し、Public Citizenは100%)が、優秀な女性弁護士を雇ってMAI問題にあたらせました。そしてカナダ政府のリークによって、Public Citizen側にドラフトが手に入ります。このドラフトをその女性弁護士が細かく解説してインターネットに載せたことによって(ドラキュラ作戦=日の目を見ると溶ける)、市民社会が最も強いフランスから反対運動が起こってフランス政府が交渉からおり、その結果としてMAIがOECDの枠の中では廃案になってしまいました。

ところがシアトル会議の目玉であるミレニアムラウンドの中にMAIが潜んでいる、せっかく潰したものがWTOに持ち込まれてしまう、ということがわかって、再びPublic Citizenが説明、議論をしてシアトル会議に反対しようという呼びかけをインターネット上で行ったわけです。1カ月もしない間に、メジャーなNGO700団体以上が署名したんですね。NGOは全部、それぞれメーリングリストを有しており、それらが放射線状に広がっていて、全体でシアトルに行こう、ということになりました。

他方、カリフォルニアにある非常にラディカルなグループ(Direct Action Network:直接行動ネットワーク=ガンジーの真髄は非暴力ではなく不服従にあるとして、不服従運動を呼びかける)がシアトル会議を包囲しようと呼びかけて、会議そのものを開かせないことが大事ということで直接行動という戦術を編み出しまして、細かなマニュアルを作ったんですね。非暴力だが代表をスクラムで絶対に会場に入れない、警察の暴力もあるだろうから負傷した場合の救護班、捕まった場合の法的な支援として法律家の集団も必要だ、などのマニュアルに基づいて4-5日間の研修を受けた者が参加できるという形にしたわけです。そのような研修を受け、覚悟をした人たちが集まったのがシアトルです。

シアトルでは、一方には労働組合が動員した、あるいは環境団体などが参加したカメを守る環境団体などのデモと同時に、他方、会場では朝から夕方まで直接行動があって、開会式が開かれない騒ぎになったわけです。さらに夜になってデモも終わり、直接行動も終わると、アナーキストのグループが登場してきました。アナーキストはデモや直接行動に参加する意志は全くなく、独自に自分たちのネットワークで、それも組織として存在するのではなく「アフィニティ・ネットワーク」と呼んでいますが、「資本主義を否定する」という大きな信条で、あらゆる考え方の人が、あらゆる所に存在して1つのネットワークを作る、というものなんですね。昔のように、秘密組織があって秘密の命令が出て…ということでは全くなくて、お互いの顔も知らず「資本主義反対」というだけでつながっています。アナーキストという呼び方も間違っているかもしれませんね。いわゆる無政府主義者では全くなくて、「通称:アナーキスト」と呼ばれています。たとえばReclaim The Street(RTS)「街頭に出よう」とでもいうのでしょうか、グリーンピースにあきたらない環境保護団体。これは暴力は否定するのですが、資本主義の持つ私的所有権を破壊するのは良い、といった勝手な理屈をつけて、シアトルではマクドナルドやスターバックスのショーウィンドウを破ったんですね。その動きに便乗したシアトルの失業青年たちが、宝石店などを襲って略奪行為をした。これを反省してRTSは以後行動を慎むようになりました。

これがシアトルの勝利、つまりシアトルは流会したわけです。デモのせいだけではなく、WTOの中の問題というのもあるわけですが、シアトルの民衆の動きが、それまでWTOの中では途上国の代表というのはほとんど声もなかった状況なのに、アフリカが集まって声明を出す、途上国が頑張り始める、先進国同士の矛盾が起こるなどさまざまな要素が作用し、1つの契機になったことは確かだと思います。

それがずっとジェノバまで続くんですね。プラハでのIMF・世銀総会の時も、プラハでは市民社会がほとんどないので受け入れ側がなければ何もできないだろうといわれていたのですが、ヨーロッパ中から人が集まって行動すると、それぞれの開催地に応じてその付近の人間が集まってくるようになります。たとえば、ジェノバには25万人が集まりましたが、主はイタリア、フランス、スペイン、ギリシャ。ギリシャはばかにならない勢力で、ギリシャの市民社会全体が動員された感じです。また地域ごとでニュアンスが違いまして、アメリカは市場経済が最高潮にある国ですが、「市場経済はもうたくさんだ」というところから起こっているので労働組合でさえも先頭に立つという状況なんですね。欧州は社民政権です。社会民主主義というのはグローバリゼーションに対する対抗勢力ではあるはずなんですね。英のブレア首相にせよ、独のシュレーダー首相にせよ、グローバリゼーションの犠牲になる人に対してはセーフティネットで完全に救う、という立場をとっているわけです。人々は社民党政権にいくばくかの期待をしているわけですが、政権をとってみるとセーフティネットでは救いきれないことがわかるんですね。財政がない、というよりEUの縛りがあって日本のように無計画な財政赤字を作れないので、伝統的な社会福祉を全うすることができないわけですね。それに対する絶望感、裏切られた怒りというものが主力になって、反グローバリゼーションのデモに参加するので、主力の労働組合は参加していないんですね。主力は市民運動です。

少しずつ変化する反グローバリゼーション運動

9.11がアメリカの市民社会にとっては大きなショックでした。実際は、2001年9月末のIMF・世銀の総会を目指して動員していたのですが、しかもはっきりと“Mobilization for Global Justice"というようにアンチ・グローバリゼーションとは呼ばない、と決めてアンブレラ組織もできていたのに、9.11でダメになって後退したかに見えました。ところが、2002年4月20日のIMF・世銀の総会ではワシントンで10万人のデモが発生、健在ぶりがみられました。一方、ヨーロッパは全く変わっていません。9.11の受け取り方も温度差があって、「反グローバリゼーションはテロリストだ」ということをはねつけるだけの確信がヨーロッパ側にはあるということですね。6カ月ごとに開催されるEUサミットに対しても行動していますが、EUをなくせということではないんですね。欧州連合が通貨統合など経済主導で行われていることに対する怒りなんです。従ってスローガンはSocial Europe、社会保障を中心にしろ、ということなんです。IMF・世銀はいらない、G7サミットはつぶせ、という反グローバリゼーション運動とは違うんですね。

反グローバリゼーションはCNNなど主要なメディアで反グローバリゼーション=暴力だというように叩かれていますが、そのような批判は自分たちの中にもありまして、もうそろそろサミットホッパーはやめようではないか、サミットごとに出かけていくのはやめようではないか、という話もあります。サミットのたびに出かける虚しさに目覚めて、その結果として2001年1月にダボス会議が開かれた時に、ちょうど地球の反対側にあたるブラジルのポルトアレグレで「世界社会フォーラム」というものが開催されました。

ATTAC創立の経緯

この「世界社会フォーラム」をホストしたのはブラジルの連合体で、労働組合、農民組合、土地なき農民組合、NGO、学者など全てが入った組織ができたんですが、国際的に組織したのはフランスのATTAC。ATTACのきっかけは、フランスには失業者が多いのですがそれを組織する人は誰もいませんでした。ある時PTT郵便局のパリ支部のリーダーが重役になったんですね。重役というのは1カ月に1回集まればいいわけで、あとは労働運動をしてはいけない、ヒマになってしまったので失業者の運動を始めた。すると多くの人が集まり、失業者協会ができて、200万人が動員され、各地でデモをやって失業手当の増額等の運動をジョスパン政権に働きかけるようになりました。ところが「ない袖は振れない」ということで要求は受け入れられなかったのです。それで新しく財源を獲得しなければいけないということでトービン税を考えたわけですね。いわば、失業者運動の失敗によるケガの巧妙という形でATTACが生まれたのです。

ATTACはフランス語で「攻撃」という意味なんですが、内容は、為替取引税に税金をかけて市民のために使おうということで、トービン税をかけた場合にフランス国内でその20%を使って、残り80%は世界の貧困根絶のために使おうという方針です。ATTACが創立されたのは98年1月で、現在は5万人の会員を擁しフランスの中で最も強く、最も注目すべき社会運動になったわけです。ATTACの支部が各地にあり、そこが中心になってお金の手配などをしてポルトアレグレに集まったわけです。

世界社会フォーラムと、そこから生まれた連帯経済という考え方

第1回は500人くらいかな、と思って行ってみたら1万6000人だったんですね。2回目はのべ6万人という人たちが参加しました。中心はラテンアメリカの労働組合と農民組合ですね。労働者と農民たちの間では、WTOに反対するということだけははっきりしているんですね。ブラジルの農民に聞くと、やっと土地を占拠して農業ができても、ブラジルの農作物はラテンアメリカ中で最も安いんですが、それ以上にアメリカから流れてくる農産物のほうが安い、と。この問題はWTOである、ということなんです。チェ・ゲバラとWTOがそういうところに混在しているような、訳のわからない状況で非常に活発です。それが Via Campesino=「農民の道」という国際組織になって、フィリピンやインドの農民組織もみなVia Campesinoを名乗る、と。アフリカにも同じような組織ができていて、今WTOに反対しているのは本当の農民であって、もはやWTO反対の論文を書いたインテリなどを超えた存在として農民がいるといえる状態です。

これが各地で社会フォーラムという形でディベートをしていくということになっております。ここから出てきたのが「連帯経済」という考え方です。今現在、市場経済にとって代わることはできない。昔はマルクス主義で社会主義革命だったんですが、それが効力を失った以上、今の市場経済をなくすことはできない。しかしある程度コントロールしなければならない。市場経済は利潤が動機となって動きますが、「連帯経済」というのは人間と人間の連帯を求める経済活動ということです。協同組合やミューチュアルに最近ではNPOが入り、そして地域通貨やフェアトレードが加わり、同時に国際的な市場経済を抑える、というか速度をゆるめるためにトービン税や多国籍企業に対する行動基準、規制、即ちインターナショナル・レギュレーションを考えていくという動き、その一方でローカルに連帯経済を強めていく。ある学者の計算によると「連帯経済」が全体のGNPの10%以上になれば、市場経済をある程度コントロールできる、ということです。現状は0.1%にも達していないといったようなことをいっております。

質疑応答

Q:

1. 次の2003年のカンクンWTO閣僚会議に向けてどのように考えているか。
2. 農民の中で中国を巻き込むとすごい勢力? 中国はWTOに対して、農民からの反対の声が聞こえないが。運動に巻き込むという考えは?

A:

1. WTOのドーハラウンドで、NGOはグローバリゼーションに反対して少し距離をおいていました。相手を認めて対話するのがNGOの立場、つまり世銀を認めつつ世銀の政策を変えるのが立場です。距離を置いていたNGOがドーハ会議でものすごい矛盾にぶつかりました。デモもないし誰もいないので無力。要求しなければ何もできません。(Third World Networkの)マーチン・コー曰く、「WTOはshrinkするべきか、sinkするべきか(WTOの役割を縮小するべきか、無くすべきか)」。これがNGOの大きなディベートで、大部分は無くす方向に傾いています。日本の場合、WTOは米問題であるという認識で、包括的に南北問題としてWTOを取り上げているところはありません、なぜかはよくわかりませんが。1人の署名をとるのにとても苦労して、全体で1000万人が参加したことになってはいますが(連合800万人、キリスト教団体100万人)。日本の逼塞状態についてはよくわかりません。
2. 中国、旧社会主義圏は反グローバリゼーションの中では半ブラックボックス状態です。「世界市民会議」では中国の市民社会の人を集めましたが、政権の中にあって、動きをみるとグローバリゼーションがよくない、ということを少しずつ理解し始めた程度です。私がいっているのは「土地なき農民」。ブラジルが典型ですが、スラムを組織して土地占拠闘争を行うというものです。都市から5~60キロ離れたところにテント村を作り、最初の訓練、つまり井戸掘りや有機農法などを、2~30世帯を1つの単位にして行います。1単位は600ヘクタールというスケールの大きな話で、価格競争ではグローバルです。

Q:

失業者対策としてのATTAC運動が非常に興味深かった。結果として反グローバリズムが内向きに振れ始めていないか。

A:

たとえば人種差別が問題になっていますが、じつはそれに対抗する勢力も欧州では強い。ゲイパレードでも実際のゲイは少なく、あらゆる差別に反対する人たちがパレードしてその数が20万人にのぼったりします。その点で非常に健康的。欧州はEU委員会、EU官僚が強くて議会が弱いので欧州議会を強める、ローカルな勢力を強くしていくということを戦術としています。運動の仕方もうまく、組織の維持の仕方もうまい。たとえばメーリングリストが何種類もあってローカルにチャットしあうリスト、学者が専門的な議論をするリスト、論文を発表するリストなど、さまざまなレベルでチャットが行われています。従って、あらゆるレベルの意見が同じ場所で行われて議論が混乱してしまう、ということがありません。

Q:

1. NGOがマーケットに直接働きかける議論というのはあるか。
2. NGOのレジティマシー(正統性)をどう考えるか。どれだけ正しいことをいうのか。
3. マスコミ対策について伺いたい。

A:

1と2. NGOのレジティマシーはよく聞かれる議論ですが、NGOは誰も代表していません。その行為において存在しているのです。貧しい人のために、マージナライズされた人のために活動するサービス機関です。第一世代は先進国のNGOがでていく、第二世代は現地を巻き込む、そして第三世代はお金を出して現地のNGOが実質的にやる、という感じでしょうか。例外は「国境なき医師団」のような専門性の高い活動の場合、ある程度の役割が終われば、次の拠点に場所を移して“無慈悲に"持続可能な活動を行いますが、それ以外は第三世代にあたります。そういう意味でNGOにレジティマシーはありません。NGOに規約はなく、大きかろうが小さかろうが、それぞれで意見が違うことも当たり前です。それが全体としてNGO。ただし、政府を相手にロビー活動するという点は共通しています。政党は作らず、政府といかに対等に自分たちの選択肢を出すか。ほとんどの途上国でNGOなしにやっていくことはできません。
私は、政府とマーケットと市民社会があったとしたら、これは均等の勢力でなければならないと考えます。日本のように市民社会が小さい国、フランスのようにばかでかい国はヘルシーではありません。3つが均等に、というのが理想的で、昔であればそれこそ全部をひっくり返して社会主義に、ということになるのでしょうが、すでに人権などの問題で息詰まっているので。
3. マスコミは本来、市民社会にあるべきで、政府に対してもマーケットに対してもクリティカルであるべきだと考えます。CNNのように巨大化したマスコミは利潤のために存在するという意味で、マーケットにあるといえます。他方、NGOがマスメディアを利用せざるを得ないというのも現実で、そのためにマスコミを批判しないとか、自分たちの仲間であるかのように幻想を抱くのはよくありません。ダイアナ妃が多くのマスコミをつれて地雷原に入っていったというのは衝撃的な出来事でした。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。