制度の大転換期にある日本

開催日 2002年1月9日
スピーカー 青木 昌彦 (RIETI所長・CRO/スタンフォード大学 教授)
開催言語 英語

議事録

「失われた十年」それとも?

今の日本の政治経済状況が歴史的にどう位置付けられるかについてお話したいと思います。「失われた十年」という表現がよく使われます。失われたものが成長の機会なのか、何なのか、定かではありませんが、過去十年が日本にとって憂鬱の時代であったとするこの見方に立つと、昨年もまた、あまり代わり映えのしない憂鬱な状態が続いたということになるでしょう。

私の考えは少し違います。私は、日本は今、制度の大転換期のただ中にあると考えます。政治・公共政策の決定プロセスにおいて微妙な、しかし極めて重要な変化が起こりつつあるとみます。これは、過去十年間にわたって考えてきた比較制度分析の理論的枠組みの適用と、経済産業研究所の窓から霞ヶ関や永田町を覗いて得たフィールドワークに基づいた暫定的な結論です。前者について興味をお持ちの方は、『比較制度分析に向けて』(NTT出版)という拙著を参照してください。

「制度」とは何か

制度とは何でしょうか? さまざまな経済のパフォーマンスの違いを理解する上で、「制度が重要だ(institutions matter)」という認識が経済学の間でここ十年ほどの間に広がりました。しかし、制度の定義については未だ経済学者の合意はできていません。

アダム・スミスにまで遡る考えですが、人間社会を1つのゲームと考えると、ゲームのプレーヤー、つまり組織を制度とする見方もあれば、ゲームのルールに相当する法律や規制を制度とする見方もあります。私は、ゲームの結果生じる均衡状態をもって制度とする第三の見方をとります。すなわち、広く一般に共有される予想(shared beliefs)によって自己拘束的となっている政治経済上のルールを制度とみなすのです。制度が単に法律を意味するのであれば、法律を変えるだけで制度変化をもたらすことができるはずです。共産政権崩壊後、ロシアが市場経済に移行する過程において、IMF、世界銀行などが専門家をモスクワに派遣し、米国型の法律制度の導入を促しましたが、意図した結果を得ることはできませんでした。法制度の変更だけでは人々のゲームの働きに関する予想を変えることはできないということです。

日本における終身雇用制やメーンバンク制は、ここでいう制度の良い例です。終身雇用制は、法律や契約に明文化されてはいませんが、大学を卒業して大企業に就職したら、よほどのことがない限りその雇用は定年まで続くことを雇用者・労働者ともに予想し、行動を拘束していました。メーンバンク制についても、明確な契約はないけれど、ある企業の業績が悪化したら、そのメーンバンクが救済するだろうと、一般的に予想されていました。日本では突然の恣意的な解雇は、不当と判断されます。この場合、裁判所は終身雇用制を適法とみなしたことになりますが、これは一般的認識の追認に過ぎません。

仕切られた多元主義

日本における重要な制度の1つに「仕切られた多元主義」と呼ぶべき政治経済制度があります。終身雇用という一般的な予想のために、人々は自己の利益と組織の利益を同一化します。組織は業界ごとに団体を形成し、他の利益集団や新規参入によって既得権益が脅かされるのを阻止します。ここで、農協、医師会、国立大学協会などを含む広い意味で業界団体という言葉を用いますが、こうした業界団体と関連省庁の部局の間にもちつもたれつの、ゲームの理論でいうところの結託構造が進化します。たとえば、1980年代前半、銀行・証券間の垣根除去を目指した金融改革は、当時の大蔵省銀行局と銀行業界、証券局と証券業界という2つの結託構造の角逐のため実現しませんでした。

このような結託構造は、新規参入を妨げる一方で、それぞれの仕切りの中での政策の部分最適化を目指します。政治家は異なる利害を仲裁する役目を果たします。この構造はもともと1950年代に大企業、政治の保守勢力、当時の大蔵省・通産省など強大な権力をもった省庁によって形成された鉄のトライアングルから発展したものですが、田中内閣以来、他分野にも広がり、やがてほとんど普遍的な構造になりました。

経済が順調に成長し、所得移転が特定の業界に不利益をもたらすことなくスムーズに行われている間、このシステムはうまく機能し、所得平準化を実現しました。しかし、市場のグローバル化が進んだ今日、このようなしくみを維持することは困難です。ある領域内部における最適化が国際競争にとって不利益となる外部性効果を他領域にもたらす可能性が大きくなるからです。情報技術の発展も、組織内における情報共有を暗黙の了解としてきた既存の組織構造に大きな衝撃を与えました。

制度的危機が転換の契機に

制度転換をすすめる上で、制度的危機が重要な役割を果たします。仕切られた多元主義の問題や銀行・証券間の垣根除去の必要性は、1980年代当時すでに認識されていましたが、改革は実現されませんでした。国民全般が現状に満足している良好な経済状況のもとで制度転換をはかるのは困難なものなのです。しかし、国民の期待と実際の結果に大きな乖離が生じたときに、「制度的危機」とでも称すべき現象が生まれます。

過去十年間を制度の大転換期と位置付けるのは、終身雇用制、メーンバンク制など極めて重要な共有認識がこの時期に崩壊しはじめたからです。このような制度的危機と称すべき状況下では、人々がこれまで当然のこととして準拠してきた安定的なゲームのルールに大きな揺らぎが生じるのです。

制度変化とは、ある均衡状態から別の均衡状態へ移行することですが、目指すべき最良の均衡状態がどういうものなのか、前もって詳細に設計・提示できる人はいません。これは実験と失敗を通して模索されていくもので、その際、民間部門における起業家的実験が重要な役割を担います。多様な実験がなされ、互いに競争し、その競争の中からより優れた仕組みが選択されます。そして、ある仕組みが成功例であるという認識度がある臨界点を越えたときに、その均衡状態が新たな制度に進化を遂げます。

もう1つ重要なのは、実験を妨げる古い規制を取り払うことです。実験の起業家的競争を促進するため、規制緩和や規制改革を推進し、人材の流動化を促し、シュンペーターがいうところのイノベーション、つまり古い結合を創造的に破壊し新たな結合を生み出さなければなりません。新たな制度は、異なる領域(ドメイン)の革新的な結合という形で生まれるかもしれません。障害を除去するために規制緩和や規制改革を進めるのは行政の仕事ですが、仕切られた多元主義の枠組みにおいては、部局間調整が必要となります。これは、現行の官僚行政では自生的に生じ得ず、強力な政治的リーダーシップを必要とします。民間部門における実験の起業家的競争、それを促進する規制緩和、既得権益を超える政治的リーダーシップが三位一体的に進化しなければなりません。

日本における変化の兆し

日本における重要な変化は1993年以降に始まりました。1992年にバブルが崩壊し、その後、金融危機が発生、メーンバンク制や終身雇用制に疑問が投げかけられるようになりました。が、何よりも着目すべきは、1993年の自民党一党支配の終焉です。利害調整が比較的たやすい一党支配は、仕切られた多元主義と相互補完的な関係にあります。しかし、ひとたび一党支配に疑問が投げかけられると、事態は異なります。小泉純一郎総理総裁の登場は、このような政治勢力の変化という衝撃なしにはあり得なかったはずです。

大蔵省(現財務省)が1997年、護送船団方式を放棄したことも重要な変化です。

制度転換はまだ始まったばかりで、これから十年もしくはそれ以上続くかもしれません。しかし、行政改革は実施され、経済財政諮問会議や総合科学技術会議が発足しました。これは、政治的リーダーシップ次第でいくらでも活用しうる組織変化です。

景気対策において、税制面の政策が重視されるべきところ、財政支出にばかり力点が置かれてきました。自民党税調による不透明極まりない審査、そして、いかなる税制改正も財務省主税局によって法案作成されなければならないという不透明なしくみが税制改正を困難なものにしてきたのです。しかし、小泉政権はまさしくこの税制改革を今年の重要項目に掲げています。どこまで成し遂げられるのか分かりませんが、連結納税制度導入を巡る昨年の意志決定プロセスは大変興味深いものでした。ほんの二年前であれば、法案作成が間に合わないと主税局がいえば、それでおしまいだったでしょう。しかし今回は、経済財政諮問会議が主税局の決定を翻しました。

大学改革については、産学連携の重要性についての認識が広がりつつあります。基礎研究を自前主義で行ない、新卒採用の中から研究者を育てていくといった従来のやり方を続ける余裕が無くなりつつある産業界の事情も関連しています。産学間の協力についての議論は大学改革論議に大きな影響を及ぼし、総合科学技術会議において集中的な討論がなされました。

中国農産品に対するセーフガード問題をめぐる日中間交渉が12月に決着しましたが、これも興味深い出来事でした。強力な農林族議員の圧力にもかかわらず、日本政府はセーフガードの正式発動をしませんでした。

制度転換はたいへん困難なプロセスだということを申し上げておきたいと思います。これはゲームのルールとして人々が長らく慣れ親しんだ認識を変えるプロセスであり、とても一気に成しうるものではありません。まず、古い認識に疑問が呈されなければなりません。その上で、新たなルールの模索が始まりますが、これもまた、一夜にして決まるものではなく、民間、行政、政治の戦略的相互作用によって生み出されていくものです。米国でも、レーガン政権が税制改革を実施してから競争力を回復するまで十年以上かかったのです。日本は、すでに十年近くの歳月を費やしましたが、日本の諸制度はアングロサクソン的社会における諸制度より互いに緻密に結合しているので、これを制度的補完性と呼びますが、その転換はより困難です。それでも、変化の兆しは見えています。どんなに古いルールにしがみつこうとしても、それが普遍的に受け容れられる状態にはもはやないからです。しかし、新しいルールを生み出すための実験には、比較的新しい世代の人たちの積極的な参加が必要ですが、現在の日本には、政治の世界でも、ビジネスの世界でも、行政の世界でも、ポスト・バブルの世代の発言権や存在感が薄く、それが心配です。いわゆる失われた十年の間外国に過ごした私の個人的感覚からいうと、現在の日本の憂鬱状態とは、バブルの成功体験の夢から覚めきれない世代の人たちの心理状態をもっぱら反映しているように思われてなりません。

質疑応答

Q:

十年程前、韓国とニット製品を巡って似たような状況があって、そのときも韓国が輸出自主規制するという形で決着しました。今回の中国の場合とどう違うのでしょうか? また同じような政治的圧力がかかるたびにこういうことを繰り返していくとどうなるのでしょうか?

A:

直接の答えにはならないかもしれませんが、あの結末が割と良かったと評価するのに、国内・国外両方の要素があります。国内的には、もし正式発動したということになると、農業の族議員の横暴が通るということになって、それが前例となって日中経済関係が良くない方向にいく可能性がありました。
もう1つ、中国では今、ロースクールを出た人たちが非常に重用されていますが、これは、契約法・破産法といった実務が非常に重要になってきているからです。中国は今、ものすごい勢いで近代的なルール・オブ・ローに基づいてシステムを移行しようとしている過程で、その担い手になる人たちが将来のエリート層になりつつあります。
今回の通商交渉においても、行き着く先はルール・オブ・ローの世界であることは当然ですが、そこに行き着く過程でどういう戦術をとるかという視点が必要です。そうした中国の状況と日本の仕切られた多元主義、その中で国内の農業のロビーを壊して本当の意味での産業政策をどう根付かせていくか。そういう視点から今回の問題を考えると、十二月の結末というのは、ある意味で積極的に評価できると思います。

Q:

制度転換は時間がかかるというお話でしたが、多くの人々、とくに外国人は、変化の速度を問題にします。ひとたび制度転換を成し遂げたら、日本は再び急速に変化するグローバル市場で競争力を発揮することができるのでしょうか? 共通認識についてですが、たとえば税制改正について一般国民のなかに共通認識は形成されているのでしょうか?

A:

日本で今起こっている微妙な変化を外部から認識するのは、難しいかも知れません。何をもって遅いとするかという問題がありますが、不良債権の処理だけを焦点にして改革が遅いというのなら、それは少し近視眼的かもしれません。私はもう少し長期的な変革を念頭に置いています。もちろん、変化のスピードに時として苛立ちを感じることもあります。しかし、こと変化の速度に関しては、多分に政治的リーダーシップにかかっているので、こればかりは予測できません。
共通認識についてですが、税制改革の詳細についての国民的コンセンサスは副次的な問題だと思います。大事なのは、変更のプロセスについての一般的な理解が形成されることです。従来、税制の変更は、自民党税調や財務省主税局という閉ざされた領域で行われてきました。しかし今は、税制改革の重要性が経済財政諮問会議でオープンに議論され、政治家もよりオープンな形で意見を述べるようになりました。
ある重要な意志決定プロセスが、不透明な政治領域からより開かれた政治領域に移り、それを一般国民があるべき姿と認識したとき、制度転換が起こります。私が言いたいのは、その兆しが今、見え始めているということです。

Q:

ディレギュレーションとは、何か今あるものを取り除くということですが、もうちょっと積極的にレギュラトリーリフォーム、新たな制度への移行を加速するために今、着手すべき戦略的な一手ということで、行政に対するアドバイスはありますか?

A:

ある戦略的な高地で重要な変化が起こると、それが引き金になって他の変化に繋がっていくということがあります。そういう意味で、ストラテジックな変化とは何かということを考えるのはとても重要だと思います。新聞などで特殊法人改革の先送りといわれているけれど、何か1つ決定的に重要な変化が起きれば、そういう変化が時代の流れとして相場を創り出していくように思います。あえてこの場でいうならば、経済産業省は石油公団をどうするか、もっと革新的なプランを自ら範として提示すべきだったのではないかと思います。
小泉政権には今の調子で数年維持してやってもらいたいけれど、やはり改革の成果はある程度目に見える形でないといけない。大学改革というのも目玉になる商品じゃないかと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。