国民の知らない医療問題

開催日 2001年11月26日
スピーカー 秋山 洋 (虎ノ門病院 院長)
モデレータ 川渕 孝一 (RIETIファカルティフェロー/東京医科歯科大学)

議事録

認識不十分な医療問題

医療制度改革が叫ばれて久しいが、実は国民の医療問題に対する不十分な認識が問題の核となっていることは、あまり理解されていない。国民に医療現場の実情についての正しい知識がなければ真の改革が不可能なのはもちろんだが、時には不理解が改革の動きに対する反発を招いている場合すら見受けられる。また一方では、咀嚼不十分で政策誘導的な言葉の氾濫が、医療現場に一層の混乱を招いている。マスコミの報道も、生物テロの例をみても分かるように、感情を煽動する記事ばかりが目立ち、正確な情報の伝達はまだ不十分である。現実問題として改革を唱える以前に、まずこのような矛盾した現状を正面から見据える必要があるように思われる。
私の一般病院、大学病院などの現場における経験を踏まえてお話したい。現場の立場からすると、まずお話したいのは、例えば「構造改革なくして真の医療改善なし」といった政策誘導的モットーに見られるように、現状を十分に顧みない言葉や経済的観念の先行である。マスコミの報道を見ていると、今日私たちが面しているのは、「終末期の医療」であるといった記事が目立つ。しかし、そこにみられる病院への非難や意見は真に国民の視点によるものなのだろうか。ある時などは、病院への慇懃なお礼の手紙という稀有な記事を見つけた。よくよく見れば、医療事故研究者によるものであった。なるほどと思う。

医療の質の水準が、純粋に論議に上がることは少ない。特に我が国では、ある問題がいったん持ち上がると、その一点ばかりに意見が集中し、得てしてより全体的、包括的な視点は失われがちである。例えば「カルテの開示」といったようなキーワード1つが挙げられると、しばらくはその一語のみを追いかけて右往左往する。以前、「患者や地域に開かれた病院」であるかどうかの判断を目的としたアンケートが行われたことがあったが、その結果によると我が病院の順位はかなり低かった。しかし、実際の診断や治療の結果ではなく、判断基準としてカルテの開示度や待ち時間などに重点をおく、あのアンケートの意図は何だったのか。少なくとも、それは患者が必要としている真の情報開示ではなかった。

医療には、その経済財としての特質がある。まず、その需要は受動的であること。需要を生み出す要因の除去すら望まれる。また、需要の見通しを立てることは大変困難である。次に、医療行為にはある程度の不確実性がついてまわる。これは一般に理解されにくい。そして、情報の非対称性がある。医療行為者とその享受者である国民間の理解や認識の不一致はしばしば避けがたい。他にも、影響性がある。医療の対象となる個人と、彼もしくは彼女を取り巻く環境(家族・友人や居住地域など)との相互間の影響が考慮されるべきである。そして最後に希薄な費用意識が挙げられる。これは医療行為者による経済的関心の無さにも起因すると思われる。これらの特質が十分に理解されないままでは、現場の実情と医療制度改革についての議論はかみ合わない。

総合病院としての虎ノ門病院が抱える問題

続いて、総合病院として虎ノ門病院が抱える悩みについてお話したいと思います。

1)医療における政治力学

診療所と病院の役割分担の問題は、すなわち日本医師会と病院団体間の問題ともいえるが、制度上、実際に作用しているかどうかは不確かである。残念なことに、医療に携わる当事者たちは病院の日々の日課に追われて、実際の制度改革についての論議に耳を貸す時間はほとんどないのが現状である。例えば30%以上は紹介でまかなわれることが理想とされる紹介医制度も、結果として病院間における患者の奪い合いを招いており、また、総合病院では赤字の原因の1つにもなっている。我が病院においても踏み切られた、初診料を上げるという初診患者数を減らすための苦肉の策は、その障壁としての効を奏したとしても、それが本当に必要であるかどうかは大いに疑問である。

2)虎ノ門病院の外来患者数は減少しない

病床数及び平均在院日数をOECD諸国と比較した場合、我が国の人口に対する病床数は多いが、在床日数の長さも群を抜いている。医療サイドの経営面からすれば、通常患者の在院日数を減少し、単価、すなわち患者一人当たりの医療費を上げることが重視される。しかし、例えば呼吸器系疾患の外科手術に関しては、術後の入院は長期にわたるものが多く、病床回転率は低くなりがちで、これが赤字の原因の1つとなっている。また、待ち時間が長い等の批判もあるが、一般に高い評価を受けており且つ24時間体制を整える当院には初診から直接来院を希望する人も多く、一般に適正といわれる患者数についての入院・外来比率にはなかなか及ばない。結果として、虎ノ門病院における他の診療所からの紹介率は、理想といわれる30%には及ばぬまま、慢性的に伸び悩んでいる。

3)不採算医療という不可解な言葉

そもそも、医療に採算という言葉があっていいのだろうかと私は疑問に思っている。しかし実際、経営対応のし難い種々の不採算診療料の保持を余儀なくされている。市場原理を適用したのでは採算不可能な例をあげよう。小児科及び結核病棟では病床利用率は低率であり、平均在院日数が他の科に比べて長く、収益対原価も経営指標としては全体の中で足を引っ張る値となっている。また、当院は24時間体制のため、夜間当直を置くが、一晩に訪れる急患数は平均して2名程である。これがいくら不採算医療であるとしても、急患という需要の有無に関わらず、当直の配置が必要であるのはいうまでもない。

4)補填のない不可解な支出

さらに、どこからも補填され得ない支出もある。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)等でよく知られる院内感染患者の個室への隔離や、身元不明者への救急措置、患者の経済的事情による入院室料減免などはそのよい例である。個人負担が不可能でも医療を継続せざるを得ない場合には、必要医療費用の割引をするしかない。これらは上述した医療の特質の1つである「影響性」に基づく病院側の負担である。補填皆無と知りつつも避けることのできないものであり、事実上、泣き寝入りするしかない場合がほとんどである。

医療の構造改革

次に、医療の構造改革についてお話したい。

1)医療は非営利、それならば医療周辺産業は?

一般に、医療は非営利といわれる。私自身、実際そうあるべきだと思うし、可能な限りそうあってほしいと願っている。現実には、まじめに医療に取り組む病院ほど不採算医療を行っている。その一方で、医療周辺産業については、その需要の飛躍が予想されている。医療に関していえば、輸入機構が整っていないため、技術とモノにわけた場合、まだまだモノにかかる費用が多すぎる。「危機管理対策」や「利便性の向上」などと称する製薬や医療材料等を扱う医療周辺産業の営利行動の前に、非営利で低価格統制下にある病院は無力である。当院でも、総支出中、人件費(約40%)の他は、医療器具と医薬品がそのほとんどを占めている。そこに、値段交渉のほぼ不可能な器具や設備の修繕費用その他が加わる。管理する体制以前に、医療施設とそれを取り巻く医療周辺産業の関係について包括的に定める制度はない。

2)高齢者医療とは一体何か?

高齢化社会の到来を憂えている人は多いようだが、私は社会の成熟化現象と考えており、少子化についてはともかく、むしろ喜ぶべきことだと思う。
昨今、「高齢者医療」や「高齢者医療保険」の創設が論じられるが、このような区別をする必要があるのだろうか。むしろ、すでに5200余りある保険種を統一することの方が大切ではないのだろうか。また、ここで用いられる「高齢者」及び「高齢者疾患」といった言葉の定義とは一体何だろうか。実際、高齢者の患者数は増加し続けている。彼らについて多く観察されるのは、糖尿病、悪性物質、高血圧症、循環器系及び神経系の疾患など、医療が常時対象とするものである。また、「医療と介護」の間の線引きも現実には難しい。

3)“世界に冠たる"国民皆保険とは本当か?

医療の3大要素として、Access、Quality、そしてCostが挙げられるが、これらの要素は互いにTrade off の関係にあるため、相互のバランスが大切である。我が国では Free Accessを重視するあまり、他の2要素がTrade offされる傾向にある。その一例として、病床数の継続的な増加傾向が挙げられる。これは日本の医療が発展途上にあることを示唆する現象で、我が病院にも見られるものである。まさに虎ノ門病院の歴史に日本の医療の歴史を見るような思いがする。また、もう1つの例として、従来批判の対象となる医師誘発需要と対照をなす、患者誘発需要による過剰診療がある。例えば、引きこもり防止と称した屋外運動のため、サロン的用途目的のため、定期的な診断による顔見せのため、くすりの受け取りのため、もしくはドック代わりの検査のためといった、(主に高齢の)患者側から生み出される、一般に意義の少ない診療需要のことである。これは医療費の垂れ流しに通じる原因の1つとなっている。このCostがTrade offされている様子を保険給付の側面から眺めてみよう。入院医療費のGDP比についてOECD諸国と比較した場合、医療の中核を成すにもかかわらず、我が国のそれは一番低い値となっている。これとは対照的に、診療所でその大半が費やされる外来医療費のGDP比は最も高い値を示している。このことからも、外来に対する受診必要率の正しい評価が必要と考えられる。今後は成熟社会型に適応した構造を目指して、特にQualityを重視した全体的バランスの修正が行われるべきであろう。

私は従来の保険方式から、所得移転としての税方式への転換を提案する。そもそも保険とは、何かあったときのためのものである。税方式へのシフトは、医師も患者も望まない、もしくは必要としない乱診乱療の減少を助けるだろう。ただし、上述の通り、医療には不確実性も伴う。適正な給付のためには免責方式の採用及び厳重な取り締まりのもとでの適用が必要となるだろう。

不要な医療需要の喚起は医療赤字を呼び、その一方で、病院は個別にIT化などの必要経費を捻出しているという矛盾した現状がある。患者誘発にせよ、医師誘発にせよ、必要性の少ない需要に頼る経営から脱することがまず必要である。一貫した公的制御による国としてのMacro Policyの変革のないまま、個々の病院内におけるMicro Policyだけに頼る現在の構造のままでは、高質医療への変換はほとんど不可能である。医療改革によって真に達成されるべきものは、何よりもまず、こうした医療における構造改革を取り巻くさまざまな問題点にとらわれることなく、医療者が本業に専念できるという環境の実現であろう。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。