京都大学 - RIETI 共催シンポジウム

新型コロナウイルス感染症対策の文理融合研究-ウィズコロナ社会の展望(議事概要)

イベント概要

  • 日時:2022年12月19日(月)14:00-17:00
  • 主催:独立行政法人経済産業研究所(RIETI)、京都⼤学

議事概要

新型コロナウイルスの感染拡大が始まって間もなく3年が経過する。世界ではウィズコロナを前提とした社会の在り方が模索されており、感染の拡大を抑制しつつ社会経済活動を維持するためには文理融合による新たな生命・社会科学の構築が不可欠となっている。京都大学とRIETIは2020年から共同で、感染実態の把握に向けた研究を展開してきた。抗体検査を含む網羅的なヒトデータを用いた医学・社会分野融合型の大規模疫学研究は世界でも初めての試みである。本シンポジウムではその成果の一端として新型コロナ感染拡大の特徴や人々の行動変容の状況などを紹介するとともに、健康・生命科学データ活用の将来像について意見を交わした。

開会挨拶

湊 長博(京都大学総長)

世界は地球レベルでの気候変動、格差の拡大、先進諸国における高齢化の進行、さらには新興感染症の発生とまん延といった数多くの大きな課題に直面しており、これらの非常に複雑な課題は今や個別の科学領域によって解決し得るものではありません。このため、わが国では、2020年6月に現代科学の諸領域が一体となって成長戦略を作るべく、科学技術基本法から社会科学を含む科学技術イノベーション基本法として法改正がなされたところです。

近年、ヒューマンバイオロジーの研究が急速に進展していますが、生体情報を集積して綿密に解析するだけでは決して十分とはいえません。なぜなら、人は社会的な動物であり、社会的・精神的活動も人の健康に大きな影響を与えるからです。今回の京都大学とRIETIによる共同研究は、わが国におけるソシオ・ライフサイエンスという新領域の先駆的研究として非常に意欲的に展開されており、その研究成果がわが国の成長戦略のけん引に少しでも貢献をもたらすことを強く期待しています。

研究成果報告

京都大学医学研究科とRIETIは2020年以降、フランス・パスツール研究所が開発した抗体検査キットを使って、地域住民と医療従事者を対象に感染実態を把握する国際共同研究を行ってきました。社会全体として感染症に立ち向かうには、医学的努力だけでなく人々の行動変容に取り組むことが不可欠です。この調査では京都大学医学部附属病院(以下、京大病院)の医療従事者等に加え、京都大学が滋賀県長浜市で構築している「ながはま0次予防コホート」の参加者約1,100人を対象として抗体検査とウェブアンケート調査を実施しており、不顕性感染も含めた感染実態と人々の行動変容の状況や社会経済活動を統合して分析することで、生命科学と社会科学を通じた文理融合研究を展開しています。

「新型コロナウイルス流行の実態解明に向けた医学―社会科学融合型研究(京大病院職員のデータ解析を中心に)」

山本 正樹(京都大学大学院医学研究科講師)

京大病院職員等に対する抗体検査は、614名の参加者を対象に実施しました。検査にはパスツール研究所で開発されたLuminex(MAGPIX)という機械を導入していて、この機械は新型コロナウイルス(SARS CoV 2)を構成する5種類のタンパクを一度に調べることができます。

これらのタンパクはSARS CoV 2に感染した状態のときに産生されるのですが、スパイクタンパク(S)とその受容体結合ドメイン(RBD)は感染時にもワクチン接種時にも産生されるのに対し、膜タンパク(E)とヌクレオカプシドタンパク(N)はm-RNAワクチンに含まれておらず、感染によってのみ産生されるという特徴があります。

これらの特徴を利用して抗体の各種類(IgG、IgA、IgM)について測定したところ、感染の有無の判断(罹患率)に関しては、NタンパクのIgG抗体が比較的良好な指標と考えられました。Sタンパクに対する抗体に関しては、RBDのIgG抗体とSタンパクのIgG抗体が良好な検査精度を有していると考えられ、今後も調査を深めていこうと考えています。

抗体保有率については、NタンパクのIgG抗体が26%程度まで上昇していたのですが、京大病院で感染制御をしている点からするとやや高く出過ぎている可能性があり、今後も精査が必要と考えています。SタンパクのIgG抗体は、2、3回目の調査時に保有率が90%以上となり、ワクチン接種に伴ってしっかりと上がっていることが分かりました。

今後の課題としては、感染例があまり多く含まれていないポピュレーション(集団)での解析になっているので、感染例のデータをさらに集積することでより高精度の検査を行うことと、SタンパクについてはRBDのIgG抗体とSタンパクのIgG抗体が臨床的に有用かどうか解析できていないので、中和抗体との相関も見ていきたいと思っています。また、ワクチンの種類が変化してきているので、種類による影響にも注目していきたいと考えています。

「新型コロナウイルスに対する新たな抗体検出法の開発とながはまコホートを用いた大規模抗体調査~第二期調査の進捗報告~」

松田 文彦(京都大学大学院医学研究科教授)

われわれは第二期調査(2022年8~9月)において、「ながはまコホート」の参加者1101人を対象に末梢血単核球(PBMC)のライブラリを全員分作成し、それによって抗体検査を行いました。同時に社会科学的な調査も実施し、感染歴等を自己申告してもらいました。

調査の結果、末梢血を用いたことによってSタンパク、Nタンパクに対する抗体を精度良く測定できることが分かりました。

今回の被験者1,101人中173人が、ウイルス感染からでしか得られない抗N抗体が陽性でした。そのうち感染を自覚していた人は62人、自覚していなかった人は111人だったことが分かり、不顕性感染によってウイルスが拡散している可能性が示唆されました。

ワクチンを受けずに感染した人の大多数が、感染後に十分なS1抗体およびRBD抗体を獲得できていませんでした。また、ワクチン接種者の中にも十分な抗体が得られていない人が少数存在していました。

今回の調査で末梢血のライブラリを作ったことにより、それぞれの人にどのような抗体が産生されたのかを調べることができるので、こうした感染状況に何が起因しているのかを解明するために新たな解析を計画しています。

パスツール研究所ではオミクロン株に対応する検査試薬を開発しているそうです。それによって接種者がオミクロンの抗体をしっかり作れているのかどうかも分かる可能性があるので、将来的にはそうしたものも使って実験を進めたいと思っています。

それから、3回目の抗体検査は実施すべきだと思っています。長浜では末梢血で実施した検査が1回分しかないため、2回分のデータを得ることで集団免疫の獲得具合を時系列で分析でき、どのように感染者が増えるのかを解析することもできるからです。また、人々の警戒感がかなり緩んでいると思うのですが、データを経年で比較することで意識や行動の変容も分かるのではないかと思います。

「新型コロナ感染と行動変容・社会因子」

広田 茂(RIETIファカルティフェロー / 京都産業大学経済学部教授)

われわれは、2022年8月に「ながはまコホート」参加者を対象に実施したウェブアンケート調査(2回目)と抗体検査から、人々の行動変容・社会経済因子と感染の関係について検証を試みました。

検証の戦略としては、感染の多くが2022年夏以降であるため、ワクチンの3回目接種(2021年12月以降実施)から4回目接種(2022年5月以降実施)までの期間の各人の行動変容のデータを用いることにし、不顕性感染を含めた感染の有無と、考えられる要因を回帰しました。

その結果、まず日常の予防行動に関して、定期的な体温測定を心がけている人はむしろ感染しやすい傾向があったものの、その他の予防行動については有意な相関はなく、具体的にどの予防行動が感染を防ぐ上で有効だったか、はっきりした結論は今回得られませんでした。むしろ一般的にリスク回避度が高い人の方が感染していない傾向がみられ、全体的な行動の慎重さが感染の有無と明確に関係しているという興味深い結果が得られました。

なお体温測定については、体調が悪いなどで感染を疑った人が特に心懸けたなど、逆の因果関係を反映していると考えられます。

また、未就学児と同居している人は感染しやすい傾向にあることが分かりました。これは、子どもの世話や送り迎えなどで生活に感染回避のための自由度が少ないためである可能性があります。一方、在宅勤務経験のある人は感染していない傾向にあることが分かりました。

国の政策への評価と感染の関係の存在が明らかになったことも重要な点だと思います。第1回のアンケート(2021年)で国の政策を高く評価すると回答した人ほど、感染していました。これは、制限を緩和して経済を回す政策を評価した人々が積極的に外出して感染した、あるいは国の政策の有効性に疑問を持った人々が慎重に行動したことで感染を回避したといった仮説が考えられます。いずれにしても具体的にどの政策がどう評価されたかなどをより明確に把握し、感染を抑制するための政策立案に役立てることは極めて重要だと思います。

パネルディスカッション「健康・生命科学データの活用について」

パネリスト:
  • クリス・ダイ(株式会社レシカ代表取締役)
  • 松田 文彦(京都大学大学院医学研究科教授)
  • 吉原 博幸(京都大学名誉教授)
モデレータ:
  • 矢野 誠(RIETI理事長 / 京都大学経済研究所特任教授 / 上智大学特任教授)

ダイ:
弊社は、ブロックチェーンの技術を使ったデータ管理や、非代替性トークン(NFT)、自律分散型組織(DAO)といったWeb3.0の要素技術を社会実装している会社です。京都大学とRIETIの共同プロジェクトでは、データ管理の部分で弊社の技術を使っていただいています。

従来のデータ管理は、特に個人データの管理が非常に煩雑であり、情報流出の問題やデータ再利用のためのコストが非常に高いという課題がありました。そこで、個人を識別する方法を個人データから剥離する必要性と同時に、データの所有権を個人が持つことで安全性を担保するために、ブロックチェーンを使った仕組みが最適であると考えました。

私たちが実装したシステムでは、ブロックチェーンを使ってIDとパスワードを被験者自身で発行し、被験者のデータは被験者自身が確認できるように戻します。そのときに、個人情報とひも付けずに各個人のデータがそれぞれの秘密鍵で暗号化された形で返すことにより、安全性と個人情報流出を防ぐ仕組みを構築しました。

われわれが手がけているDAOという要素技術では、分散型台帳技術をベースに、組織自体が特定のリーダーを設けずに意思決定を行うことができ、その組織で得られた利益を分散した個人に還元する仕組みを構築することができます。DAOの仕組みによってデジタル上ではこれから新たな形態の組織がどんどん増えるのではないかと思います。

吉原:
「千年カルテ」は、医療情報を実名で集めることができるデータプラットフォームです。当プロジェクトを推進するわれわれライフデータイニシアティブが次世代医療基盤法に基づいて認定匿名加工医療情報作成事業者の第1号に認定されました。

データというのはある程度集約して共通の形式にする必要があります。そこでわれわれは2015年、日本医療研究開発機構(AMED)の支援により、全国レベルでの医療データ集積の仕組みを構築するために千年カルテプロジェクトを始動させ、2019年の次世代法施行によって医療情報の2次利用が可能になりました。

現在35施設の医療情報を収集しており、このデータを研究者に提供することで利用料を頂き、運営が成り立っているのですが、データが構造化されていなかったり、標準規格がばらばらだったりしてデータベースに取り込みにくいという課題がありました。そこで、内閣府の協力を得ながらデータ変換サービスを社会基盤として整備しています。

問題点は山積していて、現行の次世代法ではデータ提供の強制力がなく、運営コストは認定事業者に丸投げされています。また、個人への通知が前提なので不明の人や亡くなった人のデータは使えないという問題があります。行政系や学校のデータとの連携も課題ですし、国による医療等IDの整備も待たれるところです。こうした問題を解決するためには、法律原案の作成やシステムの青写真作りを専門に行う準公的機関の設立が必要と考えます。

ディスカッション

矢野:
データの2次利用を行うことでどのような研究ができ、どのような成果が上がっているのでしょうか。

吉原:
現在19件の利用実績があります。製薬企業がほとんどですが、内容は市販後の可能性調査や希少疾病の罹患リスク予測モデルの構築など非常に多彩です。

矢野:
吉原先生からも患者さんの合意を取り付ける部分が大変だという話がありましたが、より実験や研究に向いたデータ構築を行っている松田先生の場合、データの共有を被験者に合意してもらう上での苦労や課題などはありますか。

松田:
私が関わっている大きなプロジェクトに「難病プラットフォーム」があるのですが、患者さんの同意をもらうときには企業に有償で提供するという2次利用の同意をもらっています。そして企業との間では、どういう条件でデータを出すかということを契約できっちりと定め、利用の制限を付けることが大事だと思います。

2次利用の同意をもらったデータを実際に供するときには倫理委員会を通す必要はないと思いますが、そのデータは個人にとって非常に重要なので、倫理的な部分をきちんと守らせるためのルールが要ります。

また、ながはまコホートの場合もそうですが、どこの企業にデータを提供したかというのは市民には言えません。なぜならその企業には競合の企業がおり、どこの企業が何の疾病のためにデータを使うのかを明かしてはならないからです。そこも含めて信頼を得て、しっかりと審査した上で契約に基づいてデータを出すということを理解してもらわなければなりません。

矢野:
その審査はどこが行うべきものとお考えでしょうか。

松田:
法人格を持ったところがコーディネートするのであれば、部会のようなものを立ち上げてしっかり審査すべきだと思いますし、筋の悪い企業が提供してほしいと言ってきたときにノーと言える組織があればいいと思います。外部の人の目があることが重要でしょう。

吉原:
われわれの場合はちょっと違って、データが集積されて匿名加工してしまった時点で個人情報保護法の範囲ではなく次世代法の範囲になるので、外部の倫理委員会で統一して倫理審査をしてしまいます。ですので、研究を立ち上げるときのリーディングタイムが非常に短くなるのです。

矢野:
例えば吉原先生のデータ構築のようにカルテのデータを集積するタイプだと非常に大きなデータベースになると思うのですが、そうした管理にもブロックチェーンは使えるのでしょうか。

ダイ:
はい。今までの中央集権的な考え方ではどうしてもトップダウンデザインになって、全ての細かいデータ規格も全部合わせてやろうとするので、全体のシステムが非常に複雑になり、デザインがなかなか定まらないという課題がありました。しかし、分散型のアプローチではまずは簡単に融合できる固まりでオプトインしてボトムアップでデザインを定めていくので、分散型の考え方もこれからは主流になっていくと思います。

矢野:
吉原先生が構築しようとしているデータ共有システムは、DAOのような構造を使ってもできると思うのですが、データ量が多過ぎると思うのです。

ダイ:
ですので、いきなりは難しいと思います。トップダウンとボトムアップのバランスを取りながら進めていくといいのではないでしょうか。

吉原:
特に医療の場合はいろいろな構造の文書が毎日のように発生するので、普通のリレーショナルデータベースのような堅いシステムは合わないと思います。ですので、ぜひまたいろいろと教えてください。

矢野:
個人情報保護に関して苦心されている点はありますか。

ダイ:
ブロックチェーンは匿名化されてはいるのですが、研究的には個人情報が必要になることもあるので、例えばデータを暗号化してコンピュテーションするような技術の進展を私たちは期待しています。

吉原:
プライバシーの確保と2次利用の両立はなかなか難しいのですが、例えばブロックチェーンを使うなどして完全に暗号化された状態で患者情報を一挙に計算できるような技術も取り入れる必要は近い将来あるでしょう。

松田:
個人情報保護法が改正されてゲノムシークエンスが個人情報になったことは非常に困っています。それから、連結可能匿名化(ID化)といって、長期にわたるデータの上に新たなデータを足すときに、最初の方に出すデータの個人情報も守りながら、かつ自由度の高い研究をできるようにすることが大きな課題だと思います。

矢野:
今日は大変有意義な議論をありがとうございました。

閉会挨拶

吉田 泰彦(RIETI理事)

ウィズコロナの時代には感染症予防と経済活動の両立が求められます。その最適解には、医学だけでも経済学だけでも到達できません。本研究はまさに文理融合による新しい生命社会科学の構築であり、プロジェクトに関わる全ての方々に改めて感謝を申し上げたいと思います。RIETIと京都大学は長年にわたり研究交流を続けてきました。現在もこの文理融合研究に係る共同研究のほか、事業ポートフォリオに関するBBLセミナーシリーズ、京都大学経済研究所との共同研究など幅広い連携を進めており、今後ともこうした研究交流により最先端の研究を進めていきたいと考えています。