新春特別コラム:2012年の日本経済を読む

TPPと日本

山下 一仁
上席研究員

昨年の経緯と今年のスケジュール

これまで日本が結んできた自由貿易協定では、米や乳製品などの農産物は対象外としてきた。しかし、TPPも同じく自由貿易協定の1つだが、原則的には例外扱いを認めない自由化の程度の高い協定である。このため、農協は、TPPに参加すると日本農業は壊滅すると主張した。民主党の中にもTPP参加に慎重な意見を持つ人が多く、意見は対立した。しかし、野田総理は2011年11月13日APEC首脳会議の際「交渉参加に向け、関係国と協議に入る」と表明した。 TPPに参加するためには、現在の交渉参加国9カ国の合意が必要となる。特に、アメリカの場合、憲法上連邦議会が通商交渉の権限を持っているという特殊な事情がある。アメリカ政府は、議会から権限を委任されて交渉しているので、ある国が交渉に参加する場合、交渉参加の90日前にアメリカ政府は議会に通知することとなっている。もし、日本が6月に参加するのであれば、3月にこの通知がなされることになる。その時までに、日本は交渉参加をはっきりと決定する必要がある。 後述するように、農業についても、生産性を向上するとともに、関税で保護するのではなく、アメリカやEUが行っているように、直接支払いという補助金で保護するという政策転換が必要となる。そうすれば、TPPなどの貿易自由化交渉で関税が撤廃された海外市場に、日本の優れた農産物を輸出することが可能となる。国内の市場は高齢化と人口減少で縮小していく。高い関税で保護しても、日本農業に未来はない。

TPP不参加は震災復興を困難にする

2011年11月のAPEC閣僚会議で、日本のTPP交渉参加表明に、カナダ、メキシコが追随した。貿易・投資の手続きやルールが統一されるTPP地域が、日本の参加で巨大化すれば、他の国も参加するメリットが増加する一方で、これから排除されてしまうという不参加のデメリットが増加する。日本が参加するTPPはこれまでのTPPとは別物だと、カナダ、メキシコは判断したのだ。日本の参加表明後、TPPについての中国政府の発言は無視から注視へとトーンが変化しているようだ。TPPに反対する人たちは、将来、韓国や中国がTPPに参加しても、日本は、アジア太平洋地域で栄光ある孤立を求め、参加すべきではないと主張するのだろうか。

東日本大震災で、東北の自動車部品工場の製品が遠くアメリカ・ミシガン州の自動車工場で利用されていることが報道された。日本の中小企業は、広いアジア太平洋地域のサプライ・チェーンに組み込まれている。もし、日本がTPPに参加しなければ、日本の中小企業は広い地域から排除されてしまう。宮城、岩手県でも、GDPに占める農業のシェアは5%にも及ばないのに、製造業のシェアは約20%である。TPP不参加は被災地の復興を困難にしてしまう。

TPPより震災復興を優先すべきだという主張がある。被害を受けた農家にさらに打撃を与えるべきではないというのである。しかし、被災地の農家が耕作する農地の規模は極めて小さく、主たる生計を製造業などの兼業先に依存しているのが実態だ。製造業の振興は、農家のためにも必要なのだ。しかも、被災地の零細農家が新たに機械投資をして農業を再開することは困難だ。規模の大きい担い手に農地を集積して効率的な農業経営を育成し、農地の出し手の高齢農家は地代収入を得て、農地や水路、農道などの維持管理をするという新たな農村建設を行うべきである。TPP参加で関税が撤廃され経営が影響を受けるときには、アメリカやEUが行っている「直接支払い」という補助金を農家に交付すればよい。

農業振興のためにTPPは必要

米の生産は1994年には1200万トンだった。20年も経たないのに2012年の生産目標数量はとうとう800万トンを切った。今後は人口が減少するので、米の生産量はもっと減る。国内の農産物市場が縮小する中で日本農業を維持しようとすると、輸出により海外市場を開拓せざるを得ない。そのためには農業界こそ貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPなどの貿易自由化交渉に積極的に対応すべきなのだ。

減反を段階的に廃止して価格を下げていけば、コストの高い零細な兼業農家は耕作を中止し、農地を貸し出して地代を得るようになる。そこで、一定規模以上の主業農家に直接支払いという補助金を交付し、地代支払能力を高めれば、農地は主業農家に集まり、規模は拡大しコストは下がる。15ha以上の規模の農家のコストは米価の約半分の1kg当たり100円だ。さらに、収量の増加を阻害してきた減反の廃止で、品種改良が進み、カリフォルニア並みの収量に増加すれば、コストは70円へと低下する。今中国やアメリカから輸入している米の価格は150円程度なので、その半分以下である。

香港でのコシヒカリの卸売価格は、中国産150円、カリフォルニア産240円にくらべ、日本産は380円の評価を得ている。世界に冠たる品質の米が、価格競争力を持つようになると、鬼に金棒だ。

アメリカ陰謀論

一頃、反対派から、アメリカが輸出を振興させるために、日本をTPPに誘っているのだという主張が行われた。アメリカと日本のGDPは大きい。アメリカと日本が入ったTPPは事実上の日米FTAだという。しかし、FTAは貿易についてのもので、GDPの大きさとは全く関係ない。日本もアメリカも貿易依存度は低い。アメリカの輸出はTPP参加8カ国向け(アメリカの輸出総額の8%)の方が日本向け(同5%)を上回っている。日本の工業製品の関税は低いので、TPPに日本が参加しても、アメリカは工業製品の輸出を増やすことはできない。では農産物について輸出が増えるかと言うと、アメリカの対日輸出に占める農産物・食料品の割合は18%(アメリカの輸出総額の1%)に過ぎず、しかも、アメリカが最も得意とするトウモロコシや大豆などそのかなりが既にゼロ関税で輸出している。アメリカの輸出が増えるとすれば、牛肉、豚肉だろうが、これがどれだけ増えたとしても、アメリカの輸出額全体を増やすと感じるほどの効果を持つとは到底思えない。

反対派からは、自動車など輸出産業のGDPの比重が小さいので輸出が拡大してもGDPへの影響は少なく、TPPのメリットは少ないという主張もなされる。しかし、これはアメリカも同じだ。アメリカの貿易依存度は日本より少ない。TPPのメリットについては、モノの貿易の自由化だけではなく、途上国の金融サービス等が自由化される効果もある。しかも、TPPはアジア太平洋地域における貿易・投資の新しいルールを作ろうとしているものだという性格を重視すべきである。

アメリカ脅威論

アメリカに一方的に負かされるのではないか、日本の交渉力が心配だとする反対派の主張がある。過去の日米協議でアメリカに理不尽な要求を飲まされたという印象が残っているのだろう。しかし、日米二国間の協議と異なり、多国間の協議では、個別のイシューごとに合従連携が可能となる。どのような場面で日本が孤立し、アメリカに打ち負かされるのだろうか。この点についての議論や分析は行われない。アメリカは怖いの一点張りのようだ。

薬価、食の安全規制では、同じような利益や制度を持つ豪州、ニュージーランドと連携して米国に対抗できる。逆に、投資の保護や自由化、海賊版の取り締まり強化、途上国の政府調達の開放、工業製品の関税撤廃など、日本が勝ち取りたい分野では、アメリカと連携できる。味方につければ、アメリカほど頼もしい存在はない。

TPP反対派が不安だとする公的医療保険や地方の公共事業の開放などは、そもそも提起されないか、されても容易に撃退できるものばかりである。日本が孤立するとすれば、農業について関税撤廃の例外を要求する場合だけだ。日本が米の例外を主張すれば、現在77万トンに及ぶミニマムアクセス(低関税の輸入枠)の拡充という代償が要求されるだろう。しかし、関税ではなく価格低下を直接支払いで補うという政策に転換すれば、農業についても孤立することはない。

ベトナムやマレーシアのような発展途上国でさえ、工業製品の高関税の撤廃、国営企業やマレー系優遇策の見直しという大きな犠牲を払ってまで、TPP交渉に参加し、アメリカと堂々と交渉している。わずかな問題を懸念して、アメリカが怖いから交渉しないというアジアのリーダーを自任している国を、彼らはどのような目で見るだろうか。

TPPと中国市場

日本の産業や農業にとって有望な市場は中国である。しかし、日中間の自由貿易協定を締結して、中国の米関税をゼロにしても中国には輸出できない。日本ではkg当たり500円で買える日本米が、上海では1,300円もする。中国では、国営企業が流通を独占しているからだ。関税がゼロになっても、このような事実上の関税が残る限り、中国に自由に輸出できない。実は、アメリカがTPPで狙っているのは中国の国営企業に対する規律である。同じ社会主義国家で国営企業を抱えるベトナムを仮想中国と見なして交渉することで、いずれ中国がTPPに参加する場合に規律しようとしているのだ。TPPがなければ、日本米を自由に中国に輸出できない。日中間の自由貿易協定とともに、TPP交渉に参加することが中国市場開拓の道である。

昨年に続き、2012年も震災復興とTPPが国政の重要なテーマとなるだろう。これが日本の政治の景色を変えることになるかもしれない。

2011年12月28日

2011年12月28日掲載

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