中国経済新論:実事求是

雇用の安全弁となる農業部門

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

成長率が8%を割っても失業者が急増することはない

景気が減速している中で、中国政府は、今年も8%という経済成長率を達成するために、あらゆる政策手段を動員する構えである。この目標にこだわる理由は、成長率が8%に届かない場合、失業者が溢れ、社会が不安定になることが懸念されているからである。しかし、10年ほど前にアジア通貨危機の影響で1998、1999年に二年連続して中国の成長率は8%を割ったが、特に社会不安は起こらなかった。これは、出稼ぎ労働者が都市部で職を失っても、田舎に戻って農業に従事すればなんとか生活できたからであり、同じ状況は今日まで続いている。実際、1991年以降、非農業雇用者数の伸びは経済成長率と緊密に連動しているのに対して、雇用者全体の伸びと経済成長率の間ではまったく相関関係が見られない(図1)。このように、農業部門は、失業保険の対象とならない出稼ぎ労働者にとって雇用のセーフティ・ネットの役割を果たしているだけでなく、経済全体で見ても、雇用の自動安定装置となっている。したがって、中国の経済成長と雇用の関係を考える際、産業間の労働力の移動が焦点となる。

図1 経済成長率と雇用の伸び
図1 経済成長率と雇用の伸び
(出所)『中国統計年鑑』各年版より作成

中国では、経済発展が進むにつれて、産業の中心とともに、労働力も第一次産業(農業)から第二次産業(工業)と第三次産業(サービス業)にシフトしている。1991年から2007年まで、GDPは年平均10.3%という高成長が続く中で、第二次産業と第三次産業の合計で見た非農業部門の雇用者数は同3.4%で伸びているが、第一次産業の雇用者数が減っているため、全産業の雇用者数の伸びは同1.0%にとどまっている。実際、1990年から2007年にかけて、非農業雇用者数は2億5,835万人から4億5,546万人に上昇している一方で、農業雇用者数は3億8,914万人から3億1,444万人に低下している(表1、図2)。2007年だけで、非農業雇用は1,707万人増えているのに対して、農業雇用は1,117万人減っている。

表1 産業別雇用構成の変化
表1 産業別雇用構成の変化
(出所)『中国統計年鑑』各年版より作成
図2 農業から非農業部門にシフトする雇用
図2 農業から非農業部門にシフトする雇用
(出所)『中国統計年鑑』より作成

このような農業部門から非農業部門への労働力の移動は、景気の上昇局面において加速し、下降の局面において減速するという傾向が見られる。非農業雇用とGDP成長率の関係(非農業雇用の成長率に対する弾性値)を回帰分析で確認すると、成長率が1%上昇(低下)すれば、非農業雇用が0.74%増える(減る)という結果が得られた。2007年の場合、成長率が1%低下すれば、非農業部門において337万人分(4億5,546万人×0.74%)の雇用が減ってしまうことになる。現に、景気の減速を受けて、一部の出稼ぎ労働者は農村部にUターンしている。それでも、2009年のGDP成長率が7.2%に達しさえすれば、非農業雇用の伸びは1998-2002年の景気低迷期に記録した年率1.1%を上回ることができる。なお、労働生産性の上昇を反映して、GDPが伸びなければ非農業雇用が毎年4.24%減ってしまうため、前年の雇用水準を維持するために、5.7%のGDP成長が必要である(注)

労働力が過剰から不足へ

本来、非農業部門における雇用水準は、経済成長といった労働に対する需要要因だけでなく、労働の供給要因にも左右されるはずである。しかし、生産年齢人口または労働人口を回帰式に説明変数として加えても、その非農業部門の就業者数に対する説明力(統計的有意性)が認められない。このことは、これまで農村部が大量の過剰労働力を抱えているため、非農業の就業者数は、供給側の要因に制約されず、もっぱら需要要因によって決められることを反映している。

しかし、最近話題になっている「ルイス転換点」(経済発展の過程における完全雇用の達成)の議論に象徴されるように、農村部における労働力の過剰が急速に解消されつつあることを背景に、このような状況は、大きく変わろうとしている。まず、一人っ子政策が採られてすでに30年近く経っており、これを反映して、生産年齢人口の伸び率が総人口の伸び率とともに急速に低下してきている(図3)。その上、すでに農村部から都市部への労働力の移転も進み、若い人を中心とする「移転可能」な人口も減ってきている。中国社会科学院人口・労働研究所の蔡昉所長によると、その数は一般的に言われる1億5,000万人より遥かに少ない4,000万人と推計される(『中国人口と労働問題報告 No.9』社会科学文献出版社、2008年)。実際、図1からも確認できるように、2005年から2007年にかけて、GDP成長率が加速していたにもかかわらず、非農業雇用の伸びはむしろ鈍化しており、このことは、労働力の需給関係がタイトになっていることを示唆している。こうした中で、政府にとって、雇用を創出するためにどうしても高成長を維持しなければならないという圧力が緩和されつつある。

これまで中国では、雇用創出は政府にとって最優先課題であり、経済成長率と比べて全産業の雇用者数の伸びが非常に低いという現象は、「雇用なき成長」と問題視されてきた。本来、より少ない労働力でより多く生産できたことは、労働生産性が上がっていることを意味するので、必ずしも悪いことではない。近年の中国における高成長は、まさに生産性の低い農業部門から生産性の高い非農業部門に労働力をはじめとする生産要素が移ってきたことにより、経済全体の生産性が向上した結果である。労働の供給が成長の制約になりつつあることを併せて考えると、中国は、高成長を維持するために、より多くの雇用を創出するよりも、労働生産性をさらに高めていかなければならない。これは、政府が目指している「投入量の拡大」から「生産性の上昇」への成長パターンの転換という目標とも一致している。

図3 中国における総人口と生産年齢人口の伸び率
図3 中国における総人口と生産年齢人口の伸び率
(出所)United Nations, World Population Prospects: The 2006 Revision.より作成

2009年1月30日掲載

脚注
  • ^ ここでの試算は次の回帰分析の結果に基づく。

    推計期間:1991-2007年
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2009年1月30日掲載