中国経済新論:中国経済学

中国におけるマルクス経済学の凋落
― 資本主義化の当然の帰結 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

中国では1949年に共産党政権が誕生してから、近代経済学は資本主義のイデオロギーとして全面的に排除された。その代わりに、マルクス学説に基づく「資本主義篇」と、ソ連の『政治経済学教科書』をモデルとする「社会主義篇」からなる「政治経済学」が、政府と世論のみならず、学界においても独占的地位を占めていた。しかし、計画経済に基づく経済発展の失敗が明らかになるにつれて、ソ連モデルの権威が失われるようになった。その上、改革開放以降、市場経済と私有制を根本から否定する従来のマルクス経済学は、まさに存亡の危機に立たされている。

マルクス経済学と近代経済学を精通する国民経済研究所の樊綱所長は、ソ連の『政治経済学教科書』の内容は、「各種経済理論の長所ではなく、むしろ多くの短所を集めたものである」と批判している(『経済人生』、広東経済出版社、1999年)。たとえば、本来、「階級闘争」に基づく資本主義に関する分析のように、マルクス経済学の最も大きな特徴は、利益の矛盾や衝突に焦点を当てることである。しかし、マルクス主義と称するこの「教科書」には、国有企業を中心とする生産手段の公有制と計画経済が採用される社会主義の下では、経済の万事調和、人々が「同志のように協力し合う」という理想的世界が描かれている。

この誤った理論に導かれ、中国では1949年からの三十年間、伝統的な計画経済が実施された。しかし、実践を通じて、この体制のもとでは、経済活動は活力を欠き、効率が低いことが明らかになった。そのうえ、大躍進や文化大革命といった政治運動も経済活動の発展を阻害したため、国民の生活レベルがなかなか向上しない一方で、先進国との経済面、技術面での格差はさらに広がった。

「政治経済学」の教えと現実の世界の間のギャップは、改革開放に転換してからいっそう広がってしまった。たとえば、マルクスの教義によれば、社会主義の本質は私有制に伴う搾取を消滅させることにあり、無秩序な市場経済が政府による計画に取って代わられるべきである。しかし、これに反して、中国は社会主義の看板を掲げながら、市場経済化と国有企業の民営化を推し進めている。また、レーニンによれば資本輸出は帝国主義による植民地や後発国に対する搾取の手段であるのに、なぜか中国は積極的に外資を導入しているだけでなく、中国の企業もまた対外直接投資を増やそうとしている。

このように、マルクス主義は中国における改革開放を指導するどころか、当局が採った政策の正当性を正面から否定するものになってしまった。それ故に、大学教育においても、マルクス経済学の人気は急速に落ち込んでいる。その一方で、90年代以降、多くの欧米留学組の帰国とともに、近代経済学の勢力が急速に伸びている。

マルクス経済学の低迷を中国における社会主義の深刻な問題と見て、長年経済改革にかかわり、昨年の3月に第一回「中国経済学賞」を受賞した社会科学院の劉国光氏(1923年生まれ)は、次のように懸念を表明している。

「近年、経済学の教育と研究において、近代経済学の影響力の上昇とマルクス経済学の指導的地位の低下はすでに明らかである。多くの学生は意識的または無意識的に近代経済学を我が国の主流の経済学と見なしている。私は江西省である高校の先生の授業を聴講した際、マルクス経済学をおかしいと感じているという学生達の発言を耳にした。共産党の指導下にある社会主義国家である中国で、学生がマルクス主義を嘲笑するという現象は正常ではない。一部の人達は、近代経済学こそ我が国の経済の改革と発展の基本思想であると考えており、経済学者も公然と近代経済学がマルクス経済学の地位に取って代わって我が国の主流の経済学となるべきだと主張している。西方のブルジョアジーのイデオロギーは経済の研究と政策立案にも浸透している。この現象を私は憂慮している。」こうした現状認識を踏まえて、「もし近代経済学が本当にマルクス主義の政治経済学に取って代わって中国で主流、主導的な地位になるならば、その長期的帰結は自明である。望まれるかどうかにかかわらず、最終的には社会主義の発展の方向が変えられ、共産党の指導の終焉、あるいは変質が招かれるだろう」と警告している。

中国におけるマルクス経済学の現状と展望はまさに劉氏の言う通りである。劉氏は、マルクス経済学の復権を目指すべく、教育方針、教材、教師、指導部の改革を提言しているが、理論と現実の間の溝を埋めることができない以上、こうした試みが成功する可能性は全くないといっていいだろう。「経済基礎が上部構造を決める」というマルクスの考え方に従えば、マルクス経済学の凋落は、まさに中国が社会主義から実質上資本主義に向かっていることの当然な帰結であり、もはや後戻りのできない歴史の流れである。

2006年1月12日掲載

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