中国経済新論:中国の経済改革

成長の妨げとなる所得分配の不平等

孫立平
清華大学社会学部教授

1978年北京大学国文学部卒業後、1981年より南開大学にて社会学の勉強を開始。1982年北京大学社会学部に赴任し、助手、講師、副教授として務める。2000年以降、清華大学社会学部教授となる。2002年に発表した学術論文「90年代以来の中国社会構造変遷の新しい趨勢」は、中国国内だけではなく、海外からも広く注目されている。

近年、社会不平等の問題は、ますます注目されるようになり、学界も賛否両論に分かれている。この問題のカギは一体、どこにあるのか。

学界では、この問題を公平と効率の関係と呼んでいる。実際、この問題をめぐる論争は、二、三百年間も続いてきたのである。議論がなかなか収まらないことから、今度は、定義に問題があるのではないかと指摘されるようになった。いわゆる機会の公平と結果の公平などがそれである。しかしそれにしても、議論が展開されるにつれ、問題が解決するどころか、議論がますます分かりづらくなってきた。一体、問題のカギは何か。私は、この議論の前提が間違っていたのではないかと考えている。なぜなら、議論の双方は、一見、真正面から対立しているようになっているが、しかし実際、一つの共通した仮定に依存していた。つまり、公平と効率の間には、一種の固定され、永遠に変化しない関係が存在しているという認識である。実際、このような関係は全く存在しないのである。公平と効率との関係は、それぞれ置かれた環境によって、変化するものである。

改革開放が始まった当初、公平と効率との問題はすでに存在していた。当時の基本背景として、それ以前までに実行していた平均主義的な分配政策がある。都市部と農村部との間に巨大な不平等と収入格差が存在していたように、改革開放以前の中国では完全に平等な社会を実現したとは言いがたい。しかし、主に都市部といった相当の範囲の中においては、厳格な平均主義は、確かに効率を抑制する重要な要素の一つとなっていた。当時、収入格差を拡大させた重要な狙いの一つは、こうした平均主義を打破することであった。それはまた当時の鄧小平の「一部の人々を先に豊かにさせよう」という理念にも関係している。このスローガンは、確かに後に一部の消極的な結果をもたらしたが、しかし同時に、経済と社会発展を推進させる力として働いていた。なぜならそれまで多くの人々は、豊かになるという、後に普遍的となった価値観に対して、一貫して恐怖感を抱いていたからである。

改革開放当初の公平と効率との関係、言い換えれば、収入格差と経済成長との関係を論じるには、資本形成の問題がもう一つの焦点である。多くの発展途上国において、経済成長を制限する一つ重要な制限要素は、資本が欠けていることである。一部の経済学者は、収入の不平等が資本の形成に有利であると主張している。ここで一つの例を取り上げよう。仮に200元を二人で分けるにしよう。一人当たりにすると100元であるが、一ヶ月以内に90元の生活費を支払うと、二人に残るのは20元である。これがいわゆる資本形成の元本である。仮にこの二人への分配を、甲に150元、乙に50元と調整しよう。乙の生活は大変厳しくなるが、生存するには問題ないであろう。これに対して、甲の生活は多少贅沢になり、110元の消費をしたと仮定しよう。そうすると、二人に残されたのは40元となる。もしこの40元を資本形成の元本と見なすならば、それが倍増したことになる。この例はあまりにも簡単すぎるが、一応、不平等が経済成長を促すロジックを示している。さらに、一部の経済学者は、この不平等が資本形成を促すというロジックを踏まえつつ、発展の「間接波及」効果によって、貧しい人々にも恩恵をもたらすものであると解釈している。すなわち、一見貧富の差が拡大されたように見えても、資本形成によって経済発展が促され、経済発展の利益の一部は、雇用の拡大や賃金の上昇といった間接的な形で、貧しい人々に還元されていると考えている。

しかし、こうしたロジックは現状との整合性を失いつつある。その転換が訪れたのは、80年代末から、90年代初めの頃である。90年代後半になると、収入分配の不平等が経済成長を抑制するようになった。この問題をうまく説明するには、二つの基本的な環境の変化に注目しなければならない。

一つは、不平等の度合いである。これまでの議論では、不平等と経済成長との関係が漠然と論じられていたが、不平等の度合いの問題については殆ど注意されなかった。要するに、不平等の度合いに関係なく、それが経済成長との関係がいつも固定された不変なものであるとの認識である。実際、不平等の度合いは、非常に重要な要素である。90年代になってから、中国社会における不平等の度合いは、急激に拡大するようになった。国際比較においても、アフリカ、ラテンアメリカの国々より中国のジニ係数は少しましであるが、貧富の格差はすでに先進諸国、東アジアのその他の国々、さらに前ソ連と東欧諸国のいずれをも超えている。わずか15年の間に収入格差がこれほど大きく広がった国は、世界でもまれである。

もう一つの背景とは、同じ時期において、中国社会が生活必需品時代から耐久消費財時代へと移行し始めたことである。この変化の影響は非常に深遠である。耐久消費財時代の消費モデルは、それ以前とは根本的に異なるからである。例えば、生活必需品時代での消費モデルとは、人々の生理的要求によって支えられていたが、耐久消費財時代の消費モデルは、いくつかの制度と構造要因によって維持されている。生活必需品時代では、生産が経済生活を支配していたが、耐久消費財時代では、経済活動が消費によって支配されている。消費がなければ生産無し、というのが耐久消費財時代の典型的な特徴である。従って、以上のような制度と構造要因、そして耐久消費財時代に適応した消費モデルが形成できるかどうかは、社会移行の鍵となる。生活必需品時代から耐久消費財時代への移行期に大きな困難と苦痛を伴った重要な原因は、まさしくここにある。

そうすると、耐久消費財時代に適応した消費モデルを形成させる最も基本的制度条件とは何か。現在の中国の状況から言うと、根本的には三つの問題がある。一つは、立ち遅れた都市化は、絶対多数の農村人口が耐久消費財時代へと移行することを妨げており、耐久消費財市場の形成もそれゆえに制限されていることである。二番目の問題は失効した社会保障制度である。それによって、人々は将来の生活に関する安定かつ長期的な予測を立てられず、耐久消費財時代に適応した消費モデルは、なかなか形成できなくなるのである。三番目の問題は、貧富格差が極端に拡大した社会では、耐久消費財を買える少数の金持ち達の需要をそれ以上に拡大できず、一方で、大多数で需要がある貧しい人々が耐久消費財を購入する現実の購買力を持っていないことである。

こうした環境変化に対する分析によって、問題はすでにはっきりとしている。要するに、90年代半ば以降の極端な社会不平等は、耐久消費財時代に適応した消費モデルの形成を妨げ、さらに経済成長を制限しはじめたのである。近年、中国のGDPの成長率は一貫して7%から8%の成長を記録し、どのような基準から見ても、これが高度経済成長であることは間違いない。しかし、われわれは一つの非常におかしな現象を目にしているのである。こうした経済高度成長が実現した中で、多くの普通の人々、特に商業活動に取り組む人々が実感しているのは、決して繁栄ではなく、むしろ不景気である。

マクロ経済のレベルから言うと、現在、学界ではよく物価の連続下落を論議している。こうした現状は果たしてデフレを意味しているかどうかに関して、いまだに意見が分かれているが、しかし物価の連続下落自体は疑われることのない事実である。

これが近年、中国経済を一貫して悩ませている内需の不足と市場の低迷の原因である。これまでの分析のロジックに沿っていえば、80年代の収入の不平等は、主に資本形成を通じて経済成長に影響を及ぼしたが、90年代、とりわけ90年代後期以降の収入の不平等は、主に市場需要を通じて経済成長に影響を及ぼすようになってきたのである。これこそ、不平等と経済成長との間に存在するロジックの変化である。従って、効率の角度から言うと、今日、収入分配の不平等は、すでに経済成長を妨げる一つの無視できない要因となっているのである。

2003年5月19日掲載

2003年5月19日掲載

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