中国経済新論:中国経済学

私の非主流派経済学入り宣言

左大培
中国社会科学院経済学研究所

最近、中国の経済学界では、非主流派の思潮が沸き起こっている。それは西側の主流派経済学のパラダイムそのものを拒否するだけではなく、90年代後半以降の中国経済学界の主流派思潮に対しても批判を与えたものである。筆者は本来、20年間にわたって西側の主流派経済学の研究に従事してきたが、「新左派」と呼ばれる視点や政策主張に共鳴するため、その非主流派経済学の陣営に加わることを決心したのである。

最近、筆者の『混乱の経済学』が出版されたが、それは経済と社会の様々な基本問題に関して、主流派経済学の思潮に対する批判を展開し、非主流派経済学陣営の一種の基本理念を提示したものである。しかし、それは非主流派経済学に対し、一種の共通の理論的基礎を提供したものではない。現在、中国の非主流派経済学に共通の思想パラダイムが存在せず、自ら非主流派経済学者と名乗る人々の間には、多くの問題に関する意見の相違が見られる。「非主流派経済学」全体を代表する権利など私には全然ないが、大多数の非主流派経済学者の観点や主張を、以下のようないつくかの点に総括することができると思われる。

一、効率より公平

非主流派経済学は、主流派経済学がひたすら効率を追求し、公正を無視した姿勢を批判し、経済体制と経済政策での公平と平等志向を強調している。中国の主流派経済学は平等を無視し、自由のみを追求するという基本的な立場に基づいているため、中国の経済学界では公平が論じられず、ひたすら効率だけを追求する雰囲気が蔓延している。また、公平は諸悪の根源と見なされ、平等という問題も理論上のタブーとなっている。こうした思想統制により、主流派経済学者達は、大勢の人々の利益を犠牲にし、少数の人々だけの豊かさを追求するような経済政策を主張しているのである。彼らは、国有企業が抱えている一部の問題点を指摘し、国有企業がいかに多くの社会資源を無駄にしているかということを大げさに強調しているだけではなく、改革開放以降の20年間、国有企業が一貫して過度の社会的負担を抱えていたことを完全に無視しており、国有企業の国家税収に対する貢献度がその総収入に占める割合以上の意味を持っているということを論じようともしないのである。従って、主流派経済学は、そのような国有企業の「解体」を目指す政策を呼びかけ、「企業改革」を旗印に最終的には「静かな私有化」、つまり、国有企業の所有権の少数の人々への譲渡を主張しているのである。

一部の主流派経済学者の国有企業に対するこうした姿勢の背後には、国有企業の労働者に対する彼らの敵意があると考えられる。彼らにとって、国有企業の労働者は一貫して「労働者貴族」であり、そのため、困難な状況に陥っている国有企業に対するあらゆる支援に反対するのである。しかし彼らは、国有企業の大多数の労働者が置かれている状況は実に深刻なものであるという基本的な事実を完全に無視しているのである。彼らが主張している「競争政策」は、中国の労働者、農民全員の福祉水準を国有企業の労働者と同じレベルにまで上昇させるのではなく、むしろ国有企業の労働者達の生活水準を貧困地域の農民達と同じ水準まで引き下げようとするものである。また、彼らが主張している「企業改革」と「民営化」は、貧富の格差をより一層拡大させ、少数の人々が企業の全ての財産の所有者になることを目指すものであり、国有企業の大多数の労働者から仕事とあらゆる社会福祉上の待遇を奪おうとするものである。

この点に関し、大部分の非主流派経済学者の理論は、主流派経済学と真向から対立している。彼らにとって、公平と平等は、経済体制と経済政策の中、効率と同等の地位を占めている。よって、彼らは社会における貧富格差を拡大させる政策の即時停止を求め、不正行為による私有化を断固として処罰し、少数の人々による「静かな私有化」を阻止しようとしているのである。その上、非主流派経済学者は、農民の利益を盛んに訴え、中国の経済発展に大きく貢献してきた国有企業の労働者に対しても十分な補償を与えようと、一貫して主張している。

私は自身の著書『混乱の経済学』の中で、現代社会における自由は、平等を議論の前提としており、自由の前提として、法律上での平等だけではなく、個々人の収入面での平等も求められているということを論じた。こうした分析により、現代社会での効率は、公平とは切り離しては論じることができないということを明らかにした。さらに、この本の中で私は、理想的な公有財産管理体制を提示し、またこれによって公有資産管理における委託人と代理人に関する問題を効率的に解決でき、市場経済の中で活力があり、しかも効率の高い公有制企業が存在可能であることを証明した。よって、大量の公有制企業を残すべきかどうかは、根本的にはその持続性という問題ではなく、むしろ一つの政治決断と利益衝突の問題である。

二、外資優遇より民族産業の育成

非主流派経済学は、外国企業、とりわけ国際的独占企業と中国人民との間に存在する利益上の長期的な衝突を強調し、外国企業によって中国が長期的な損失を背負ってしまう状況に対応するため、国家による政策介入を主張している。この問題に関して、主流派経済学との間に、主に二つの意見の相違いが見られる。まず、非主流派経済学は主流派経済学の自由貿易政策に反対し、一方で中国における幼稚産業、特に技術集約度の高い産業に対する保護を断固として主張している。そして、外国企業、とりわけ多国籍企業の直接投資による重大な侵害を強調し、外国企業が中国の投資機会を奪ってしまう政策にひたすら反対しているのである。

主流派経済学は、対外貿易政策として、伝統的な国際貿易理論における「比較優位原理」に基づいて、自由貿易政策を実行することを主張している。これにより、資源の最適配分が達成され、経済効率が高まると強調している。一方、非主流派経済学者は過去20年間の国際貿易の発展状況に基づき、適切な保護関税を導入することで中国の貿易条件は改善し、さらに中国全体の福祉も向上するということを強調している。特に「学習効果」による「規模に関する収穫逓増」を強調し、幼稚産業に対する保護政策が発展途上国の経済発展を加速させることを主張している。こうした最新の国際貿易理論は、保護政策が公平問題に直接に関係するだけではなく、発展途上国の経済効率を大いに向上させるということを認めたのである。私は「混乱の経済学」の中で、先進諸国における経済発展の歴史を総括し、開発の遅れた国・地域においては、保護関税による「学習効果」こそが、経済発展の普遍的なルールであることを証明した。こうした認識に基づき、非主流派経済学者の多くは、わが国が戦略上重視している産業、技術集約型的な幼稚産業、さらには農業に対する適切な保護政策を主張しているのである。

外国による対中直接投資に関して、非主流派経済学者の中でも様々な意見がある。しかし、非主流派経済学者の多くは、筆者のこうした観点を支持している。つまり、中国経済が現在直面している最も深刻な問題とは投資不足による総需要の不足にあり、さらに、投資不足の原因として、儲かる投資のチャンスが不足していることにあるという観点がある。外国による対中直接投資が、中国における最適な投資チャンスを多く奪ってしまったことは、中国企業が投資を控える主な原因の一つである。外国による直接投資の大量流入だけでは中国における総需要、さらには中国の実際資本総量を拡大させることはできず、その代わりに、中国国内での投資チャンスを奪い、中国の国内資本の海外への流失をもたらしているのである。1994年以降、中国は大額の経常黒字を実現しており、実際、中国が純資本流出国となっているのである。このことは、外国からの投資が、中国の資本の海外流出をもたらしてしまった原因であるということを示している。

外国による対中直接投資に関する利益衝突は、外資企業の収益に集約的に現れている。外資企業の利潤が中国国内での生産(中国のGDP)から産出されたものでありながら、外国人の収入(中国のGNPではなく、外国のGNP)となっている。外国による直接投資は、中国企業の投資機会を奪うことによって収益を得ていることになり、中国の総産出(GDP)を増加させると同時に、中国人の総収入(GNP)を減少させているのである。統計データによると、現在の外国の投資純利益は中国のGDPの2%にも達している。これは、外国による投資が中国人の収入を減少させている一つの証明となっている。外国による直接投資の一部は、中国に先進的な技術をもたらし、中国の技術進歩を加速させているかもしれないが、多国籍企業の支配の下で成長してきた中国企業は、あくまでも産業チェーンにおける付加価値の最も低い部分に制限されており、中国は高技術・高収入という局面を永遠に達成できない。こうした局面が一旦形成されると、中国の基幹産業は外国によって完全に支配され、外資が避逃してしまうと直ちに経営不能となり、あらゆる安全保障も失ってしまうのである。

三、比較優位より産業政策の重視

多くの非主流派経済学者は、経済における各種の構造要因を重視し、とりわけ産業構造の調整の重要性を強調している。彼らにとって、経済成長の源は技術進歩にある。従って、経済発展は産業の持続的な高度化によって達成されるものであると考えられ、発展途上国は自らの基幹産業を絶えず技術集約型へと高度化していかなければならない。こうした産業の高度化を早く実現させることは、高度経済成長のカギであると主張している。

一方、非主流派経済学者の多くは、発展途上国が産業の高度化を早く実現するためには、「競争力のない産業は発展させるな」という教義は絶対、捨てなければならないと主張している。関税などあらゆる手段によって、国内の幼稚産業である技術集約型産業を保護するだけではなく、国内産業の技術レベルを向上させるため、政府が財政資金を使って企業のR&D活動を支援すべきである。今まで、先進諸国はわが国の軍事産業に対して技術封鎖を実施してきた。よって、われわれは中国独自のハイテク軍事産業を発展させるために、大量の資金投入を行うべきであり、そうしない限り、中国自身の安全保障を効率的に実現させることはできないのである。

また、主流派経済学は一貫して陳腐な教義を宣伝している。「現在、比較優位のないもの、儲からない製品、さらに競争力の持たない産業は発展させる必要はない」というのが彼等の決まり文句である。しかし、非主流派経済学者にとって、こうした経済政策の実施は発展途上国自身の経済発展の可能性を困難にしていることに等しいのである。仮に中国もこのような経済政策を実行すると、中国の重点産業が崩壊し、産業高度化が低下してしまうのは確かである。その結果、中国経済発展の成果が台なしになってしまい、わが国の軍事防衛能力も大いに損なわれ、中国が再び外国の餌食になる歴史が再び繰り返されるかもしれないのである。

最近、私と銭穎一教授が交わした会話が非主流派経済学の今日における存在意義を如実に表しているといえよう。銭穎一教授は西側の主流派経済学に関する最前線の研究において最も優れた中国の経済学者の一人であり、西側の主流派経済学の観念、特に均衡の概念に十分な理解を持っている。私は彼に、一部の非主流派経済学者の考え方には反対ではあるが、今日の中国における主流派経済学のあり方に疑問を持ち、それに対する強力な対抗勢力の存在が欠かせないとの想いから、自ら非主流派陣営に加わったとの考えを説明した。これに対し、銭穎一教授は、「そうすることによって均衡が実現されるのだ」と、考え深げに語った。

銭穎一教授のこの言葉は問題の核心を見事に捉えている。旧ソ連・東ヨーロッパ諸国の市場経済への移行が経済的に失敗に終わった原因として、その経済移行政策の中で、主流派経済学が絶対的な地位を占めたことが考えられる。もちろん、旧ソ連・東ヨーロッパ諸国での「西側の主流派経済学」は、西側の主流派経済学の単なる下手な物まねに過ぎず、レベル的にも西側の主流派経済学の結論をそのまま導入するという粗末なものであった。しかし、このような「西側の主流派経済学」が旧ソ連・東ヨーロッパ諸国の経済政策の概念を完全に支配していたのも事実である。そのような経済政策の運営に当たり、対抗勢力として非主流派経済学が存在しなかったため、結果的にこうした諸国の市場経済への移行が失敗に終わってしまったのである。今日の中国における主流派経済学もまさしくこのような災難を導こうとしている。こうした状況の下でこそ、われわれのような非主流派経済学は、経済政策の誤った方向を是正しなければならないのである。そして、非主流派経済学の存在により、人々はより理想的状況を実現することができるであろう。

2002年11月25日掲載

出所

中国経済時報

2002年11月25日掲載

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