中国経済新論:中国の経済改革

経済発展における後発優位と劣位
― 技術模倣を超えて、制度革新を目指そう ―

楊小凱
オーストラリア モナシュ大学教授

今日の中国経済学者たちは経済発展における後発優位をよく論議するが、西側の経済学者たちが関心を示した後発劣位に対して、殆ど注意を払っていない。経済発展での後発劣位は「後発者に対する呪い」ともいわれ、主に以下のような現象を指している。すなわち、経済発展のプロセスの中、後発者は先進国の制度の代わりに、技術を模倣する傾向が見られる。なぜなら、新しい制度革新を行うことは従来の社会に対する変革を意味し、大規模な利害調整が必要になるため、常に大きい苦痛と高いリスクが伴う。従って、技術模倣の余地が大きいほど、制度改革が速まるどころか、むしろ改革が遅れてしまう恐れすらある。しかし、制度革新の代わりに技術ばかりを模倣することは、短期的には効果的であっても、長期的に見ると、コストがきわめて高く、最終的に失敗してしまうことになる。

ここでまず西側のいくつかの例を使い、このような後発劣位を説明しよう。世界で最初に経済発展を成功させたイギリスは憲政秩序を確立し、法律で私有財産に対する保護を図ることによって、富強にたどり着いたのである。これに対して、19世紀初頭のフランスは専制制度や政府の私有財産に対する任意な侵害で立ち遅れていた。こうしたことから、20世紀以前、国営企業、専制制度、そして中央主権的計画によって工業化を成功に導くことはありえないことが推測された。これに対して、1930年代のソ連は専制制度、国有企業や中央主権的計画によって、資本主義で成功した工業化モデルや技術を模倣することで、工業化を実現した。しかし、このような短期間の成功は結果的に、今日のロシアの憲政や法治の制度基礎が未だに整備できないことをもたらし、ロシアの民衆に巨大な代価を支払わせることとなった。長期的な経済発展が挫折しただけでなく、多くの人が迫害に遭い、命を落してしまった。これは後発劣位の典型的な例である。

日本の明治維新とほぼ同時期に行われた清朝の「洋務運動」はもう一つの例である。日本政府は真剣に資本主義制度の模倣をしていた。日本政府は初期に企業の本質を知らず、少数の「模範工場」を作ったが、それ以外は基本的に国営企業を作らなかった。しかも、その後まもなく「模範工場」を売却し、国営企業を一切作らなかった。そして、政治制度も西側の模倣をし、天皇制を維持しながらも、政党自由や議会政治を行った。これに対して、「洋務運動」に挑んだ清朝は、基本的に政治制度を変えない条件の中、国営制(政府が行う)、合資企業(政府と民間と合弁で行う)、請負制(政府が監督で民間企業が行う)を通じて、技術の模倣だけを頼りに、工業化の達成を図っていた。それまでの中国経済と比較すれば、「洋務運動」はそれなりの経済効果を上げたが、(政府の都合を優先するあまりに、国民の利益を犠牲にする)「国家機会主義」を制度化させ、政府は民間との利益の奪い合いを招いた。政府はゲームのルールの制定者でありながら、ゲームに直接に参加し、しかも裁判まで担当していたため、民間経済の発展が全くできない。さらに面白いのは、「洋務運動」の中で、政府は一貫して国営企業の主導的な地位を維持し、資源に対する独占を試みたため、多くの民間企業は国営企業に並ぶほどの競争力を持たなくなっていた。

今日、このような政府によって企業を興す制度が全く役立たないことは一目瞭然である。しかし、80年代以降の中国では、国営制、合資企業、請負制の下で、香港や台湾のように、労働密集輸出型から新しい工業化への転換や西側の新しい技術を模倣することで、工業化を実現させる政策は成功を収めた。これは「制度革新」の成果であると多くの人がいっている。しかし、ロシアの教訓から見れば、このような短期間の成功は、「後発者に対する呪い」であるかもしれない。制度革新の代わりに、技術模倣を採用することは長期的にみれば、後に非常に高いコストを支払うことを意味するものである。

80年代の中国電気製品の発展は根本的に国営企業の主導の下で行われた。この発展のプロセスは制度改革の代わりに技術改革をとる典型的なプロセスである。プラント輸入そのものは技術模倣であり、私有化を採用しないことも、基本的に制度改革の代わりに技術改革を採用する方策である。政府の銀行、保険、自動車製造や通信などの業界における独占や、制度改革の代わりに新しい技術や資本主義的な管理方法を選択したことも、中国の後発劣位に当る。このような後発劣位の最大の弊害は決して国営企業の低効率ではなく、むしろ国家の機会主義を制度化し、政府はルールの参加者でありながら、プレイヤーも担うことにある。このような制度の下では、国営企業の効率が高ければ高いほど、長期の経済発展に不利である。

その他に中国における後発劣位の例は、e-ビジネス、株式や先物取引市場にもある。国有企業が独占する中で、先物取引の成功はありえない。多くの人は中国のe-ビジネスにおける後発優位を信じるが、私は後発劣位もあると主張したい。圧倒的に多くのサイトは国有企業あるいは政府と民間の合弁企業であることを考えれば、その理解はそう難しくないであろう。50年代に、中国は自国の電子工業には後発優位があると思い込んで、すぐ英米に追いつくと豪語したが、もはや笑い話にすぎない。電子工業の開発水準において、中国と殆ど差のなかった日本は、真剣に資本主義制度を学ぶことによって、工業大国の地位を築き上げた。第二次世界大戦後、アメリカ占領軍当局は(ソ連のように政府の無限の権限を制度化するのではなく)日本に憲政主義の憲法を(国民投票を通じて)作った。また国会において、公正競争を促す法律(「独占禁止法」と「過度経済力集中排除法」)が制定され、(アメリカの圧力の中で)独占性の強い民間財閥を解散させた。その結果、経済における大競争の局面が実現された。憲法に定められた私有財産の不可侵害の原則及び特許制度は日本に成功をもたらす原動力となった。現在の中国では、政府は銀行や情報産業を独占しているため、e-ビジネスの最も主要な支払い手段であるクレジット・カードや個人小切手の普及は難しく、従ってe-ビジネスの中国における発展はありえないだろう。

株式市場はもう一つの後発劣位の例である。中国株式市場のハードウェアの条件はすでに国際水準に達している。しかし民間企業の上場が厳しく制限され、民間証券会社の開業も許可されない結果、株式市場はもはや株主たちから利潤を吸い上げ、それを低効率の国有企業に回す道具にすぎない。庶民の言葉を引用すれば、「財政を食い尽くしたら、銀行を食い尽くす、銀行を食い尽くしたら、株主を食い尽くす」ということになる。しかし未だにこれを「制度革新」と言い張るものがいる。中日の比較を通じて明らかになったように、われわれは、後発優位を獲得するためにそれまでに成功した制度をちゃんと学ばなければならない。これさえ分からないなら、「制度革新」を主張する権利がない。

私は上海の浦東を見学した際、中国の後発劣位を痛感した。浦東の加工輸出区では、85%に上る企業は「政府と民間企業の合弁」(中国の国有企業は50%以上の持ち株を持つ)であり、結局政府は「土地の顔役」のように、土地やその他の資源に対する独占権利を利用し、外国や中国の民間企業と利益の奪い合いをしている。大半の自由経済の加工輸出区においては、政府は土地の租借やサービスだけを提供し、企業経営を殆ど行っていない。自由経済の中、政府との合資を希望する民間企業は殆どない。しかし浦東の政府は加工輸出区では、「政府と民間との合弁」を通じて、技術模倣や資本主義の企業経営だけを頼りに制度改革を代替しようとしているため、結局、制度改革の進行が遅れてしまった。表面上は効果的に見えるが、実際には大きな制度弊害を残している。私は最近韓国で会議に参加した際、政府の民間銀行の持株に対する支配や理事長を指名する特権は、韓国の金融危機の主な原因の一つであることが分かった。金融危機後の改革も主にこのような制度に対する修正を目指している。つまり、政府の民間銀行の持株に対する支配や理事長を指名する特権を廃止しようとしているのである。しかし多くの中国人は未だに韓国の企業を良いお手本として考えており、中国の国有企業も同じように企業集団を作ろうとしている。

また、私は浦東で政府がハイテクのリスク投資会社に参入したことを知り、仰天した。政府は最も望ましくないリスク投資にまで参入してしまったのである。しかも、政府はこれをもって、産業政策を推進しようとしている。これで中国の後発劣位がどれほど深刻なものかはよくわかるはずである。現在、国民はWTOへの加盟を実現すれば、民族経済は大きな打撃を受けると予測している。しかし、北京大学の張維迎教授のいう通りに、仮に打撃を受けるのが国営企業であるならば、中国経済にとって、むしろ大変良いニュースであるかもしれない。多くの人は中国の自動車産業には競争力がないと考えているが、競争力がないのは決して民間経営の自動車産業ではなく、中国の国有自動車産業であることを彼らはよく分かっていない。仮に中国の民間経営による銀行や自動車工業に対する規制を放棄すれば、私は10年以内に世界最大の民間経営の自動車メーカが中国に誕生すると確信している。改革以来の民間企業の急成長を見れば多くの人も私の意見に賛成するだろう。中国のあらゆる所で「科教興国」というスローガンを見かけるが、これは後発劣位の表れに他ならない。本当に後発優位を利用したいなら、「制度興国」あるいは「民主憲政興国」を主張すべきである。

2001年9月3日掲載

出所

原文は中国語、和訳の掲載に当たって、著者の許可を頂いた。

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2001年9月3日掲載