中国経済新論:中国経済学

中国制度学派のパイオニア張五常

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

香港大学の張五常(Steven Cheung)教授は新制度派経済学の大家であり、同アプローチを中国の経済改革に応用するパイオニアである。張氏は1935年に香港で生まれ、日中戦争と国共内戦という動乱期に幼年時代を過ごした。1959年にUCLAに留学し、「所有権の理論」の創立者であるA.アルチャン教授の指導のもとで、経済学を学んだ。張氏は長年、ワシントン大学など米国の大学で教育と研究に従事したが、82年に香港大学の経済学部学部長に迎えられた。以来、中国経済を中心に研究を進め、新制度学派の立場から市場移行の問題を取り扱った。平易な中国語で書かれた「売桔者言」や「中国の前途」、「中国の経済革命」などの一連の著書が世界中の華人社会に広く読まれており、中国大陸の経済学者にも大きな知的刺激を与えている。

新制度派経済学の古典としての「分益農の理論」

張五常の博士論文である「分益農の理論」(The Theory of Share Tenancy, University of Chicago Press, 1969)は契約の理論に関する古典の一つに数えられる。同書において、張氏は、従来の理論の誤りを正すだけでなく、分析に取引費用を導入することによって、初めて経済学の手法で契約の選択を取り扱うことに成功した。

従来の理論によれば、農地の利用契約に関して、分益契約(地主が穀物の産出の一定比率との引き換えに小作人に土地を賃貸する)は、固定賃料または固定賃金契約より非効率であるとされている。なぜなら、労働者の限界収入がその限界生産物を(賃料の分だけ)下回るため、労働導入量、ひいては生産がその最適水準を下回るからである。しかし、コースの定理に従い、引費用が存在しない世界では他の形の契約と同様、分益契約も効率的であるはずである。張氏は、分益比率や労働投入など分益契約の主要変数が外生的に与えられているという従来の部分均衡モデルを契約条件が内生的に決められる一般均衡モデルに拡張することによって、土地契約の効率に関する「中立命題」を証明した。

さらに、取引費用が存在する現実の世界では、どちらの契約方式が選ばれるのかは、主にリスク分散と取引費用の節約の考慮によって決められると張氏は主張する。まず、気候条件の変化のような外生要因によって土地の産出が変動する。このような産出変動のリスクは、固定賃金を保証する賃金契約の場合には土地所有者によって担われるが、固定賃料契約の場合には小作人によって担われる。分益契約ではリスクが両者に分担される。一方、契約の締結と実施に伴ってコストがかかる。例えば、契約を結んだ双方がその約束を忠実に守っているかどうか、事後的に監督する必要がある。それにかかるコストは、投入と産出の性質や法律などの取引環境によって違うが、契約の選択によって、抑えることができる。リスクの分担と取引費用を考慮した効用の極大化が契約の内容を決めるカギであるという張氏の考え方は、多くの学者に受け継がれ、70年代以降盛んになったプリンシパル・エージェント(依頼人-代理人)理論や契約理論の主流となった。

分益農の理論をはじめ、張氏の経済学に対する貢献は、欧米でも高く評価されている。例えば、シカゴ大学のR.コース教授がノーベル賞の受賞記念講演で、張氏が自分の理論の発展に大きい役割を果たしたと敬意を表した。新経済史学の代表者であるD.ノース教授も、自著「制度、制度変化、経済成果」の中で、張氏を取引費用を重視するワシントン学派の創始者と称えている。また、張氏は1997年にアメリカ本土以外の経済学者として、初めてアメリカ西部経済学学会の会長に選ばれた。

「中国は資本主義になるか」

張五常が82年に発表した「中国は資本主義となるか」("Will China Go 'Capitalist," Steven N.S. Cheung, Hobart Paper 94, The Institute of Economic Affairs, 1982)は、新制度派のアプローチを本格的に中国経済に応用する最初の試みである。同書において、張氏は、当時まだ改革・開放政策に転換して間もない中国はいずれ私有財産を基本とする市場経済に変わっていくだろうと大胆に予測した。

張氏の分析は取引費用と制度変化の関係に基づくものであった。すなわち、現存している制度より優れている制度が存在しても体制変化が起こらないケースがよくあるが、これは体制移行に伴う取引費用が新制度で新たに生じる利益を上回るからであると考える。80年代始めの中国では、改革・開放の進展により、次のように制度変化に伴う取引費用が低下し、体制移行の道が開かれた。まず、情報コストが低下した。ヒト、モノ、カネの往来が盛んになるにつれ、資本主義が労働者の生活水準から科学技術まで、社会主義よりはるかに優れているという実態が広く認識されるようになり、旧体制に対する失望感が高まってきた。特に同じ華人社会である香港、台湾、シンガポールの成功とそれまでの社会主義中国の停滞が対照的となり、その原因が制度の違いによるものであることはもはや議論の余地がなかった。一方、「四つの近代化」が国是となり、利益分配において政治権力優先から経済効率優先に変わりつつある中で、これまでの特権階級である共産党幹部の改革を反対する力やインセンティブが急速に低下してきた。これらを根拠に、中国経済改革の不可逆性を論じたのである。その後の中国経済の制度変化はほぼ張氏の予想通りの展開を見せている。

農業と工業部門における請負制の比較

70年代末以来の中国の経済改革は、張五常に彼自ら築いた契約の理論を実証する絶好の材料を提供している。中でも、80年代に農業部門と工業部門に相次いで導入された請負制に関する分析は、非常に説得力のあるものである。

中国の経済改革は農業部門における請負制の導入から始まった。請負制では、農民が名義上の土地の所有者である政府と契約を結び、定額の上納金(賃料または税金にあたる)さえ払えば、残りの産出を自分で処分することができる。その後、契約の期間が長くなり(一般的には50年間)、租借権の転売も認められるようになるにつれて、農業部門における請負制は、使用、利潤の帰属、譲渡の権利の整った私有財産に近いものになりつつある。国家が土地の所有権を支配することで社会主義的なイデオロギーが維持されると同時に、土地の事実上の私有化が農民たちの意欲を刺激し、農業における高効率をもたらした。これは「社会主義」の看板を掲げながら、「資本主義」の要素を積極的に導入するという鄧小平の「中国特色社会主義論」の運用の好例である。

その後、請負制が工業部門にも導入されるようになったが、所期の効果を上げることができなかった。農業部門において成功した請負制が、工業部門ではなぜ失敗したのか。その原因を、張五常は工業における請負制に関わる取引費用が農業の場合よりもずっと大きいことにあると指摘している。まず、工業生産の過程が農業生産の過程より複雑であり、投入と産出の品目も多いことから、各人の貢献を特定することが難しい。また、農地が簡単に分割可能であるのに対して、工業設備は株を発行しなければ、分割して転売することが難しい。さらに、土地の移動は不可能で、耕してさえいればその生産性が殆ど下がらないのに対して、工業資産は値下げが可能なだけではなく、物理的に消滅や盗みに遭うこともありうる。結局、国家が所有権を放棄しない限りは、工業請負契約における資産の価値維持といった条款が主観的なものにしかならず、国家と企業間での対立の源泉ともなる。

改革のリスクとしての腐敗の制度化

市場経済への移行を目指す中国にとって腐敗の問題が最大のリスク要因であると、張五常は警告している。共産主義体制では組織における序列によって権利が分配されるのに対して、私有財産に基づく制度では権利は所有の財産に比例する。前者が崩壊し、後者がまだ確立できていない移行期の中国では、腐敗が私有財産と序列に取って代わり、権利の配分を決める基準になることを張氏は懸念している。

腐敗の根本的原因は政府による市場と企業経営に対する規制と干渉にあることには異論はないが、その社会厚生の影響に関しては意見が分かれている。一部の経済学者は腐敗が政府による規制と干渉を回避する手段であれば、経済効率を向上させる面もあると主張するのに対して、張氏はより厳しいスタンスをとっている。すなわち、政治家と官僚たちが自分の利益の極大化を図るべく、腐敗の手段を確保するために、市場に対する規制と干渉の維持と拡大に夢中になると、その悪影響は甚大である。腐敗の「制度化」を回避するために、私有財産に基づく権利分配の制度を一刻も早く確立しなければならず、漸進的改革よりも急進的改革を行うべきであると張氏は主張している。しかし、民主主義を目指す政治改革に関しては、むしろ私有財産を守る制度が確立するまで待つべきである。さもなければ、インドのように、選挙が腐敗した政治家に正当性を与える儀式になりかねない。

中国経済改革に関する提案

張五常は中国の経済改革を評価しながらも、共産主義を批判し、私有財産権制度を確立する重要性を訴え続けた。具体的に、制度運営に伴う費用(広い意味での取引費用)を抑える観点から、中国の経済改革に関して、80年代以降一貫して、次の10項目からなる改革案を主張している。

①中国人民銀行が商業銀行の業務から撤退し、中央銀行の役割に専念する。マネー・サプライのみタケットし、金利の決定を市場に任せる。
②中央銀行以外の国有銀行をすべて民営化し、銀行の新設を認め、その数には上限を設けない。外国銀行も、一定の条件さえ満たしていれば、中国において銀行を買収したり、支店を設立したりすることを認める。
③外国通貨の中国での流通を認める。
④為替管理を廃止し、人民元の為替レートを市場に任せる。
⑤すべての金融分野にわたって、外国資本の参入を認める。
⑥通信分野における免許制を廃止する。
⑦輸出入に対する制限をすべて撤廃する。
⑧すべての国有企業を民営化する。国有企業の株を従業員に持たせる上、その転売の権利を認める。政府は企業の資産価値に対して2%の税金を徴集する。
⑨税制を簡略化し、個人所得税と法人税は10-15%、不動産税は1%とする。同時に、行政機構の余剰人員を整理し、公務員の給料を大幅に引き上げる。
⑩外貨準備の水準を政策目標にしない。

張氏の自由主義の思想に基づく提案は中国当局には必ずしも歓迎されていなかった。とくに、張氏は、1988年にシカゴ大学のM.フリードマン教授が中国に訪問し趙紫陽首相と会見した際の案内役を務めたこともあって、89年の天安門事件を機に趙紫陽首相が失脚した後、彼は批判の対象となり、著書も中国から追放された。しかし、92年の鄧小平の南巡講話以降、中国の経済改革が再び加速し、中央銀行改革や、輸出入の自由化、国有企業の民営化など、張氏の提案の一部が次第に導入されるようになった。また、97年に行われた第15回中国共産党大会において、非公有制経済が社会主義市場経済の補完的部分から重要構成部分に昇格されることを契機に、所有権の問題が改革の議論の焦点となり、張氏の理論が一段と注目されるようになった。これを受けて、「経済解釈-張五常経済論文選」(商務印書館、2000)をはじめ、張氏の著書が大陸で相次いで出版されるようになり、彼の業績に対する評価も急速に高まっている。

2001年9月3日掲載

2001年9月3日掲載