Research Digest (DPワンポイント解説)

人的資本と生産性

解説者 森川 正之 (理事・副所長)
発行日/NO. Research Digest No.0074
ダウンロード/関連リンク

少子高齢化が急速に進み、厳しい国際競争に直面する日本経済にとって、研究開発を強化するとともに人材の質を高め、イノベーションと生産性向上を図ることが重要な課題になっている。こうした問題意識の下、森川副所長は、①大学院教育と生産性の関係、②都市の人口密度と生産性の関係について、それぞれ実証的な分析を行った。

第1の論文からは、大学院卒業者が大学(学部)卒業者に比べて約20%の賃金プレミアムがあり、また、高齢になっても就労を継続する傾向が強いことがわかった。第2の論文からは、人口密度が高い大都市ほど人的資本蓄積の速さ、企業と労働者のマッチング改善を背景に、就労者の生産性が高くなることが明らかになった。これらの結果は、日本が経済成長を実現していく上で、人的資本の質の向上や人口移動の活発化が重要なことを示している。

経済成長のための最重要課題

――今回お話を伺うのは人的資本に関する2本の論文についてですが、なぜこのような研究テーマを選定されたのですか?

今の日本経済にとっては、どのように成長力を高めるかということが最大の課題です。そこで、経済成長を規定する一番重要な要因である人的資本について研究を行いたいと以前から考えていました。私はかつて橘木俊詔教授(同志社大学)と労働経済に関する論文を何本か一緒に書いたことがあり、もともと関心を持っている分野でした。

まず、DP「都市密度・人的資本と生産性」について。私は、サービス産業を中心に生産性の研究を主要な研究領域にしていて、サービス業について企業や事業所単位のミクロデータを使用した分析に携わってきました。今回は、特に地域間でサービス産業の生産性のばらつきが大きいことに着目し、都市密度の高さが人的資本と生産性にどのような影響を与えるかについて、賃金によって生産性を測るというアプローチで分析したわけです。これは地域データを用いた実証分析ではよく使われているアプローチで、米国やフランスの先行研究でも採用されている手法です。

次に「大学院教育と人的資本の生産性」については、そもそもは研究対象というよりも独立行政法人のマネジメントの立場から、大学卒と大学院卒の給与の違いについて関心を持ったことがきっかけです。独立行政法人の給与は、ラスパイレス指数(国家公務員と比べた基本給与額の差)が高いと、往々にして批判を受けます。そのため、どのように比較しているのか調べていたところ、大学卒と大学院卒が区別されておらず、理化学研究所のようにノーベル賞級の人を含めて博士号を持つ研究員を多数抱える研究機関の人件費は、過大評価されている可能性があることがわかりました。これはデータの制約によるところが大きいのですが、日本では大学院教育の効果を計測するという試みが遅れていて、多くの賃金統計では大学卒と大学院卒が区別されていません。主要統計の1つである「賃金構造基本統計調査」では、ようやく2005年から初任給についてのみ大学卒と大学院卒を分け始めました。そして、「就業構造基本調査」が2007年から大学卒と大学院卒を区別して調査するようになったので、このデータを使い、大学院教育が実際に賃金にどう影響しているかについて、定量的に分析してペーパーにまとめようと考えたわけです。

大学院卒の賃金プレミアム(年齢コントロール、雇用形態別・男女別)
大学院卒の賃金プレミアム(年齢コントロール、雇用形態別・男女別)

大学院卒業者は生産性、就労年数で優位

――まず、DP「大学院教育と人的資本の生産性」について、分析の結果はいかがでしたか?

大学院卒は大学(学部)卒との比較で見た賃金プレミアムが大きく、60歳を超えてからの賃金低下も緩やかで長く労働市場にとどまる傾向があり、雇用者では女性の大学院賃金プレミアムが男性よりも大きいことがわかりました。日本においては、大学院卒業者の活用が遅れているという指摘を耳にすることがありますが、今回の結果に照らすと、そうした指摘は少なくとも平均的には正しくないことになります。大学院修了者は賃金で見た生産性でも就労年数においても良く活用されているという実態がありますし、その人的資本が生み出す知識やイノベーションには、本人だけでなく社会全体の役に立ち、経済成長に貢献するというスピルオーバー効果も期待できます。活用が遅れているという指摘は、修士・博士号を持っている人への期待が高い割には、学歴に見合う活躍をしていない少数のケースが、エピソードとして語られることが多いためではないかと思います。

――文系と理系で差異はありますか。

「就業構造基本調査」の個票では文系・理系が分けられていません。ただ、統計上、修士では約83%、博士課程では87%が理科系なので、主に生産やイノベーションの担い手である理科系の人材を中心に論じるというアプローチで問題はないと思います。RIETIでは、西村和雄FF(京都大学経済研究所特任教授)のグループが最近のDP(11-J-020,12-J-001)において、文系と理系の賃金比較を行っており、理系の方が高いという結果が出ています。理系に比べてサンプル数は少ないのですが、今後、文系の大学院修了者についても賃金構造を分析する意義はありそうです。

――男女間の賃金格差についてどうお考えですか。

これは今回の論文の焦点ではないので一般論ですが、男女間の賃金格差についての研究はたくさんあり、色々な議論がありますが最も強く影響するのはおそらく勤続年数です。女性は、賃金カーブが上昇する前に離職してしまったり、再就職に際して以前より低い賃金からスタートしたりするため、継続して働いている男性よりも相対的に賃金が低くなるケースが多くなります。また、女性の方は一般事務やパートタイム就労など、相対的に賃金の低い職種についている場合が多いことも影響しています。

――大学院教育による賃金プレミアムと収益率について、算定方法や評価を詳しく教えてください。

賃金プレミアムについて、本研究では主たる業務からの給与所得について、年収ベースで大学院卒業者が学部卒業者と比較してどれくらい高いかという数値を算出しています。男女平均で約18%という結果で、欧米における先行研究とほぼ同様の数字といえます。

収益率は、大学院の授業料と就学期間の生活費に、就職が遅れて給与が減ることの機会費用を加えたものをコストとして、生涯所得の現在価値、投資収益率(割引率0.03、大学院2年間の学費・生活費を300万円と仮定)を計算すると、投資収益率は男性で約12%。女性で約10%となります。この「300万円」というのが高すぎる、という見方もありえますので、さらに学費等を150万円と低めに仮定すれば、投資収益率は男性約16%、女性約13%と、いくぶん高い数値になります。

この結果からも、大学院進学は、現在の金融商品などと比べてかなり高い収益を見込める投資ということができるでしょう。

――今以上に大学院卒業者を活用していくためには、どういった対策が必要でしょうか。

本研究によって、日本も欧米先進国と同程度には大学院卒業者を活用できていることがわかりました。現在50~54歳となっている世代では1%そこそこの大学院卒業者比率は、20歳台後半の世代では4%前後に増加していますが、まだ増やす余地はあると思います。もちろん、大学院教育の質を下げないようにする努力が必要ですが、奨学金の充実などが有効ではないでしょうか。

大都市は人的資本の生産性を高める

――次のDP「都市密度・人的資本と生産性」の分析結果について教えてください。

今回の論文では、集積の経済性の産業による違いと、集積の経済性と人的資本の相互作用が賃金に及ぼす効果を分析しました。その結果、賃金に対する集積の経済効果があり、それを産業別にみると卸売業・小売業などで相対的に大きいことがわかりました。また、学歴、勤続、経験といった人的資本の指標が高い労働者ほど、集積の経済効果が強く働いていますが、このことは、人口集積地においてスキル労働者の学習が早いこと、企業と労働者のマッチングの質が高いことを示しています。

たとえば、潜在経験年数と人口密度の相互作用をみると、集積の経済効果は大学および大学院卒業後の潜在経験年数の経過とともに強まっていく傾向があり、就業後30年を超えたあたりでピークになります。この関係は、新卒での就職以降、少数の企業で長く働き続ける「標準労働者」よりも、転職経験者を多数含む「非標準労働者」の方が大きくなりました。これは、人口集積地においては、勤続を通じた学習効果だけでなく、転職を通じたマッチング改善効果が時間の経過ともに顕在化していくことを示唆しています。

人口密度による潜在経験・賃金曲線の違い
(1990 ~ 2009 年プールデータ)

人口密度による潜在経験・賃金曲線の違い

――主な分析の手法について教えて下さい。

賃金や生産性の分析においては、「大都市にはもともと質の高い労働力が集まる」という内生性バイアスの問題があります。今回の分析は基本的に、ある時点で区切った「クロスセクション・データ」に基づいたものなので、この内生性バイアスが結果に反映されてしまうことを排除できません。ですから、同一の対象を継続的に観察・記録する「パネル・データ」、つまり個人の追跡調査の結果が活用できれば、地方から都市に移動した人を特定するなどして、より精度の高い分析が可能となります。フランスや米国の研究では、こうしたパネル・データを活用して労働者の生産性を分析した研究例があります。

賃金の人口密度弾性値の推移
賃金の人口密度弾性値の推移

日本でもたとえば家計経済研究所がこうしたパネル・データを持っていますが、サンプル数が少なく、また、女性だけが対象のため必ずしも十分なデータとはいえません。厚生労働省の「21世紀縦断調査」は、将来的に有用なデータとなりそうです。これが長期にわたって蓄積され、個人を追跡して転職やUターンなどによる賃金の動きを見ることができるようになれば、今後の政策研究に非常に役立つと思います。このほかにも、調査対象者について過去にさかのぼってある時点での収入や職業などを聞き取るという手法もあります。いずれにせよ、個人の時系列データがないと、バイアスを排除した完全な分析は難しいと思います。

しかし、産業や個人特性(学歴や勤続年数など)、企業規模を考慮してもなお、都市の人口密度が高いほど賃金(生産性)も上昇するという傾向は確認できています。

――分析結果から、どのような政策が導きだされますか。

人口集積地つまり大都市における就労は、人的資本の生産性を高めます。しかし、このことは、東京への一極集中が好ましいとするものではありません。ここでいう大都市は、東京よりもむしろ県庁所在地や、地域の中核となる政令指定都市を想定しています。大都市に移りたくても移れない人を念頭に、移動の妨げとなっているものを取り除く手立てを考えることが重要だと考えています。現状では相対的に地方に手厚く大都市が手薄になっている交通や生活基盤など都市インフラの整備や、容積率の緩和などが必要でしょう。

また、人口密度の低い地域は、生計費を考慮した実質ベースの所得税額が低いことが人々を現在の居住地につなぎとめ、労働力の大都市への移動を妨げる要因となっているとの議論もあります。もっとも、課税において「実質化」というのは非常に難しいテーマですし、政策としても現実には実行しにくいと思います。

日本において地域間での労働移動率が低下傾向をたどっています。かつての日本では農家の二男、三男が大都市に出てきて重要な労働力となっていたわけですが、今では少子化によって彼らの数そのものが少なくなっています。これを改善する上では、少子化対策も重要です。

――わが国における人的資本の重要性について、どのようにお考えですか。

日本がアジア諸国をはじめグローバル競争をしていく際、最後は人的資本のスキルアップが勝負になります。まずは「社会人基礎力」としてのコミュニケーション能力など、一般的なスキルを向上させていく必要があると思います。その点で日本の初中等教育の質が落ちているのが懸念材料です。

経済協力開発機構(OECD)が世界の15歳を対象に実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)のスコアで見ると、2009年の1位は中国・上海で、日本の順位は韓国、香港、シンガポール、フィンランドよりも下位でした。このように日本の初等・中等教育の水準はもう世界トップクラスではありません。この背景には、いわゆる「ゆとり教育」の弊害もさることながら、教員の質が落ちていることが挙げられます。米国でそういった実証分析がありますが、他業種に比べて教員の給与が低いことも一因ではないかと考えています。また、米国では、能力評価で下位5%程度にランクされた質の低い教員を平均レベルの教員に置き換えれば、長期的にGDPを1%押し上げる効果を持つという推計結果もあります。教員の質は、教わる生徒の将来の生産性を左右する重要な政策課題です。

大学院卒業者が担うR&D 振興、成長率押し上げの有効策に

――今回の研究成果が政策論議に与えるインパクトについて、考えをお聞かせください。

成長戦略を立案するに当たっては、やはり人的資本を重視すべきだと考えています。すでに触れましたように、学部卒と比較した大学院卒の賃金プレミアムは約20%に達しています。過去30年間で大学院進学率は3ポイントほど上昇したわけですから、これだけで労働者の生産性を0.6%上昇させることになります。労働分配率を3分の2とするとGDPに換算して0.4%ぐらいの水準効果をもちます。これはTPPに参加する効果に近い数字ということになります。もちろん、すでに申しましたが教育には成長率を引き上げる効果もあります。このように人的資本の生産性向上を図るということは、非常に波及効果の大きい政策だといえるでしょう。

また、大学院卒に期待されている研究開発(R&D)の分野では、GDP比のR&D投資が1%増加すれば、成長率を0.3%~0.4%程度押し上げる効果があります。この点でも、(大学院卒を活用した)R&Dの加速は旧来型の空洞化対策よりもはるかに有効な政策となるでしょう。

――今後どのような研究に取り組んでいくお考えでしょうか。

私自身の主な専門分野は「サービス産業における生産性」ですので、これについて掘り下げていきたいと考えています。現在手がけているのは「経営力」と「生産性」の関係に関する研究で、すでにアンケート調査を始めています。この関連で、最近はストックオプションと生産性の関係に関する研究も行い、DPとしてまとめました。このほか、産業政策に関連する実証的分析にも興味があります。少子・高齢化や空洞化問題に直面する日本の産業にとって、生産性を高めていくことは非常に重要です。私はもともと政策実務家ですので、今後もこうしたテーマについて、政策の実務と学術研究との接点を重視した研究を続けていきたいと考えています。

解説者紹介

東京大学教養学部卒、京都大学経済学博士。1982年通商産業省入省。2009年より現職。主な論文は、"Economies of Density and Productivity in Service Industries: An Analysis of Personal Service Industries Based on Establishment-Level Data," Review of Economics and Statistics, 93(1), 179-92, 2011;" Labor Unions and Productivity: An Empirical Analysis Using Japanese Firm-Level Data," Labour Economics, 17(6), 1030-37, 2010;" Information Technology and the Performance of Japanese SMEs," Small Business Economics, 23 (3), 171-77, 2004.