Research Digest (DPワンポイント解説)

知的財産戦略の評価と今後の方向-新たな知財政策の開始を-

解説者 久貝 卓 (上席研究員)
発行日/NO. Research Digest No.0062
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2002年に知的財産基本法が成立、2003年には知的財産戦略本部が設置され、特許の出願から特許侵害訴訟など、知的財産にかかわることに内閣が一体となって取り組む体制ができた。そしてこれ以降の知的財産戦略の推進によって、知的財産権を専門に扱う高等裁判所が設置され、特許庁の審査官の増員によって特許の審査が迅速になるなどの成果が生まれた。また大学と企業の間の産学連携についても、大学から企業への特許ライセンス供与が大幅に増えるなど一定の前進が見られる。久貝卓上席研究員は、今回のPDPでこうした制度改革の実績をレビューするとともに、これからの進むべき方向をまとめた。今後の課題として、産学連携では大学の取得した特許を事業化する難しさは変わらず、大学は初期研究段階から企業とより緊密に連携することが望まれる。また、企業がアジアの市場開拓に向かおうとしている現在、アジアでの特許申請が増えつつあり、アジア各国の特許庁の審査能力向上に向けて日本の特許庁との人材交流など国際化の努力が求められると久貝氏は指摘する。

――知的財産戦略について研究された動機は何ですか。

2002年に知的財産基本法(以下、「基本法」)が成立し、翌年内閣官房に知的財産戦略本部が設置されました。これには、欧米キャッチアップからフロントランナーの立場にかわった日本の産業の発展にとって、知的財産が重要度を増したことが背景にあります。私は2002年当時、内閣官房(知的財産基本法準備室)で、法案づくりと本部の立ち上げを担当しました。その後8年余りの政策立案や執行のプロセスを見て、当初想定していた成果は生まれたものの、ここにきて、制度改革のスピードが鈍っているとの問題意識がありました。そこで、実務経験を活かしてこれまでの知的財産戦略のレビューを行うことで、将来の政策当局者、企業関係者、司法関係者の方々などの参考になれば、と考えました。

――基本法の成立によって、日本の知的財産戦略にどのような変化があったのでしょうか。

知的財産の政策は、特許であれば特許庁、著作権であれば文部科学省が担当し、政策対象としては産業界や大学などがあります。また知的財産の保護に関しては究極的には裁判所が役割を担います。基本法が成立するまでは、知財についてのさまざまな課題について関係部門が実務的に微調整をすることで対応する傾向がありました。

しかし、基本法の下に知的財産戦略本部が設置され、総理以下全閣僚に有識者も入って、それまで各部門がバラバラに取り組んでいた知財の制度改革に政府一体で取り組む体制が整いました。改革の例を挙げると、産業界の要望を受け、知財紛争専門の高等裁判所ができました。これは法務省だけでは実現は困難だったと思います。また、特許審査の時間を短縮するため、行政改革で公務員が削減される中、特許庁の任期付審査官500人の純増員が認められました。

産学連携は事業化に課題

――知的財産の創造拠点として、産学連携はどのように評価できるでしょうか。

従来、日本の企業は多くの技術的課題を自前で研究開発してきましたが、研究開発コストの増加などから、大学の力を借りざるを得ない状況が出てきました。一方、大学の側も国立大学の独立行政法人化などもあり、産業界から研究開発資金を導入することが必要だと考えるようになりました。学内研究者の特許取得マインドも向上し大学に特許の出願、管理を一元的に行う知財本部ができ、大学と産業界の仲介役となるTLO(技術移転機関)もどんどんできました。

こうした体制により、大学からの特許出願は2003年から2008年までの5年間で4倍に増えています。同じ期間に大学から産業界に特許のライセンスが供与された件数は28倍に膨らみました。また、大学が自ら特許をとりベンチャー企業を興す大学発ベンチャーの動きも盛んで、2008年までの設立は累積で2000社近くにのぼっています。

このように大きな成果がある一方で、問題点もあります。よく言われることですが、大学が開発した技術を実用化することは「死の谷」といわれるほど難しいという点です。

日米の産学連携を比べてみると、特許の出願合計件数では日本の大学は米国に近づいてきています。ところが、実用化が成功したかどうかを図る目安となる、大学が企業から受け取るライセンス収入をみると、2007年で米国の大学は2407億円を受け取っているのに対して、日本の大学はわずか10億円にとどまっています。日本の産学連携の問題点は企業と大学の連携の緊密度が低いことにあります。大学の研究者が研究の最初の段階から企業ともっと緊密に連携するとともに、大学と企業の間に入る大学の知財本部の人材を育てることも必要です。

――知的財産保護に変化はありますか。

研究成果はまず特許化することが重要です。特許の出願は年間30万~40万件ほどあり、一時期は未審査の特許が最大80万件に達しました。しかし、先述のように特許庁の審査官を1300人から1800人に増やした結果、審査のスピードは相当上がり、特許審査待ち期間を2013年度には11カ月まで短縮する目標も達成見込みとなり、特許審査迅速化は非常に成功したといえます。

次に、侵害された特許について迅速に損害賠償が行われるようにするため、知的財産専門の高等裁判所である知的財産高等裁判所が東京高裁の中に設置され、18名の裁判官が配置されるようになりました。知財高裁は日本が知的財産の保護を強化するというメッセージを海外に発信した点でも産業界から高く評価されています。

ただし課題もあります。特許侵害訴訟は2004年に654件あったものが2008年には497件に減っています。これには、特許侵害そのものが減ったという面以外に、別の要因もあるようです。

原告が特許侵害を提訴すると、まずその特許が有効か無効かどうか審査されます。以前は特許庁のみがこの審査をしていましたが、専門裁判所ができてから、裁判所の側でも並行して特許が有効か無効かを判断するようになりました。この結果、特許が無効と判断されるケースが増えているのです。特許が無効と判断されますと、その特許を使っている事業全体が継続できなくなるということになりかねません。このため企業が特許侵害訴訟の提起について慎重になっているようです。

この問題を解消するには特許を最初に取得する段階で、後になって無効にならないようにきちんと審査するという、「特許の質の強化」が必要です。特許庁における特許の審査・審判機能の向上が何より重要ですが、裁判所の技術的専門性も高めるよう、技術系の裁判官を採用する政策も必要でしょう。たとえば米国の知財高裁であるCAFC(連邦巡回控訴裁判所)では、裁判官10名のうち、半数の5名が科学技術関係など法律系以外の学問的あるいは実務の経歴を持っています。一方、日本ではほとんどの裁判官が法学部出身者というのが現状です。

また、中国など世界にあふれる模倣品の問題があります。家電製品、薬、化粧品の商標侵害や欧米のブランド品をまねたものなど模倣品の取引は、国際刑事警察機構によると2004年で60兆円に上るということです。こうした模倣品が日本に入るのをくい止めるために2003年以降、毎年のように関税定率法の改正が行われました。水際規制の成果は着実に上がっており、産業界からも評価を受けています。

しかし問題は中国のマーケットで依然として大量の模倣品が出回っていることです。日本から毎年、官民合同のミッションが中国に派遣され、中国政府に模倣品対策の強化を要請しています。模倣品の拡散を防止する条約の制定を2005年に日本が提案し、日米欧とカナダが加入する方向で昨年秋に大筋合意がなされました。これは大きな一歩ですが、中国が入っていないため、今後はこの条約に中国を加入させる交渉が課題となります。

企業の死蔵特許が2割にも

――知的財産の活用の状況を教えてください。

知的財産は事業に生かされなければいけません。新しい技術が利益を生み、その利益を再投資して、また新たな技術を生むというのが知的財産戦略の基本的な考え方です。ところが、日本の企業内には死蔵されている特許が数多くあります。年間に取得される特許のうち4割は自社で使用されます。残りのうち、とりあえず使わないが防衛目的または次の製品をつくるために置いている特許が3割あります。そして他社にライセンス供与しているものが1割です。これらを差し引いた残りの2割は、何にも使われていないのです。

企業は毎年13兆円ほどにも上る大きな研究開発投資を費やして、その成果の2割がまったく使われていないことになります。未利用特許の活用は、知財戦略の中で大きな政策課題であり、特許実施許諾におけるライセンシーの保護を強める制度も導入されていますが、他社へのライセンス供与などの形での特許の活用はなかなか進みません。

ただ、今後特許活用が増える要因として、最近のオープンイノベーションの流れがあります。たとえば製薬産業では研究開発費が年々大きくなってきているため、他社の特許や技術資源を活用して新薬を開発ようという動きが広がっています。

また今後の急速な普及が予想されるEV(電気自動車)では、従来の自動車が基本的に自動車メーカーとその関係会社で開発、製造されていたのに対し、電池の開発や、充電設備などのインフラの整備など、自動車メーカーの技術だけではできない課題があります。自動車メーカーと電機関係の企業の技術提携など、特許ライセンスの活用が今後は広がっていくとみられます。

――コンテンツ産業の現状と課題はいかがでしょう。

コンテンツ産業は著作権法が制度インフラとなります。知的財産戦略ではコンテンツ産業(権利者)の振興をうたっているのですが、ゲームやアニメ、音楽、テレビなどのメディア、出版などコンテンツ産業全体の売り上げは、2003年の13兆円から2008年には13兆8000億円と、5年で2%の伸びにとどまっています。

これにはコンテンツ産業自身の問題として、インターネットへの対応と、デジタル技術の活用に遅れをとったことが挙げられます。アップルのipodは音楽配信の普及とともに世界中に広がりましたが、ウォークマンを世に広めたソニーは、権利者との調整の困難さなどから、この分野でモデルをつくれず、その座をアップルに譲ってしまいました。

日本の著作権関連の法律は、権利保護に重きを置かれ、コンテンツの活用促進やユーザーへの配慮が弱いと思います。米国ではネット産業とコンテンツ産業の利害が一時衝突しました。その後米国のデジタルミレニアム著作権法(DMCA)はインターネットの存在を前提にした法律になり、ネットに掲載されたコンテンツに問題があれば排除するという「オプトアウト」という考えの下で、緩やかな規制の形をとり、ネットとコンテンツの両方の発展につながりました。グーグルの検索サービスで提供されるコンテンツは、著作権で保護されているものが大半ですが、違法な複製ではないかという主張に対し、米国では「フェアユース」であるということで立法措置を取らずに合法になりました。他方、日本ではグーグルの検索を合法にするのに著作権法の改正が必要となり、立法に1年がかりとなりました。このように、インターネットの時代においてさまざまなコンテンツを使ったサービスや事業が生まれてくることを考えると日本の著作権制度を放置したままでは新産業を生み出す活力を削いでしまうことになると思います。

増えるアジアでの特許出願

――今後の知的財産戦略に求められるものは何ですか。

日本は人口減少で市場は縮小傾向にありますので、日本企業はアジアの市場に活路を求めています。そうした中、模倣品をつくられるリスクを少しでも減らそうと、中国への特許出願が、すごい勢いで増えています。その結果、特許費用が企業にとっては重い負担になってきます。

特許庁は二国間の特許の相互承認に向けて、特許スーパーハイウエーを推進しており、現在は米国との関係構築が進められていますが、産業界からは、今後、アジア諸国との間で相互承認が進むことが期待されています。ただ、アジアの場合は特許審査等に関わる人材が日本ほど技術的知見の面で十分なレベルに達していないため、日本との間で人的交流を図っていく必要があります。

もう一つ、国際標準の問題があります。日本の技術水準は高いのですが、国際標準でなければ世界では売ることができません。携帯電話が良い例です。日本の国内市場が大きいため、これまで本気で海外市場に進出していこうという企業は出てきませんでした。しかし、今後は日本の技術が国際標準になるように、政府も企業も「国際標準活動」に取り組むべきです。この点で、最近内閣知財本部は太陽光やEVなどの戦略分野で国際標準化戦略に着手しており、注目しています。

さらに世界的に電子書籍や電子図書館を進める動きがあります。電子書籍については日本の企業も技術的に対応できるようになっています。電子図書館は図書館にある蔵書をデジタル化して世界中の人がインターネットを通じてパソコンや携帯端末で読めるようにするというもので、グーグルが先行してハーバードやオックスフォードなどの大学の図書館などと連携して強力に推進しています。

ただ、ここにも著作権の問題があります。権利者の死後すでに50年、70年経って著作権が失効しているものはいいのですが、たとえば著作者不明の作品に著作権が残っている場合のように、それをデジタル複製していいのかはっきりしないという問題が出てくるわけです。これについて米国では司法省が間に入って調整中です。日本でも国会図書館のいわゆる「長尾構想」が進展し、従来のビジネスモデルへの打撃を受ける出版業界の反発がありましたが、政府の音頭取りで、利害関係者が全て参加したフォーラムが立ち上がり電子書籍、電子図書館ともに進めていこうという機運になっています。その際、権利者の既得権ばかりが強調されたり、法律が障害になって電子図書館や電子書籍普及が進まないということになると、たとえば、米国の子供はインターネットで図書館の本を読むことができるのに、日本の子供は図書館へ行って紙で読むしかない、ということも起こりうると思います。これは国際的なハンディキャップであり、日本人全体の知的レベルを下げかねません。日本の将来のためにインターネットをうまく活用して、電子書籍や電子図書館を発展させてほしいと思います。

次に、バイオの分野についてですが、これまで知財戦略は日本の産業競争力を強くしようという思想でしたが、日本の大学の優れた研究成果を早期に新薬にするために外国企業と組む例が出てきています。これは、外国企業の方が国際的なネットワークを持ち、治験も海外の方が早くできるためです。これによって、より早くより多くの世界中の患者を助けることにつながります。外国企業との連携により、リターンが生まれ再投資につながるのならこれも積極的に進めて欲しいものです。

――今回、実施した特許出願上位200社に対するアンケート調査ではどのようなことが分かりましたか。

2008年のリーマンショック以降、特許の国内出願は前年比10%程度落ち込みました。国内の出願を減らした理由には、「国内出願を重点化、厳選する」というものが多かったので、国内出願数は今後もそれほど戻らないのではないでしょうか。一方で、海外出願比率は調査対象企業の38%が増加していると答えています。海外出願が増えている理由として「中国を重視するから」が目立ちます。アンケートによれば、2010年も国内出願を減らす、という傾向でしたが、海外出願は増やすという企業が全体の半分近くに上っています。今後はアジアへの出願が増えるでしょうから、アジア各国の特許の審査能力を上げてもらわないといけません。

図図:2010年度の国内・海外出願の増減見込み

――今後の研究課題は何でしょうか。

いろいろとありますが、ひとつは特許の国際化についてです。日本が認めた特許を米国が認める、またその逆についても、なかなか簡単にはいきません。グローバル特許というものがどのように進んでいくのかを分析したいと思います。

ふたつ目は日本の著作権法です。こちらも国際化すべきですが、文部科学省などが進めている国内の利害調整は難しいものがあります。どれだけ国際化できるか見ていきたいです。

もうひとつは、中小企業の特許のあり方についてです。日本の中小企業の高い技術レベルを、特許によって保護していく必要があります。しかし、特許出願費用は1件あたり50万~60万円もかかり、中小企業にとってはとても大きな負担です。今後は、海外での出願も考えなければなりません。さらに、特許の侵害から中小企業を守ることも重要です。たとえば特許侵害対策として中小企業が自分の特許を国に準ずる機関に信託して、侵害事業に対し公的な立場からにらみを利かせるようにするといった要請もあるようです。こうした点を研究したいと考えています。

解説者紹介

京都大学法学部卒。1985年ワシントン大学ロースクールLLM卒業。1979年通商産業省入省。産業政策局産業政策企画官、ジェトロ・シカゴ・センター次長、貿易局安全保障貿易管理課長、内閣官房内閣参事官(知的財産戦略担当)、経済産業省大臣官房会計課長、近畿経済産業局長、内閣官房副長官補室内閣審議官などを経てRIETI上席研究員(~2010年8月まで)。現在は(株)商工組合中央金庫執行役員。主な著作物は「政府の知的財産戦略への取組み」(都市問題研究55巻6月号・2003年)、「民が主役の知的財産立国に向けて」(OHM・2004年11月)など。