Research Digest (DPワンポイント解説)

WTOと地域経済統合体の紛争解決手続の競合と調整

解説者 川瀬 剛志 (ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0018
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川瀬剛志RIETIファカルティフェローはRIETI ディスカッション・ペーパー『WTOと地域経済統合体の紛争解決手続の競合と調整』の中で、地域貿易協定(RTA)が活発に結ばれる近年、世界貿易機関(WTO)とRTAの紛争解決手続の関係を適切に明確化しないと、同一事件に関する双方の判断やWTOとRTAで同じ内容を規定している条文の解釈が違う事態が起き、国際通商の"憲法"であるWTO協定を損なうと指摘する。

WTOの位置づけや紛争解決手続の実効性に鑑みて、ある紛争がWTO・RTAどちらにも係属しうるならば、原則WTOでの紛争解決を優先するべき、というのが結論だが、WTOとRTAの規律の同一性の判断など解決を要する課題も残る。

日本が韓国や米国とのFTA交渉で意識するべき点なども含め、現状および将来的な問題点を多くの実例から検証した。

――なぜ論文のテーマとして「世界貿易機関(WTO)と地域経済統合体の紛争解決手続」の問題を取り上げられたのでしょうか。

まずWTO協定の性質ですが、一般には国際通商法の憲法的存在として位置づけられていると認識されています。また、WTOに加盟すると、その下にある様々な協定をすべて守らなければならないという「一括引受の原則」があります。更に、WTOの中で起きた問題は、すべてWTOでの解決に委ねなければなりません。このように、加盟国が等しくWTO上の義務を引き受け、問題があればWTOの中で自己完結的に解決され、WTO法の解釈、運用を一貫させていく仕組みになっています。WTOには世界貿易の相当部分をカバーする国々が加盟していますが、これらの原則によって全加盟国に一律かつ一貫した法の支配を及ぼすことが可能になります。

WTOとRTAで判断が食い違う可能性

――アンケート結果の分析から得られた結論で特に興味深かった点は?

ところで、地域貿易協定(RTA-自由貿易協定や経済連携協定などの総称)はWTOに通報されたものだけでも優に100を超えています。それらはすべて"ミニWTO"の様相を呈しています。つまり貿易自由化や内外無差別の原則、ダンピング救済の規定等々、WTOと大変似通った規定が盛り込まれたRTAが、WTO加盟国間にたくさんできています。

そこでどういう問題が起きるかを、仮定の例で考えてみましょう。欧州共同体(EC)とチリは自由貿易協定(FTA)を結んでいます。チリにはピスコという有名な酒がありますが、これがECに輸入された際、EC域内産の同種・類似の酒(例えばウィスキーやウォッカ)と同じように扱われず、差別的で不当に高い酒税をかけられたとします。WTO協定を構成する関税貿易一般協定(GATT)の3条には内国民待遇の規定があり、これに従えば輸入品は同種の国産品と同等に扱わなければなりません。他方、EC・チリFTAにも同様の規定があります。そこで、この税制はWTOとEC・チリFTAの両方の規律に触れる可能性があります。もし仮にWTOでの紛争解決手続では適法との判断が出ればECは現行の税制を継続できますが、EC・チリFTAの手続でECの税制は違法であるとの判断が出れば、ECはこれを変えなければなりません。このように同一の問題について個別具体的な判断がWTOとRTAとで食い違う危険が指摘されています。これは個別紛争の解決に極めて都合が悪いばかりでなく、国際通商への統一的な法の支配を目指すWTOの信頼性を低下させる恐れもあります。

"ミニWTO"であるRTAにはほかにもWTOと似た内容の条文がたくさんあります。それらに関する紛争がRTA内の手続によって処理されると、WTOの解釈とは異なる判例が積み重なって、本来WTOの部分システムとして存在するはずのRTAがWTOの一貫性を蝕む存在になる可能性があります。

WTOの条文をRTAが解釈する事態も

またRTAの中には、WTOの条文をそのまま借りているケースもあります。例えば日本とシンガポールの経済連携協定(EPA)では、内国民待遇について「GATT3条の例による」としています。こうした場合、事実上WTOの条文を解釈する権利をRTAに与えてしまっていることになり、WTOの条文でありながらRT Aによる解釈とWTO自身の解釈が違ってしまうケースも過去には見られました。

二重訴訟の禁止が効かないケースも

もっとも、全く同じ問題に複数の条約や紛争解決手続の規律が及ぶことは、国際社会では珍しくありません。国際慣習法では、ある問題について既に効力ある判例が下された場合、またはある紛争が既にどこかの紛争解決機関に継続している場合、同一の紛争、つまり同一の問題についての同じ当事者の訴えを、他の紛争解決機関は判断をしないという原則があります。それぞれ既判力、二重訴訟の禁止と呼ばれます。

しかしこうした原則の前提となるこの「同一の紛争」ですが、非常に狭いことが分かります。それは「同一」の条件として請求原因、つまりどの条文を根拠として相手の違反を申し立てているのかも同一でないといけないからです。

これをWTOとRTAの関係で見てみます。先ほどのチリの銘酒ピスコの仮定の例で言うと、チリがもしWTOとFTAの両方に是正を求める請求を出した場合、紛争の原因となる事実も当事者も同一ですが、形式的には「WTO協定に基づく請求」と「FTAに基づく請求」という違う請求原因になり、双方の紛争は「同一」ではないのです。ですから、既判力や二重訴訟の禁止という手続的原則ではチリによる両方の手続への付託を止められません。このためRTAの規定でWTO紛争解決手続との関係をどう調整するかが重要になってくるのです。

――これまでに結ばれたRTAの紛争解決手続を分析した結果はいかがでしょうか。

RTAの紛争解決手続は大きく言って3つ、細かくは5つの類型に分けられます(表)。まず当事国が先に提訴した法廷での判断を優先する「先行フォーラム優先型」で、米州やアジア大洋州のRTAに多く見られます。2番目のグループはRTAまたはWTOでの手続のどちらかを優先するものです。RTA優先は、すべての紛争でRTA手続を優先する規定はいまのところありませんが、ある限られた問題についてRTAを優先する規定はいくつか見られます。逆に原則としてすべての紛争でWTOの手続を優先する規定は、EC・チリFTAのみです。3番目のグループは無調整型ですが、これは調整規定が何もないもの、あるいは積極的にWTO、RTAのどちらにも付託できることを明記するものに分かれ、欧州やアフリカのRTAに多く見られます。

表 フォーラム調整方式の例

機能しない先行フォーラム優先の規定

――それぞれのタイプの特徴・問題点をあげて下さい。

まず先行フォーラム優先型ですが、これについては先に開始された手続を優先するとRTAの中で規定していても、WTOではこの規定の効果はありません。なぜなら、WTOにおいては、WTOの管轄権が及ぶ問題について付託された紛争は全てWTOが解決しなければならないことになっており、WTO協定外の根拠によって判断を避ける余地はないからです。また、このタイプでは先に指摘した「同一の紛争」の定義を意識していないものがほとんどで、一度WTOないしはFTAに提訴された問題がもう一方の手続に提訴されることをきちんと止めることができません。

無調整型は、RTAとWTOで実質的に同じ規定に違う解釈が出てくる可能性を放置するもので、無責任です。例えばアフリカではRTAのネットワークが重層的に張り巡らされており、これらのRTAは国を超えた権威のある裁判所を設けています。これらの裁判所がWTOに類似したRTAの条項について独自の判断を下し、それがWTOにおける理解と異なっていれば、WTO協定がアフリカでは実質的に意味をなさなくなっていきます。

RTA優先型も無調整型と同じ問題をはらんでいます。いまのところ、RTAを優先しているのは、特定の場合に限られます。1つは加盟国が3カ国以上のRTAの「共同申立の調整」についてです。例えば北米自由貿易協定(NAFTA)では、米国のセーフガード発動問題について、メキシコはNAFTAに提訴したいがカナダはWTOに提訴したいといった場合、NAFTAを優先することになっています。同じNAFTAでは、公衆衛生や環境規制に関する措置をめぐる紛争もNAFTAを優先することになっています。しかし、ECのアスベスト問題などWTOでもこうした案件の判断例があり、RTAを優先していくとWTOの判例と乖離していくおそれもあります。

判断を避けることができないWTO

――WTO、RTAのどちらでも判断できる問題の場合はどちらを優先すべきでしょうか?

WTOに持っていくべきだと考えます。これは、WTOが強制的に管轄権を持つという現状からして、RTAの規定で紛争解決手続を調整するということは現実的でないからです。メキシコ清涼飲料水事件でWTO上級委員会は、WTO協定に従い付託された問題について判断を下すのはパネルの義務であり、RTAの手続きを理由に判断を回避することは協定上予定されていないと指摘しています。

また、RTAの紛争解決手続は未熟です。例えば、WTOでは紛争解決のスケジュールが決まっており、一旦付託された紛争の審理は、ちょうど国内の裁判のように、粛々と自動的に進みます。これは主権国家の集まりである国際社会では非常に稀な合理的な制度と言えます。

それに対してRTAの紛争解決手続はスケジュール管理に当事国の裁量が多く、訴えられた相手との合意がないと審理が前に進みません。例えばNAFTAで米国のトラック輸送サービス自由化に関する問題をメキシコが訴えた例では、パネリストの指名について当事国の合意に手間取り、結論が出るのに6年以上もかかってしまいました。一方、WTOでは政治的な問題についても結論が下されやすくなっています。最近でも、米国のインターネットカジノ規制事件では、公衆道徳に関係するセンシティブな問題であるにもかかわらず、WTOでこの規制がサービス協定違反であるという判断がきちんとスケジュールを追って下されました。

EC・チリFTAが紛争解決手続調整のモデル

――これらの分析結果を踏まえた本論文の政策的インプリケーションとして、どのようなことが考えられますか。

EC・チリFTAはいまのところ唯一、紛争解決手続で包括的にWTOを優先することを明示しています。これまで述べてきた結論に基づきますと、これがWTOとRTAの紛争解決手続調整のモデルになると考えます。

ただ、EC・チリFTAではFTAによって負う義務がWTOによる義務と実質的に同じであれば、紛争はWTOに持っていくべしと規定しています。この「実質的に同じ」ということをどう判断するかが、場合によっては難しくなります。例えば、内外無差別の原則はGATT3条とEC・チリFTAの両方に書かれていますが、文言は微妙に違います。どの程度同じなら「同一」になるか、明確な基準はありません。

これについては、ある程度判断の集積ができるのを待つしかないと考えます。FTAパネルとしては、過去のWTOの判断を尊重し、訴訟によって求めることが実質的に同じであればできる限りWTOに判断を委ねるという姿勢が妥当でしょう。

また、すべての紛争がWTOによって解決されなければならないわけでもなく、問題によってはRTAに判断を委ねた方がいいこともあるかもしれません。例えば、NAFTAに盛り込まれた環境問題のように、地域の事情を勘案した判断が求められる類の案件もあるでしょう。

日本も紛争解決手続を意識すべき

――日本が、昨今議論が盛んなEU・韓国・米国などとRTAを結ぶ場合に考慮すべき点は何ですか?

これらの国々とのRTAを検討する際には、そのRTAとWTOの間で紛争解決手続の競合が起きることをある程度念頭に置くべきでしょう。この問題を「あさってのこと」と考えてはいけません。特に、米国は、NAFTAの経験から、既にWTOとFTAの紛争解決手続を使い分ける高度な"テクニック"を持っています。

韓国はそこまでいきませんが、WTOにおける主要な"紛争解決プレーヤー"であり、アジアでは日本に次いでWTO手続の利用が多い国でしょう。これまで日本との間にも、海苔の輸入割当、半導体の相殺関税、液晶パネルの特許侵害による輸入差し止めなどの案件があり、特にここ数年は常に何らかの紛争を抱えています。ですから、日韓FTAが結ばれれば両国の紛争はWTOに持っていくのか、FTAで解決するのかという問題が起きる蓋然性は高いと言えます。

日本にはFTAの紛争解決手続が使われないだろうという油断があるのではないでしょうか。そうだとすると、短期的にはともかく、こうした国々とのつきあいを念頭に置けば、中長期的には間違いです。

――今後、この研究をさらに発展させる方向についてはどうお考えですか。

EC・チリFTAについて、包括的なWTOでの紛争解決手続優先の限界を掘り下げるのが、今回の論文では十分ではありませんでした。例えば先ほど指摘したFTAの義務とWTOの義務が「実質的に同じ」という判断をどうするかという問題、また、環境問題のように地域の特殊性が強い問題をどうするかといったことです。

また、ここで分析した紛争解決手続の選択パターンについて、それぞれがどう機能しているか、実例が蓄積されてきたときに検討したいと考えています。たとえば、「先行フォーラム優先型」の規定は実際には機能しない可能性が高いですが、実のところ全く意味がないということではなく、こうした規定があることで、具体的に手続の濫用を回避したり、WTOを優先するという意識的な制約要因になっていないか、という点も掘り下げる必要があります。ただ、これらはいずれも私が懸念するようなフォーラム競合の例が増えないと仕方がないので、長期的課題です。

解説者紹介

上智大学法学部教授。慶應義塾大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程中退(法学修士)、米国ジョージタウン大学法科大学院修了(LL.M.)。神戸商科大学商経学部(現・兵庫県立大学)助教授、米国ジョージタウン大学客員研究員兼同国際経済法研究所フェロー、経済産業省通商機構部参事官補佐、RIETI研究員、大阪大学大学院法学研究科准教授等を経て現職。2004年よりRIETIファカルティフェロー。主な著作に『WTO紛争解決手続における履行制度』(荒木一郎共編著)(三省堂)(2005)等。