ノンテクニカルサマリー

保育所等の整備が出生率に与える影響

執筆者 宇南山 卓(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 経済主体の異質性と日本経済の持続可能性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「経済主体の異質性と日本経済の持続可能性」プロジェクト

2012年に誕生した安倍政権によって実行された「待機児童解消加速化プラン」によって、保育所等(こども園などを含む)の定員は急増して10年で100万人分近く増加し1.5倍になった。この保育所整備は「女性活躍」のための政策とされたが、少子化対策としても重要な役割を果たした。

現在の少子化は、世帯ごとの子供の数が減るというよりも、「子供を持たないライフコース」を選択している女性が増えることで発生している。その背景には、子育てと仕事の両立可能性が低いという状況がある。両立可能性が低い社会では、結婚して子供を産む女性の多くは労働市場から退場することになる。

近年発展の著しい「新しい家族の経済学」によれば、所得の少ない世帯の構成員は家計内での交渉力が弱くなり、個人としての経済厚生が下がる。男女の賃金格差が縮小し女性が単独でも十分な所得が得られるような社会では、女性にとって子供を持つライフコースの魅力が失われ、独身無子が選択されてしまうと考えられる。

このメカニズムを前提にすると、就業継続可能性が低いままだと女性が未婚を選択する可能性は高まる。それに対し、保育所の整備には、両立可能性を高め「キャリアの断絶」を防ぐことで、より多くの女性に「子供を持つライフコース」を選択させる効果が期待できる。

日本では、「子供を持つライフコース」を選択したかどうかは「結婚」をしたかどうかで観察できる。なぜなら、結婚外で出産するケースは少なく、結婚をすれば大部分のケースで子供を持つからである。そのため、保育所整備がどの程度の少子化解消効果を持ったかは、結婚をどの程度促進したかを観察することで測定できる。

そこで「結婚」がどのように推移しているかを示したものが下のグラフである。年齢別の結婚確率のデータから計算される「女性が生涯未婚である確率」を計算したものであり、論文中では「合計特殊生涯未婚率」とよんでいるものである(論文の表1をグラフにしたもの)。概念的には国勢調査で計算されている生涯未婚率に相当するものであるが、直近の結婚の状況までを反映できる指標である。

図には、保育所の整備状況を示す「保育所の潜在的定員率」も示している。これは、保育所の定員数を25歳から39歳の女性の人口で割ったものであり、子供を産む可能性の高い女性一人当たりの保育所の利用枠と解釈できる。実際に生まれた子供の数によらず、どの程度保育所が利用可能であるかを示せる尺度である。

図 保育所の整備と結婚

日本では、1980年代以降急速な未婚化が進んでいることが知られており、その傾向はこのグラフでも確認できる。一方で、その傾向は2005年をピークに反転している。一般によく知られている「生涯未婚率」は、50歳時点の未婚率の指標であり直近の状況を捉えていないため、このトレンドの変化を検知できない。保育所の本格的な整備が進みはじめた2005年に結婚のトレンドが変化したことは、保育所の整備に結婚促進効果があることを示唆している。

そこで、論文では、都道府県別・生年コーホート別のパネルデータを構築し、回帰分析によって保育所の整備の結婚促進効果を定量的に計測した。ベースラインの結果によれば、1パーセント潜在的定員率を引き上げると、未婚者が結婚する確率を年率0.046パーセントポイント上昇させる。この1年での結婚確率の上昇幅を15歳から49歳までの「生涯」に換算すると、生涯未婚率が0.37パーセントポイント下がる計算になる。さらに、過去の傾向からいったん結婚すればおおむね1.79人の子供を持つと考えられるため、生涯未婚率を0.37パーセントポイント低下させることは、1人の女性が生涯を通じて産む平均の子供の数(原理的に合計特殊出生率に相当するもの)を0.00658人増加させる効果に相当する。アベノミクスにおける待機児童解消加速化プランなどによって、2005年以降保育所の潜在的定員率はおおむね15パーセントポイント上昇している。ここでの結果を代入すれば、その保育所整備によって合計特殊出生率を0.1程度上昇させたと考えられる。

保育所の充実によって、保育所等の定員は約200万人から300万人まで増加したが、年々の社会保障支出を約3兆円増加させた。その結果が、合計特殊出生率の0.1程度の上昇であり、現在の出生数で換算すれば約10万人の出生増である。

出生率の低迷が続くなかでは無視できない効果があったと評価できるが、今後さらに保育所を整備しても大きな効果は期待できない。すでに待機児童問題は解消されており、保育所でカバーできる範囲では仕事と子育ての両立可能性は結婚・出産の制約ではない。これまでの四半世紀以上の少子化対策の中で、明白に出生率を向上させたと示された政策は保育所の整備以外では存在しない。今後「異次元の少子化対策」を進めるには、既存の政策の延長ではなく、新たな方向性を示す必要がある。