ノンテクニカルサマリー

どのような雇用主がレント・シェアリングを行うのか? 日本の企業レベルの分析

執筆者 池内 健太(上席研究員(政策エコノミスト))/深尾 京司(ファカルティフェロー)/Cristiano PERUGINI(University of Perugia and IZA)/Fabrizio POMPEI (University of Perugia)
研究プロジェクト 東アジア産業生産性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

東アジア産業生産性プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「産業・企業生産性向上」プロジェクト

過去数十年間に世界の多くの国において経済格差の拡大が観察され、社会の持続可能性に対する懸念と経済格差の拡大の要因に対する注目が高まっている。労働者に対する報酬の分配の不平等が既存の所得格差の大部分を占めていることは広く知られている。しかし、価値の分配に関する決定において企業が重要な役割を果たしているにもかかわらず、研究者の関心がミクロレベルの要因に向けられるようになったのはつい最近のことである。これらの先行研究の多くでは、どのような特徴を持った企業が労働者に対してより多くの報酬を支払う傾向があるかについて明らかにしている。

本研究は、日本の事例に焦点を当て、この一連の先行研究に貢献することを目的としている。日本では、独特の組織モデルやビジネスモデル、労使関係システム、労働市場など、多くの興味深い特徴があるにもかかわらず、レント・シェアリングに関する研究はこれまでのところ限られている。レント・シェアリングとは独占力や規制などを背景として発生する企業の超過利潤(レント)と労働者の賃金の関係性をあらわす。レント・シェアリングの大きさ、すなわち企業がレントをどの程度労働者に分配するかどうかは、労働者の交渉力に依存して決まると考えられている。レント・シェアリングの縮小が多くの先進諸国においてみられる労働分配率の低下や賃金上昇の停滞の背景となっている可能性があり、レント・シェアリングのメカニズムを解明することは政策的にも重要な研究課題である。なお、レントの大きさを直接測定することは困難であるが、本研究では先行研究に従ってレントは従業者1人あたりの付加価値と比例すると仮定して分析を行う。

本研究は、企業レベルの入手可能な最新年のデータに基づいて、包括的な分析を行うことにより、レント・シェアリングに関する先行研究による産業別の分析を補完するものである。我々が焦点を当てているのは、企業のレント・シェアリングの異質性の決定要因、すなわち企業の構造的・組織的な特性(規模、年齢、無形資本集約度、国際化プロセス、経営者の属性など)の違いによって、労働者への利益の分配の大きさに違いがみられるかどうかである。本研究では厚生労働省「賃金構造基本統計調査」と「経済産業省企業活動構造基本調査」を組み合わせて得られた2005年から2018年の期間にわたる企業と従業者のマッチングデータに基づいて実証分析を行う。

本研究の実証分析のアプローチは、先行研究(特に Fukao et al. 2023)で開発された理論モデルに基づいており、レントが正規雇用労働者の賃金率に与える効果を回帰分析によって推定することで、企業における従業者へのレント・シェアリングの程度を明らかにしている。なお、レントには影響を与えるが賃金率には直接影響を与えない要因を操作変数として用いて分析することで、賃金率がレントに与える逆の因果関係を含む潜在的な内生性バイアスの問題に対処している。

本研究の分析結果によれば、レントに対する正規雇用労働者の時間あたり賃金率の弾力性は0.1であり、統計的に有意であった。これは企業のレントが1%増加すると正規雇用労働者の賃金率が0.1%増加することを意味する。なお、本研究で推定されたレントに対する賃金率の弾力性は、日本の産業別のデータに基づく先行研究(Fukao et al. 2023)の結果と整合的である。

次に、レント・シェアリングの大きさに関する企業間の異質性を明らかにするために、いくつかの企業属性をあらわす変数について中央値を基準にサンプルを分割して、レントに対する賃金率の弾力性の推計結果を比較した(下表を参照)。

表 レントに対する賃金率の弾力性の推計結果(企業属性別)
表 レントに対する賃金率の弾力性の推計結果(企業属性別)
*p<0.1, **p<0.05, ***p<0.01

サンプル分割した分析結果によれば、比較的規模が大きく、成熟した企業や管理職比率が高く、大卒比率の高い企業においてレント・シェアリングが大きいことがわかった。また、輸出企業ではレント・シェアリングが大きいが、対外直接投資を実施している企業ではレント・シェアリングが小さい。さらには、ブランド投資(広告費)が大きい企業ではレント・シェアリングが大きいが、研究開発投資についてはそのような傾向がみられない。一方、ソフトウェア投資やIT投資、情報通信費の支出の多いようなデジタル化に積極的に取り組んでいる企業ではレント・シェアリングが大きいことを示す傾向がみられた。

これらの分析結果の政策的含意は2点挙げられる。第1に、デジタル化やブランド投資に積極的な企業ではレント・シェアリングの程度が大きいことから、これら成長企業は成果報酬型の給与体系によって優秀な労働者を引き付けようとしている可能性がある。特に、デジタル化は従業者のパフォーマンスを正確に測定・評価して賃金に反映させることにつながっていて、成果報酬型の人事評価制度や給与体系との補完性が高いのかもしれない。成長意欲の低い企業からこれらの成長企業への労働力の再配分を円滑化するためには、デジタル化やブランド投資に積極的な企業が求めるような労働者のスキルの高度化と教育訓練に向けた政策的な支援が必要であると考えられる。

第2に、もともと平均賃金の低い企業に比べて、平均賃金が高い企業の方が、労働者に多くの利益を配分する傾向が明らかになった。この結果は、もともと平均賃金の高い企業に雇用されている労働者はレント・シェアリングによってさらに高い賃金プレミアムを獲得し、もともと平均賃金の低い企業に雇用されている労働者との所得格差がさらに拡大する傾向にあることを示している。そのため、本研究で明らかになった比較的規模が小さく、大卒比率が低く、無形資産投資やデジタル化に遅れていて、企業から従業者へのレント・シェアリングが小さいあるいはほとんど発生しないような企業の従業者への所得格差の是正措置が有効であると考えられる。

最後に、企業の国際化の影響については、輸出企業はレント・シェアリングが大きい一方で、対外直接投資を実施している企業ではむしろレント・シェアリングが小さいという一見矛盾する傾向がみられた。しかしながら、対外直接投資を行っている企業ではレント・シェアリングの対象が、本分析で想定している日本国内における付加価値だけでなく、海外子会社を含むグローバルな付加価値であるために、本分析ではレント・シェアリングの係数が正しく把握できていないのかも知れない。この点の確認は、今後の課題としたい。

参考文献
  • Fukao, K., Perugini, C., & Pompei, F. (2023). Non‐standard Employment and Rent sharing. Economica, 90(357), 178-211.