ノンテクニカルサマリー

資金制約とマークアップ

執筆者 細野 薫(ファカルティフェロー)/滝澤 美帆(学習院大学)/山ノ内 健太(香川大学)
研究プロジェクト 企業成長のエンジン:因果推論による検討
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「企業成長のエンジン:因果推論による検討」プロジェクト

企業がどのようにマークアップ(価格の限界費用に対する比率)を設定するのかは、物価水準や金融政策のみならず、資源配分や経済全体の生産性にも関連する重要な問題である。また近年は多くの国でマークアップが上昇傾向にあるとされ、労働分配率の低下やビジネスダイナミズムの停滞と関連付けられることも多い。このように、企業経営とマクロ経済の両方の観点からマークアップは重要な企業活動の指標だが、資金制約との関係はこれまであまり分析されてこなかった。

顧客市場の理論に基づけば、企業はマークアップを下げることによって顧客を獲得するが、資金制約に直面した企業はこの顧客資本への投資活動ができずにマークアップを引き上げると考えられる。一方、流動性管理の理論に基づけば、流動性が不足する企業はマークアップを下げて在庫を減らし、流動性を確保することになる。このように、資金制約とマークアップについては相反する仮説が存在する。しかし実証研究はほとんど存在せず、資金制約と価格との関係も正負両方の実証結果が併存する。

そこで本研究では、(1) 厳しい資金制約に直面する企業はマークアップを上げるのか(顧客市場仮説)下げるのか(流動性管理仮説)、(2) 金融危機時に資金制約のマークアップへの影響は大きくなるのか、(3) 金融緩和は資金制約のマークアップへの影響を小さくするのかといった点について実証分析を行う。そのために、本研究では「経済産業省企業活動基本調査」(経済産業省)、「TSR企業情報ファイル」((株)東京商工リサーチ)、日経NEEDs Financial Quest等を用い、企業とそのメインバンクの財務情報を接続したデータセットを作成する。

マークアップの測定方法は、以下のとおりである。静学的な投入物、すなわち、調整コストのない可変的な生産要素(例えば中間財)に関して、費用最小化の条件を求めて整理すると、

マークアップ=(売上/中間投入費用)×(中間財に関する生産の弾力性)

と表すことができる(De Loecker and Warzynski, 2012)。これまでの多くの研究は、生産関数の推計により弾力性を推計し、売上/中間投入費用を乗ずることによってマークアップを推計してきた。しかし、この方法は、生産数量と価格に関するデータが利用できる場合にのみ適用可能であり、売上データしか利用できない場合はマークアップを識別できない。そこで本研究では、中間財に関する生産の弾力性を企業固定効果、産業×年の固定効果、および観測できる企業属性でコントロールしたうえで、売上と中間投入費用の比率によってマークアップの変化を推計する。中間投入費用としては主に売上原価を用いるが、営業費用や賃金総額を用いても以下の結果は頑健であることを確認している。

資金制約は企業の流動性資産比率(棚卸資産を除く流動性資産の総資産に対する比率)を主な指標とするが、メインバンクの不良債権比率と自己資本比率も用いる。金融政策ショックには、3カ月ユーロ円金利先物のティックデータを用いた指標とより長めの金利を用いた指標を利用する。推計の際にはマークアップがキャッシュフローを通じて流動性資産比率に影響するという内生性の問題に対処するため、キャッシュフローをコントロールするとともに、前年の流動性資産比率を操作変数とする推定も行う。

主な結果は以下のとおりである。(1) 流動性資産比率が低く、厳しい資金制約に直面していると想定される企業はマークアップを下げる傾向にあり、同時に設備投資や在庫投資を減少させている。ただし、銀行の健全性指標はマークアップに有意な影響を与えていない。(2) 世界金融危機時には、流動性資産比率がマークアップに及ぼす影響はより大きくなる。(3) 金融緩和ショックは、流動性資産比率とマークアップの関係にほとんど有意な影響は与えていない。これらの結果は、企業は日常的に流動性を管理しており、金融危機時にはマークアップを下げて在庫を投げ売りした可能性を示唆している。

そこで、推計結果に基づき、流動性資産比率の相違によるマークアップのばらつきが、どの程度資源配分の悪化を通じて経済全体の生産性を引き下げているかを試算した(図1)。これによると、TFPへの影響は0.03%から0.04%と大きくないものの、金融危機時にはほぼ倍増していることがわかる。金融危機時の企業の資金繰り支援は、設備投資などの需要を支えるだけでなく、企業間資源配分を通じて生産性にも正の効果を持つ可能性があることが示唆される。

図1:TFPの損失割合(%)
図1:TFPの損失割合(%)
参考文献
  • De Loecker, Jan, and Frederic M.P. Warzynski. 2012 "Markups and Firm-Level Export Status," American Economic Review 102(6): 2437–2471.