ノンテクニカルサマリー

コロナ禍における現金給付の家計消費への影響

執筆者 宇南山 卓 (ファカルティフェロー)/古村 典洋 (京都大学経済研究所)/服部 孝洋 (東京大学公共政策大学院)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

コロナ禍において、全国民に一律十万円を給付する「特別定額給付金」政策が実施された。こうした多額の現金給付は多くの国で実施されているが、感染症が拡大する局面での現金給付が家計消費へ及ぼす影響は自明ではない。家計が感染リスクを恐れ消費を増やさない可能性はあるが、コロナ禍によって資金が制約される家計が増えていれば消費が大きく増加することもありえる。また、家計が消費を増やせば、その内容によっては感染拡大につながる可能性もある。

こうした観点から、本研究では、特別定額給付金に対する家計の限界消費性向(MPC)を計測した。また、コロナへの感染リスクに対応するように独自に消費を分類し、消費の内訳別のMPCも計測し家計がどのような消費を増やしたかを考察した。

本研究では、総務省統計局が調査・公表する家計調査の公表データを用いた。家計調査は、統計法上の基幹統計であり、家計収支に関する最も信頼できるデータである。近年のトレンドにおいてGDP統計の家計最終消費支出とも整合的な動きをしており、特別定額給付金のマクロ的な分析をするのに妥当なデータである。ただし、家計調査では、特別定額給付金は「特別収入」の一部として記録されており、MPCの計測には計量経済学的な配慮が必要であった。

特別定額給付金は2020年6・7月頃に支給されたが、4・5月には最初の緊急事態宣言が発令され、7月にはGo Toキャンペーンが実施されるなど、消費を巡る状況は大きく変化していた。そのため、家計消費の時系列データを単純に観察するだけでは特別定額給付金の効果は把握できない。

本研究では、都市ごとの特別定額給付金の支給タイミングの差を利用してMPCを計測した。特に、市町村ごとの、給付申請の受付開始のタイミングの違いに注目した。下図(論文中の図8)は、特別定額給付金の申請受付開始が相対的に早かった都市(申請受付開始日の平均が5月25日以前の都市:実線)と相対的に遅かった都市(それより後の都市:破線)との2つのグループに分け家計消費の動向を比較したもので、支給タイミングの差を利用したMPCの計測のイメージを示している。

図 申請受付開始が早かった都市と遅かった都市の消費動向
図 申請受付開始が早かった都市と遅かった都市の消費動向

申請受付開始が相対的に早かったグループは、遅かったグループに比べて6月の家計消費の増加が大きいが、その差は緩やかに縮小し8月には申請受付開始が遅かったグループと逆転している。これは、特別定額給付金の給付が先に始まった都市で消費がより早く増加したことを意味しており、特別的額給付金に消費を増やす効果があったことを示す。申請受付開始が相対的に早かったグループの6月の特別収入は21.0万円で、遅かったグループの10.6万円であり10.4万円多かった。一方、両グループの家計消費の差(図1における6月での差)は0.9万円であった。MPCはその比率であり、8.7%(=0.9÷10.4)となる。論文中では、より厳密に回帰分析によりMPCを計測しているが、そのベースラインの推計値は11%であった。

この推定値は、日本の現金給付を対象とした既存研究でのMPCの推定値と同程度である。つまり、感染症流行下でも、現金給付に対する家計の反応は通常時と変わらなかった。また、MPCの推定値から、特別定額給付金によって消費を増加させたのは、流動性制約に直面した家計であったと考えられる。マクロ的なMPCは流動性制約に直面する家計の割合に等しくなることが指摘されてきており、日本で流動性制約に直面する世帯の割合は13%程度との研究がある。ここから、MPCが10%前後ということは、現金給付に反応したのは流動性制約に直面した家計だというストーリーが導かれる。

このことは、特別定額給付金を評価する上で大きな意味を持つ。なぜなら、消費刺激策としては、流動性制約に直面した家計のみをターゲットにしても同等の効果があったと考えられるからである。特別定額給付金の施策目的は必ずしも消費刺激とはされておらず、現金給付を実施する際に行政が流動性制約に直面する家計を適切に把握できる保証もない。しかし、今後の現金給付政策の立案にあたり、無条件で一律給付を正当化することは難しいだろう。

特別定額給付金の約10%が消費されたのであれば、1兆円以上の消費が喚起されたことになる。この追加的な消費は、新型コロナウイルスの感染拡大に寄与した可能性がある。そのリスクを評価するために、家計がどのような財・サービスを消費したかについても観察する。

家計調査の詳細な分類を再構成することで、コロナの感染リスクに応じた独自の基準で消費を分類し、家計がどのような消費を増やしたかを観察した。具体的には、比較的感染リスクが高いとされる旅行や外食などの「対面サービス消費」、感染リスクが低いと考えられる光熱水道料や放送受信料などの「自宅購入型家計」、贈与金や仕送りなどの「移転支出消費」、それ以外の「店舗購入型消費」に消費を分類した。この分類に基づき、消費の内訳ごとのMPCを計測したのが、下記の表(論文のTable 3)である。

表 特別定額給付金に対するMPC:感染リスク別
表 特別定額給付金に対するMPC:感染リスク別

その結果、「店舗購入型消費」へは約8%、「自宅購入型消費」および「移転支出消費」には約2%の支出があった一方、「対面サービス消費」には統計的に有意な変化はなかった。この結果は、家計が感染リスクを踏まえた選択をしていたことを示唆する。この行動変容を踏まえれば、特別定額給付金はコロナウイルス感染拡大リスクを大きく上げるような効果はなかったと言える。