ノンテクニカルサマリー

特許庁の情報制約と審査の質:審査着手までの期間が与える影響による分析

執筆者 長岡 貞男 (ファカルティフェロー)/山内 勇 (リサーチアソシエイト)
研究プロジェクト 産業のイノベーション能力とその制度インフラの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

イノベーションプログラム (第四期:2016〜2019年度)
「産業のイノベーション能力とその制度インフラの研究」プロジェクト

1.問題意識

特許審査の質は、特許制度の根幹をなすものであり、その向上は制度のイノベーション促進機能を高めるうえで、非常に重要な課題である。そのため、世界の主要な特許庁においても、審査の質の向上は大きな政策的関心事となっている。他方で、審査実務においては、出願人の早期権利化ニーズに対応する必要もあり、日本特許庁も平成24年度には一次審査の通知期間を11カ月以内にするなど、審査の早期着手に力を入れてきた。

本稿は、こうした審査着手までの期間の短縮がもたらす利用可能な情報量の減少が、審査の質に与える影響を分析する。その際、審査の質は第一種の過誤(本来、拒絶されるべき出願が特許査定を受ける誤り)と第二種の過誤(本来、特許査定を受けるべき出願が拒絶される誤り)で測る。

先行研究では、審査の質を特許査定率の低さで測定したものが多いが、第二種の過誤が増えても特許査定率は低下するため、特許査定率は必ずしも審査の質を反映していないという問題がある。また、審査着手までの期間は、出願人の審査請求のタイミングの選択によっても影響を受けるため、特許査定率との間に見せかけの相関が生じる可能性がある(たとえば、質の高い発明は審査請求が早く、特許査定率も高くなるという内生性と呼ばれる問題が生じる)。そこで、本稿では、2001年10月に実施された審査請求期間の7年から3年への短縮という外生的なイベント(制度改正)を利用して、特許庁の情報制約と審査の質との間の因果関係の識別を試みる。この制度変更は、審査着手までの期間を外生的に短くすることで特許庁の情報制約を厳しくしたが、制度変更自体は審査の質には直接的な影響を及ぼさないため、その違いを利用して因果関係の識別が可能となる。

さらに、本研究では、国際出願と国内出願の特許査定率の差についても分析を行う。先行研究では、外国出願人の特許査定率が国内出願人に比べて低いという統計的事実が観察されており、その原因は未だ明らかになっていない。本稿は、その原因の1つとして、国内出願を基に外国出願を行う場合に認められている1年間の猶予期間があると考えている。この猶予期間の存在は、審査官に関連技術の情報を蓄積し理解を深める時間を与えることで、審査の質を上昇させ、特許査定率を低下させると考えられるためである。

2.分析結果

本稿における実証分析では、発明の質や技術分野ごとの特徴を揃え、上述の内生性の影響を取り除く処理を行ったうえで、審査着手期間が1カ月短くなることで、どの程度特許査定率や不服審判の発生率が上昇するかを推計した。表1にその結果の概要を示している。この表によれば、制度変更を通じた審査着手までの期間の短縮は、ファーストアクションにおける特許査定率を2.3%(平均値は44.9%)ほど上昇させ、不服審判の結果も反映した最終特許査定率を2.5%(平均値は51.9%)上昇させる効果を持っていたことが分かる。また、そうした着手の早期化は拒絶査定不服審判の発生率を1.4%(平均値は10.8%)上昇させる効果を持っていたことも確認された。これらの結果は、外生的な審査着手の早期化により情報制約が厳しくなることで、第一種と第二種両方の過誤が増えること、また、第一種の過誤の増加は第二種の過誤の増加を上回ることを意味している。

また本研究では、審査着手の早期化の負の影響が、情報制約の厳しい技術分野(発明がより新しい先行技術を基礎としており、かつ審査請求が早い分野)でより大きいことも明らかにした。図1は、技術分野別に、情報制約の程度と最終特許査定率への効果をプロットしたものである。横軸が情報制約の程度であり、制度変更前の平均引用ラグ(特許審査において、どの程度新しい文献を引用する必要があるかの指標)と審査着手までの期間(どの程度早く審査を開始する必要があるかの指標)の合計値によって測っている。図によれば、情報制約が厳しい分野でより特許査定率が上昇していることが分かる。

さらに、本研究では、国際出願と国内出願の特許査定率の差が、審査着手までの期間の影響により、どの程度異なるかについても分析を行った。その結果、両者の特許査定率の差は、審査着手までの期間の影響を取り除くと、大幅に縮小することが分かった。このことは、国際出願に対する出願の猶予期間が、審査の質を高め査定率を低下させている可能性を示している。すなわち、外国出願人と国内出願人の間の特許査定率の差は、一見すると差別的な扱いの結果と誤解されやすいが、むしろ、より正確な審査の結果と解釈できる可能性がある。

以上の一連の分析結果は、特許庁の情報制約が審査の質に大きく影響していることを示しており、審査を早めるに当たっては、情報制約を緩和するような政策を実施することが、審査の質を維持し、特許制度のイノベーション促進効果を高めるうえで重要であることを示唆している。そのためには、第三者からの情報提供を増やすような政策、他国特許庁の審査結果の利用を促進する仕組み、また、特許庁内の審査情報システムの改善などが必要と考えられる。他にも、特許料金をより積極的に活用する制度(たとえば、早い審査に対しては審査リソースに対応した料金負担を求め、遅い審査請求に対しても第三者の監視コストに対応した料金を課すなど)も有効と考えられる。

表1:推計結果
平均値 (a) (b) (a)×(b)
審査着手までの期間が1か月延びることの効果 制度変更によって審査着手が伸びる効果(月数) 制度変更による増加分合計
最初の特許査定 44.9% -11.909*** -0.195*** 2.3%
最終特許査定率 51.9% -12.595*** -0.195*** 2.5%
拒絶査定不服審判発生率 10.8% -6.954*** -0.195*** 1.4%
注1:サンプルは2001年1月から2001年6月に出願された発明のうち2004年12月から2007年9月の期間に一次審査がなされた発明(コントロールグループ)と、2002年1月から2002年6月に出願された発明のうち2005年11月から2006年12月の期間に一次審査がなされた発明(トリートメントグループ)の6万4170件の発明である。
注2:最初の特許査定は、ファーストアクションにおける特許査定の判断であり、最終特許査定には、拒絶査定だったものが不服審判の結果特許査定となったものも含む。
注3:***印は数値の統計的な有意性を示している(1%水準で有意)。
図1:技術分野別の情報制約の程度と最終特許査定率への効果
図1:技術分野別の情報制約の程度と最終特許査定率への効果
注1:技術分野別の情報制約の程度は、制度変更前における各分野の平均引用ラグと審査着手ラグの合計で測っている。