ノンテクニカルサマリー

1970年代から1990年代の主要通貨による貿易インボイスの考察と人民元の国際化問題

執筆者 伊藤 宏之 (客員研究員)/河合 正弘 (東京大学)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

2015年11月、国際金融基金(IMF)が中国の人民元を特別引き出し権(SDR)の構成通貨の1つにすると決定した。それにより、世界第2位の経済大国の通貨である人民元が本格的に国際通貨になるための第一歩をとった。しかし、政府当局がいまだに金融市場に頻繁に介入し、国内外の投資家に対する規制もなかなか撤廃しようとしない今の中国の現況を考えると、今後人民元が本当に国際通貨として認識、利用されるかはいまだ不明であると言わざるを得ない。そもそもSDRの構成通貨にすること自体時期尚早ではないかという意見もある。果たして人民元はドルやユーロといった国際通貨に並ぶ、あるいはそれを超える存在になるのか、はたまた日本円のように国際化を標榜しながらもそれを達成できずに終わるのか。

しかし、未来を予測することができなくとも、過去の主要通貨の経験をもとに人民元の将来を展望することはできる。この論文はそれを主旨としており、1970年代から1990年代における米ドル、日本円、独マルクの経験から、人民元の国際化に不可欠なものは何かを割り出すことを主たる目的としている。

具体的には、この論文では、貿易インボイスにおける通貨建てシェアに関するデータを使い1970年から1999年までのドル、円、マルクの貿易における利用シェアの動向、そしてシェアを決定づける主要因を回帰分析的に割り出してみた。この分析により、主要通貨の貿易インボイス・シェアに関わるさまざまな興味深い結果を得ることができた。

まず、1970年代から1990年代にかけて、ドルは明らかにグローバル通貨として、マルクはヨーロッパの地域通貨として、それぞれ地位を確立していたということが再認識できた。しかし、日本円はグローバル通貨にもアジアの地域通貨にもなることができなかったのである(図1)。マルクがヨーロッパ間の貿易を円滑化する重要な通貨であった半面、円はアジア・オセアニア圏で主要通貨とならなかったばかりか、自国の貿易においてすら主要通貨になることがなく現在に至っている(図2)。

さらに、英ポンド、仏フランク、伊リラ、スイス・フランクも加えた主要7通貨のインボイス・シェア・データを使い、発行国外における利用シェアの主要因をパネルデータ分析した。その結果、主要通貨はその発行国との貿易量が多い国ほどインボイス通貨として使われる傾向が高いが、金融市場が発展しているあるいは開放度が高い国ほど、逆にシェアが低いということがわかった。発展し開放的な金融市場を所有している国ほど、主要通貨のみに頼るのではなく、自国通貨建てを含めた貿易決済の選択肢の幅が広いということである。

また、通貨政策に影響を与える通貨バスケットでのウェイトが高い、あるいは、その通貨圏との貿易量が高いほど、その通貨をインボイス通貨として利用する傾向が高いということが分かった。つまり、通貨政策において対ドル為替の安定化を第1に重視する(よって通貨バスケットにおいてドルの比重が高くなる、つまりドル圏に属する)国ほど、ドル建て貿易の傾向が高くなり、あるいはドル圏に属する経済との貿易量が多いほど、ドル建て貿易の傾向が高く、逆にマルク建ての比率は低くなる。このようにドルとマルクがライバル関係にある反面、円はあまり通貨ウェイトや特定の通貨圏との貿易量に影響されないということもわかった。これらの結果により、マルクがヨーロッパにおいて地域通貨としての地位を確立することができたのも、ヨーロッパ諸国の多くがマルク圏に属し、かつそれらの国々と貿易が多かったからであり、逆に、日本はドル圏に属する国に囲まれているために、なかなか円建て貿易のシェアが上がらなかった、ということができる。

最後に、主要通貨発行国自身の要因がそれぞれの自国通貨建ての比率にどのように影響を与えるかを調べてみたところ、(対世界の)貿易総量が大きい、所得レベルが高い、あるいは金融市場が発展し開放度が高い、といった国ほど自国の通貨をインボイス通貨として使用する傾向が高いということが分かった。また、ドル圏に属する国々との貿易比率が高い国ほど、主要通貨発行国であっても自国通貨を利用する比率が低くなるということもわかった。

これらの回帰分析は、人民元の貿易面での国際化について重要なことを示唆している。まず、今後中国経済の所得レベルの上昇は続き、世界での主要貿易国としての地位は揺るぎないものと見込まれるという点においては人民元の国際化は進むものと予想される。しかし、IMFのSDR通貨決定にもかかわらず、最近の中国金融市場の不調や人民元安の傾向などから、今後どれだけ中国の金融市場が自由化されるかは不透明であり、その意味では、さらなる人民元の国際化がどれだけ進展するかは全く不明である。さらに、中国は日本と同じくドル圏に属する国々に囲まれており、それも人民元の国際化にとってはかなり高いハードルとなる。アジア・オセアニアのドル圏諸国がどれだけ人民元を貿易インボイス通貨として利用するかが人民元の国際化に重要な鍵となってくる。まさにドルと人民元の覇権争いがアジアで行われるといっても過言ではない。

図1:主要通貨シェアと対通貨発行国への輸出比率
図1:主要通貨シェアと対通貨発行国への輸出比率
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図2:円とマルクの貿易インボイス・シェア、1970-2013
図2:円とマルクの貿易インボイス・シェア、1970-2013
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