ノンテクニカルサマリー

【WTOパネル・上級委員会報告書解説⑥】米国-マグロラベリング事件(メキシコ)(DS381)-TBT紛争史における意義-

執筆者 内記 香子 (大阪大学)
研究プロジェクト 現代国際通商システムの総合的研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

地域経済プログラム (第三期:2011~2015年度)
「現代国際通商システムの総合的研究」プロジェクト

本件は、米国-クローブ入りタバコ規制事件に続いて、TBT協定(貿易の技術的障害に関する協定:Agreement on Technical Barriers to Trade)を扱った2つ目の上級委員会の判断である。本件の後、米国-原産地国表示要求(COOL)事件の上級委員会報告が出され、2012年にはTBT協定に関する上級委員会報告書が3件発出されたことになるが、この3件のうちで本件は、TBT協定について最も多くの論点をカバーしており、報告書が大部である点に特徴がある。TBT紛争史における本件の意義は、TBT協定の強制規格に関するコアな義務である2.1条および2.2条の解釈適用だけでなく、次の3点においても認められる。

第1に、TBT協定上のPPM規制(生産方法・工程:Process or Production Methods)の扱い方について一定の方向性が示された。TBT協定がPPM規制を扱うことができるかどうかは、強制規格に関する定義を規定しているTBT協定の附属書1.1をめぐってこれまでも学説上さまざまな議論があった。附属書1.1第1文で、強制規格は「産品の特性又はその関連の生産工程若しくは生産方法について規定する文書」であるとされていることから、最終製品に影響を与えないPPM規制をTBT協定が扱うかどうかは明らかでないとされてきた。また、ラベル表示等についての附属書1.1第2文には、第1文にある「その関連の」という表現がなく、ラベル表示等に関しては、第1文より第2文でPPM規制がより広くTBT協定で扱われるのか否かにつき、さまざまな見解が存在していた。本件で問題となった措置は、最終製品であるマグロ製品に影響を与えないPPM規制とみることができるが、それがラベル表示であったことから、附属書1.1の第2文(専門用語、記号、包装又は証票若しくはラベル等による表示に関する要件)の解釈が問題となったが、本件パネルは、同措置がマグロという産品に課される措置であるとして、PPM規制という概念を使用せずに、TBT協定の適用対象とした。上級委員会でもこの点は争われず、少なくともTBT協定附属書1.1第2文のラベル表示については、産品に課される措置である限り、同協定がPPM規制を扱うことができるという方向性を示すこととなった。

第2に、強制規格と任意規格の定義・範囲についても初めて問題となった。本件の措置では、イルカ保護のラベル表示がなくとも米国市場でマグロ製品を輸入・販売することができた。言い換えると、イルカ保護のラベル表示をするのであれば米国政府の指定した要件に従うことが求められるが、ラベル表示が市場での販売要件となっているわけではなかった。このような措置が強制規格なのか、任意規格なのかが争点となったが、本パネル・上級委員会ともに本件措置は強制規格と解釈した。本件措置の特徴((1)法的な拘束力があること;(2)その他のラベル措置を許容していないこと;(3)履行の監視制度があること)から、強制規格であると解され、市場で販売可能かどうかは要素として重視されないという判断となった。

そして第3に、国際規格の定義が争点となり、興味深い議論が展開されている。TBT協定2.4条は、「関連する国際規格が存在するとき......は、当該国際規格又はその関連部分を強制規格の基礎として用いる」とするが、「国際規格」の定義はおいていない。従って、ある制度が国際規格にあたるかどうかがまず争点になり得る。本件の申立国のメキシコにとっては、全米熱帯マグロ類委員会における国際イルカ保存計画の下で策定された条約、すなわちAIDCP(Agreement on International Dolphin Conservation Program)が国際規格と認められて、既存の米国の措置ではなくAIDCPに基づいたラベル表示制度が用いられることが、米国市場でマグロを販売できる可能性が大きくなるという点において利益であった。本件の判断は、TBT協定上の国際規格とはどのような特徴が必要かということを明らかにした点に意義があり、(1)標準化の分野において認められた活動をしていること、(2)少なくともすべてのWTO加盟国の関係機関が加盟することのできる機関であること、の2つの要素が必要であるとした。

またこの「国際規格」の定義を明らかにする過程で、「国際規格作成プロセスに関する原則についてのTBT委員会決定」が、ウィーン条約法条約31条3(a)の「条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意」にあたると判断された点も注目される。同決定は、国際規格の策定の手順についてTBT委員会で議論が重ねられ、2000年にコンセンサスで決定されたもので、「後にされた合意」とされて問題のない範囲だと考えられる。ただし、同決定は、過去に上級委員会により「後にされた合意」とされたWTO設立協定9条2項に基づいた多数国間解釈や閣僚会議の決定ではなく、TBT委員会の決定で、他方上級委員会が閣僚会議の決定を「後にされた合意」と位置づけた際には、将来閣僚会議のさまざまな決定に潜在的な影響を持つという見解もあり、安易に「後にされた合意」と上級委員会が判断すべきではないという見方もあった。WTO紛争解決手続のような司法機関が「後にされた合意」を判断することは、正式な意思決定手続を経ずに、条約の新たな理解が明らかにされることを意味する。TBT委員会の決定が「後にされた合意」とされたことは、今後の各種委員会での議論や決定に影響を与える可能性もあり、この点も将来的な影響のある論点であった。

以上のようにTBT協定上の多様な論点が、加盟国の今後のWTO紛争解決における行動や、WTO内での交渉・議論の場に影響を与え得ることを本稿は論じた。