ノンテクニカルサマリー

日本企業の研究開発活動から商業化へのラグ構造の分析

執筆者 鈴木 潤 (政策研究大学院大学)
研究プロジェクト 日本企業の研究開発の構造的特徴と今後の課題
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

研究開発のインプットとアウトプットの分析や評価を難しくしている理由の1つは、成果が得られるまでのタイムラグが大きいことである。たとえば、企業の研究開発投資の成果をいつ判断すればよいのだろうか? 企業に対する公的な研究開発補助金の効果や研究開発優遇税制の効果は、いつごろどのように評価すればよいのであろうか? 研究開発の短期成果志向が進んでいるという指摘も聞かれるが、そのような現象を具体的に検証できるだろうか? また最近では国民経済計算における無形資産の推計においても、研究開発のタイムラグが検討課題の1つとして指摘されている。筆者は、RIETI発明者サーベイのデータを用いて、研究開発活動とその成果としての特許、そしてその特許が商業的利用に至るまでの一連のタイムラグの構成と、それらに影響を与える因子の分析を行った。

研究開発活動に関係するタイムラグは、実際にはいくつかの性格の異なる期間が合成された結果である(図)。本分析の結果、企業に所属する発明者が新たな研究開発プロジェクトを開始してから特許を出願するまでのラグは、幾何分布という左側(短い期間)に偏った形状を持っており、中央値は18カ月で24カ月までには77%の特許が出願されることがわかった。また、特許出願後にその技術を利用するかどうかの意思決定が行われ、利用の意思決定が行われたものに関しては出願後12カ月(中央値)で利用が開始される。なお、ここでいう「利用開始」とは製品やサービスが実際に市場投入される前の段階で、試作品や製品の製造が開始された時点を意味している。すなわち、製品やサービスの実際の売り上げや利益が発生するには、技術の"利用開始"からさらにタイムラグが存在する可能性が高いが、そのラグの長さは本分析の対象外である。

回帰分析の結果、出願した特許を利用するかどうかの意思決定に寄与する因子と、出願後利用開始までの期間に影響を与える因子は独立性が高く、利用の意思決定は主として発明内容が技術的に高い価値を持つかどうかに依存する。一方、利用開始までのラグは、主として研究プロジェクトの規模や企業戦略により大きな影響を受けることがわかった。その他、研究開発のラグに影響を与える主な因子としては、まず技術分野の影響がある。化学分野の発明は、その他の分野に比べて研究開始から出願までの期間が約12%(2カ月)長く、医薬品分野では約24%(4カ月)長い。出願から利用開始までの期間も、化学分野では約26%(3カ月)長く、医薬品分野では約20%(2カ月)長い。これらの分野では一般的に研究開発に長期間が必要であると認識されている。確かに、本分析結果はそのような認識と合致するが、12%から26%という違いは、見方によってはそれほど大きくないともいえる。これは、たとえば医薬品の研究開発を考えた場合、時間がかかるのは主に前臨床試験や臨床治験、毒性試験などのフェーズであり、これらのフェーズでは既に新技術は試験製品の製造のために"利用が開始"されているためであると考えられる。その他、中小企業は大企業に比べて、研究開始から特許出願までの期間も、特許出願から利用開始までの期間も短いことが示された。基礎的な要素を含む研究開発プロジェクトでラグが短くなることや、科学とのリンケージの強いプロジェクトの成果が利用され難いことなど、やや事前の予想とは異なる結果が得られた。これらの点については、産学連携との関係や組織の技術的知識吸収能力との関係をあわせて、今後の検討が待たれる。

研究開発期間の短縮や加速化などの現象が、実際に存在するかどうかを明確に示すことは分析対象期間が比較的短いことやデータの制約もありできなかった。ただし、研究開始から特許出願までのラグについては、調べた期間で変化は見られず、研究開発の加速化はあったとしてもそれほど顕著なものではないと考えられる。また、出願から利用開始までのラグは、1998年以降不連続に短縮しており、筆者は1997年に導入された審査請求期間の短縮が影響を与えている可能性を疑っている。

技術分野の違いや研究開発プロジェクトの性格などによる違いはあるものの、研究開発活動の成果を出願された特許で評価する場合には、研究開始から24カ月程度までのラグを見込めば十分であると考えられる。

図:研究開発と特許出願および商業利用の開始に至るタイムラグの構造
図:研究開発と特許出願および商業利用の開始に至るタイムラグの構造