ノンテクニカルサマリー

知識創造社会における文化と多様性

執筆者 Marcus BERLIANT (ワシントン大学)
藤田 昌久 (所長)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果 (所属プロジェクトなし)

経済社会の持続的な発展の源泉は技術革新を含む新しい知識の創造であることは広く認められている。しかしながら、知識創造プロセスにおいて空間ないし地域の果たす役割について、経済学的には十分に明らかにされていない。本論文は、多地域の経済における知識創造と伝播の新たなミクロ動学モデルを提案し、知識創造社会の持続的な発展における文化(地域独自の知の集積)の重要性を分析する。その結果にもとづき、OECDにおける2008年の1人当たりGDPの上位国は、なぜ北欧の小国群が占めているのか、また、長期停滞に陥っている日本を創造立国として活性化するための新たな地域システムはいかにあるべきか、などについて検討する。

本論文の問題意識は、旧約聖書における有名な「バベルの塔の物語」を用いて説明すると解り易い。創世記第11章に示されているように、ある時、1つの言葉で統一された人類が非常に高慢になり、神に挑戦して天に届くバベルの塔を建設し始めた。神は怒り、この単一言語の人類に多くの違った言葉を割り当てて、人類を世界中に分散させた。つまり、人類が、単一地域・単一言語の「エフォートレス・コミュニケーションの楽園(the Paradise of effortless communication)」から追放され、多地域・多言語の世界に転換させられた。これは、一般には、神が人類を罰したものと解釈されている。しかし、それは本当に天罰だったのか、それとも、天罰に見せかけての天恵だったのか。

なるほど、人類全体が同一地域に住み、同一の言葉を話している場合に比べて、多地域・多言語の現実の世界では、地域間における知識創造のための協同作業はより多くのコスト(たとえば旅行するための時間と費用)がかかり、また、地域間における知識の伝播はより困難になる(lost in translation)。しかし一方では、地域間におけるそれらのコミュニケーション・コストの存在そのものが、長期的には、それぞれの地域に独自の知識の集積、つまり、独自の文化を生むことになる。結局、単一文化のエフォートレス・コミュニケーションの楽園から追放されることによって、多様な文化を背景とした人類全体の知識創造性は、却って増大したのではないか。

以上の問題を究明するために、本論文は、Berliant and Fujita(2008, 2010)において開発された、単一地域における知識創造と伝播についてのミクロ動学モデルを、2地域モデルに拡張する。以前と同様に、知識創造活動にとってもっとも中心的な資源は、1人1人の頭脳(brain)である。人々の頭脳はソフトウェアと同じで、同じものが複数集まっても相乗効果は出ない。多様な頭脳、つまり、互いに差異化された知識を持った人材が集まることで相乗効果が生まれる。昔から「3人寄れば文殊の智慧」といわれているが、これは2人の場合でも同様である。もちろん、ある程度の「共通知識」がなければコミュニケーションが円滑に行われず、協力も効率的にできない。しかし、それぞれがある程度の「固有知識」を持っていないと、協力する意味がない。従って、知の協同作業から大きな相乗効果が生まれるには、それぞれの固有知識と共通知識の適度なバランスが不可欠である。

人類全体が単一地域・単一言語のエフォートレス・コミュニケーションの楽園に住んでいる場合、共通知識がどんどん肥大化して相対的に固有知識が縮小し、だんだん相乗効果がなくなっていき、長期的には、人類全体の知識増加率は低い値に収束していく可能性が大きい。

それに対して、同じ数の人類全体が、図1のように、地域Aと地域Bに半分ずつ居住している場合を考えてみよう。同一地域内ではエフォートレス・コミュニケーションが可能であるとすると、それぞれの地域内では非常に密な知の交流が行われている。従って、図1のように、地域Aの代表的な2人(iとj)を取れば、共有知識(赤の部分)が非常に大きい。地域Bの代表的な2人をとっても同じである。一方、地域間の知識のフローは、同一地域内と比較して相対的に困難であり、また地域間における知の協同作業も相対的によりコストが掛かる。従って、図1のように、それぞれの地域から代表的な個人を1人ずつ取ってみると、2人の間の共通知識は相対的にずっと小さい。つまり、それぞれの地域に独自の知識の集積、つまり、独自の文化が形成されている。この場合、相対的に共有知識が重要な改善型の知識創造は、密なコミュニケーションの下に各地域で行われれば良い。一方、相対的に固有知識が重要なフロンティア開拓型の知識創造は、協同作業におけるコストが少々高くなっても、2地域全体で大きなチームを作って行われれば良い。

図1:文化と創造性:対称的な二地域の場合
図1:文化と創造性:対称的な二地域の場合

図2:知の創造における地域間協同の形態(中華レストランにおけるディナー・パーティ)
図2:知の創造における地域間協同の形態

なお、同一地域内における知の協同作業は広範囲の人々の間で密に行われるのに対して、地域間における知の協同作業は、図2に示されているように、多数の比較的小さなグループが自己組織化的に形成されて行われる。各グループ(たとえば図2のGroup1)には各地域から同じ人数が参加しており、同一グループ内では常に異なる地域からの2人が一定期間のあいだ知の協同作業を行うが、その2人の組み合わせは順次入れ替わる(これは、中華レストランの1つの大きなテーブルにおける、お客と料理のお盆との関係に似ている)。各グループ内においては、そこで創られた新たな知識が蓄積され、そのグループ参加者全員によって小さな文化として共有される(これは、たとえば、日本人の経済学者の間に、シカゴグループ、ハーバードグループ、イェールグループ、ロチェスターグループ等が形成されているのに似ている)。図2のように、異なったグループ間では、それぞれのグループ内で創られた新たな知識が、パブリック・ナレッジとして、より薄く伝播していく。地域間の知の協同作業を通じての、このような多数のグループ形成は、結果として、同一地域内における人々の間にも知の多様性を促進し、それぞれの地域内における知の創造性も増すことになる(たとえば、上述の多数の異なった経済学者グループの存在が、日本における知の多様性に貢献している)。

以上のように、人類全体が単一地域のエフォートレス・コミュニケーションの楽園に居り、共通知識の肥大化が起こっている場合には、人類全体が対称的な2地域に分散して住んだ方が、それぞれの地域内および地域間において知の多様性が増し、人類全体の知識の増加率が高くなる可能性は十分にあり得る。本論文において、その可能性は以下の条件のもとに、より高くなることが示されている。(1)協同による知識の生産関数において、共通知識に比べて、各人の固有知識の重要性が相対的に高い(つまり、多様性が重要である)。(2)各人の知識創造能力に比べて、各人のパブリック・ナレッジを吸収する能力の方が、相対的にずっと大きい(この場合、エフォートレス・コミュニケーションの楽園において、共有知識の肥大化が起こりやすい)。(3)地域間における知の協同作業の際に形成される小グループの、各々のグループ内部における知識外部効果が大きい(これは、以前説明されたように、同一地域内部の人々の間における知識の多様性を増す)。

理論モデルによる以上の結果は、現実の世界を理解する上においても助けとなる。たとえば、最近の日本についてみると、OECD(経済協力開発機構)内の1人当たりGDPのランキングにおいて、1970年には18位であった日本は、1993年に遂に第1位となった。しかし、日本はその後急速に順位が落ち、2008年では19位となった。一方、2008年におけるトップ10はすべて北欧の小さな国々によって占められている(ルクセンブルグ、ノルウェー、スイス、デンマーク、アイルランド、オランダ、アイスランド、スウェーデン、フィンランド、オーストリアの順)。なぜそうなったのだろうか。

日本では、明治維新以来、主として東京に多様な文化を背景とした知識労働者が地方から集まり、ノミニケーション(飲みながらのコミュニケーション)と海外で呼ばれているような密なコミュニケーションの下で、知の創造活動における相乗効果を生みながら、日本の成長力の大きな源泉となった。しかしながら、1980年代終わり頃には、日本では集まるだけの知識労働者がほぼ東京に集まってしまい、さらに情報通信技術(IT)革命のもとでテレビも新聞も全国版はすべて東京から発信されるようになり、東京のみならず日本全体において知識労働者の共通知識が相対的に肥大化し、同質性が増した。一方、1990年代に入り、IT革命の一層の進展とともに、高い異質性を必要とされるフロンティア開拓型のイノベーションが先進国において求められる時代になった。しかし、あまりにも同質性の高い日本において、フロンティア開拓型のイノベーション力が十分に伸びず、経済成長も低下していった。対照的に、トップ10の北欧10カ国の人口は合計で日本の約半分であり、北欧の中心領域の地理的な広がりは日本の広がりとあまり変わらないが、それぞれの小国は固有の言語、教育研究システム、テレビ局や新聞など広い意味での固有の文化を持っており、北欧全体としての知識労働者の異質性は日本国内におけるよりも遙かに高い。このことは、現在の知識創造社会において、日本がさらに発展していくためには、地域主権を一層推し進めることにより東京一極集中の現状を脱して、それぞれの地域が独自の文化を有する、多様性に富んだ国土地域システムを育成していくことの必要性を示唆している。