ノンテクニカルサマリー

為替レートパススルー率の推移-時変係数VARによる再検証-

執筆者 塩路 悦朗 (一橋大学)
研究プロジェクト 東アジアの金融協力と最適為替バスケットの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

本論文は為替レートの変動が輸出入物価、国内物価、輸出入に与える影響がどのように変遷してきたかを分析したものである。一般に為替レートは国内の物価や景気動向に大きな影響を与えると信じられている。たとえば円高は海外における日本製品の価格を上昇させることから、輸出数量を減少させ日本の景気に大きな悪影響を与えると考えられている。一方で、円高は輸入品価格の引き下げを通じて国内物価を低下させる(これはデフレの現状ではデフレ悪化効果を意味する)と信じられている。またこのことから、金融政策は金利を通じた効果に加えて為替レートを通じた効果によっても実体経済に大きな影響を及ぼすと考えられている。さらに、為替介入に大きな経済効果を認める考え方も同じような論拠に立脚している。

上のような考えの前提には、為替レートが円高に振れるとそれは直ちに輸出先における価格上昇に転嫁される、という考えがある。また、円高があると円建てで測った輸入品価格もすぐに上昇する、ということが同時に仮定されている。これらは経済学用語では、「パススルー率」が100%ということを仮定していることになる。しかし、このような転嫁が容易に生じるものでないことは経験的にも理解されてきた。もし反対の極端、すなわちパススルー率が0%であるとすると、輸出面では円高があっても仕向先における現地通貨建ての輸出品価格は変わらず、輸出数量も落ちないだろうと考えられる。ただしこのことは円建てで見た輸出品価格を低下させるので、輸出企業の利潤低下という、別の形での負の効果を日本経済にもたらすことになる。一方、輸入側では、円高があっても輸入品の円建て価格は下がらないのでデフレ圧力を受けない代わりに、日本の消費者は円高のメリットも享受できない。

したがって日本のパススルー率が輸出面、輸入面でそれぞれどの程度なのか、この率が近年上昇してきているのか、低下してきているのかを知ることは、現在の政策の効果を占う上で重要である。また為替レートが輸出入に与える影響を計測することも重要である。本論文は時変係数VARと呼ばれる手法によってこれらのことを分析したものである。

主要な結果は次の通りである。輸入面からいえば、1980年代から今日に至るまで、為替レートが輸入品価格や国内品価格に与える影響は着実に低下してきている。下の左図は、「円安ショック」があった時、パススルー率、つまり1%の円安に対して国内物価が何%上昇するかを、1985年1月時点と2008年1月時点で比較したものである。ショックから2年後で見て、この率は約0.3から約0.15へ半減していることが分かる。これに伴い、為替ショックが実質輸入に与える影響もほとんどなくなっていることを論文中で確認している。

次に、輸出面では、為替レートから輸出物価へのパススルー率には緩やかな上昇がみられた。一方、下の右図は、「円安ショック」があった時に、1%の円安に対して実質輸出が何%増加するかを、1985年1月時点と2008年1月時点で比較したものである。ショックから2年後で見て、この率は約0.8から約0.4へ半減している。この理由としては、近年は日本企業の輸出において現地子会社に対する輸出の割合が増えたため、価格の変化に対して輸出数量があまり反応しなくなった、という可能性が考えられる。このように、本論文の結果は、為替が日本の国内物価や景気に与える影響がかつてに比べると限定的になっていることを示している。

為替レートに対する国内物価の弾力性、1985年と2008年の比較
為替レートに対する実質輸出の弾力性、1985年と2008年の比較