ノンテクニカルサマリー

補助金、漁業管理と国際貿易

執筆者 神事 直人 (京都大学)
研究プロジェクト 現代国際通商システムの総合的研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

WTOのドーハ開発アジェンダ(いわゆるドーハ・ラウンド)では、ルール交渉において「補助金及び相殺措置に関する協定」(以下、「補助金協定」と略す)における規律の明確化と改善を目指した交渉が行われている。そのなかで、現在の補助金協定にはない、漁業補助金に対する規律を新たに設けることが検討されている。その目的は、一方で他の産業と同様に、漁業セクターにおいてもWTOとしての補助金規律を設けることで自由貿易体制の改善を図りたいというものであるが、他方、過剰漁獲と漁業資源ストックの減少に寄与している補助金を禁止又は削減したいという資源管理の視点がある。

一般に、漁業補助金が漁業従事者の漁獲能力を拡大させ、過剰漁獲をもたらす要因となっていることが多くの研究によって指摘されている。漁船の建設や改造の補助といった、漁獲能力に直接影響する補助金だけでなく、最近の研究では、減船補助金のような、一見漁獲能力の縮小に寄与すると思われるような補助金も、場合によっては過剰漁獲につながる可能性があることが指摘されている。したがって、漁業補助金の禁止または削減は、過剰となっている漁獲量を減少させ、資源の保全に役立つことが期待される。

ところが、本稿の分析が示しているように、条件次第では、漁業補助金の禁止・削減には通常期待されるのとは異なる効果が発生する可能性がある。具体的には、漁業従事者の所得補償や、水産物に対する価格支持のような補助金が禁止または削減された場合に、漁業従事者は収入の減少分を補うために、漁に出る時間を増やして、漁獲量を増加させるという行動を選択する可能性がある。その場合、補助金を禁止・削減することで漁獲量は逆に増加してしまう。そのような効果が現れる条件としては、漁獲枠が管理されておらず、国の中で漁業従事者にとって転職先(あるいは漁業以外の収入獲得手段)が乏しいような場合が挙げられる。もし漁獲枠が厳密に管理されていれば、仮に個々の漁業従事者が漁獲量を増やそうとしても実現しない。また、もし漁業従事者が転職先を容易に見つけられるのであれば、漁業補助金の削減によって収入が減少すると、漁業から離職して他の産業へと移る労働者が少なからずいるだろうから、補助金削減による漁獲量の増加という問題はあまり大きくないと予想される。少なくとも、漁獲枠の管理が十分に行われていれば、漁業補助金の削減による漁獲量の増加という問題は発生しない。

このように、漁船建造や改造に対する補助金などとは異なり、ある種の漁業補助金については禁止または削減によって逆に漁獲量が増加する可能性が考えられる、図1に示すように、資源管理が十分に行われていない国においてそのような問題が発生する可能性がある。したがって、漁業補助金の禁止・削減と資源管理の強化が同時に行われることが重要であるといえる。

図1 漁業補助金の削減または禁止によって予想される漁獲量への影響
図1 漁業補助金の削減または禁止によって予想される漁獲量への影響

しかし、資源の管理能力を十分に有していない国に対して、一方的に資源管理の強化を求めても、容易には実行できない可能性が考えられる。その点にも配慮が必要である。

また、漁獲枠が厳密に管理されていれば問題がないということではない。しばしば批判されているように、設定されている漁獲割当そのものが、漁業資源の持続的利用という観点からみて過剰であることが疑われるようなケースがある。その場合、補助金削減後の漁獲量が変化しないということは、補助金削減後も漁獲量が過剰であることを意味する。したがって、設定されている漁獲割当が適正であるかどうかの評価が別途必要である。

今回交渉が行われている漁業補助金は、WTOにおいて他の産業における補助金と同様に扱える側面もある。しかし、「水産物」という自然資源を相手にした産業であるため、特に(養殖を除いた)海洋漁業に顕著にみられるように、製造業にはない特殊要因が働く。上述の通り、漁業資源の保全と持続的利用という観点からは、資源管理の有無が補助金およびその削減効果を大きく左右する。しかし、交渉において実際に検討されているように、資源管理が明示的に条文に含まれると、漁業資源の管理というWTOの業務には従来含まれてこなかった領域に対象を広げることになる。これは、他の自然資源や環境の問題にも波及する可能性がある。したがって、漁業補助金規律を考える上で、資源管理の問題をどのように扱うかについては慎重に検討する必要があると考えられる。