ハーバード大学ロースクール、マーク・ラムザイヤー教授へのインタビュー

コーポレートガバナンスをめぐる「通説」を再考する

宮島英昭 早稲田大学商学部教授・RIETIファカルティフェロー(以下宮島FF):
宮島英昭ファカルティフェロー のインタビューでは、企業統治に関する諸問題のうち、株式所有構造と役員報酬の問題の2つの事項に絞ってお話を伺いたいと思います。まず、株式所有構造の問題からお聞きしたい。

1997年以降、日本企業の株式所有構造は劇的に変化しています。こうした変化の原因と結果について、どのように理解すべきなのでしょうか?
日本企業による株式の持ち合いは、日本の企業制度ならではの特徴なのでしょうか、あるいはそうではないとお考えですか?

日本における「株式持ち合い神話」の真実とは?

マーク・ラムザイヤー ハーバード大学ロースクール教授(以下ラムザイヤー氏):
マーク・ラムザイヤー 私は、そもそも現在、日本で株式持ち合いというものが存在しているとも、過去に存在したことがあるとも考えていません

東京大学の三輪芳朗教授と一緒に1965年から1975年の間の株式持ち合いについて調査したところ、企業間の株式持ち合いの事例はほぼゼロでした。このことから考えますと、1975年から1995年の間に株式持ち合いが進展したとはとても信じられません。確かに銀行は企業の株式を買っていますが、これを「持ち合い」と考える理由は見当たらないのです。たとえ「持ち合い」だとしても、企業側が保有する銀行の株式が、銀行の保有する企業側株式の割合と均衡している例は、まずないでしょう。

私にとっては、「日本の銀行は株式の保有を認められている」という説明の方が、より納得のいく説明のように思われます。米国ではグラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act)によって銀行は株式保有を禁じられていましたので、株式は保有していませんでした。これに対して日本では銀行による株式保有が認められており、そして当然銀行には多くの資金があります。ですから資金を投資する場所として、大企業は銀行にとって好都合な場所なわけです。

つまり、「株式持ち合い」というのは誤解で、実際には単に銀行が、そのさまざまな投資ポートフォリオの一環として上場企業の株式を保有しているに過ぎないということなのだと思います。

企業の中にもさまざまな投資ポートフォリオを持つ企業がありますが、そのポートフォリオに銀行を含めることは賢明な投資だといえるでしょう。つまり多くの場合、銀行が企業の株式の一部を保有し、また企業もおそらく銀行の株式の一部を保有しているということに過ぎないのであって、これを株式持ち合いと考える理由は見当たりません。

宮島FF:
それはユニークな考え方ですね。そうしますと、1997年以降、銀行による取引企業の株式保有率が劇的に低下している理由については、どのように説明できるのでしょうか?

ラムザイヤー氏:
その点については調べたことはないのであくまでも推測ですが、おそらく銀行は現金を必要としていたからだと思います。そして株式は投資ポートフォリオの中で最も現金化しやすいので、株式の一部を売却したのだと思います。

宮島FF:
1997年以降、株式持ち合いがどう解消されていったのかに関する論文を書いたことがあるのですが、株式持ち合いを銀行部門が解消する主な原動力となっているのは、さきほど先生がおっしゃったように、不良債権の解消や処理に現金が必要だったからです。この論文にも書きましたが、銀行部門には株式を現金化する、売却する必要が大いにあったということです。
それでは、どのような企業の株式が売却されることになるでしょうか。当然のことながら、業績の良い企業の株式ほど売りやすいのですから、銀行は優良企業の株式をまず売却することになります。

ラムザイヤー氏:
それは、なぜですか? 上場企業には市場価格というものがあるはずですから、市場価格が業績と比して高かろうと安かろうと、どちらも売りやすさの点では同じだと思います。

宮島FF:
確かにそうですが、たとえば三井住友銀行が、ソニーの株式とその他の住友グループ企業の株式を保有していたとしましょう。この場合、株価は低くてもソニーの株式が最初に売却され、住友関連企業の株式は残されます。要するに、銀行部門が市場で株式を売却する場合、収益性に優れた株式を売る可能性が高いということです。

ラムザイヤー氏:
株式には市場価格があります。銀行は現金を必要としている場合、200ドルが必要ならば、200ドルで売れる株式を1株、あるいは100ドルで売れる株式を2株売ればいいはずです。どちらにしても受け取る金額は同じですから。

宮島FF:
先生がおっしゃられていることは、銀行はそのポートフォリオから、どの株式でも同じように売却するということですね。

ラムザイヤー氏:
ポートフォリオのバランスについては、銀行ごとに望ましいバランスというものがあるでしょうから、バランスに適うような方法で株式を売却すると思います。

宮島FF:
学者の間では、株式持ち合いには長所と欠点の両方があるという考え方が一般的となっています。長所は、持ち合いによって経営者が長期的な経営を行なえる点であり、欠点は内部支配と、資本市場の圧力を受けない点です。しかし、先生はこうした考えには賛成なさらないと思います。

ラムザイヤー氏:
その通りです。経営者は株価を高く保ちたいと考えます。なぜならば、そうしないとトラブルに陥りますから。
株価は、期待キャッシュフローの正味現在価値に基づいています。期待キャッシュフローの正味現在価値は短期的、長期的といったものではなくて、入ってくるもの全てについての話ですから、日本の経営者がアメリカ人と比べて特別に長期的な視野を持っていると考える理由はありません。割引率が米国よりも低いなら別ですが。日本は金利が低いということから、おそらく日本の経営者の方が長期的視野を持っているということはあるかもしれません。ですがそれは割引率によるものに過ぎません。
内部支配の結果、経営者による正味キャッシュフローの最大化が行われないのだとすれば、なぜ銀行が企業の株式保有を望むのでしょうか。銀行はむしろそれを望まないと思います。銀行は、企業がそのキャッシュフローを最大化することを望むでしょう。なぜならば、それによって銀行が投資ポートフォリオに含めている企業の株価が上がり、また企業のキャッシュフローが増えたら、それだけ融資の返済が進むはずだからです。銀行はそれを望んでいるはずです。

宮島FF:
そうですね。でも一部のオブザーバーは、銀行による株式の保有については2つの解釈があるといっています。

1つ目は、銀行は他の株主のための献身的なモニターであり、主にその持分を使って取引企業の価値の最大化を実現しようとしているという解釈です。

2つ目は、銀行による取引企業の株式の保有は、取引企業への融資の最大化を主たる動機としているという解釈です。言い換えると、企業が破産状況にでも直面していない限り、銀行は企業価値の最大化よりも、企業にできるだけ多くの資金を貸し付けることを目的としてその株式を保有するということです。
しかし、先生はこの考え方も支持されないですよね。なぜでしょうか?

ラムザイヤー氏:
はたして過分に資金を借りたがる企業などあるでしょうか?

日本企業は多数の銀行と取引しており、銀行間で競争をさせていますので、企業にとって過度に借金をしたいと思う理由は見当たりません。日本の銀行は、確かに融資先企業を監視しているでしょうが、世界のどこの銀行も、融資先企業の監視はしています。貸したお金を返済してもらいたいですからね。

この点に関しては、日本と世界の動きの間に何か相違があるという論拠は何もありません。ご存知のように、日本ではメインバンクという特別な立場の銀行があって、その他の銀行の委任監視者の役割を果たしているという説があります。三輪教授とこの点に関して論拠を探そうとしたのですが、何も見つかりませんでした。

宮島FF:
三輪教授との調査では、銀行が他の株主から委任された監視者であるという論拠は何ら見つからなかったということですね。

ラムザイヤー氏:
そうですね、誰からも委任などされていません。

株式保有安定化という現象は、企業の新たな変化の兆候なのか?

宮島FF:
日本では昨今、敵対的買収の脅威が高まっています。そのため、日本企業の一部に、株式保有の安定化を図る動きが出ています。この現象についてどう思われますか?
大したことではないとお考えですか? それともこれは、何か企業の大きな変化や新しい動きにつながる兆候なのでしょうか?

ラムザイヤー氏:
そもそも、株式保有の安定化とはどういう意味なのでしょうか。さまざまなニュースレターには、「安定保有株式の比率は平均で35%」と書かれています。どこでこうした数字をはじき出してきたのか、これは不思議です。こうしたニュースレターには、常に困惑させられます。数値の根拠は書かれていませんしね。

むしろ所有構造に関して言えば、何も安定したものなど見当たりません。要するに私の考えでは、安定した株式保有などなかったし、今もないのではということです。友人のところにいって、「君達が私達の株式を買ってくれるなら、私達も君達の株式を買うから」というようなものなのでしょう。それが安定化といわれていることなのでしょうが、この点に関しては何の論拠も見当たりません。

宮島FF:
1990年以降、特に1997年以降に生じたのは、金融部門による株式保有率の低下と、外国人投資家による株式保有率の増加です。現時点で、東京証券取引所の上場企業の株式所有構造に関しては、外国人投資家による株式保有率が平均で約28%に達しています。これは10年、15年前と比べるとほぼ20%近く増加しています。つまり、大きな変化が生じているようなのです。
このような変化は、かなりの影響を及ぼしているのでしょうか?

ラムザイヤー氏:
外国人投資家には、日本人投資家とは何か別の投資目的でもあるのでしょうか。外国人投資家の比率は特に関係ないと思います。金融部門による株式保有率の低下は、銀行に対する厳しい規制と何か関係があるのかも知れません。

調査したわけではありませんが、銀行は厳しく規制されているため、規制されていない企業とは少し違うやり方で株主として振る舞う必要が生じたのかも知れません。
株式が日本の企業や個人に保有されていようとも、外国企業に保有されていようとも、なぜその投資目的に違いがあると言えるのか、私にはわかりません。

宮島FF:
要するに、投資家は投資家であり、その振る舞いは皆同じに思われるので、銀行による株式保有率の変化や外国人投資家の台頭は、何ら重要な影響を及ぼさないということでしょうか?

ラムザイヤー氏:
私はそう思っています。

役員報酬制度は、経営陣に企業価値を最大化させるインセンティブを与えるものなのか?

宮島FF:
まず、読者のために、エンロン事件後の米国における報酬に関してご意見を聞かせて頂けますか?
私が思うには、エンロン事件の前は、一般市民も、法律学者も経済学者の多くも、強力なインセンティブやストックオプションはCEOと株主の利害を一致させるのに適した道具であると考えていました。しかし、エンロン事件後は、この意見は変わって、米国のCEOは過度に報酬を支払われているとする意見が大勢をしめつつある、というように、大まかには考えられています。米国での現状をご説明頂けますか?

ラムザイヤー氏:
さまざまな疑問があるように思われますので、少し遡って説明させてください。

東京大学の中里実教授、インディアナ大学のエリック・ラスムッセン教授との研究では、日本の報酬レベルは米国の場合よりもかなり低いことがわかっています。ただし、当初思われていたほどの低さでありません。米国でも日本でも、報酬は企業の規模をかなり反映しています。そして日本の企業は米国の企業よりも小規模です。ですから企業規模を考慮すると、日本の社長は米国の社長報酬の約3分の1は得ているようであり、確かに米国よりは少ないですが、大手メディアで報じられているように13分の1ではなく、3分の1はもらっています。そしてこの格差は、日本企業の方が米国企業よりも規模が小さいことによるものなのです。

もう1つ留意すべきなのは、日本の報酬のレベルを他国と比較すると、そのレベルは欧州のレベルに極めて近いという点です。欧州と比べるとわずかに低いに過ぎません。欧州各国と比べると、日本の報酬レベルは欧州内の最低レベルではありますが、その範囲内には含まれています。何とか欧州の報酬レベルの範囲にはあるといえるのです。つまり、問題はなぜ日本の報酬レベルが低いのかではなく、むしろなぜ米国の報酬レベルが高いのかにあります。この点に関して、米国の経営幹部の報酬を見ますと、その報酬は1980年代初めから中期にかけて劇的に増加しています。この時期はストックオプションが重用されるようになった時期と重なります。それが良かったのか悪かったのかは分かりませんが、経営幹部の報酬が相当に上がったのは事実です。そして宮島さんが指摘なさったように、投資家は、経営陣が企業価値を最大化するインセンティブを持つことを望みますし、そのためには経営陣に会社の株式を持たせるのは良い方法です。もし経営陣がその企業の株式を多数所有していれば、明らかに彼らは投資家の希望に即して多少は行動するインセンティブを持つことになりますから。過去15年、20年の間は、これが学者間、少なくとも経済学者間の主な考え方であったと思います。一般市民はこの問題に関して大して関心を払わなかったという点も、その通りです。

他にも1930年代に遡る問題があります。法律学者の間ではよく知られていることだと思いますが、バーリーとミーンズが1930年代に行った研究では、アメリカの上場企業は多数の投資家によって所有されているが、その持分はそれぞれごく僅かに過ぎない、従って誰も会社で何が行われているかを監視しようという気にならず、その結果として経営陣は利己的に振る舞っているとされていました。利己的な振る舞いとして考えられる例の1つが、経営陣の自己に対する報酬の過払いといえるでしょう。「経営陣が自己に過払いをしているのは、各自わずかの持分しか持たない多数の株主によって会社の株式が所有されているために、経営陣が監視されていないからだ」と法律学者や経済学者などで、このような説を論じる人の数は、過去10年間でおそらく増えたのではないかと思います。私の同僚のルシアン・ベブチャク教授とジェシー・フリード教授の2人は、「経営陣は管理されておらず、そのために自己に過払いをしている」と説いた人物として、経済・法律界で良く知られています。これが大勢を占める意見とまでいえるのかどうかはわかりませんが、有力な意見として知られていると思います。

エンロンは、このことと何か関係があるのでしょうか? 経済学者の間では、何の関係もないとされていると思います。しかし、法律学者の間では、関係があるとされているかも知れません。また一般市民も関係ありと見ているように思います。

ご存知のように私は会社法を教えていますが、エンロン事件の後、私の母は非常に取り乱して、私に次のように言いました。
「なぜ学生達に、これはとんでもないことだと話さないの? なぜ会社から盗んではいけないと、学生達に教えないの?」と。

私は母に、ロースクールではそんなことは教えないのだと返事をしました。これはむしろ幼稚園で学ぶべき事柄であり、25歳にもなった学生に教えるのでは遅すぎます。エンロンのケースはまさに盗みであり、不道徳なことでした。この分野の教授の多くは、盗みの危険性は常にあると異口同音に言うでしょう。エンロンは高度な盗みの良い例ですが、もちろんそれは悪いことです。

他方で、ご存知のように犯罪の最適レベルはゼロではありません。警察があるべき姿でいる限り、犯罪は決してなくなりません。なぜなら全ての犯罪を防ぐには莫大なお金がかかるからです。そのため、たまにはエンロンのような悲劇に見舞われることもあります。ですが、たまに災いが起きるからといって、何か解決しなければならない問題点があるとは限りません。エンロン事件の後、システム自体に何らかの欠陥があるのかどうかという問題が、学者を悩ませています。エンロン事件は、ガバナンス構造や規制構造の不備によって引き起こされた犯罪なのか、あるいは、たとえばどんな社会でも殺人が起きてしまうように、どのようなシステムでも起こりえる犯罪なのかを見極める必要があるのです。

報酬、企業規模、業績:ラムザイヤー氏の研究から

宮島FF:
非常に興味深いご説明だったと思います。中里教授、ラスムッセン教授と書かれた論文について既に触れられましたが、RIETIのインセンティブ構造としての『企業法』研究会(宍戸善一FF)には、2つの論文を出して頂くことになっています。
ここで、論文の要点や新たなデータセットに基づく所見を要約頂けないでしょうか?

ラムザイヤー氏:
そうですね、日本の報酬レベルは低めだということがわかりました。企業規模を考慮に入れると、日本企業の報酬レベルは米国企業の3分の1になります。そして同じ弾力性で(確か約0.3だったと思いますが)、企業規模に影響されています。この点は米国の場合とかなり近いわけです。

宮島FF:
企業規模は、どのようにして測定されましたか?

ラムザイヤー氏:
測定には、企業の資本価値(時価総額)を使うのが最も適していることがわかりました。また資産の簿価についても試しています。これも使えますが、資本価値ほどうまくは行きません。

宮島FF:
なるほど。ほかに何かわかったことはありますか?

ラムザイヤー氏:
報酬は、業績にはあまり影響されないようです。確かエリックも、米国においても業績と関連があるとは考えていなかったと思います。

宮島FF:
本当ですか? 日本の報酬の特徴はまず、米国に比べるとレベルが低いということと、次に企業の業績に対する報酬の弾力性が米国よりも低いことだと私達は理解していました。しかし、教授の経験ではそうではないのですね。

ラムザイヤー氏:
エリックはそう考えてはいませんでした。データセットが複雑化している一因は、私達は報酬ではなく、収入を測定しているということにあります。収入には投資収益も含まれますが、これには利点と欠点の両方があります。利点は、企業に投資している人は、経営陣が正当なインセンティブを持つことを望む点に関係しています。インセンティブは単に給料だけではありませんから、経営陣が企業への自らの投資から得た利益についても、投資家は知りたいと思うでしょう。そこで私達は給料と投資収益の両方を把握しています。
米国では、経営陣の報酬の調査にSECのデータを用いますが、SECのデータには給料と報酬に関するものしかありません。経営陣の投資収益は含まれていないのです。私達はSECのデータを使った調査では得られないデータも把握しているわけです。

他方、SECのデータに基づく調査には含まれているのに、私達の調査には欠如している情報があるかも知れません。企業がいくらの報酬を支払っているかに関する明確な情報が、私達の調査結果には含まれていないのです。私達はCEOを、投資収益のありそうなCEOとなさそうなCEOに分けています。家族経営の企業で働いているのか、その企業のどのような種類の株式を所有しているのか、多年にわたり連続して税データにその名を連ねているかなどの情報を使って、収入を貯蓄していそうかどうかを判断しています。データセットをこうして2つのグループに分けたところ、他の投資収益も相当にありそうな幹部は、企業業績と連動する収入を得ていることがわかりました。ですがその他の幹部はそうではありませんでした。これは、彼らには株式保有による配当収入があるためと思われ、企業の業績を高めるインセンティブを持っているということを意味しています。しかし、その給料はインセンティブにはなっておらず、株式保有がインセンティブになっているように思われます。

つまり、幹部の企業業績に対する感応にはかなりのバラツキがあるということです。相当な株式を所有している幹部には明らかに企業の業績を高めるインセンティブがありますが、日本でいうサラリーマンの人たちは、昇進は目指すものの業績へのインセンティブは低いようです。

宮島FF:
先生の論文のポイントについて、確認をさせてください。つまり、データが違うので厳密な比較は難しいものの、報酬の業績に対する弾力性という点では、教授の評価によると日米間にさほどの差異はなく、むしろほぼ同じだということなのですね。

ラムザイヤー氏:
そのように思われます。

宮島FF:
2つ目のポイントとしては、日本企業でも、報酬は業績を反映するということですね。

ラムザイヤー氏:
株式を多く保有している幹部がいる場合には、業績を反映します。給料は業績をあまり反映しませんが、多くの場合、幹部の収入は業績を反映するのです。

宮島FF:
株式については、幹部が株式を保有している理由として考えられるのは、その人物が会社のオーナーまたは創設者の関係者であるという場合です。オーナー経営者というタイプのCEOの場合がそうですね。それに加えて、ストックオプションによる株式の保有もあります。

ラムザイヤー氏:
ストックオプションに関するデータを入手しようとしました。文献検索をすれば、誰がどの程度のストックオプションを所有しているかに関するデータの記述されている報告書が見つかるかと思います。しかし、私たちにはこのようなデータの特定はできませんでした。

宮島FF:
先生の所見は、経営陣による株式所有を考慮してのものなのですね。

ラムザイヤー氏:
熱心に探したのですが、探し当てたのは、各社長がどれだけのストックオプションを所有しているかではなく、彼らがストックオプション制度のある会社で働いているかどうかでした。オプションというのは給料を補足するものであって、給料に代わるものではないようです。日本では、高い給料を支払っている会社が、ストックオプションも与えているように思われます。ですが日本の法律では、与えてもよいオプションに限度が設けられていますね。

宮島FF:
その通りです。先生の評価にはストックオプションは明確には含まれていないということですが、日本企業ではストックオプションの導入が限定されていますから、それはたいした問題ではないと思います。要するに経営陣がどれだけ株式を所有しているかが、業績に対する報酬の弾力性の1つの決定要素なわけですね。

ラムザイヤー氏:
基本的には、私達の回帰分析に含まれているのはストックオプションのダミー変数、つまり、オプションを導入する場合をイチ、その他はゼロとする変数です。他には見つからなかったので、そうしました。

宮島FF:
報酬は、大株主の監視や、取締役会による監視の代替手段であると通常は理解されています。教授は、投資家による株式保有などに関しても何らかの変数を導入されているわけですね。報酬は取締役会による監視の代替であるという見方に対して、何かわかったことがありますか?

ラムザイヤー氏:
そうですね、私たちがわかったことは、たとえば家族経営の企業で働いているのかとか、米国式の委員会構造にしているのかとか、社外取締役はいるのかとかというようにさまざまなガバナンスの変数について、1つの例外を除いて、どれも重要ではないということです。
重要ではないという事実だけでは、その理由はわかりません。これに関しては2つの説明が示されています。1つ目は、こうした変数は単にどうでもいいからというものです。
2つ目の説明は、企業は各社に適したガバナンス構造を採用しているからというものです。企業が自社に適したガバナンス構造を有しているのであれば、回帰分析では内生変数となるため、重要な結果は得られません。

なぜ、米国企業の役員報酬は、「それほど高くない」のか?

宮島FF:
先生のご説明では、日本企業と米国企業の報酬の比較の本当の問題は、なぜ日本企業の報酬は低いのではなく、なぜ米国企業の報酬はそんなに高いのかということなのですね。それが本当の謎であると。

ラムザイヤー氏:
その通りです。ぜひ強調したいのですが、この研究はコーポレートガバナンスの議論にとってさまざまな意味合いがあると思います。

今、実際に何が起きているのかに注目しているのでして、それはコーポレートガバナンスについて議論するためには、まず実際の企業が実際の社長に何をなぜ支払っているかを知ることが必要だと思います。私たちは、基本となる事実を確認しようとしているのです。さきほど宮島先生がおっしゃったことは、非常に正しいと思います。私たちが得た結果については、日本の企業慣行を専門とする学者の大半は「だいたい正しいように聞こえる」と言うでしょう。日本で支払われている報酬のレベルは、大半の人々が「企業が支払っている」と考えているレベルと等しいと思います。そしてその決定要素についても、大半の人は、「うん、ほぼ正しいようだ」と言うでしょう。

私たちの論文がなぜ重要かと言いますと、それは日本での報酬のレベルについては、データの欠如によって、体系的に検討した研究がなかったからです。

日本の報酬システムは変える必要があるのか?

宮島FF:
日本の報酬システムの設計についてご意見を伺いたいと思います。

たとえば、現行の報酬制度を変える必要はないのでしょうか、あるいは米国式の強力なインセンティブを導入すべきなのでしょうか。日本企業は既に報酬を支払いすぎており、減額すべきなのでしょうか。日本企業の報酬制度の設計について、何かご意見はありますか?

ラムザイヤー氏:
ご存知と思いますが、私は以前シカゴ大学で教えていたことがあり、市場を信じています。CEOにとっては競争市場となっていると思いますので、現在起きていることは何であれ、理にかなっているのだと私は本能的に感じています。ですがこれは、報酬について何の改善方法もないという意味ではありません。企業の運営方法には常に改善の方法があります。

しかし、企業経営というのは実に難しく、複雑な事柄です。私のような教授職は、実際に企業を経営できるだけの知識を備えていないのではないかと思うほどです。適切な報酬制度は、企業によって異なると思います。日本の報酬レベルは、思っていたほどには米国と比べて低くないと言いましたが、ですがやはり低いことは低いのです。そして米国の報酬は日本や欧州のレベルと比べて相当に高くなっています。どちらも競争市場であり、似たような市場であるにもかかわらずです。米国も日本も欧州も高度経済国であり、同じような製品を生産していて、人々は同じような都市に暮らし、その社会は非常に似通っています。それなのになぜ報酬のレベルにこのような差があるのかわかりません。これこそがまさに真の謎です。

敵対的買収策は、良いもの? 悪いもの?

宍戸善一 成蹊大学法科大学院教授・RIETIファカルティフェロー(以下宍戸FF):
宍戸善一 ブルドック社の敵対的買収防衛策について、地裁と高裁で判決が出ました。買収者が株を買っているということに関して、現在の日本の傾向としては、株主総会で一定の賛成を得られれば、防衛策を発動して、株を買い取ることができるという形を東京地裁も高裁も認めたということになります。その点について、過半数の株主が賛成したのだから良いのではないかとお考えになるか、それとも何か変だとお考えになられますか?

ラムザイヤー氏:
基本的には、防衛策というのは良くないと思います。防衛策を許すということは、経営権市場の発達を抑制することになります。私が裁判官であれば、防衛策を全面的に禁止する立場です。米国であれば、株主総会に持ち込みません。取締役会が決めるものですから、それよりは良いでしょう。

宍戸FF:
ただ、米国の場合には、特別委員会などで、濫用的買収者かどうかを議論すると思います。つまり、TOBを発動すべきかどうかということを、少なくとも形式的には行うわけですよね。今回の場合、地裁の言っていることを見ると、濫用的かどうかということは関係がない。第三者委員会などが専門的な観点から評価するという話ではなくて、とにかく株主に聞けばいいという対応です。要するに、株主の過半数があいつは嫌いだと。要するにやっぱり追っ払おうといったら追っ払えるという話であり、それで良いのかという疑問があります。それでも今の米国のやり方よりは良いとお考えですか。

ラムザイヤー氏:
米国のやり方よりは良いと思います。

(2007年7月25日インタビュー)
編集:宮島英昭 (RIETIファカルティフェロー/早稲田大学商学学術院教授)
矢尾板俊平 (RIETIリサーチアシスタント/中央大学経済研究所準研究員)

2007年7月25日掲載