ノンテクニカルサマリー

貿易自由化はアンチダンピング措置を促進するか?:理論的考察

執筆者 椋 寛 (学習院大学)
研究プロジェクト 貿易費用の分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「貿易費用の分析」プロジェクト

第二次世界大戦後のGATTの多国間交渉による多角的な貿易自由化の進行や、世界貿易機関(WTO)成立と加盟国数の増大、さらに1990年代以降の地域貿易協定(RTA)の締結数の増加により、関税をはじめとした輸入障壁は徐々に取り除かれ、モノの貿易に関わる貿易費用は著しく低下した。多くの国が低い上限関税にコミットメントしており、表面的には自由貿易体制が世界で拡大しているように見える。

しかし、各国は通常の関税は引き上げられないものの、アンチダンピング措置(以下、AD措置)、セーフガード措置、相殺関税措置といった条件付きかつ時限的な保護貿易措置の発動を行うことが可能である。低い関税率を各国が適用している裏で、こうした特別な措置が頻繁に発動されており、新たな貿易障壁が生み出されている。なかでも、AD措置は1995〜2015年の累計調査件数が4987件、累計発動件数は3234件にのぼり、非常に多用されている。外国企業が国内企業を市場から追い出すために行う略奪的なダンピングを防止するなど、AD措置はむしろ健全な市場競争を維持する側面もある。しかし、外国企業にそのような意図が無い場合にも、輸入国が関税に代わる保護貿易措置として戦略的にアンチダンピング措置を発動している可能性は否定できない。後者の場合、AD措置は非発動国のみならず発動国の経済厚生を下げ、その濫用は世界の経済状況を悪化させてしまう可能性が高い。

ここで問題となるのは、関税の引き下げに代表される貿易自由化が、各国のAD措置の発動のインセンティブを高めるかどうかである。もしも貿易自由化がAD措置を誘発するのであれば、貿易自由化による貿易費用の低下効果はAD措置により減衰してしまうか、かえって貿易費用が高まり逆効果になってしまうかもしれない。既存の実証研究においては、貿易自由化がAD措置を増やすかどうかは論文により結果がまちまちであり、その違いが生じる理論的な根拠も明らかでない。

そこで、本稿では国際寡占モデルを用いて、AD措置の特性とダンピングが行われる理由を十分に考慮した上で、輸入国の貿易自由化とADの関係を理論的に検討した。外国企業が自国市場にダンピングを行う理由としては(1)外国市場の規模が相対的に大きいこと(価格差別要因)、(2)輸入税を完全に価格に転嫁しないこと(関税の不完全パススルー要因)、および(3)自国市場の参入企業数が多く競争が激しいこと(競争要因)の3つを同時に考慮している。AD措置の発動にあたって、政府は社会厚生と比較して国内企業の利潤をより重視して政策決定を行う(γが小さいほど企業利潤を重視する)。

分析の主要な結果は以下の通りである。

1. 【貿易自由化は市場規模が小さい国のAD措置を増やす】
外国市場の規模(λ)が相対的に大きい場合(λ>1)、関税の引き下げはAD措置による社会厚生悪化の程度を小さくするため、相対的に国内企業の利潤へのウェイトが低い国の政府のAD措置を誘発する。

2. 【貿易自由化は市場規模が大きい国のAD措置を減らすかもしれない】
国内市場の規模が相対的に大きく(λ<1)、関税の不完全パススルー要因と競争要因がダンピングの原因である場合:
A) もしも財の代替性が大きければ、関税の引き下げはAD措置による企業利潤の上昇の程度を小さくするため、相対的に国内企業の利潤へのウェイトが高い国の政府のAD措置を防止する(左の図)。
B) もしも財の代替性が小さければ、1のケースと同様に相対的に国内企業の利潤へのウェイトが低い国の政府のAD措置を誘発する(右の図)。
C) 関税が十分に引き下がれば(\(t\)<\(\underline{t}\))、外国企業のダンピング自体が解消されるため、政府の企業利潤へのウェイトに関わらずAD措置は防止される。

3. 【AD措置の発動に(固定)費用がかかる場合】
もしもAD措置の調査自体に固定的なコストがかかる場合、市場規模が小さい国であっても、貿易自由化がAD措置を防止する可能性がある。

 

これらの結果から、以下の政策含意が得られる。貿易自由化がAD措置を促すかどうかは、ダンピングが行われる理由と輸出国と自国の相対的な市場規模に依存する。貿易自由化は、市場規模が小さい途上国のAD措置を増やしてしまうおそれがあり、WTOやRTAなどにおける規律強化によりAD措置のコストを上げ、AD措置の誘発を防止する必要がある。市場規模の大きい先進国においては、市場競争が激しい分野においては貿易自由化がAD措置をむしろ防止する側面があるものの、そうでない場合はやはりAD措置を誘発してしまうかもしれない。いずれにせよ、関税の不完全なパススルーがダンピングの原因になっている場合には、モノの貿易自由化交渉をさらに進め、関税の大幅な引き下げによりダンピング自体を解消することが、AD措置の濫用を防ぐための有効な政策手段となる。

図:関税引き下げとAD措置の発動(自国の市場規模が相対的に大きいケース)
図:関税引き下げとAD措置の発動(自国の市場規模が相対的に大きいケース)