ノンテクニカルサマリー

政策の不確実性と直接投資:日中領土紛争の影響

執筆者 陳 誠 (香港大学)/千賀 達朗 (ロンドン大学)/孫 昶 (プリンストン大学)/張 紅咏 (研究員)
研究プロジェクト RIETIデータ整備・活用
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究 (第四期:2016〜2019年度)
「RIETIデータ整備・活用」プロジェクト

尖閣諸島をめぐる問題の影響と日本企業の対応

尖閣諸島の国有化を発端とする、2012年9月に拡大した中国国内での反日デモが日本企業にとって予期しない(unexpected)出来事であり、日中経済関係と日本企業に大きな影響を与えた。本稿は経済産業省の政府統計を用いてその大きなショックに直面した日本企業がどのように行動したのかについて考察した。分析結果は以下の通りである。尖閣諸島問題に端を発した中国国内におけるデモの拡大後、2012年下半期の日本企業による中国現地売上は大きく減少し、2013年に入り急回復した(図1)。

図1:中国における日系現地法人による売上推移
図1:中国における日系現地法人による売上推移
注:対数変換した売上高の推移をHPフィルターした系列をプロット。海外現地法人四半期調査の個票より作成。

また、中国での日系現地法人による設備投資、日本からの中国への直接投資はトレンドからの下方かい離が顕著となった。急激に売り上げが回復した一方で、実現値を下回る悲観的な売上予測を続ける企業が増加し、プラスの予測誤差が観測される傾向が続いた。こうした予測誤差は、一時的な売上減によるテールリスクの顕在化、不確実性の高まりによるセンチメントの下振れを示しているものと考えられる(図2)。これは、尖閣諸島国有化後の中国における特有のトレンド変化から識別された結果である。

図2:予測誤差の分布
図2:予測誤差の分布
注:横軸に予測誤差、縦軸に確率密度をプロット。海外事業活動基本調査の個票より作成。

データと分析手法

分析には、経済産業省「海外事業活動基本調査」と「海外現地法人四半期調査」の個票データを利用した。(1)海外事業活動基本調査からは、現地法人調査票にある売上高、設備投資の年間実績、見込額との差分から予測誤差率を計算し、不確実性指標に利用した。他の決算データ(売上高、設備投資、雇用人員、資本金等)と結合させることにより、本社企業‐現地法人、年度毎に直接投資、設備投資、不確実性の指標(上述の予測誤差率およびその絶対値)、その他の会計情報を含んだパネルを構築した。(2)海外現地法人四半期調査からは、売上高(現地向け、日本国内向け、第三国向け)、有形固定資産、従業者数についての四半期毎の実績と、企業による見通し判断項目を利用した。具体的には、見通し判断項目の方向(上昇、不変、減少)と、四半期実績の着地を比較して、整合性を数値化したものを不確実性の指標とした。たとえば、売り上げの先行き判断項目が「減少(上昇)」であるのに対して、前四半期対比で実績値が「上昇(減少)」となった場合は「2(-2)」、売り上げの先行き判断項目が「不変」であるのに対して、前四半期対比で実績値が「上昇(減少)」となった場合は「1(-1)」と数値化した。上述の年次パネルデータ同様、決算データ(売り上げ、設備投資、雇用人員)と結合させ、四半期のパネルデータを構築した。

構築した2つのパネルデータを用いて、中国国内での反日デモの拡大をイベントショックとして、差分の差分法(difference-in-differences)を用いた分析を行った。具体的には、日本企業による直接投資、日系現地法人による設備投資、不確実性指標について、時間を通じたトレンドを地域別、イベントショックの前後で比較して、尖閣諸島問題以降の中国特有ショックの効果を識別することを試みた。さらに、データ期間全体を通じて、不確実性指標を主な説明変数とし、直接投資、設備投資を被説明変数として回帰分析し、不確実性と設備投資の関係をより一般的に分析した(ここでは差分の差分法と違い、内生性への対応はなされていないことに注意)。

本稿の貢献と政策への含意

不確実性が実体経済に及ぼす影響については、理論、実証の面から長らく研究対象となってきた。たとえば、不可逆な設備投資にかかる不確実性の増大によって、企業は設備投資の実施時期を先送りし、将来収益を査定する際に有益な新たな情報を待つという理論が示されてきた。こうした不確実性と設備投資の負の関係は、これまでの実証分析によっても示されてきたが、因果関係を識別するまでには至っていない。これには、(1)設備投資と不確実性の間にあり得る内生性の問題、(2)企業レベルで不確実性を計測する問題を克服する必要があるからである。たとえば、企業レベルの不確実性を計測・指標化したものに、設備投資の減少に伴う不確実性の増大が反映されている場合、回帰分析などによる分析にはバイアスが含まれてしまう。

実証分析において因果関係を識別するため、予期せぬ外生的なショックを用いて、そのイベントのタイミングで前後を比較する手法が用いられてきた。本稿では、2012年7月から9月にかけて尖閣諸島の国有化から一連の反日デモの拡大を予期せぬ外生ショックとみなし、当該期間を前後比較することによって外生的に増大した不確実性を抽出し、それと直接投資、設備投資との関係を分析した。分析結果は、政策の不確実性が実体経済に与える影響に関する関心が高まる中、伝統的な経済政策(税制度、さまざまな規制、金融政策等)に関する不確実性だけでなく、外交政策なども重要な経済的な帰結をもたらすことを示している。安定的な外交政策が日本企業にとって非常に重要である。