ノンテクニカルサマリー

2つの危機を通じた基軸通貨ドルの慣性

執筆者 小川 英治 (ファカルティフェロー)/武藤 誠 (一橋大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

国際マクロプログラム (第三期:2011〜2015年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

現在の国際通貨システムにおける基軸通貨はドルである。これは、国際金融市場におけるドルの流動性不足の背景となっている。基軸通貨は交換手段としての機能が重視され、そのネットワーク外部性のためにシェアが低下しにくい。これを基軸通貨の慣性と呼ぶ。図1はドルに関する3カ月物のLIBOR-TB、LIBOR-OIS、OIS-TBのそれぞれの推移を示している。ここでLIBORはロンドン市場における銀行間の金利、TBは米国財務省が発行する短期国債、OISは金利スワップである。また、LIBOR-OISは信用リスクプレミアム、OIS-TBは流動性リスクプレミアムを表す。この図から、世界金融危機が生じた2007年中頃から2008年後半において、金融機関が強い流動性リスクに直面したことが分かる。基軸通貨であるドルは慣性を持つが、一度でも信用リスクや流動性リスクに直面すると、金融機関はドルへの過度な依存を緩和させると考えられる。

本稿では、世界金融危機が基軸通貨であるドルへ与えた影響について分析を行った。上記した世界金融危機(特に、2006年5月に生じたアメリカ不動産バブルの崩壊、2007年7月のBNPパリバショック、2008年8月のリーマンショック)に加え、基軸通貨に影響を与える事柄として1999年1月のユーロ導入、2009年10月に生じたユーロ圏危機の端緒となったギリシャ危機についても焦点を当てている。また、世界金融危機がドルへの依存を緩和させるような影響を与えている場合、相対的にドル以外の国際通貨がシェアを伸ばすと考えられる。そのことを考慮し、世界金融危機がユーロに与えた影響についても同様に分析を行っている。分析にはmoney-in-the-utilityモデルを用いた。これは個人の効用関数に実質消費と国際通貨の実質残高を含んだモデルである。このモデルから、交換手段や価値貯蔵手段としての機能を通じて、ドル(ユーロ)を保有することで得られる効用に対する貢献度を推定した。この推定された貢献度を世界金融危機やユーロ圏危機(ギリシャ危機)、ユーロ導入前後で比較し、それぞれの局面においてどのような影響が与えられたかについて考察した。

結果として、主に3つのことが明らかとなった。第1に、ユーロの導入はユーロの効用への貢献度を上昇させたが、ドルの効用への貢献度に影響は与えなかった。これは、ユーロという共通通貨が導入されたとしても、基軸通貨のドルに対し、その流動性供給に勝るほどの影響を与えることはできないことを示している。第2に、世界金融危機の影響によって、ドルの効用への貢献度が低下していた。しかし、ギリシャ危機後にはドルの効用への貢献度は元の水準に回復している。対して、ユーロの効用への貢献度は世界金融危機の影響をあまり受けていなかった。これは、ドルへの影響が世界金融危機の期間に生じた流動性不足を背景としていることを示しており、基軸通貨の安定性において、その流動性供給が重要であることを示唆している。第3に、ギリシャ危機はドルやユーロの効用への貢献度に影響を与えていなかった。同時期に、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)は量的緩和政策を行っており、多量の流動性を供給していた。この流動性の供給は、自国のみならず、通貨スワップ協定を通じてヨーロッパにも行っている。このことは、第2の結果と関連して、基軸通貨の安定化には流動性の供給が有用であることを示唆している。

最後に、結論として政策的含意をまとめる。基軸通貨の安定化には適切な流動性の供給が必要である。現在の国際通貨システムはドルが基軸通貨であり、ドルの安定化がシステムの安定化には必要不可欠である。そのために、FRBは、引き続き他国の中央銀行と通貨スワップ協定を維持し、適切な流動性の管理を行い続けるべきである。また、基軸通貨の流動性危機に対応するため、国際通貨基金(IMF)は効果的な予防的クレジットラインを提供する必要がある。このことは東アジア地域についても同様である。東アジア地域では、アジア通貨危機を教訓として、通貨危機に対する経済協力の枠組みが設けられた。これをチェンマイ・イニシアチブ(CMI)と呼ぶ。CMIでは通貨危機時の対応として、参加国間で通貨スワップ協定を結んでいるが、それを多国間に拡張し、ネットワーク化することで支援の迅速化を図っている。東アジア地域の通貨システムの安定性を考慮した場合、流動性危機に陥った国をより迅速に支援する必要がある。このためには、より効果的に流動性を提供できるようにCMIをさらに整備すべきである。

図1:信用リスクプレミアムと流動性リスクプレミアム
図1:信用リスクプレミアムと流動性リスクプレミアム
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出所:Datastream