特区、生産性向上に寄与

宮川 努
ファカルティフェロー

量的緩和やマイナス金利などの金融政策に限界論がささやかれるようになってから、財政拡張政策の活用が脚光を浴び始めている。海外でも資本収益率の傾向的な低下に伴う「長期停滞」を克服するために財政政策を活用すべきだとの意見が聞かれる。このため欧米先進国では社会資本整備が政策的課題として取り上げられるようになっている。

日本ではバブル崩壊以降、財政赤字が続いていることもあり、財政政策活用による経済効果については、専門家の間であまり議論されることがなかった。そこで本稿では、筆者と川崎一泰・東洋大教授および枝村一磨・科学技術・学術政策研究所研究員の共同研究を基に、財政支出の経済効果について検討したい。

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まず事実認識として、第2次安倍政権は発足以来、過去の景気回復期以上に積極的な財政政策を実施してきた。

21世紀に入ってから3度の景気回復期があるが、2000年代前半の景気回復期における公的固定資本形成は年率換算でマイナス6.2%だった。また世界金融危機からの回復期も公的資本形成はほぼ横ばいで推移している。これに対して「機動的な財政政策」を掲げた第2次安倍政権期では年率1.6%の伸びを示している。これは12年10〜12月期から16年7〜9月期までの経済成長率(年率1.3%)を上回っており、公的資本形成が景気をけん引する重要な要素だったことがわかる。

最近話題となっている財政収支が物価水準を決定するというクリストファー・シムズ米プリンストン大教授の理論を除けば、一般的に財政政策が経済全体に与える効果については2通り考えられる。

1つは需要創出効果である。つまり政府支出が民間側にとっては収入増となり、それが労働者などの所得増につながり、消費の増加へとつながるという古典的なケインズ経済学の考え方である。

もう1つは供給サイドにおいて、財政支出が社会資本の整備を通じて民間企業の生産性を向上させるという「社会資本の生産力効果」である。すなわち政府が整備した港湾、道路、上下水道などが、民間企業にとってより効率的な生産システムの構築を可能にして、結果として生産性向上が達成される効果を指す。

需要サイドの直接効果については前述の通り、公的資本形成の伸びが国内総生産(GDP)の伸びに一定程度寄与したことは明らかだ。問われるのは供給サイドの効果だ。

もし現政権が経済成長を促進することに伴う税収増で、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の縮小を目指しているならば、社会資本の整備について相当程度の生産力効果を見込まなくてはならない。その意味では、第2の矢による社会資本整備は、第3の矢である成長戦略と整合的でなくてはならない。その成長戦略の目標の1つは、生産性の低い分野から生産性の高い分野へ資源を移動させることにある。

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従来の「社会資本の生産力効果」を検証する際には、日本の各地域の生産性向上に社会資本がどの程度寄与しているかを調べていた。ここでの前提は、各地域があたかも1つの産業で構成されているかのように考え、その産業の生産性向上に社会資本が寄与すると考えていたのである。

しかし実際には各地域は多様な産業で構成される。その場合、地域全体の生産性向上は各産業固有の生産性向上に加えて、労働や資本が生産性の高い分野に移動することに伴う生産性向上により構成される。これまでは十分な地域別・産業別のデータがなかったため、この2つを分離できなかった。だが経済産業研究所の地域別・産業別データベース(R-JIPデータベース)を利用することで、労働や資本の移動に伴う生産性向上に社会資本が与える効果の検証が可能となった。

1980年代から90年代前半にかけては、社会資本の増加は生産性の高い分野へ労働力を移動させる効果を有していた。一方、資本が収益率の高い方向へ移動する効果は、どの分野でも資本収益率が低下していることもあり、顕著には確認できなかった。

また90年代後半以降の社会資本の増加については、労働や資本が生産性の高い分野や資本収益率の高い分野へ移動することを通じて、地域ひいては経済全体の生産性を向上させる効果を確認することが難しくなっている。

さらに90年代後半からは財政赤字問題が深刻化し、2000年代には社会資本投資が抑制されるようになった。時期を同じくして登場した政策が構造改革特区制度だ。小泉政権が導入したこの政策は日本経済活性化、特に地域活性化の手法として、経済活性化のために障害となっている規制について、特区内で緩和する政策をとってきた。構造改革特区は03年以来今日まで1000件以上が認定されている。

初期の事例としては、03年に認定された神戸市の先端医療産業特区が挙げられる。ポートアイランド地区や神戸大学で、ライフサイエンスに関する研究機関や医療関連企業の集積を目指すため、外国人の入国や在留申請などの優先的処理や外国企業の支店開設などを促進する施策がリストアップされている。この事例は、まさに特区の創設により革新的な産業の集積を誘導しようとしているという点で、地域内の産業間資源配分の変更を通じて生産性向上を目指す政策と位置づけられる。

多数の構造改革特区の中には、必ずしも産業構造の転換を意図していないものも含まれる。しかし構造改革特区の数は、ある意味でその地域を振興させるために実施する規制緩和への意欲ととらえられる。実際、R-JIPデータベースから算出した各地域の労働移動による生産性変化率と、当該地域での累積の構造改革特区数をみると、1市町村あたりの特区数が0.7を超えている中部、中国地域では、生産性が向上していることがわかる(図参照)。

図:生産性上昇率と1市町村あたり構造改革特区数(2003〜09年)
図:生産性上昇率と1市町村あたり構造改革特区数(2003〜09年)

前述したように特区の性格には様々なものがあり、より詳細な検証が必要だ。しかしこれまでのデータによるわれわれの検証からは、政府が掲げる生産性向上策と整合的な政策としては、従来型の社会資本整備よりも特区制度を利用した規制改革の方が望ましいとの結果が得られている。現在の財政状況やプライマリーバランスの黒字化目標が遅れている現状では、より大胆な特区制度を通じた規制の見直しが求められる。

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とはいえ、あらゆる社会資本整備が不要というわけでない。例えば地域住民の生活に不可欠で、かつ老朽化した社会資本については更新を進めなくてはならないだろう。

加えて生産性向上のためには、道路やダムなどの目に見える社会資本よりも、政府が保有するビッグデータの活用といった新しいタイプの社会資本の整備が望まれる。欧州での財政支出案も新たなタイプの社会資本整備を念頭に置いている。もちろん、こうした新たなタイプの社会資本の整備を進める際には、情報の保護など適切な規制と組み合わせることが欠かせない。

需要サイドからみれば、財政支出は量的な観点にのみ焦点を当てればよいが、供給サイドを考えるならば、投下される資本が経済成長に寄与するかどうかで日本経済の行方は大きく変わってくる。財政拡張策を議論する際には、成長戦略との連携も含めて、より慎重な議論が必要だろう。

2017年2月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2017年2月21日掲載