農業・食料問題を考える

牛肉の安全性と国際基準

山下 一仁
上席研究員

1.OIE(国際獣疫事務局)でのBSE基準見直し

現在、アメリカからの牛肉輸入が再び停止しています。これは日米間で日本向けの輸出条件が合意されたにもかかわらず、アメリカの輸出検査体制が十分でなく、日本向けの牛肉に牛肉の危険部位、背骨が除かれていなかったことによるものです。

日米二国間の協議とは別に、今年、家畜の病気に関する国際機関であるOIE(国際獣疫事務局)は、アメリカのようにBSEのリスクが無視できない国からの牛肉輸入条件について、1)生後30カ月以下であること、2)BSE感染疑いや感染確認がないこと、という現在の要件を削除し、脳や脊骨などの危険部位さえ除いていればよい、という改正案を加盟国に提示しました。つまり、アメリカからも月齢に関係なく全ての骨なし牛肉の輸入を認めなくてはならないというものです。

現在我が国がアメリカ産牛肉の輸入条件として求めているのは、今のOIEの基準が認めている生後30カ月以下よりも厳しい、20カ月以下の牛肉です。また、今のOIEの基準でも、30カ月未満の牛肉については、背骨など一部の危険部位を除く必要はありません。背骨が付いていても良いのです。今回発見されたアメリカの背骨つき牛肉もOIEの基準では輸入を認めなくてはならないのです。つまり、今のOIEの基準でも、日米間の合意より相当緩やかなのです。この基準がさらに緩和されようとしているのです。

また、8歳以上の高齢の牛のみでBSEの発生が確認されている国については、BSEのリスクが無視できる国であるとして、背骨だけでなく全ての危険部位を除く必要もない、つまり背骨等が付いていても良いという改正案も加盟国に示されました。

2.OIEの基準に拘束されるのか?

本来、いかなる国も同意しない条約や国際約束には拘束されないというのが、国際法の原理、原則です。OIEの基準は加盟国の多数決で決定されます。反対する国があっても、成立するということです。賛成しない国もあるので、OIEの基準それ自体は、強制的なものではなく、守るか守らないかは加盟国の自由であるという性格をもった基準です。

しかし、1995年以降必ずしもそうではなくなっています。それは、ウルグアイ・ラウンド交渉の結果、WTO、世界貿易機関が発足し、そのなかの"衛生植物検疫措置の適用に関する協定"いわゆるSPS協定が、各国の基準をできるかぎり国際基準に基づくよう求めているからです。各国とも人の生命・健康を損なう食品の輸入や食品・動植物の輸入を通じた病害虫の侵入を防ぐため、衛生植物検疫措置を採っています。BSEについての牛肉の輸入基準もその一つです。SPS協定は各国が衛生植物検疫措置を採る権利を認めながら、食品や動植物の貿易に対する制限を最小限にし、貿易を促進することをねらいとしています。できる限り多くの国が国際基準に基づく同じ措置を採れば輸出業者は各国の措置の違いに惑わされることなく輸出できます。その結果、貿易は促進されるので、SPS協定はWTO加盟国の措置をできるだけ国際基準に基づくようにしました。このため、OIEなどの基準が近年重要性を増してきているのです。

他の国際機関と異なり、WTOでは紛争処理手続きで決定されたことに従わない国に対して、他の国は制裁措置を採ることが認められています。環境NGOは、WTOは歯"teeth"を持っていると主張しています。このため、多数決で決められる参加任意の国際基準もWTOの紛争処理手続きで使われれば、SPS協定が各国の措置と国際基準との調和を求めていることから、それに反対した国に対しても事実上強制力を持つことになるのではないか、国内の厳格な基準も緩やかな国際基準に引き下げられ、食品の安全性が損なわれるのではないかという批判があります。

3.OIEの基準と違う措置は認められないのか?

衛生植物検疫措置については、10万人に1人か100万人に1人死亡するかという一定の健康保護の水準を前提にして、科学的なリスクアセスメント(危険性の評価)に基づいて、いかなる衛生植物検疫措置をとるかが決定されます。つまり、健康保護の水準の決定、リスクアセスメント、措置の採用の3段階があります。

これを考慮して、SPS協定には国際基準として決められた措置に従わなくても良い場合が示されています。

第1に、健康保護の水準が同じでも、別の措置を採ることが科学的に正当な理由がある場合です。たとえば、10万人に一人死亡するという各国共通の健康保護の水準を前提にしても、食習慣の違いにより日本で米の摂取量が他の国より多ければ、国際基準と同じ残留農薬や食品添加物の値を採用すれば国民の健康を害するおそれがあるというケースです。

第2に、リスクアセスメントは、科学界の多数意見でなくても少数意見に基づいても良いとされています。

最後に、加盟国は、国際的な基準よりも高いレベルの健康保護の水準を設定することができ、そのために必要な国際基準よりも高度な措置を導入することができます。健康保護の水準の決定は、各国の主権的権利だということです。

現在のOIEの議論は厳しい措置を採用されたくない輸出国や途上国の意見が優っているという批判があります。OIE自身が、どの程度の健康保護の水準を前提にして、どのようなリスクアセスメントを行った結果、あのような提案となったかも明らかではありません。輸入国として、できる限り日本の意見が採用されるよう粘り強く交渉することが必要です。また仮に、現在の我が国の輸入条件よりも緩やかな条件がOIEで決定された際でも、我が国では21カ月齢のBSE感染牛が発見されているのですから、SPS協定に従って措置の妥当性を主張することは可能だと思います。

2006年2月28日

2006年2月28日掲載

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