企業の社会的責任と新たな資金の流れに関する研究会

第1回研究会

実施報告

  • 日時:2003年4月7日
  • 場所:独立行政法人経済産業研究所1121会議室
  • 参加者

議事録

座長挨拶

横山:
私は経済政策とりわけ公共選択の観点から公共部門の政治の失敗、政策の失敗といわれているような事柄について財政・租税、環境を中心に政策研究をしている。

審議会のように公式的なストーリーがあるわけではなく、参加した皆さんと一緒に自由に議論を積み上げていきたい。

議論

美原:
SRIという概念と社会投資ファンドのような公的主体における資金の流れの仕組みとをどのように結びつけて考えるべきか。

植杉:
SRIという考え方と社会投資ファンドという考え方では、社会的に必要な需要に対して、お金を流そうとする点で共通している。問題はどこに需要があるのか、それをどのような形でファンディングするのかということであり、それをきちんと整理する必要がある。

筑紫:
どこに需要があるのかという点も重要だが、むしろ、もっと大きな議論、すなわち国家政策として、SRIをどのように位置づけていくかも重要。既に、米欧では、SRIを国家政策に活用する、ないしは民間主体が国家政策を担う動きが見られる。たとえば、イラク戦争の際、米国の年金基金がフランス企業の株式を売却する、ないしはフランスにおいてスターバックスの株が売却されるなどの動きが見られている。

したがって、日本においても、SRIとパフォーマンスとの関係といった点のみにこだわることなく、国家政策との関係からしっかり考えるべき。その際、「日本的」なSRI概念の確立というのも重要であるが、SRIという概念が我が国において浸透していることを諸外国に積極的にアピールしていくことも重要である。

福永:
経済産業省としてはどうやって新しい資金の流れをつくっていくか。その切り口のひとつとしてCSRがあるのではないか、という問題意識でこの研究会を立ち上げようと思った。

付け加えて言えば、地域のコミュニティでお金をどのようにうまく回す仕組みをどう考えたらいいかということなどがある。

筑紫さんのお話を聞いていて、たとえば外債や外国への投資をするときに、日本としての国家戦略の重要性を認識した。

横山:
公共財の自発的供給という概念であり経済学の問題。即ち、それぞれの主体は、望ましいと考える姿を実現するために、「自ら」のコスト・ベネフィットという観点から、社会的な投資も行い、社会的責任も果たす。したがって、社会的投資、社会的責任を考える場合、各主体がどのような目的を持って行動するかの整理が重要。また、この際、各主体の合理的行動と社会的に望ましい姿の実現との間でギャップが生じた場合にどのように調整するのかもあわせて整理しておく必要がある。

西村先生のお考えについてお聞きしたいが、実際にこの社会投資ファンドについて、運営する主体は何を目的にして動いているのか、そのときの仕組みはどのようになっているのか。

西村:
社会投資ファンドは、立ち上げの時期には公的主体が積極的に関与し、その後は市場メカニズムに委ねるというもの。この場合、社会投資ファンドから普通の会社になることも可能であるほか、社会投資ファンドが破産することもあり得る。

この研究会で、国家戦略としてのSRIについて議論するのであれば、SRIへの国民の関与をどのように高めていくかのみならず、我が国として望ましいSRIの姿をどのように形づくっていくかという点も議論する必要がある。

但し、SRIと言っても、我が国では、現状、どこにも投資をしたくないという投資家層が多いのが実情。このため、仮に国家戦略として打ち出しても何も変わらないのではないか。

それよりも他に解決すべき課題が山積している。たとえば、自治体の債務状況は相当深刻な状態にあり、早急に解決策を考える必要。この際、オプション等の金融スキームをうまく活用することで改善を図ることが可能であり、ここで、SRIの考え方を説得材料として使うことで、年金基金などの投資サイドの運用先を誘導することも出来る。

筑紫:
いま世界中で起こっているSRIのムーブメントというものの本質を見誤ってはいけない。

イギリスのSRIの投資家は、同国のSIF[Social Investment Forum]によれば、3分の2ぐらいが女性であり、女性の経済力の問題と非常に関わっている。日本でもエコファンドが出たとき、投資行動で社会を変えるという趣旨に共鳴し、女性や若い人が多く投資した。

SRIは、投資を通じて国家戦略を自らが構築していくことにほかならない。既に、フランスや英国ではSRIを国として後押ししている。また、世界中のSRIの投資家が連携すれば、国という枠組みを越えた動きになる。

赤石:
筑紫さんと西村さんの議論は分けないといけないのではないか。

横山:
「企業の社会的責任」や「社会的責任投資」と言った場合、「企業」というのは、今いろいろな新しい事業組織体がここ10年ぐらいでできていることに見られるように、株式会社に限定していいのか。

研究会では、特殊な目的を持った事業体についての立法化まで考えるのか、それとも一般の株式会社に限定するのか。

筑紫:
社会的責任を担う主体は、株式会社だけではなくて、もう少し幅広く考えてもいいのではないか。即ち、SRIでは、未公開株に投資する形もあれば、企業だけではなく、NPOにお金を流すという形もある。また、消費者が銀行を作るというような動きや預金者が預金先の銀行を選ぶ際にCSRの概念を考慮すること、さらには金融機関が融資をする際の基準としてCSRの概念を考慮することもSRIである。

SRIは、収益を極大化することを第一義とはしない。結果的に収益につながることもあるが、収益が得られない可能性があってもそれを受け入れるということも含めたのがSRIだと思う。

福永:
SRIやCSRを行うときの基準は、資金の流れを変えるためのモメンタムになるのではないか。そうした基準について、日本独自のものをどのように根付かせ、消化していくのか。

SRIと社会投資ファンドの共通点は、資金を出すことによってコミットメントすることだと思う。

川村氏の報告についての議論

植杉:
日本で最も受け入れられるようなCSRについての考え方というのはどういうものがあるのか。乱立気味であるような基準の標準化についてはどのようにお考えになっているのか。

川村:
世界的なガイドラインとか行動規範については、基本的にグローバル企業のためのもので、そのまま日本企業が受入れることは必ずしも重要ではない。CSRと言う場合、地域や国の宗教・歴史・文化などにより価値観が異なることを認識する必要がある。

一連の企業不祥事をみると、企業の社会やステークホルダーに対する「誠実さ」が、現在の日本企業では大事ではなかろうか。ここから日本企業のCSRへの取り組みは始まるのではないか。

ステークホルダーには企業の内と外の2種類ある。外向けには過去10年ぐらい取り組んでいるが、内向け(従業員)については必ずしも一生懸命やっていない。両方を意識してそれぞれにどれだけ自社が誠実に対応できているのか、ということが重要ではないか。

矢野:
標準課では、ISOという窓口を通じてCSRのルールづくりをやっている。

CSRが実際に動くためには、やはり川村さんが言われるようなお金の裏付けが非常に大事ではないかという気がしている。

日本でやるときには、政府の存在が非常に大きいと思う。だから、そこに風穴を開けるようなことを考えていいのではないか。

今、いろいろなアイデアは出るが、政策立案・実行の仕方があまり昔とは変わっていないような気がする。少し政策立案・実行の仕方も変えながら検討することは重要ではないか。

外国人投資家が言うグローバル化と私たちが言うグローバル化、彼らが言うCSRと私たちが考えるCSRは違うところもあるので、そのことを認識した上での政策やルール作りが必要。

CSRを考えるときに、やはり今世紀でどんな資本主義を私たちはこれからつくっていくのか、と考えなければいけない。ヨーロッパでは、市場のために社会があるわけではないと考えられている。私たち自身もそういう認識の中でお金の流し方をつくっていくことができれば、このCSR自身も生きてくるのではないか。

水口:
いくつか対立する概念があるような気がする
1)多様な価値観が存在するということと、規格化やガイドライン化が矛盾しているように思われる。
2)SRIで言っているSRと、CSRと言っているSR、については同じものなのか、それとも違うものなのか。
3)社会性と収益性との関係についてどのように考えるのか。
4)米国のように株式投資を中心にして民間から動き出したところと公的主体への期待が大きい日本のような国と、性質の違いがあるような気がする。

川村:
企業として、「こうした価値観が重要だ」ということを経営トップが見識をもってそれぞれ示すことが必要。

ISOのマネジメントシステムは、P・D・C・Aの枠組みだけであって、中身まで踏み込んでいない。そういう意味で、規格化、ガイドライン化と価値観の多様性は、あまり矛盾しないのではないか。

社会性と収益性との関係については矛盾するものではないが、SRIは投資する人の価値観によるのではないか。

筑紫:
SRIというのは直接資本主義だと考えている。直接資本主義とは、直接民主主義があるように、金融の枠組みを通じ、自らが資本主義に直接アクセスすることによって、資本主義の活性化を促していくという考え方である。

多様な価値観とガイドラインの関係について、価値観のぶつかり合いの中で、共通点が見えてくるものがあり、それがガイドラインとして形成されるのではないか。現に、投資家としては、SRIのリサーチには多額のコストがかかるため、ガイドラインを求めているところがあるが、本当の企業価値を把握するためには、個別にきちんとした調査が必要である。

社会性と収益性との関係では、多様な価値観をそのまま金融商品に反映させればいい。たとえば、米国では、社会的無責任投資というものがあるが、これはギャンブル、軍需産業、煙草などに投資するものである。つまり、多様な価値観があって、それぞれが直接資本主義に楽しみながらコミットしてもらうことが重要。