RIETI海外レポートシリーズ 欧州からのヒント

第五回「観光立国への道」

白石 重明
コンサルティングフェロー

観光の都・パリ

いま、日本では「観光立国」を目指してさまざまな取り組みが行われている。「2010年に1000万人の外国人観光客」を目標としたビジット・ジャパン・キャンペーンが展開中であり、実際、外国人観光客は増加しつつある(2003年521万人→2006年733万人)。しかし、「観光立国」への道はまだまだ遠い。外国人観光客数でみると、日本は世界で第33位である(GDP規模では第2位なのに!)。

他方、フランスは世界で一番多くの外国人観光客が訪れる国であり、パリは世界で一番多くの外国人観光客が訪れる都市である。2005年のデータになるが、パリを訪れる外国人観光客は1540万人。フランス全体だと7500万人もの外国人観光客を迎えているというから驚異的だ。ちなみに人口をみると、フランス全体でざっと6500万人、パリで200万人だから、「お客さん」の方がずっと多い。

パリを訪れる外国人を国別にみると、第1位が米国(163万人)、第2位が英国(145万人)、第3位がイタリア(69万人)、そして第4位が日本(66万人)である。以下、ドイツ、スペイン、と続く。中国、韓国、ロシア、インドといった新興国からの観光客は増加しつつはあるが、実際の印象ほどには絶対数が多いわけではない。特に中国人観光客は実際にも目に付くのだが、これは一人当たり支出額が国別で第2位となかなかに羽振りがよいためかもしれない。ちなみに、一人当たり支出額の第1位は日本である。ある調査によると、日本人観光客は「行儀よく、礼儀正しく、つつましく、不平・クレームも少ない」という「世界一歓迎される観光客」であるというが、たくさんお金を使ってくれるからこそ歓迎されているのだろう。

さて、特筆すべきはパリを訪れる観光客のリピーター率の高さで、9割を超えるともいう。「パリはもう3回目!」といった、パリに「はまった」人が多いことをうかがわせる。他方、こうしたパリへの思い入れの強さが高じて、現実のパリと思い描いてきたパリとの違いにショックを受けて「パリ症候群」という一種の適応障害になる日本人が毎年10人くらいいるという笑えない話もある。

何がそれほど人々をパリに引き寄せるのか。パリに来た外国人がどこに行っているかをみると、ノートルダム寺院(1000万人)、サクレクール(800万人)、エッフェル塔(600万人)、ルーブル美術館(600万人)、といわゆる観光名所や美術館が集客を誇っている。しかし、こうした観光名所だけでこれほどのリピーター客を引き寄せることができるだろうか? 実はこうした表層的なデータでは捉えきれないところに答えがあるように筆者は思う。本当のところ、パリに来る人々は「あのパリ」を楽しんでいるのではないだろうか。

「あのパリ」。もちろん、そこに込められた思いはいろいろだ。「あのモナリザ(ジョコンダ)があるパリ」「あのマリー・アントワネットがいたパリ」「あの革命があったパリ」「あのナポレオンがいたパリ」「あの藤田が住んでいたパリ」「あのロートレックが飲んだくれていたパリ」「あのサルトルがカフェにいたパリ」「あの美しい街角があるパリ」「あのブランドの本店があるパリ」「あのレストランがあるパリ」「あの映画の舞台となったパリ」・・・書き出せばきりがない。こうした思い入れこそが外国人観光客をひきつける原動力なのではないか。そうでなければ、9割を超えるリピーター率を説明できまい。

こうした原動力となる思い入れがあればこそ、人々はさまざまなハードルを乗り越えるのである。空港が遠いとか、言葉が通じにくいとか、物価が高いとか、そうした多少のハードルがあっても、あの「○○に行きたい」という思い入れがあれば、人々は集まる。何度でも訪れる。実際、パリは、最近でこそ英語が市民権を得つつあるようにも思えるが、なおフランス語しか通じないレストランなども多い(そういうところのほうが手ごろな価格でおいしかったりする)。物価水準も、そもそも高いうえに近時のユーロ高で、世界一といっても過言ではない(生活実感として、東京の物価水準の方がはるかに低く思える)。それでも、人々がパリに集まるのは、やはり思い入れのある「あのパリ」に自分を置いて楽しみたいからであろう。逆に、どれほど容易にアクセスできる場所でも、そうした思い入れがなければ人々はあえて訪れようとはしない。

日本への思い入れを持ってもらうことが重要

したがって、日本が観光立国の道を進むためには、「標識・案内の英語・中国語表記を促進する」といったハードルを低くする活動も結構だが、むしろ「あの日本」という何らかのポジティブな思い入れを外国の方々に持っていただくことが最大のポイントではないだろうか。

「日本の魅力を紹介する」という活動もビジット・ジャパン・キャンペーンの一環として行われているが、スキー場や温泉地の紹介などは「ほら、いかがです? なかなかいいでしょう?」というセールスに近い。思い入れを持ってもらうというのは、もっと迂遠だけれども根が深い自律的な動きである。

「あの○○」と人々が心の底から希求するほどの思い入れは、意外なところから生まれることもある。アキハバラに米国から多くのオタク系/コスプレ系の観光客が集まったり、「東京でショッピングをする」ことがアジアの富裕層のステータスとなったりしているのは、少し前には想像しにくいことではなかったろうか。よくよく見渡せば、日本にはそうした思い入れのシーズがたくさんある。

こうした「思い入れを醸成する」というのは、経済的にいえば、単純な価格競争に巻き込まれないということでもある。ブランド価値の確立といってもいい。たとえば、沖縄には美しい海と歴史と文化があるが、東南アジアのリゾート地との価格競争力が課題となっている。しかし、沖縄の古くからの歴史と文化への思い入れをもっと醸成できれば、「沖縄でなければならない」ということになるわけだ。思い入れは、コストを超える。

観光立国を目指すなら、腰をすえて、日本の○○への思い入れを醸成していきたい。幸いにして日本には、いくつものシーズがある。そうしたシーズを、思い入れを持ってもらえる一種のブランドとして花開かせていくという発想が求められる。そして、その思い入れの具体的な象徴を日本国内に用意すれば、多くの人々が日本を訪れ、また再訪してくれるだろう。

2007年12月21日
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2007年12月21日掲載

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